122 建国祭前日の本音
ヒルドの運転するトード車で、俺とチェリーは海岸線の大都市チルチルへ向かう。
トード車は二匹のトードが箱を引くという形態が多かったが、町で借りたというそれはトードが一匹だけだった。
箱も今まで見た中で最小の人力車タイプで、二人掛けの椅子が後ろについているだけだ。
男三人を運ぶには心許ない気もするが、その一匹のトードが普段目にするヤツより二回り以上大きく、頼もしい体つきのお陰で道中は思った以上に快適だった。
王都ハスラを抜けると、チルチルまでは長い一本道だ。
まるで絵本の世界にでも迷い込んでしまったような木漏れ日の射す森を進んでいくと、突然木々が途切れて前方に建物の風景が広がった。
「大体1時間半くらいかな」というヒルドの見込み通り。退屈する間もないまま、トード車は町へと滑り込んでいく。
潮の匂いなんて今まで感じたこともなかったが、「海の匂いがする」と思わず声に出してしまった。
「ここからはもうチルチルだよ」
どこか異国の風景写真に出てくるような、石造りの町が海岸線に沿って長く広がっている。ハスラは二階建ての低い建物ばかりだったが、ここには四階五階と高層階がちらほらと伺えた。道を行く人の数も多く、活気立っている。
「うわぁお」と歓声を上げたチェリーに、ヒルドは「凄いでしょ」と俺たちを振り返った。
「こっから海岸線まで歩こうよ」
俺は海が見たいとヒルドに言ったが、それ以外のプランは彼に任せていた。
言われるままにトード車を下りたのは、他にも数台のトード車が並んだ待機所のような場所だった。
ここから海までの道は急に狭くなっていて、トード車の乗り入れを禁止する絵の描かれた看板が、道の手前に大きく掲げられている。
海岸まで続く緩やかな石畳の道の両端には、小さな店がたくさんあった。俺はこの世界の文字が読めないけれど、看板の絵やショーウィンドウを眺めているだけで大体は理解できる。
俺がいた城下町のハスラは、本当に田舎だったらしい。
ここには土産物屋からカジノまで何でもあった。
そして、町のいたるところにクラウの肖像画が描かれた、建国祭のポスターが貼られている。ヒルドが「あれは僕の父親が描いたんだよ」と誇らしげに言うが、その気持ちの半分は嫉妬が混じっているようだ。
「これは何?」とチェリーが怪訝な表情を浮かべたのは、獰猛そうな三体のモンスターが挑戦的な顔で睨みをきかせる看板だった。その店は格子窓の向こうにカーテンが掛けられていて、中の様子は分からない。
「ここは食堂だよ。ギムラに、マルートに、シーモス。どれも結構美味しいよ」
一匹ずつ指差しながら説明するヒルド。確かに鳥型の黒いモンスターは、この間俺たちが食堂で最初に戦ったヤツだった。
「この店もいいんだけど、向こうにお勧めの店があるから」
そう言って連れていかれたのは、坂の一番下にある、この辺りでは大きめの店だった。
ベル付きの扉を鳴らして中に入ると、「いらっしゃいませぇ」と店内中の従業員に一斉に迎えられる。
中は殆どの席が埋まっていたが、一番近くに居た女性店員が俺たちの所にやってきて、どうにか隅の小さなテーブルに着くことができた。
「凄い人ね」
「ここは人気店なんだよ」
カウンターの横には小さなステージがあって、小太りの男と痩せた男の凸凹コンビが楽器を手に軽快な音楽を奏でている。
とりあえずと言わんばかりに、この世界の酒であるラケロを飲み始めた二人。俺はやっぱりジュースを選んだ。
「もう、真面目なんだから」
俺に顔を寄せてニコニコっと笑うチェリー。もう酔っているのだろうか。けれど今の姿は男以外の何物でもないし、斜め向かいの席に座っている若い異世界女子二人組が、やたらとチェリーに視線を送ってくる。
「カッコいいわね」とでも言い合っているのか。思わせぶりに手を振ったチェリーに「きゃあきゃあ」と歓声を上げていた。
それよりも俺は、彼女たちとは反対側の席に居る男が気になって仕方がなかった。
初老というにはまだ少し早い男は、色黒の肌に生やした無精髭を振り乱しながら、うつろな目をグラスに落として何度も大きなため息を吐き出している。
頬に赤みが滲んでいるのは、アルコールのせいだろう。ガヤガヤと賑わう店内にはさほど響いていなかったが、相当酔っているらしく、さっきから妙な奇声を上げては周囲の視線を集めていた。
側に座る俺たちには不快以外の何物でもない。
ガシャン! とまだ酒の入ったグラスをテーブルに打ち付けて、「全くよぉ」と零した男に、俺たち三人は同時に睨みを送り付けた。
彼と同席している女性が「ちょっと」と咎めるが、アルコールで乱れた男は聞く耳を持とうともしない。
「俺は、異世界から来た奴が魔王になるなんて、始めから反対だったんだ」
男がしゃあしゃあと放ったその言葉で、辺りの空気が一変した。
悪態の原因がクラウにあることを知って、俺の中の怒りが小さな炎を灯らせたのだ。