姉の存在
ご訪問ありがとうございます。
今回は、2話完結になっています。
宜しくお願い致します。
手術日当日、私は両親に手紙を書きました。
もしかしたら、死んでしまうかも知れない危険性があったからです。
手紙と言うよりも、遺書に近いですね。
それを姉に託して、私が死んでしまった場合は姉が両親に手渡す役目をかってくれました。
手術は無事に成功しました。私は『生きている』と実感したと同時に物凄い痛みが襲いました。
目の前で、姉が「この手紙はもう不要になったね。日本に帰国したら、自分の口から両親にきちんと話をしなさいね。」と言ってその場で破り捨てたんですよ。
姉は結構あっけらかんとしていて、笑ってましたね。姉は私の事を心配して、毎日病院に来てくれました。
周りは、色々な国の方々が私と同じように女性になるための手術を受けに来ている人達ばかりでした。
姉は英語が話せるので、ある意味友達作り感覚で色々な国の人達と英語で話していて、羨ましかったですね。その反面、私が唯一日本語で会話できる姉が傍にいてくれたことは、本当に心強かったです。
時々、姉に通訳をして貰って、外国人との会話も楽しめたので、気晴らしにもなりました。
術後7日目にダイレーションを医師の指示通りに初めて行いました。それは、作った膣が塞がらないようにアクリル製の擬似ペニスで行う拡張作業なんですけど、これが凄く痛いです。強力な鎮痛剤を服用しても激痛が伴いました。
術後経過観察も含め3週間程の度航期間が必要でしたが、私達はホテルに2か月位滞在していました。
術後から7日目には退院して、ホテルに戻って安静にしていました。
退院後は通院しながら、指示を得ます。
私の場合は、性行為が行える女性の体を手にしたかったので、ダイレーションの手順を頭の中でしっかりと把握してホテルの1室で痛みに耐えながら頑張りました。
姉にはその時間中は、外出をして貰い1人で頑張りましたね。
術後14日目にして、医師から外出許可が出ました。
同じように手術を受けた彼女達と一緒にショッピングに行ったり、食事をしたり、と普通の女の子が楽しむ事を姉も同伴して皆で楽しみました。
姉の英語力のお陰かも知れないけど、彼女達も私の姉を自分のお姉さんのように感じていたかも知れませんね。姉は彼女達の悩み事を聞いてあげたみたいです。
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術後の経過も良く、姉とタイでの生活を満喫して、ようやく日本へ帰国しました。
タイで知り合って友達になった人達との交流も出来たし、いつでもFacebookで近況報告が出来る状態です。
私には、高校時代に好きな男の子が居ました。
でも、その当時は男の子が男の子に告白するなんて異例の事だったので、告白せずに終わりました。
私の淡い初恋は、無念に終わったのです。
ある日、姉が私に「昨年タイで知り合った日本人男性と連絡を取り合ってみたの?」との質問に、私は別に会わなくても良いよ。私はお姉ちゃんの方がお似合いだと思っていたんだからね。」と伝えました。
姉は、「じゃぁ、私が会うから名刺頂戴。」と手を出して要求してきました。
私は素直にスーツケースをクローゼットから出して、その名刺を探し出して姉に手渡しました。
もうあれから1年も経過しているから、私達の事を覚えているかも不明でしたが姉はそんな事お構い無しの人ですからね。
その後、私は中途採用の求人広告を見て、就活に専念しました。
両親にいつまでも仕事もせずにニートしてるなと言われたので・・・ね。
術後は、体力的に不安があり、女性ホルモンの薬剤を継続して服用しないとならないので、症状的に倦怠感がありました。長時間の立ち仕事は無理だと自己判断して、女性の一般事務で座って仕事が出来る職種を選びました。学歴不問で卒業証書や成績証明書などの提出が不要な場所を徹底的に探しました。
調度、自己都合で退職した女性が居た企業に応募があり、上手い具合に就職出来ました。
そこの企業は、都内のオフィス街にあって一本道を下ると、賑やかな街並みで夜になると繁華街のネオンが眩しいくらいに輝くビルディング近くになりました。
ある日、1番上の姉から「あんたの仕事帰りに○○○○と言うレストランで食事をしよう。19時に待ってるから来てね。」とメッセージがありました。
行かないと言う選択肢は無かったので、そのレストランに行ったら、タイで会った日本人男性がそこに居ました。3人で食事するのかと思っていたら、私が到着し、席に座ったと同時に姉は席を外して勝手に帰ってしまったのです。
メールで「後は2人で楽しんでね。」と姉から送られて来ました。姉にイッパイ食わされたのです。
私はどうして良いのか分からなくて、取りあえず彼との食事を楽しみました。
その場で、彼はタイで会った事を思い出話のように話していました。
私は、あまりタイでの事を話したくはありませんでしたね。
あの痛い日々は今でも脳裏に残って居たからね。でも、それ以外の楽しかった姉と2人で観光した場所を携帯で撮ったのを思い出して、彼に見せたりもしましたけどね。
彼との食事は結構楽しかったです。あっという間に時間が過ぎましたね。
その後、彼が「また会って欲しい。」と言われました。「君のお姉さんに、君との交際の了解を得ている。」と言われました。
姉が彼に連絡をして、彼が私に好意を抱いていて、今回の食事会を姉がセッティングしたと知りました。
悪い気はしなかったので、取り敢えずお友達からって事でOkしました。
彼もこの近辺の外資系企業で働いていることを改めて知りました。
お昼休みには、一緒にランチをする程度の仲にはなりましたね。
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何度か会っているうちに、彼から「実は俺はバツイチで子供が2人いるんだけど、子供達は前妻がみているから。」と告白されました。
彼は大学卒業後に交際していた彼女と『デキちゃった婚』したけど、結婚生活が上手く行かずに、3年前に離婚したと言ってました。
大学卒業後に外資系企業に入社したから、出張が多くて家族と入れ違いになり、夫婦間も冷めてしまったらしいのです。奥さんは子供を産んでから体型もすっかり変わり、態度も変貌したらしく女性としての魅力を全く感じられずに目を瞑っていたと話を聞きました。
でも、我慢の限界でもうお前を愛せないと自分の心に正直になって奥さんに離婚をしたいと打ち明けて離婚になったと言ってましたね。
仕事柄、独身だと肩身が狭いとぼやいていましたね。夫婦同伴でパーティに参加する機会もあるので、出来れば再婚したいとも言ってました。
その際に、「隣に居て欲しい女性像が君だった。」と私に言ってくれました。
その言葉を聞いて、私は彼に隠し事をしてはいけないと思ったのです。
私には子供が産めないこと、を先に告白して・・・元々は男性で、性転換手術をタイで受けた事を正直に話しました。
彼は、それでも構わないと言ってくれました。
何となく気が付いていたらしいんです。
それ以降は、結婚前提に交際へと発展して、取り敢えず同棲をする事になりました。
翌月から彼が住んでいるマンションへ身を寄せて、毎朝彼の為に食事を作り、一緒に朝食を食べてから、一緒に家を出て彼は彼の仕事場へ、私は私の仕事場へと出勤して、ランチタイムは一緒に食事をしたりもしました。
彼が出張中の時は、出張先から彼が電話をしてくれるので、毎回出れるように配慮して気を付けました。
電話はいつもアプリのFaceTimeで顔を見ながら会話ができる機能でしたね。
彼が招待を受けたパーティには、積極的に参加して綺麗なドレスを彼が用意してくれて着せて貰ってました。彼は私を一人の女性として接してくれています。
そんな生活が続いて、約1年前に彼から正式にプロポーズを受けて3か月前に結婚しました。
招待客も大勢でとっても華やかで賑やかな結婚式を挙げました。
Facebookで結婚式の招待状を彼女達にも送ったら、快く参列してくれました。
姉も喜んで、当時留学していたアメリカから一時帰国をしてくれて、結婚式に参列してくれました。
そして、姉が結婚祝いにと花ちゃんをプレゼントしてくれたんですよ。
私達夫婦には『子供が出来ない。』事を1番理解してくれていて、家族の一員として可愛がって欲しいとメッセージが添えてありました。本当に姉は私の一番の理解者です。
彼のご両親には、私が元男だった事は告白していません。私には子供が産めない体である事だけは伝えてあります、けどね。
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私は、今 本当に幸せな結婚生活を送っています。
この世の中、体は男の子でも心が女の子の人も居ます。
体は女の子でも心が男の子の人も居ます。
男性が男性を愛するゲイの人だって居るのです。
女性が女性を愛するレズの人だって居るのです。
愛に国境が無いように、愛に性別や偏見があってはならないと私は思います。
一人の人間として、しっかりと個々の人格を大切にして、自分らしさを失わないように前向きに生きる事が大事だと思います。
同じように悩んで苦しんでいる人達に「あなたにも幸せになる権利があるのよ。」と私は言いたいです。
最後まで読んで下さいましてありがとうございました。