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第四話 九州修学旅行(二日目)長崎で班行動でハプニング

修学旅行二日目。

 午前七時。

【皆さん、起床時刻です。用意を済ませて、速やかに食堂へ移動しなさい】

スピーカーからBGMと共に酒田先生からのモーニングコールが流れ始める。

 小夏以外の三人は、この合図ですぐに目を覚ました。

「おはよう、グリーンさん」

「緑さん、おはようございます。よく眠れましたか?」

 希佳と真優子は目覚めたばかりの緑に元気よく挨拶する。

「うん、ばっちり」

 緑は爽やかな表情で答えた。

「ワタシは、あんまり眠らなかった。コナツに何度も蹴られて」

 希佳は苦笑した。

「ああ、やっぱり。わたし、こなつちゃんのおウチ何度かお泊りしたことがあるけど、いつも蹴られてたよ。おーい、こなつちゃーん。起きてー」

 緑は小夏の頬っぺたをペチペチと叩く。

「んうん。まだ眠い」

 小夏はぴくりと反応し、お布団に包まった。

「コナツ、半ケツになってるよ。本当に寝相悪いね。よぉーし」

 希佳はにやりと笑った。

「きかちゃん、もしや」

 緑はにやけ顔になった。

 希佳は手のひらにハァッと息を吹きかけた。

「コナツ、起きて」

 パチーンッと乾いた音が響く。

 その瞬間。

「きゃぅ!」

 小夏は飛び起きた。

「きかちゃん、大成功だね」

「うん!」

 希佳はピースサインを取った。

「もう、ひどいな希佳ちゃん」

 小夏はムスッとふくれる。

「小夏さん、これ食べるとすっきりするよ」

 そう言い、真優子は小夏のお口にハッカ飴を押し込んだ。

「!」

 小夏はパチッと目を開いた。真優子の試みは上手くいったようだ。

「おはよう、真優子ちゃん。ほんとにすっきりしたよ。このキャンディー、すごいね」

 小夏は爽やかな笑顔で言う。

「単純だね」

 緑は少し呆れ返っていた。

 生徒達は制服に着替え、クラス毎に整列してから大広間へ。昨日の夕食時と同じような配置で朝食が並べられていた。

 他のクラスの子達もみんな揃ったところで、

「それでは皆さん、おあがりなさい」

 持丸先生が食事前の合図をする。

生徒達の【いたただきます】の号令の共に、箸やお茶碗を動かす音が聞こえ始める。

朝食のメニューはお味噌汁と焼き魚、白米、漬物。そしてもう一品、長崎名物『鶏卵素麺』が並べられていた。

「おう、これぞ長崎」

 緑は黄金色に輝くそれを、嬉しそうに齧り付く。

「めっちゃ美味しい」

「甘くてすごく美味ね」

「けど、太っちゃいそう」

 希佳、真優子、小夏の三人も満面の笑みを浮かべながら鶏卵素麺を頬張った。

 

朝食後、生徒達と先生方一同はバスに乗り、平和公園へと向かった。

ここで、修学旅行実行委員長司会による平和集会が行われる。

クラス毎に折った千羽鶴、そして花束を各クラス委員長が代表して、平和祈念像の両側に建立されてある折鶴の塔に献納、献花した。

続いて一分間の黙祷。

最後に『青い空は』を全員で合唱し、閉会とした。

そのあと平和祈念像を背景に一組から順にクラス写真を撮り終えたあと、

「このあとの班行動について。くれぐれも街外れに行くようなこと、ゲームセンター、カラオケボックス等の娯楽施設へ立ち寄るようなことはしないで下さい。おまえらが勝手な行動したら、下の学年にも迷惑がかかるねん。それともう一つ、行き先を変更する場合は、どの先生でもいいので必ず事前に報告するように。以上」

 酒田先生は拡声器を使って、生徒達に向かって厳しい口調でおっしゃった。

「それでは皆さん、気をつけて自由行動をとって下さいね」

 持丸先生も告げる。

クラスメートたちは班毎に分かれて、それぞれが計画している場所へ。

先生方は各スポットへ散らばり、生徒達が規律正しく行動しているかの監視もする。

 午後五時までに、グラバー園へ集合するよう指定されていた。

「はい、これ。今日は暑いから、熱中症にならないようにこまめに水分取ってね。天気予報で最高30度の予想が出てたよ」

希佳はカバンの中からお茶の入った五〇〇ミリリットルペットボトルを三本取り出し、三人に手渡した。

「ありがとう、きかちゃん優しい」

「さすが班長、気配りが上手ね」

「希佳さん、班長らしさが出てるよ」

「いやそれほどでもー」

 三人に褒められ、希佳はちょっぴり照れてしまった。

二組六班は始めに浦上天主堂、次に原爆資料館を見学したのち、そこの最寄り駅である浜口町電停から路面電車に乗り込んだ。事前に先生から一日乗車券が手渡されていた。

座席は満席だった。四人はつり革をつかむ。

「けっこう混んでるね。わたし、路面電車なんて初めて乗ったよ」

 緑はとても嬉しそうに、窓の外を眺める。

「出島、楽しみだなあ」

 小夏がこう呟くと、

「お嬢さんたち、出島へ来るとね? この電車は出島へは行かんよ」

 四人の向かいに座っていた老婦人から声をかけられた。

 四人の乗っている路面電車は3系統。出島電停は経由せずに蛍茶屋へ向かうものだった。

「「「「ありがとうございました」」」」

 四人は礼を言って、長崎駅前電停で降りた。

老婦人から教えられた通り、2系統の方に乗り換える。それから五分ほどで出島電停へ到着した。

 この駅から少し歩いた所には、出島の再現ミニチュア(ミニ出島)が展示されている。

「あそこ、ちょうどカメラマンさんいるじゃん」

小夏は前方を指差した。

 四人は彼に話しかけ、ミニ出島を背景に記念写真を撮ってもらった。

これで二組六班は必須箇所のうち、大浦天主堂とそのすぐ近くにあるグラバー園を除く三箇所を回り終えた。

「次は眼鏡橋ね。途中にア○メイトがあるから寄ってかない?」

「いいね、コナツ」

「小夏さん、班長の希佳さん、そこは娯楽施設でしょ。酒田先生に見つかったらやばいよ」

 真優子は忠告する。

 そんなわけで四人は寄り道することなく眼鏡橋へと向かった。ハートストーンを探したり、カメラマンに橋を背景に写真を撮ってもらったりして楽しんだ。

「次は龍馬のぶーつ像だーっ。早く行こう」

 緑は小夏の袖をぐいぐい引っ張る。

「慌てない、慌てない。まだまだ集合時間までたっぷりあるし」

 小夏は携帯電話の時計を眺めた。今の時刻は午後十二時半を少し過ぎた所だった。

四人は次の予定地、龍馬のぶーつ像へと向かうため、龍馬通りと呼ばれる石段を上っていった。

坂本龍馬の履いたブーツを模った銅像があり、足を入れられるようにもなっていた。

ブーツの手前には舵もついていて、ここからは長崎の街並みが一望出来る。

「いい眺めだねえ」

 緑はブーツに足を入れて、舵を握りながら大声で叫んだ。

「緑ちゃん、いっぱい待ってるから三〇秒だけよ」

 小夏は後ろから注意する。他の班の子達も大勢訪れていた。

緑に続いて、二組六班他の三人も順番に足を入れていった。

「思ったより時間いっぱい余ったね、あと予定してるとこ、大浦天主堂とグラバー園だけよ」

 石段を下りつつ、希佳は携帯電話の時計を眺めながら伝える。

「あたしが行きたかった軍艦島も行けてたかも。船の時刻表的に今からじゃそこは無理ね」

小夏はちょっぴり残念がった。

「これから新地中華街でお昼ご飯食べて、孔子廟行こっか?」

 希佳は提案してみる。

「そうだね」

「オーケイ。あたし、麻婆豆腐が食べたい」

 緑と小夏はすぐに乗った。

「あっ、あの、ここの近くに、私の母方の祖父母のおウチがあるんだけど……」

 真優子は唐突に振り出した。

「そうなんだ。マユコの親戚んち、長崎ってことは聞いてたけど、市内やってんね」

 希佳は反応する。

「わたし、寄ってみたいな、まゆこちゃんのおじいちゃんおばあちゃんち」

「あたしも。どんなお方なのかすごく気になるな」

 緑と小夏は強い興味が湧いた。

「けど、しおりに載ってる地図の範囲には書かれてなくて、ここから三十分くらい歩いた所なの。寄っても、いいのかな?」

 真優子は少し言いにくそうに尋ねる。

「いいんじゃない。時間いっぱいあるし、ワタシもおじゃましたいし」

 班長の希佳はにやけ顔で言い張った。

こうして四人は、急遽予定を変更して真優子の祖父母宅へ向かうことにした。

「あれ? あっちの方、何か観光地あったっけ?」

「ないと思うけど」

「じゃああの子たち、どこへ行こうとしてるのかな?」

「道を間違えたんじゃない? 先生に報告した方がいいよね?」

「うん、迷ったらヤバいからね」

龍馬のぶーつ像がある場所から、他の班の子達が眺める。

二組六班の四人は、その場所から南方向へ向かって歩いていた。


「坂きつすぎ。学校近くの坂がゆるく思えてくるよ」

「さすが坂の町、長崎だね」

「暑い、暑い」

 小夏、緑、希佳の三人は坂道にばててきたようだ。

「もうあと少しです。ほら見て下さい、あのおウチです」

急勾配の坂を上っていくうち、住宅街の中にででーんと一際目立った建物が目に飛び込んできた。 

「うわっ、すごいカラフル」

「ま○とちゃんハウスより目立つかも」

「すごーい! わたし、あんなおウチに住んでみたいなあ」

小夏、希佳、緑の三人は外観を眺めて驚く。外壁が七色に塗り分けられていたのだ。

「プリズムを通過した太陽光の色を現してるらしいの」

 真優子は嬉しそうに説明する。

 その時。

「やあーっ、真優子ちゃん。来てくれたのだね。我輩、先ほどまで佐世保の方までお買い物に行ってたのじゃ。よくあることじゃが、警察に職務質問されてもうた」

 突如、四人の背後から老人のような声がした。

「あっ、博士。こんにちは! お久しぶりですね」

真優子はくるりと振り返って、そのお方に向かって元気よく挨拶した。

「えっ、えええええっ!」(

希佳も、

「うっそ!」

小夏も、

「なっ、なんかすごい」

緑もそのお方を一目見た瞬間、驚愕の声を上げた。三輪車をキーコキーコ一生懸命漕いで急峻な坂道を上りながら、颯爽と現れたのだ。お年は七十代半ばくらい、チリチリの白髪に真四角の眼鏡をかけ、まさに漫画に出てくるような絵に描いたような博士という容貌であった。

「さっ、三輪車って……」

小夏、

「よく上がれるね、あれで」

希佳、

「すごく面白いお爺ちゃんだね」

緑は奇異の目で眺めていた。

「このお方が、私のお祖父ちゃんなの。私、お祖父ちゃんのことは博士って呼んでるの」

 真優子は嬉しそうに紹介する。

「おお、こちらが。初めまして。わたし、魚田緑です」 

「こんにちは、面白博士。あたしは花見小夏です」

「ワタシは仙頭希佳といいます」

三人はさっそく彼に自己紹介した。

「ホホホ、皆の名は前もって真優子ちゃんから聞いておるよ。よろしくな」

 博士はとても機嫌良さそうだった。

「三輪車は、博士の愛用品なの」

真優子は嬉しそうに三人に伝える。

「我輩の長年のパートナーじゃな。体の一部とも言えるかもしれん」

 博士は、普段から数十キロ離れた場所まで三輪車で移動しているそうだ。ちなみに彼の本名は湯川秀雄ゆかわ ひでおという。日本人で初めてノーベル物理学賞に輝いたあのお方の名前と非常によく似ていることを、彼自身も嬉しく思っているらしい。

四人と博士は門を通り抜け、敷地内へ。

「お祖母ちゃん。班のみんなで来たよ。途中で博士と会っちゃった」

真優子は藍色に塗られた玄関扉横にある、チャイムボタンを押した。

 すると数秒後に玄関から、一人の老婦人が出て来た。

「いらっしゃい、真優子ちゃんのお友達の皆様。私、湯川昭代あきよと申します」

 昭代さんは三人に向かってぺこりと一礼した。花柄のワンピースを身につけ、丸い老眼鏡をかけていた。背丈は真優子と同じくらい。とてもお淑やかそうな感じのお方であった。

「まゆこちゃんのお祖母ちゃん、わかーい」

「真優子ちゃんと感じがそっくりですね」

「きれい。憧れる」

三人は昭代のお顔をまじまじと眺める。

「うふふ。皆様、時間の許す限りごゆっくりくつろいでね」

昭代さんはちょっぴり照れていた。

このあと三人は屋内へ上がらせてもらう。玄関入ってすぐ隣にある広さ十二畳ほどの洋室は、まるで博物館の展示室のようになっていた。

「昆虫の標本がいっぱい飾られてあるね。外国産のカブトやクワガタ、めっちゃかっこいい。あのジンメンカメムシの標本まである」

「すごーい。小学校の遠足で行った箕面の昆虫館思い出すよ」

「あれは、世界最大の蝶、アレクサンドラトリバネアゲハだ。モルフォもある」

 小夏、緑、希佳の三人は物珍しそうに、壁一面に飾られた展示品を観察する。

「私のお爺様、生物学の元大学教授で、昆虫標本のコレクションが趣味なの。生物学だけでなく化学、物理学、地学、数学の専門知識もすごいよ」

 真優子は笑みを浮かべて嬉しそうに語る。

「元大学教授かあ。偉い人なんだね」

「このおじいちゃんあっての真優子ちゃんね」

「天才遺伝子の神秘を感じるわ」

 三人は博士を称賛した。

「ウホンッ。なんか、褒められているようで我輩照れてしまいそうじゃわい」

 博士は照れ隠しをするかのように軽く咳をした。

「あと、全然売れてないけど画家さんのお仕事もしてるよ」

 真優子は付け加える。

「マユコのグランパは絵も描くのかあ」

 希佳は彼に対する仲間意識が芽生えたようだ。

「一応、医師国家試験に合格して医師免許を持ってはいるけど、医者にはならずに理学系の大学院に進んで、博士課程まで修了して生物学の教授になったみたいよ。阪大の学部生時代に“君は医者には向いてない”って担当教官から言われたらしくて……」

 昭代さんは彼の過去を淡々と打ち明かす。漫画家を志していた時期もあったことや、宝塚歌劇鑑賞も趣味であるということなど。

「手塚治虫さんみたいな生き方をしていらっしゃったんですね」

 希佳は彼の生き方に尊敬の念を抱いた。

「真優子ちゃんはね、小学校入る頃までは、将来は手○○虫さんみたいな漫画家になるんだって言ってたのよ」

 昭代さんはさらに娘、真優子の過去も語る。

「もう、お婆ちゃんったら。恥ずかしいな。何年描いても上手くなれないから最近は描いてないよ」

 真優子は頬を少し赤らめて、昭代さんの頭をペチッと叩いた。

「我輩、今とてもハッピーじゃわい。こんなに大勢のかわいい子たちに囲まれるなんて、長い人生で初めてのことじゃよ。大勢のお客様が訪れた記念に、皆で写真撮影をしよう!」

 博士は四人を、お庭に飾られてあるハイビスカスのお花の前に並ばせた。そして所有のデジカメで記念撮影をした。 


「皆様、どうぞ」

昼下がり、昭代さんは長崎名物トルコライスと、様々なお菓子類、ハーブティを四人に振舞ってあげた。

 真夏を思わせるような厳しい日差しが照りつける中、屋外テラスで昼食を取る。すぐ目の前には、人工滝が飛沫を勢いよく上げながら流れている。そのおかげで涼しく感じられた。

四人が食後のハーブティを飲んで一息ついたところで、

「博士、みんなを裏庭に案内してあげて」

 真優子はこんなことをお願いした。

「もちろんじゃとも」

博士は快く、四人を裏庭へと案内してあげた。

「では皆、ここでごゆっくりお楽しみ下され」

そこは、植物園のようになっていた。

四人はさっそく探検を始める。

「本物のジャングルみたいだーっ、なんか燃えて来たーっ!」

小夏は特に大興奮していた。

その森はオオオニバスやラフレシア、ココヤシなどなど特に熱帯地方の植物が豊富に生い茂っており、複雑な迷路のように入り組んでいた。

四人は大冒険気分を味わいながら総延長五〇メートルくらいの園内を、三十分以上かけてゆっくり散策した。

「まゆこちゃんのおじいちゃん、おばあちゃん。わたし、今日はとっても楽しかったです」

「あたしも。あのお庭を歩く時、RPGのキャラクターになりきったような気分で大興奮しました」

「ワタシもーっ。ラフレシアのお花が咲く時に、また訪れたいです」

「博士、お祖母ちゃん。来る時いつも美味しいお料理を振舞ってくれてありがとう」

「こちらこそ。我輩も皆のおかげでいつも以上にとても楽しい思い出が出来て嬉しかったよ。皆、またいつでも必ず遊びにおいで下され」

「真優子ちゃんのお友達の皆様も、またぜひいらして下さいね」

 午後三時半頃。四人は博士と昭代さんに別れを告げて、大浦天主堂へと向かっていく。


     ☆


「あれ? ここどこなんだろ。そろそろ着くはずなんだけどな」

 祖父母宅から一キロ半ほど歩き進んだ所で、真優子は辺りをきょろきょろ見渡す。

「ひょっとしてあたしたち……迷っちゃったとか」

 小夏はぽつりと呟いた。

「どうやら、そうみたい。曲がる所をどこかで間違えたんだと思う」

 真優子が言いにくそうに口を開いた。

「みんな迷子だね」

 緑はアハハと笑う。

「あのおウチへ行った時、帰りはいつも長崎駅の方へ向かってるから、私もここを通るのは初めてで……路面電車が走ってる所を見つけられたらなんとかなると思う。もう少し探してみましょう」

 真優子の意見に、三人は快く賛成した。

 四人はそれから十五分ほど周辺を歩き回った。しかし――

 目的地の大浦天主堂へ辿り着くことは出来なかった。長崎市はご存知の通り坂がとても多く、道も狭くて迷路のように入り組んでおり、地形的にも迷いやすいのだ。

「どこへ進んだらいいのか、見当が付かないよ」

 見知らぬ光景に、小夏は嘆く。

さらに折悪しく、雨まで降り出した。

けれども幸いなことに、四人とも折り畳み傘を持っていた。カバンから取り出し、急いで差す。

雨は次第に激しくなっていく。

「降水確率午後から40パーって、出てたからね。急に涼しくなってきたよ」

 希佳はブルルッと震えた。

「雨の長崎もいいものだけど、今の状況考えると愉快な気分に浸れないな」

「そうだね」

 小夏と緑は不安げに呟く。

「ごめんなさい。私のせいで……」

 真優子は今にも泣きそうな表情になった。責任の重さを感じているのだ。

「マユコは全然悪くないんよ」

「そうそう、気にしないで」

「まゆこちゃん、わたしも行きたかったし」

 三人はすぐになだめてあげた。

「本当に、ごめんなさい。速く、集合場所を見つけましょう……きゃっ」

 真優子は坂道を下る途中、滑って前のめりに転げてしまった。

「マユコ、大丈夫?」

 希佳は慌てて真優子のそばへ駆け寄った。心配そうに問いかけ、手を差し出す。

「平気です」

 そう答えて自力で立ち上がりつつも、真優子は半泣きの表情だった。

「あっ、まゆこちゃん、お膝から血が出てるよ」

「痛そう」

 緑と小夏は見つめる。真優子は右膝を擦りむいていた。ほんの少しだけ血が滲んでいる。

「マユコ、念のため傷口洗った方がいいよ。でも、雨では洗わない方がいいと思うから」

 希佳は辺りをきょろきょろ見渡し、売店を見つけようとした。

「あそこに自販機があるよ。わたし、お水買ってくるね」

 緑の目に入った。緑がそこへ向かい、ペットボトルに入ったミネラルウォーターを購入してきた。

「まゆこちゃん、ちょっとだけ染みるけど我慢してね」

緑はペットボトルの蓋を開けて、真優子のお膝にパシャッとかける。

「いっ……」

 真優子は目を×にした。ちょっぴり痛がる。

「あたし、バンドエイド持ってるよ、しょっちゅう怪我すぐからいつも持ち歩いてるんだ」

 小夏はそう言ってカバンの中から取り出し、真優子の傷口にそっと貼ってあげた。

「ありがとう、緑さん、小夏さん」

 真優子はぺこりと頭を下げる。

「「どういたしましてー」」

 二人は少し照れた。

「おんぶしよっか?」

「大丈夫。私一人で歩けるから」

 希佳に優しく話しかけられ、真優子はちょっぴり恥ずかしがる。

「しかしこのままじゃまずいわね。携帯で先生に連絡しよっか?」

 小夏はカバンから携帯電話を取り出した。

「まっ、待って小夏さん。そんなことしたら、バレちゃう」

 真優子は不安げな表情を浮かべて小夏の肩をガシッとつかみ、引き止めようとした。

「けっ、けど。集合時間に遅れるともっとヤバいんじゃない?」

「……たっ、確かに」

 小夏の意見に、真優子は納得する。

「じゃ、かけるよ」

 小夏は持丸先生の携帯番号を押し、緊急コールをしようとしたその矢先。

「二組六班、ここにおったんかっ! おまえらが観光地あるとこと全然ちゃう方角向かってたって聞いてな、見回りに行ったんや。そしたら全然見つからへん。これから仙頭の携帯に連絡しようかと思ってたとこなんや。今までどこ行っててん?」

 酒田先生が現れた。大声を張り上げながら、四人のいる方へ近寄ってくる。

「あっ、あの……私の、祖父母のおウチへ、龍馬のぶーつ像がある所から、三十分くらい歩いた所にあったので」

 真優子がびくびく震えながら答えた。

 すると酒田先生はかなり厳しい表情を浮かべて、真優子の側へ歩み寄った。

「おまえらっ、街外れに行くな、予定変更する時は報告せえ言うたやろうが! 何でこんなことしてん? 勝手な行動して、他の子らにどれだけ迷惑かけるつもりやねん!」

 酒田先生は真優子を見下ろしながら、大声で怒鳴り続ける。

「ごっ、ごめんなさい……うっ、ひっ、ひっく」

 真優子は恐怖のあまり、泣き出してしまった。ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

「ごめんなさい、酒田先生。つい、魔が差して」

「あたしも悪いんです」

「班長のワタシにも責任はあります。軽率な行動をしてしまい、申し訳ございませんでした」

 酒田先生は、頭を下げて謝る三人の方をちらりと見つめた。

「大学さん、あなた膝怪我してるやないの! 今回はこの程度で済んで良かったけど、もし一人でも何か事件に巻き込まれでもしたら、楽しい修学旅行その時点で中止になるねん。おまえら、今後はそのことを肝に銘じて行動とれぇ!」

 酒田先生はこう告げて持っていた傘を投げ捨て、真優子を優しく抱きしめてあげた。酒田先生の目からは、ほんのり涙が浮かび出ていた。

 こうして四人は無事、集合時刻までにグラバー園へと辿り着くことが出来た。

「いやあ、酒田先生、意外と優しい一面あるわね」

「そうだね、こなつちゃん。わたし、感動しちゃったよ」

「私も同じくです。叱られた時はとっても怖かったけど、同時にとっても優しくしてくれて感激でした」

「酒田ちゃんは怖いわりに、学内の人気が高い理由が良く分かったよ」

 四人の、酒田先生に対する株が少し上がったようだ。

今夜の宿泊先は一泊目と同じホテル。各班の部屋番号も同じだ。

夕食は、中華料理が振舞われた。

 

夕食を終え、二組六班の四人がお部屋へと戻る途中、

「そういやきかちゃん、中華料理、あんまり食べてなかったね」

 緑は心配そうに尋ねた。

「なんかしんどくって、頭痛い」

 希佳は元気なさそうに呟く。

「お熱あるんじゃないの?」

 小夏は、希佳のおでこに手をピッと当ててみた。

「あっ、本当に熱あるじゃない」

 そして心配そうに呟く。

「希佳さん、米原先生に診てもらった方がいいよ」

 真優子は希佳を、修学旅行に同行している米原先生の所へ連れて行ってあげた。

 緑と小夏はそのままお部屋へ。

今夜は学年レクが無く、入浴時間を除き就寝時刻まで各班お部屋で自由時間となっていた。


「37度6分か。このくらいなら他のメンバーの子と同じお部屋で寝ても大丈夫よ。微熱だから、今夜は無理せず早めに寝れば、明日の朝には治ってると思うわ。あと、今夜はお風呂、やめておきなさい」

 米原先生は、体温を測かり終えた希佳に優しく忠告する。

「えーっ」

 希佳は不機嫌そうに嘆いた。

「希佳さん、先生の言うことはちゃんと聞いた方がいいよ」

「分かったよマユコ」

 真優子の言うことには素直に従う。

二人もお部屋へ戻っていくと、

「きかちゃん、お布団敷いてあげたよ」

「あたしも手伝ったよ」

 すでに緑と小夏がお布団を敷いてくれていた。

「ありがとう、グリーンさん、コナツ。嬉しい」

 希佳は体操服に着替えて、布団に包まった。まだ眠くなかったため、その状態のまま本を読むなどして過ごす。

 やがて入浴時間が始まり、酒田先生からの連絡が入る。今日は三・四組からだ。

最初の放送から一時間ほどして、

【一・二組の生徒達に入浴時間の連絡をします。入浴する生徒は、速やかに移動しなさい】

 酒田先生から告げられた。

「きかちゃん、わたしお風呂入ってくるから」

「ついてきちゃダメよ」

「希佳さん、行ってきます」

「いってらっしゃーい。あーん、ワタシも入りたーい。一人じゃ寂しい」

 お風呂セットを持った三人を羨み、希佳は足をバタバタさせた。

「お風呂好きの希佳ちゃんにとっては、辛いことね」

 小夏は憐憫の思いが芽生えた。

「希佳さん、暴れたらますますお熱上がっちゃうよ」

 真優子は優しく諭す。

 希佳一人お部屋に残し、三人は大浴場へ向かった。


それから二五分ほどして、三人はお部屋に戻ってくる。

「ただいま、きかちゃん。寂しかった?」

「ちゃんと大人しくしてた?」

「うん」

 緑と小夏からの質問に、希佳は小さく頷く。

「希佳さん、米原先生からお薬貰ってきてあげたよ」

 真優子は希佳に飲み薬を手渡した。

「……」

 希佳は瓶に貼られていたラベルを眺めると、黙り込んでしまった。

「どうしたの?」

 真優子は問いかける。

「ワタシ、風邪薬はメロン味じゃなきゃダメ」

 希佳は頬をぷくっと膨らませて、照れくさそうに告げた。

「わたしといっしょだーっ」

 緑はとても喜んだ。

「希佳ちゃんって、案外子どもっぽいのね」

 小夏はくすくす笑い出した。

「だって、苦いんだもん」

 希佳は膨れながら言う。

「それじゃ、メロン味の飲み薬を米原先生からもらってくるね」

 真優子がお部屋出入口扉へ向かおうとしたちょうどその時、コンコンッとノックされる音が聞こえて来た。

「仙頭さん、具合はどう?」

 真優子が扉を開けると現れたのは養護教諭、米原先生だ。

「米原先生、きかちゃんはこの風邪薬、お気に召さなかったようです」

 緑は希佳の方を指し示しながら伝える。

「だって、味が……ねえ米原ちゃん。メロン味のお薬は無いの?」

 希佳は先生の目を見つめながら訊く。

「ごめんね、持ってないの」

 米原先生は申し訳なさそうに言う。

「えー、じゃあ飲まない」

 希佳は頬を火照らせながらぷくっと膨れた。

「お薬飲まないのなら、坐薬を使おうかしら」

 米原先生はにこっと微笑みかける。

「えっ!」

 希佳はびくりと反応した。

「飲みます、飲みます」

 むくりと上体を起こし、お薬をちびちび飲み干していく。

「きかちゃん、坐薬が怖いんだね。気持ち分かるなあ。お尻に入れるの、わたしもちっちゃい頃風邪引いた時お母さんにしてもらったことがあるけど、逃げ回ってたよ」

「あたしも。嫌だよね、お尻にプチューってされる時のあの他に例えようのない感触」

 緑と小夏は同調する。

「米原先生、ワタシ、お風呂入りたい。汗でベトベトするもん」

 希佳はうるうるした目で懇願する。

「それじゃ、体拭いてあげる。ちょっと待っててね」

 米原先生はそう告げて、部屋から出て行った。

「米原ちゃんに体拭いてもらえる、嬉しい」

 希佳はそう呟くと、体操服を上下とも脱いでさらに下着も外した。

「きっ、希佳ちゃん。いきなりスッポンポンにならなくても……せめてタオルケット巻いてね」

 小夏は咄嗟に目を覆った。

「だって暑いもん」

 素っ裸になった希佳はこう言い訳して腕を頭の後ろに組み、シーツに寝転がった。

「きかちゃん、美術の資料集に載ってた『裸のマハ』みたいだ」

 緑は笑いつつ、ほんのり頬を赤らめながら希佳の裸体を眺める。

「希佳さん、私も目のやり場に」

 真優子は窓の方を向いた。

「女の子しかいないから、べつにいいじゃん」

 希佳は笑顔で言う。

「女の子同士でも気にするわよ」

 小夏は苦笑しながら意見した。

 その時、コンッコンッと出入口扉がノックされる音が聞こえてくる。

「米原先生、来たみたいね」

 小夏が扉を開けにいった。

 しかしやって来たのは――

「やあ花見さん、これ忘れ物だよーん。大広間に置きっぱなしだったよん」

 米原先生、ではなく船曳先生だった。陽気な声で話しかけてくる。

「あっ、あああああああああああーっ」

 小夏は大声で叫んだ。

「どっ、どうしたんだーい?」

 船曳先生はびくっと震え、目を大きく見開いた。

「こっ、この先はダメです。早く出てって下さい」

 真優子も船曳先生のもとへ駆け寄ってきて、手をブンブン振りかざしながら注意を促した。

「そうそう。非常に危険なんですよ。船曳先生の身にとっても」

 小夏は船曳先生のお腹を両手でぐーっと押す。

「ひょっとして、テレビゲーム機を持ってきて遊んでいたとか、ワタクシも中学の頃、修学旅行でやったなあ。ファ○コン持ってきて、先生達も寝静まった真夜中にこっそりテレビに繋げて、た○しの挑戦状とか、スー○リとか、高○名人の冒険島とかやって盛り上がったよん。結局先生に見つかって没収どころか破壊されたけどねん、カセットもいっしょに。今のきみたち世代だとW○iなのかな?」

 船曳先生はにやけながら部屋に踏み込もうとしてきた。

「うわあああああーっ、ダメダメダメエエエエエェェェ!!」

 小夏は船曳先生のかけていたメガネを右手で覆う。船曳先生は前が見えなくなる。小夏はもう片方の手で船曳先生の肩の辺りをぐいぐい押し、扉の方へと寄せていった。

「なっ、なんだよん、せっかくきみの携帯ゲーム機届けてあげたのに。わたくしが拾わなかったら、きみは酒田先生からひどい目に合わされるところだったんだよん。本当に恐ろしいよ、あの西太后みたいな顔のおばさんは」

 船曳先生は少し不満げな面持ちになった。

「はいはいはーい、ありがとうございましたーっ。船曳先生、女の子だけのお部屋に入ってくるのは非常識です」

 小夏はズバッと言い放つ。届けてもらった携帯ゲーム機はしっかり受け取って、船曳先生を部屋から追い出した。

「船曳先生、テレビゲーム機なんて一切持ってきてないですから」

 真優子はそう強く主張してパタンと扉を閉めた。

「大学さんがそう言うのなら、本当なんだろうな。じゃ、何が危険だったんだろな? はてはて?」

 船曳先生は状況がよく飲み込めないまま首を傾げて、彼に割り当てられたお部屋へ戻っていった。

「きかちゃん、もう少しで船曳先生に裸見られるとこだったね。万が一の時のために、お布団いっぱい被せておいたよ」

 緑はにこにこ笑う。希佳は三重に覆われた掛け布団の中にすっぽり埋まっていた。

「グリーンさん、暑いよう」

 希佳はすぐにお布団をのけた。再び希佳の裸体があらわになる。

「もう、希佳さん。緑さんの計らいが無かったら危なかったでしょ」

 真優子は困り顔で注意する。

「希佳ちゃん、めっ!」

 小夏は軽くでこピンを食らわした。

「いたっ、ワタシ、べつにフナッビーに見られても気にしないよ」

 希佳は頬を火照らせながら言い張る。

「船曳先生がよくないでしょ。船曳先生、穢れを知らない純粋な芦屋のお坊っちゃんだから、きっと自責の念に駆られるよ」

 真優子はこう考える。

「そんな大げさな」

 希佳は大きく笑った。

「とにかく、拭く時も拭いてもらう部分だけを出しとけばいいの」

 小夏は赤面させながら説教する。

そんな時再び、扉がノックされる音が聞こえてきた。

「お待たせー」

「この声は、米原先生ね」

 外からの声を聞き、小夏は安心して扉を開けた。

「仙頭さん、遅くなってごめんね」

 米原先生は洗面器と、二枚のバスタオルを手に持っていた。

「米原先生、きかちゃんは待ち焦がれて全裸で待機してます!」

 緑は希佳の寝転んでいる方を手で指し示し、きりっとした声で伝えた。

「あらあら、恥ずかしくないの?」

 米原先生はくすっと笑う。

「全然。米原ちゃん、待ってました」

 希佳は裸で寝転がったまま、小さく拍手した。

「誰か、この洗面器にぬるま湯入れてくれない?」

「私がやります」

 米原先生がお願いすると、真優子が真っ先に手を挙げた。真優子は洗面台に向かい、蛇口のお湯とお水、両方を捻ってほどよい温度のお湯を出し、洗面器に浸した。

 そしてそれを、希佳の枕元にそっと置く。

「それじゃ、仙頭さん。お背中から拭くね」

 米原先生は、希佳の上体を起こさせようとした。

 ちょうどその時。

【米原先生、米原先生。六組の河野さんが体調崩したそうなので、至急613号室に来て下さい】

 スピーカーから音声が流れた。

「あらま、お呼び出しがかかったわ。あとは、あなた達でやってあげてね」

 米原先生はそう言い残し、部屋から出て行った。

「あたしが、希佳ちゃんの体拭いてあげる。貧血で倒れた時、お世話になったし。お礼がしたくて」

 小夏は照れくさそうに言った。お湯で絞ったタオルで希佳の首、うなじ、背中、お腹、腕、足を念入りに拭いていく。

 希佳の裸はなるべく見ないように、目をそらしながら。

 絞られたタオルで拭いたあと、乾いたタオルで二度拭きしてあげた。

「コナツ、サンキュー。汗が引いてすごく気持ちいい。あの、あと、ここも」

 希佳は、ある部位を指し示した。

「……そっ、そこは、自分で拭いてね。デリケートな部分だし、変なとこ、触っちゃったらなんか悪いし」

小夏は顔を赤面させながら断りを入れた。

「ワタシは、気にしないよ。お願い」

「あたしが気になるの」

「ねえ、お願い」

 希佳がうるうるした目で見つめてくる。

「お股広げない。はしたないよ」

「いたっ」

 小夏は軽くでこピンする。

「こなつちゃんが言っても、なんか説得力無いや」

 緑は笑いながら突っ込む。

「そうね」

 真優子も同意見だ。この二人はカーテンに隠れ、窓から夜景を眺めていた。

「しょっ、しょうがない。そんな目で見つめられると断れないよ。ほんの一瞬、サッと拭くだけだからね」

 小夏はそう予告して、タオルを絞り直した。小夏は首を横に傾けて、今から拭く部分を見ないようにしてタオルを右手側に持ち、希佳のおへその下からおしりにかけて、なでるようにする。

「あんっ!」

 タオルが滑るように動き、希佳は悶えた。

「もう、変な声出さないで! 緑ちゃんと真優子ちゃんがいるんだし」

 小夏の頬の赤みがさらに増した。

「ごめん、コナツ。気持ち良くって」

 希佳はプルプル震えながら、囁くような声で言い訳する。

「もう一回、やって」

 さらにこう要求する。

「ダメ。もうおしまい」

 小夏はこう告げてタオルを絞り、洗面器のお湯を捨てにいった。

「あーん」

 希佳は唇を尖らせる。

「希佳さん、ワガママ言わないの! それじゃ私、これ米原先生の所に返してくるね。それと、班長会議も私が変わりに出るよ」

「サンキュー、マユコ。いってらっしゃい」

「どういたしまして」

 真優子は借りた洗面器とタオルを手に持ち、部屋の外へ出て行った。

「希佳ちゃん、早く服着て、体冷えちゃうよ」

 小夏は、まだスッポンポンのままの希佳に注意する。

「立つの、しんどい。穿かせてーっ」

 希佳はそう言って、両足を上に向けた。

「もう希佳ちゃん、甘えない! たいした風邪でもないんだし、自分で穿けるでしょ」

 小夏は希佳の下半身からとっさに目を背けた。その状態のまま下着と体操服を投げ渡す。

「ワタシ、病人なのに」

 希佳はぶつぶつ不満を述べる。それでも結局は自分で身につけて、再びお布団に寝転んだのであった。

「きかちゃん、何か食べたいものある?」

「びわゼリー」

 緑からの質問に、希佳は囁くような声で答えた。

「びわゼリーだね、ちょうどあるよ」

 緑は室内の冷蔵庫から、びわゼリーの入った容器を一個取り出した。

「きかちゃん、あーんして」

 蓋を開けて付属の小さじですくい取り、希佳のお口に近づける。

「あー」

希佳は口を小さく広げて、幸せそうに頬張っていく。

(風邪引いた希佳ちゃん、緑ちゃん以上に幼く見える)

 小夏は側で微笑みながら眺めていた。


「美味しかったぁー。それじゃ、グリーンさん。コナツ、ワタシ、もう寝るよ。おやすみ」

希佳は食べ終えたあとこう告げて、お布団に潜り込んだ。

「おやすみ、きかちゃん」

「おやすみーっ。明日の朝までに絶対治しなよ」

 緑と小夏は優しく話しかける。

それから一分もすると、希佳の寝息が聞こえてきた。

「ただいまーっ」

合わせるように、真優子も戻って来た。

「真優子ちゃん、しーっ」

「きかちゃん、おねんねしてるの」

 小夏と緑は指でサインする。

「分かった」

 真優子は囁くような声で了解した。

 三人は、足音を立てないようそーっと希佳の側へ近寄る。

「きかちゃんの寝顔、すごくかわいい」

「今日も班長のお勤め、ご苦労様」

「希佳さん、ぐっすり休んでね」

 三人は微笑ましく見つめた。

「今十時頃か。消灯時間はまだだけど、あたし達ももう寝よっか?」

「そうだね、わたしも疲れて眠いし」

「私ももう半分寝てる」

「他の部屋からも今日は騒ぎ声がほとんど聞こえてこないわね。やっぱみんな疲れてるのね」

小夏が部屋の灯りを消した。三人も布団に潜る。今夜も昨日と同じく小夏は床。ただ、風邪をうつされないように希佳のお布団から二メートルくらい離していた。

 

同時刻。

「こらそこぉ、足崩すな!」

「すっ、すみません」

 畳敷きの研修ルームにて、酒田先生による地歴公民特別補習授業が行われていた。

二〇名ほどの生徒達が、正座姿勢で強制的に参加させられていたという。

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