あの時代を忘れない。
平和な時間。何も知らない空は今日もいやらしく高く、空気は澄んでいる。何もない朝。よわよわしい朝日が前日にあったことをすべて洗っていく。今日で何もかも逃げ切れた。と思っているゴトーはとても開放的な気持ちと憎悪が入り混じるとても微妙な心境だ。好きで選んだ道ではないという自分をフォローする道徳的感情。それを嫌う自己嫌悪。色んな感情が胸の中に渦巻いていても外には出さずにただドライにそんな気持ちを処理している。だから、ゴトーは自分が無罪になった記念に思い出の地に行ってみることにしたのだ。
15年前だった。ゴトーはひどく混乱していた。結果論からなる社会。自己中心的な人たち。何もかも嘘で固める人たち。利益しか考えない人たち。そういう人たちのことを徹底的に我慢しきって生活していた。時間は容赦なく自分を押し潰す。その圧力から逃げきろうとする自分。けど逃げきれなくどんどん自分の自尊心に吸収して、それを破壊していく。そんなことはお構いなしでどんどん吸収を強要する社会と人たち。
そんなとき、ゴトーは一人の人物に出会った。アオイという女だ。アオイという女もまたそんな社会秩序と人間関係に疲れていた一人だ。何もできなくただ社会に流されて自分に嫌気が差している。よく彼女が口にした言葉は「私にもし、財力があれば選挙に立候補して、総理大臣になってこの国の甘ったるいところをブッ潰して、自由な社会主義国家を作ってやる。」と。
ゴトーとアオイはなにも用事がない休日はよくカフェでコーヒーを飲みながら、大体6時間くらいおしゃべりをしていた。「傷のなめ合いをする茶会。」と呼んでいた。ここ最近の近状、愚痴、思想、国の不満。……。色んな事をおしゃべりしていた。それが一番楽だったのだ。そうして混乱を取り除いてセックス&バイオレンスなことをできないように自分たちを縛って、また暗い平日へ紛れ込むのだった。
アオイは中学生の時はボーっとただ友達と会話していた。しかし、何か人と係わっていると自己中心的な欲望や、人を利用する人たちの汚さに気が付いてしまった。その大半は金と自由に溺れた人だということもわかった。自分もそうなるのが怖かった。だから、自分に厳しく生きることにした。同時に自分が人たちに操作されるのはおかしいという理論を掲げて、人を平等に見て自分も人たちも操作されない世界を模索した。そのためにいろんなことをした。高校生の時に生徒会長になったのもそのうちの一つだった。なるのは簡単だった。誰もなりたくないから立候補はアオイたった一人だった。信任投票もあっさりみんなはアオイを信用して信任してくれた。
生徒会長になったけれども、結局歴史的に残るようなことはしなかった。ただ、生徒会誌にコメントを載せたり、偉そうにいろんな儀式で作文を読むだけ。結局、先生の言うとおりにあなたは偉いと言われ続けながら、ただ、人たちが嫌う仕事を徹してやったのだ。そのうちに新しい生徒会長がまた信任投票で決まり、新しい生徒会長に引き継ぎをして、これで、卒業。あっけない雑用の三年間だった。
傷のなめ合いをしていたとき、アオイから一つの提案が出た。セックス&バイオレンスなことをする。というものだ。無力が無力なことをすることで引き立てられるからだ。限りなく無意味なことでも、意味は成す。だから、儀式的に身体を本能に任せ上下に動かしたり、声を挙げたり、して形を残して、最終的にバイオレンスになるのだ。究極の社会へのテラー。人たちへのテラー。自分へのテラー。
ゴトーとアオイはまず遺書を書いた。自分たちがこれからすることのテラーショーのスケジュール。危険なことだからだ。そして、社会への皮肉。それに適応できなかった自分への皮肉。全く無に等しい財産の行先。二人はそんなことを書いた。これも社会へのテラーだ。そのあと、ベッドにもぐった。無へのテラー。そして、それが終わったら、闇の社会へ出る。場所は地下鉄の駅。ゴトーとアオイは両者を殴ってみることにした。無意味だと思うけど、論理の通り、意味が成すと信じて。こうして、顔以外の場所に痣を作って切符を買って、ホームに入る。そうして最終列車を待つ。最後の時。列車が入線することを告げるアナウンスが流れる。
ゴトーとアオイはじゃんけんをした。アオイは負けた。アオイは抵抗する。けどその抵抗は予定の範疇。列車がホームに進入する。ゴトーはアオイを投げだした。
「バイバイ、アオイ。」
「バイバイ、私の愛した社会。」
そのあと、このテラーは成功した。謎の事件としてマスコミは取り上げた。防犯カメラでじゃんけんをするアオイとゴトーの映像が社会に流された。アオイはじゃんけんに負けているのも映っていた。そのから、ゴトーのドライで孤独な15年間が始まった。警察はゴトーを指名手配。けど、それは社会からゴトーへの制裁である。だから、ゴトーはその制裁から逃げた。そしてこの晴れた日に時効が成立したのだ。
ゴトーは地下鉄のホームに立っている。これは予定通りなのだ。遺書と同じスケジュール。15年前の遺書にはこう書いてあった。
「マグロのように跳ねてマグロの切り身のように美しく散る。こうしてその時代を忘れないだろう。END」