悩んだ時期
ご訪問ありがとうございます。
『人生は人それぞれ。』のシリーズです。
今回は、2話完結になってます。
宜しくお願い致します。
私は現在、結婚3か月の新婚ホヤホヤです。
旦那さんは、外資系企業の会社員で32歳なんですよ。
彼は物凄く理解があって優しい人です。私には勿体ないくらいです。
新婚だからラブラブですけどぉ、結婚する前から同棲してたのでお互いの気持ちを理解しているんですよ。
私達夫婦に子供を授かる事は出来ませんが、私達には可愛い娘がいます。
彼女の名前は花ちゃんで、れっきとした家族の一員ですね。
花ちゃんは♀(メス)で、毛並みが綺麗なゴールド系のトイプードルです。
旦那さんは、バツイチで前妻との間に、2人の子供が居ます。
まだ小さいみたいですけど、私は会った事もないので詳しくは知りません。
彼も私に気を使っているのか、子供達の話は一切しないで・・・。
でも、もし彼が子供を引き取りたいって話してくれたら、私は快く受け入れて私達夫婦の2人の子供として育てても良いと思っています。だって、彼のDNAを持っている子供達だからね。
私は若い時に何も考えずに手術を受けたから、私のDNAを持つ子供は無理なのでね。
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元々、私の体の中には男性ホルモンが少なくて、声変わりもしなかったし、体毛が薄くヒゲが生えませんでした。私は、20歳になってからホルモン治療を開始しました。ホルモン治療には、様々な副作用があることを、この時に初めて知りましたが、私にとっては何も躊躇する理由がありませんでしたね。
約2年間のホルモン治療を継続して、大学卒業後にタイで性適合手術をして来ました。
あっ、一応言って置きますけど・・・『性転換手術』ってのは私の中では存在しないモノで、私の心が女の子である為に、体も女の子になっただけの事ですからね。
私からしてみれば、必然的な結果ですね。
日本に戻って来てから戸籍を男性から女性になり、名前も変更して貰いました。
正式に女性として社会に認められたんですよ。
その後、元男性だった事を隠して、中途採用で女性社員として一般事務で企業に就職しました。
仲良くなった女性社員には、カミングアウトして受け入れて貰えました。
徐々に、男性社員にも知れ渡ってしまって、偏見な視線を浴びたりもしました。
でも、私は自分らしく生きている自分が好きになっていたし、自信を持って堂々としていたので、徐々に周囲が認めてくれるようになりました。最終的に私が認めて貰えたのは、1人の人間としての価値観だったのだと思います。性別で男と女しかいないこの世界では、どちらかに属していないと異常者的な扱いを受けやすいのは確かですが、男も女も所詮は同じ人間だってことは紛れもない事実ですよね。
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私が育った環境を少し紹介したいと思います。
両親と姉妹3人に囲まれた中で、私はこの家の長男として生まれてきました。
両親は資産家で、裕福な家庭で育てられました。
小さい頃から、いつも姉妹3人と一緒に遊んでいましたね。4姉妹のような感じでした。
お人形さんで遊んだり、ままごとで妹役をやったり、お母さん役をしたり、姉妹にスカートを履かせられたりしてました。女の子の洋服を着るのに全く抵抗がありませんでした。前髪に可愛いピン止めをして貰った事もあります。黒や青と言った暗い色彩よりも、赤やピンク、オレンジと言った明るい色彩の洋服が好きだし、フリルが付いたブラウスやエプロン、そして可愛いスカートを着るのは楽しかったです。
姉妹達は、私をお人形さんの代わりに着せ替えて遊んで居たんですよね。その自分の姿を鏡で見て「私って可愛い。」と思えたし、姉妹達にも「可愛い、似合ってる。」と褒められていました。
姉妹達と一緒に遊ぶのは楽しかったです。
父は毎日忙しく働いていたので、余り家族との接点はありませんでした。お風呂に入る時も姉妹達と一緒に入浴していました。それが、私には普通の事だったんです。
中学生になると姉妹と一緒には遊ばなくなりました。
姉妹達とは制服も違うし、姉妹達とは少し体型が異なってきて、姉達は胸が膨らみ始めてきたのに対し、私の胸は膨らまなかった。私は男の子なんだ・・・って意識が心の奥底に少しだけ芽生えてきたような気がします。学校のトイレで用足しをする時も、毎回個室の便座に座って排尿をしてました。
何故、私には変なモノが付いているのだろう・・・と悩みました。
学校では男子と遊ぶより女子と一緒に過ごす時間が多く、同級生の女子達も異性としてでは無く同性の友人として見てくれていました。
父親は、何かにつけては 『お前は俺の息子なんだから、ナヨナヨするな、メソメソするな』が口癖だったかも知れません。両親は私が男の子として生れてきたのだから、立派な息子、そして跡取りになって欲しいと願いがあったみたいです。両親にしてみたら、やっとの思いで授かった息子だった訳ですよね。
一応、親の意向に沿って男として頑張ろうと思った時期もありましたが、やっぱり女の子と一緒にショッピングに出掛けて、可愛い洋服やメイク道具を見て回るのが楽しいですよね。だから、両親には内緒にしてました。
3人の姉妹達は薄々分かっていたらしく、別に隠しませんでした。3姉妹とでは洋服を共有してましたからね。うちらの体型は、殆ど変わらないんですよね。家系的なのか遺伝なのか、家族全員の背が低いんです。父が165㎝、母が150㎝だしね。3姉妹の平均身長も158㎝前後です。私も156㎝で小柄ですね。
幼稚園の頃からクラスで並ぶ時は、1番前だったし、成長期に背が伸びても、周りの男の子の方が背が伸びる速度が私よりも上回ってましたね。中学生にもなると殆どの男子の身長は165㎝以上になっていたと思います。私はその男子の身長の高さに威圧感と嫌悪感を持つことが多少ありましたね。
中学時代の部活は演劇部でした。女子部員の中で私が一番女の子らしかったので、配役はいつも女性役でした。男子部員の殆どは舞台袖の仕事をさせられていたんですよね。女子部員の中には、男子らしい振る舞いをする女の子も多数いたので、別に偏見的な目で見られる事はありませんでしたね。
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両親へのカミングアウトをどのようにしたか、ですが・・・・。
3姉妹の協力がありました。一番上の姉が私よりも6歳年上で、彼女が私を精神的に支えてくれたのが大きかったですね。ネット検索で調べてくれて、戸籍上の性別や名前を変更出来るようになっていることや、性同一性障害を専門にしている病院などを率先して調べてくれました。
病院へ行く時も、姉が一緒に付いてきてくれました。
本当に私と云う人間を理解してくれている姉だったので、私は恵まれて居たかも知れません。
タイへの旅費も、姉が私と両親に英語圏(カナダ若しくはアメリカ)に海外留学したいからと申し出てくれて、資金を確保しました。姉は高校時代に語学留学でオーストラリアに行っていた経験があるので、英文学科の短大を卒業後は、翻訳関係の仕事に従事していましたが、航空会社に転職したいからと仕事を辞めて、もう一度留学したいと両親にウソまで言ったんです。全て私の為にですよ。本当に感謝しています。
(その時点では、タイに行くとは両親には隠していましたけどね。)
タイでの病院の予約も、英語が解る姉が全てコーディネートしてくれて、一緒にタイへと同行もしてくれましたね。姉と2人でタイへ向かったので心強かったですね。
全てが終わってから、姉と一緒に日本に帰国して、姉と私と両親の4人で話す機会を作ってくれました。
私は、両親に勇気を振る絞って「実は、女の子になりました。折角、男の子として産んでくれた体なのに、メスを入れて傷つけてしまって、本当にごめんなさい。」と告白しました。
両親は絶句していましたが、姉が「今回全面的に協力したのは私です。お父さん、お母さん、○○は悪くないよ。小さい頃から一緒に遊んでいて、ずっと○○は女の子として育って来たんだから、1人の人間としてきちんと向かい合ってあげて下さい。」と言ってくれました。
「きちんと男の子として育ててあげられなかった私が悪いよね。精神的に問題を抱えていたなんて気が付きもしなかった。障害を持ってしまったのね。きちんと産んであげられなくてごめんなさい。」と母が言いました。
「お母さん、私は障害者でも精神異常者でもありません。きちんとした人間です。これからは、自分の心に嘘を付かずに女の子として生きていきます。どうか温かく見守って下さい。お願いします。」と私は伝えました。
父はずっと沈黙して話を聞いていただけでした。
その場では、会話が終わりました。両親は暫くの間、私を見て見ない振りをしていましたね。
両親に無視をされても、家族なんだからいつかは理解してくれると信じていました。
(3姉妹達も協力的で『私と云う人間』を理解してくれたので、両親も同じように理解してくれる筈だと思いました。)
毎朝、私から両親に「おはよう。」と挨拶を続けました。3か月を経過した頃から、母が「おはよう。」と言ってくれるようになりました。そして、父も少しずつ会話をしてくれるようになり、両親は私達を4人姉妹として接してくれるようになったのです。
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彼との出会いは、そのタイでの旅行先でした。
彼は、出張先のバンコクへ来ていました。
私は姉と2人で手術予定日の1週間前に、タイに入国しました。
バンコク市内のホテルのレストランで姉と2人で食事をしていた時に、彼が隣の席に座っていたんです。
何度か彼と目が合ったのですが、私は姉と普通に日本語で会話をしながら、食事が来るのを待っていました。そして、私達が日本人だと分かって「ご一緒しても?俺は一人で食事だなんて寂しいのでね。」と彼が話し掛けて来ました。姉はフレンドリーな性格なので「どうぞ。」と言って私に目線を送り席を移動しなさいと言わんばかりの合図をしてきました。
私は、自分のカバンが置いている席に移動しました。
「もしかして、2人は姉妹ですか? 顔が似ていますよね?」と質問してきました。
その後は、姉のフレンドリーな性格から色々な会話が弾み、食事も楽しい時間になったのです。
姉は既に29歳で、私が23歳、彼が28歳。
年齢的に近い姉と彼はお似合いだと私は思っていたのですが、彼が興味を持ってくれたのは私だったらしく、明日日本に帰国するから、君も日本に帰って来たら連絡してと言って彼の名刺に携帯電話を書いてくれて渡してくれました。
その夜は、そのまま別れて、翌日は彼とは会わずに彼は日本に帰国しました。
私は、姉と2人でバンコクを観光しながら、体調を万全にすることを考えました。
最後まで読んで下さいましてありがとうございました。
次回は続きです。