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第三話 私立橙陵女子中学校三年生、いよいよ九州へ(一日目)

六月六日。

修学旅行当日の朝。

六時二〇分頃。

「こなつちゃん、起きてるかな?」

 緑は、小夏のおウチ玄関横のインターホンを押した。

「おっはよう、緑ちゃん」

 出てきたのは、小夏であった。元気よく挨拶する。

「もう制服に着替えてる。ちゃんと早起き出来たんだ」

「うん。今、朝ご飯食べてるところ。昨日も興奮してあんまり眠れなかったよ」

「わたしも同じ。早めにお布団入ったんだけどね、新幹線で寝よう」

 緑はこう言って、あくびを一回する。

 六時二五分頃、二人は集合場所となっている山陽新幹線新神戸駅へ向けて出発した。

 二人のおウチ最寄り私鉄駅は、阪急六甲だ。この駅に辿り着くと、三宮までの切符を購入し改札を抜けて、下りホームへ出た。

数分のち、阪急三宮方面へ向かう普通電車が到着する。二人は三両目に乗り込んだ。

「まゆこちゃん、きかちゃん。おはよう」

「おっはよう!」

 車内で姿を見かけると、二人は元気よく挨拶する。

「あ、おはよう」

「おはよ」

 真優子と希佳は嬉しそうに返した。

 時刻は今、六時三九分。この時刻に到着する電車の、この車両で待ち合わせをしていたのだ。

扉が閉まり、阪急電鉄特有のマルーンに彩られた車体が動き出す。まだ朝のラッシュ時前ということもあり、車内は比較的空いていた。四人は抹茶色に塗られた横向きの座席に、隣り合うようにして腰掛けた。


途中、王子公園と春日野道に停車し、三宮駅には緑と小夏が乗ってから七分ほどで到着した。

「地下鉄乗り場は、確かあっちだったよね?」

 ホームへ降りてから、緑は尋ねた。

「うん。同じ制服の子についていけば間違いなしよ」

 班長の希佳は自信を持って答える。

 三宮駅構内には、案内係に任された他学年担当の先生方もいたため、四人も迷わず辿り着くことが出来た。

地下鉄ホームへやって来た電車に、四人固まって乗り込む。そして次の停車駅、新神戸で降りた。

改札出口付近で、引率する何人かの先生方がいた。彼らに誘導され、四人は新幹線乗り場へ。

 他の中学部三年生達も、集合場所となっているこの駅のコンコースにすでに半数以上は集まっていた。

修学旅行に引率する先生方は、班ごとにまとまって整列するようにと呼びかけていた。

「あっ、酒田ちゃん。今日はとても綺麗ですね」

 希佳は声をかけた。

「いつも通りやって」

 酒田先生は、今日はとても機嫌が良さそうだった。服装はいつも通りの白スーツ姿だ。

午前七時半、出発式が始まった。

全六クラス、二百数十名の生徒達がコンコースに集っている。

点呼確認、教頭先生からのお言葉のあと、

「ゲームとか化粧品とかの不要物、持ってきとる者、絶対おるやろ? 正直に出せぇ。今なら怒らへん」

 酒田先生がマイクで伝えると、生徒達の何人かは正直に出した。

 確かに酒田先生は怒らなかった。

 没収したさい、出した生徒達の頭を軽くペチッと叩いていったが。

その他諸連絡を済ませ八時過ぎに、一同はホームへと移動していく。

クラス毎に、号車番号に分かれた。

「なんで三組はグリーン車なのよ?」

 小夏は首を横に向け、三組の列をちらりと見る。

「中間テストの総合平均点が一番良かったからよ」

 持丸先生はさらりと教えた。

「そんなこと企んでたんですか。事前に言ってくれたらあたし、もっと頑張ったのに」

「わたしもー。グリーン車快適そう。いいなあ三組」

 小夏と緑は羨望の眼差しで、三組の列を眺めていた。


《新神戸、新神戸》

のぞみ号がホームへ入ってくると、可動式ホーム柵が開く。のぞみ号が停車して扉が開くと、一同は速やかに乗り込んでいった。

座席は進行方向に向かって右側二列、左側三列となっている。二組六班は二列席を回転させ、向かい合うようにした。大きな荷物は棚の上に乗せて、座席に座り一息つく。

「西へ進むから富士山見れないのが残念だけど、新関門トンネルが楽しみだなあ。お菓子食べよっと」

 緑はそう呟いて、小カバンから菓子袋を取り出した。

「緑ちゃん、お菓子持って来すぎ」

 小夏は呆れ顔で緑のカバンを覗き込む。スナック菓子やキャンディー、グミなどが十種類くらい入ってあった。

「えへへ、でもちゃんと指定された金額内に収まってるよ」

 お菓子は五百円以内だった。

「真優子ちゃん、ビ○コ持って来るなんて、幼稚園児みたい」

 小夏は笑いながら突っ込みを入れる。

「私これ、大好物なの」

 真優子は美味しそうに齧りながら、照れくさそうに言う。

「わたしもだよ。クリームの部分がたまらないよね」

 緑は嬉しそうに同調した。

「緑さん、お一つどうぞ」

 真優子は一つ手渡す。

「わーい。ありがとう」

 緑は大きく口を開けて齧りついた。

「ワタシも欲しい」

 希佳は手を差し出した。

「どうぞ」

 真優子は快く手渡す。

「子どもね」

 小夏はにこりと微笑んだ。

 この四人や他の生徒達は楽しそうに会話を弾ませながら、楽しい時間を過ごす。


《博多、博多》

 到着アナウンスが流れ、新幹線の扉が開くと一同はホームへ降り立つ。

「いえーい、博多に着いたばい」

 ホームへ足を付けた瞬間、小夏は快哉を叫んだ。

「あっ、こなつちゃん九州弁だぁーっ」

 緑は即突っ込み微笑む。

「あの料理漫画に出てくる顎の大きな人いるかな?」

 希佳はきょろきょろ辺りを見渡してみた。

「明太子買うぞぉーっ」

「わたしは限定品のプリッツが欲しいな」

 小夏と緑は売店の方にも目を向ける。

「博多駅でお土産を買う時間は、帰りにたくさん設けていますので」

 六班のすぐ前を歩く持丸先生は笑顔でおっしゃる。彼女もちょっぴり浮かれ気分だった。

 先生方は生徒達をコンコースへ誘導していく。そこに着いたら整列させ、点呼をとり、諸注意をした。

続いて駅前に留められてある六台の貸切バスに、クラス別に分かれて乗り込ませた。二組は二号車だ。

大きな荷物はトランクルームへ。

運転席の一つ後ろが先生方(持丸先生と酒田先生)。二列目に小夏と希佳、三列目に緑と真優子が座った。船曳先生は乗降口扉のすぐ後ろ側の席だった。

「橙陵女子中学校三年二組の皆様、こんにちは」

 二号車に添乗したバスガイドさんは、二十代後半くらいの若々しい女性。彼女から挨拶されると、クラスメート達は挨拶を返し、大きく拍手した。

「ではこれより、このバスはハウステンボスへと参ります。途中、高速道路を走行致しますので、シートベルトは必ず締めて下さいね。皆様、九州へ来たのは初めてですか?」

バスガイドさんからの質問に、

「初めてーっ」「三度目かな」「一度、別府温泉と高崎山と由布院に行きました」「宮崎におばあちゃんちがあるから毎年行ってるーっ」

 などなどクラスメート達は次々と返答した。

  

 出発してから三十分ほどが過ぎた頃、

「なんか、気分悪くなって来た。酔い止め効果なかったみたい」

 小夏は、隣に座っている希佳の膝上に顔をうずめる。

「ちょっと、コナツ、重たいよう」

 希佳は少し迷惑がる。

「ごめんね、希佳ちゃん。こうするとちょっと和らぐの。あの、万が一制服の上にゲロったらごめんね」

 小夏は顔を少し上に向け、にこっと笑いながら告げた。

「……」

 その瞬間、希佳の顔色は小夏以上に蒼ざめた。額から冷や汗も流れ出てきた。

「平気よ。なんとか持ちそうだから……いやあ、どうかな?」

 小夏はふいに手で口を押さえる。

「吐いちゃダメだ、吐いちゃダメだ、吐いちゃダメだ」

 希佳はびくびくしながら念仏のようなものを唱えた。

「仙頭さん、碇シ○ジ君の名台詞をそんな下品に言い換えちゃダメっさ」

 船曳先生は困惑顔で、ため息混じりに忠告する。

そんな三人をよそに、車内ではバスレクとして景品付きのビンゴゲーム大会が繰り広げられていた。

「まゆこちゃん、いいなあ。もうトリプルリーチだ。わたしやつと代えてーっ」

「いいよ」

「わあーい、ありがとう」

緑と真優子含め、クラスメート達の多くが盛り上がって楽しんでいる。

 持丸先生と酒田先生もビンゴゲームを楽しみつつ、他愛無い世間話も弾ませていた。

こうしているうちにあっという間に時間が過ぎ、貸切バスは正午過ぎに最初の目的地、ハウステンボスへ到着した。

「やっと着いたあ! 新鮮な空気カモーン!」

 バスから下りた途端、小夏は水を得た魚のように元気を取り戻す。

「こなつちゃん、バス酔い、治ったんだね」

「うん! 下りたら即効カムバックよ」

 緑が話しかけると、小夏はとても嬉しそうに言い張る。

「とても恐ろしかったよ」

 希佳はげんなりしていた。

「ビンゴゲーム、楽しかった」

 真優子は幸せそうな表情を浮かべていた。

 ハウステンボス入場ゲート前に、先生方は全クラスの生徒達を整列させる。諸注意をして、入場券となっているパスポートを配布していく。

そのあとクラス毎に集合写真撮影。

 取り終えたクラスから、園内を班自由行動だ。

「緑ちゃん、昨日みたいに迷子にならないように、あたしとお手手つなぎましょうね」

 小夏はにやにや笑いながら、手を差し出した。

「こなつちゃん、そこまでしてくれなくてもわたし、大丈夫だよ」

 緑は両手をサッと背中側へ回し、自信満々に言い張った。

「そうかな? はぐれても知らないよ」

 小夏はにやりと微笑む。

「小夏さん、緑さんを子ども扱いしたらかわいそうよ」

 真優子は困惑顔で注意する。

「マユコも迷子になりそうだから、お手手繋いであげる」

 希佳は真優子の手をそっとつかんだ。

「やめて、希佳さん」

 真優子は手をぶんぶん動かす。

「子ども扱いするなんて、ひどいよね?」

 緑は真優子に問いかけた。

「うん!」

 真優子は同意する。

「拗ねちゃって。お詫びに好きな所行かせてあげるよ。どこへ行きたい?」

 希佳が尋ねると、

「「テディベアキングダム」」

 緑と真優子は声を揃えて答えた。

「やっぱり子どもね」

 小夏はにっこり微笑む。


「本当にオランダに来た気分だね」

緑も、

「確かに。チューリップと風車がそう感じさせるわね」

小夏も、

「素敵♪」

真優子も、

「絵に描きたい」

希佳も入場ゲート入ってすぐに見える風景に目を奪われた。

「みんなでお写真撮りましょう」

 真優子は小カバンからデジカメを取り出す。近くにいた別の班の子に撮ってもらった。

もう少し歩き進み、テディベアキングダムに辿り着くと、四人は一階に展示されてある、座高3.6メートルもあるジャイアントベアをバックに記念写真を撮ってもらった。

続いてここのすぐ隣にある、テディベアショップを訪れた。

「ものすごく欲しいけど、高過ぎるよう」

「予算内じゃ、とても買えない」

十万円以上する特大テディベアを前にして、緑と真優子は嘆く。

そんな時、

「魚田さん、大学さん。喉から手が出ているのが、ワタクシには見えるよん」

 四人の背後に、船曳先生が現れた。

「ねえ、船曳先生、お金持ちでしょ。買って、買ってーっ」

「お願いします」

 緑と真優子は船曳先生にすがりより、袖をぐいぐい引っ張る。

「船曳先生、芦屋の坊っちゃんの財力で買ってやりなよ」

「フナッビー、買ってあげて下さい。マユコが一〇〇点取ったご褒美に」

 小夏と希佳からもお願いしてみた。

「買ってあげたいのはやまやまなんだけど、そうするとワタクシ、酒田先生からお叱りを受けちゃうからねん、生徒達を甘やかすなって」

 船曳先生は申し訳なさそうに言う。

「そんなぁー」

「確かにそうですよね。ご迷惑おかけしてすみませんでした」

緑と真優子は当然のように悔しがる。けれど諦めがついたようだ。結局この二人は一〇〇〇円くらいで売られていた小さなサイズのものを購入した。

四人はここをあとにし、次の目的地へと向かっていく。


       ○


「気分悪っ。あれはないでしょ、あんなに揺れるとは思わなかった」

 とあるアトラクションから出てきた小夏は、顔が蒼ざめていた。

「こなつちゃん、やっぱり酔ったんだね」

 緑はにこっと微笑みかける。

「スクリーンに合わせて、座席がすごく揺れてたね。私まだ、体が揺れてるような気がする」

「ワタシも。けっこう迫力あったね」

真優子と希佳は率直な感想を述べた。

「次はあれに乗ろうよ」

 緑は園内を流れる川を優雅に漂う、カナルクルーザーを指差した。

「あたしを殺す気かっ」

「あいたっ」

 小夏はげんなりとした表情を浮かべながら、緑の頭をペチッと叩く。

小夏の一存により四人はクルーザー巡りを諦めて、チョコレートハウスへ立ち寄った。

 店内に飾られてある、滝のように流れ落ちるチョコレートを眺めて、

「チョコレートの色は、阪急電鉄思い浮かべちゃうよ」

 緑はうっとりとした表情で呟く。

「確かに色、そっくりね。私、チョコレート大好き」

 真優子も幸せそうな表情を浮かべた。

「わたしも。毎日食べても飽きない」

「グリーンさん、マユコ、あんまりチョコ食べ過ぎると鼻血出ちゃうよ」

「希佳さん、医学的には間違っているらしいです、それ」

 希佳の警告を、真優子はずばりと指摘した。

「へ! そうなの?」

 希佳はちょっぴり驚く。

「あたしもどっかで聞いたことがある。まあ太るから食べ過ぎは良くないと思うけど。それにしてもチョコレートの色って、お腹壊した時におしりから勢いよく噴き出てくる、アレの色にもそっくりね」

 小夏はにこにこしながら、チョコレートの滝を見つめる。

「こなつちゃーん」

「下品よ」

 緑と真優子はギロリと睨み付けた。

「ごめん、ごめん」

 小夏はてへりと笑った。


 このあと二組六班の四人はチーズワーフ他、アトラクションやミュージアムを巡りつつ、軽食を取ったりお土産をたくさん購入したりして、集合場所となっている出口ゲートへと足を進めていった。

 四人は園内を巡っている最中、同行していたカメラマンにも何枚か写真を撮ってもらった。


午後四時。

貸切バスは号車順にハウステンボスを出発し、次の目的地であり今夜の宿泊先でもある、長崎市内へと向かっていく。

「小夏さん、大丈夫?」

「いやあ、なんかさっきより気分悪い。チーズとかチョコレート食べたし」

 今度は、小夏のお隣に真優子が座った。小夏は苦しそうな表情を浮かべて座席にもたれこんでいた。

「こなつちゃん、こんな時は歌を歌えばいいんだよ」

「気を紛らわすのがいい方法とワタシも思う」

 緑と希佳は後ろの席からアドバイスする。

 そんなわけで緑がバスレク係の子に頼んで、カラオケ大会を開催してもらった。バス内設置の中型テレビに歌詞が映し出される。

 小夏はマイクを渡されると、アニメソングをちょっぴり照れくさそうに歌い始めた。

「こなつちゃん、あまり上手くないねえ」

 緑は笑いながらやじを飛ばす。

「あたし、音楽の成績いつも2だからね」

 小夏は歌うのを中断してそう呟き、緑の頭をマイクで軽く叩いた。

「もう、痛いよ、こなつちゃん」

 緑は顔をしかめる。

「今度は緑ちゃんが歌ってね」

 小夏はマイクを緑に手渡す。

「いや、やめておくよ」

 緑はマイクを突き返した。

「もう、ずるいぞ」

 小夏は手を後に回した。

「あーん、誰か助けてーっ」

 緑は周囲を見渡す。

「うちが歌うーっ」

 他の班の子が引き受けてくれた。

「あたし緑ちゃんの歌、聞きたかったな」

 小夏は少し残念がった。

「それよりこなつちゃん、歌ってないとまた気分が悪くなるんじゃないの?」

 緑は問いかける。

「いやあ、ちょっと歌ったらなんかすっきりしちゃったよ」

 小夏は爽やかな笑顔で言い張った。

「単純だね」

 緑はくすりと笑った。

 他の班の子達がいろいろ歌っているうちにあっという間に時間が過ぎ、一泊目の目的地に辿り着いた。バスから降りたあと、生徒達は少し歩いてホテルへと入った。各班割り当てられたお部屋に荷物を置きにいく。

 二組六班は507号室だった。

生徒達が泊まるお部屋はどこも和洋折衷で、ベッドとお布団が用意されている。

「見て、見て。長崎の街が一望出来るよ」

緑は入るとすぐに、窓に近寄った。

ホテルは稲佐山の中腹に位置し、夕日に映える長崎の街並みを眺めることが出来た。

「夜景はもっときれいだろうな。夜が楽しみーっ」

 小夏も大興奮する。

「わあーっ、見て。中に羊羹とか、カステラとか、ゼリーとか、ジュースがいっぱいある」

 緑は、今度は冷蔵庫を開けてみた。

「これって、別料金取られるんじゃなかったっけ?」

 小夏は突っ込んだ。

「ワタシ、家族旅行で旅館とかホテルに泊まった時、お金かかるから食べちゃダメって言われたよ」

「私もそのままにしておいた方がいいと思う」

 四人が悩んでいたその時、

【皆さん、冷蔵庫に入っているものの代金も、修学旅行費に含まれていますのでご自由にお食べ下さいね】

 部屋の壁、天井近くに設置されてあるスピーカーから持丸先生による放送がかかった。

「なあんだ、それじゃ食べ放題だね」

 緑は大喜びした。

「でも太るといけないから数控えとこ……あたし、ちょっとトイレ行って来る」

 そう言うと小夏は、早足で室内のトイレに向かった。

 扉を開くと、洋式トイレが目の前に現れる。

「あっ、ここウォシュレットも付いてる。設備充実してるわね」

 小夏はそう嬉しそうに呟いて便器に背を向けた。スカートの中に手を入れ、ショーツを膝の辺りまで脱ぎ下ろす。そして便座にちょこんと腰掛けた。


 それから約三分後。

「こなつちゃん、まだ出てこないね。大きい方してる?」

 緑はいちご味のカステラを頬張りながら、扉の外から問いかけてみた。

「うん、あたし四日振りにお通じが来たの。やっぱいっぱい歩くと効果あるよ。まだ出そう」

 小夏はすぐさま返答した。

 その直後、

「皆さん、そろそろお食事場所へ移動しますので」

 担任の持丸先生は、この部屋の出入口扉を開けて呼びかけた。

 他の部屋にいた生徒達は、廊下に整列し始めていた。

「持丸先生、こなつちゃんは今、大きい方をう~んって頑張っているので、少し遅れるそうです」

 緑は持丸先生の側へ駆け寄り、トイレの扉を手で指し示しながら大きな声で伝えた。

「分かったわ。花見さん、他の先生方にも伝えておきますからごゆっくり」

 持丸先生は叫びかける。

(みっ、緑ちゃーん。普通にトイレ行ってるって言ってくれればいいのに)

 小夏は両拳をぎゅっと握り締めつつ赤面していた。

 こうして小夏を残し、三人他生徒達はクラス毎に整列し、夕食場所となっている大広間へと移動していった。

 

大広間は純和室となっており、円形テーブルが五〇個ほど並べられている。その下に班人数分の座布団が敷かれていた。

生徒達は、班毎に指定されている席に着く。

テーブルの上にはお船型の大きなお皿、そこに五島列島近海で今日昼過ぎに水揚げされたばかりの、新鮮な鯛や伊勢海老、ウニの刺身などが多数並べられていた。

他に長崎名物ちゃんぽん、副菜、デザートもたくさん。

「わー、すごーい。とっても豪華だーっ」

 緑は並べられている料理の数々に目を奪われる。

「みーどーりーちゃーん」

 そんな時、緑は背後からポンッと肩を叩かれた。

「あっ、こなつちゃん、便秘治ってよかったね」

 緑はくるりと振り向き、爽やかな表情で話しかけた。

「もう、緑ちゃん。声でかーい。みんなにバレちゃうでしょ」

 小夏はニカッと笑い、緑のこめかみを両手でぐりぐりする。

「いたたたたた、ごっ、ごめん、こなつちゃん」

「まあまあコナツ、小学生じゃないんだし、大をしたことがバレたって、バカにする子なんていないよ」

 希佳はにこにこしながらなだめる。

「まあ、そうだろうけど、でも、知られちゃったってことが嫌」

 小夏は頬をほんのり赤らめた。

「小夏さん。健康のためには重要なことだから」

 真優子も説得してくる。

「お腹すっきりして、いっぱい食べられるよ」

 緑は笑いながら言う。

「そうだけどね」

 小夏は苦笑いを浮かべながら座布団席に着いた。

「ワタシなんか、用足してるとこばっちり覗かれたことがあるのよ」

「「本当!?」」

 緑と小夏は同調した。

「うん、小学校入ってすぐの頃だったかな。ワタシが和式便器でおしっこしてる最中に、扉を開けられてね、覗いた子と目も合っちゃって。八年以上経った今でも忘れられないよ」

 希佳は照れくさそうに打ち明ける。

「それはきついわね。あたしだったらショックで登校拒否になってたかも」

「わたしも。トラウマ過ぎる」

 小夏と緑はコソコソしゃべり合う。

「……」

 真優子は黙りこくってしまった。

「犯人はなんと、マユコだったんだ」

 そこへ、希佳は嬉しそうに伝えた。

「ちょっ、ちょっと希佳さん」

 真優子はびくっと反応する。

「まゆこちゃんだったの!?」

「それで黙っちゃったのか」

 緑と小夏は真優子の方をちらりと見た。

「マユコったらね、慌てん坊さんで扉閉めずにそのまま逃げてっちゃって。ワタシは気にせずそのまま続けたけど」

 希佳はくすくす笑う。

「あの時は気が動転してて、って元はといえば希佳さんが鍵掛けてなかったからでしょ」

 真優子は慌てて弁明した。

「確かにそうだけど、ノックせずに入ってこようとしたマユコにも非はあると思うよ」

 希佳は微笑みかける。

「そんなことは……」

 真優子の頬は赤くなる。

「判決、希佳ちゃんの方が悪い」

 小夏はさらりと言い渡した。

「えー、なんで?」

 希佳は唇を尖らせた。

「なんとなく」

 小夏は真顔で言う。

「でもその事件がきっかけで、ワタシとマユコとの友情がより一層深まったというわけなんよ」

 希佳は嬉しそうに語る。

「トイレから始まる恋かぁ。素敵な出会いだったのね」

 小夏はくすくす笑い出した。

「もう、小夏さん」

 真優子は頬を真っ赤にして、小夏の頭をペチンッと叩いておいた。

「皆さん、お静かに!」

 まもなく午後六時半になる頃、酒田先生から注意が入る。四人の他にも多くの生徒達がわいわいがやがや騒いでいたからだ。

食事係から「おあがりなさい」という食前の挨拶があったあと、生徒達は食事に手をつける。

「こなつちゃん、またあぐらかいてる、パンツも見えてるよ」

 緑は呆れ顔で指摘する。緑は正座していた。

「べつにいいでしょ、この方が楽だし」

「酒田先生に見つかったら絶対叱られるよ」

「じゃ、やめとこ」

 真優子の警告を聞き、小夏はすぐさま体育座りに変えた。

 その直後。

「正座では足痺れるでぇ、みんな足崩して楽な格好にしていいよ」

鶴見先生が生徒達に向け、マイクを使って微笑みながらおっしゃった。

「なんだ、いいんじゃない」

 小夏は再びあぐらをかいた。

「けど、女の子があぐらかくのは、僕は勧めないな」

 それとほぼ同時に、鶴見先生はこう付け加える。

「ねっ!」

 緑は小夏に視線を送る。

「鶴見先生からそう言われると、なんかやり辛い」

 小夏は結局、体育座りに戻した。

「鯨の竜田揚げ、美味しそう。わたし鯨食べるの、初めてだ。びわゼリーも美味しそう」

 緑は最初にデザートの方をスプーンで掬い、お口に運ぼうとしたところ、

「もーらった」

小夏が横からぱくりと齧り付いてきた。

「うまいっ!」

 小夏はとっても美味しそうに頬張る。

「あああああああーっ! ちょっと、こなつちゃん、何するの!」

 緑は大声を張り上げて、小夏をキッと睨み付ける。

「えへへ、さっきあたしに恥ずかしい思いさせてくれたお返しーっ」

 小夏はあっかんべーのポーズをとった。

「ひどーい」

 緑は小夏の両方の頬っぺたをぎゅーっとつねる。

「いったーい」

 小夏は、緑の髪の毛を引っ張った。

「こなつちゃん、いきなり取るなんてひどいよ。そんなに卑しいことしてたら、ぶくぶく太って豚さんになっちゃうよ」

 今度は緑、小夏に馬乗りになった。

「失礼ね。身体測定の時、緑ちゃんの方が体重多かったくせに」

「わたしの方が背、高いもん」

「緑ちゃんだってお菓子大好きなくせに。緑ちゃんこそ太るよ」

 小夏は対抗しようと、両手で押し返す。

「わたしは太らない体質だもんねーっ!」

 緑は自信満々に言う。

「ああーっ、ムカつくーっ」

 小夏は緑の足をグーで叩いた。

「いたいよ、こなつちゃん」

 緑はパーで叩き返す。

 両者、叩き合いが始まってしまった。

「ねえ、二人ともケンカはやめて」

 真優子は心配そうに見つめる。

「カンガルーのケンカみたい。二人とも互角だね。いやちょっとグリーンさん優勢かな」

 希佳は微笑ましく座視する。

「二人とも、後ろ、後ろ」

 真優子は注意を促す。

「こなつちゃん、返してーっ」

「無茶なこと言わなーい」

緑と小夏は聞く耳持たず。そんな二人の背後に、黒い影がゆっくりと忍び寄る――

「これこれ、女の子が取っ組み合いの喧嘩とは何事ですか!」

 持丸先生だった。二人に呆れ顔で注意する。

「だってだって、先生」

 緑は小夏の頬っぺたをぎゅーっとつねりながら言い訳する。

「元はといえば、緑ちゃんが悪いんです」

 小夏も緑の髪の毛を横向きに引っ張りながら言い訳する。

 二人はまだ、ケンカを止めようとはしなかった。

「ほら、酒田先生がやって来るわよ」

 持丸先生は指し示す。事態に気づいた酒田先生が、二人のいる方へ近寄ってくるのが分かった。

「ひっ!」

「うわーっ」

 小夏と緑はすぐにケンカをやめて、正座姿勢になった。

「おまえら、何してるねん」

 酒田先生は呆れた様子で、語尾下げ口調でおっしゃった。

「「ごめんなさーい」」

小夏と緑は土下座して反省の態度を示した。

「この子達、男の子みたいなケンカしてたのよ」

 持丸先生はハァッとため息をつく。

「まあまあもっちゃん、ケンカするほど仲が良いと言いますし」

 酒田先生はにこやかな表情で意見する。

「あれ? 酒田先生、寛大ですね」

「怒らないの?」

 小夏と緑は頭をくいっと上げた。ぽかんとした表情になる。

「早く食事に戻りなさい」

 酒田先生はそう一言だけ告げて、元いた場所へ戻っていった。

「さっきはごめんね、緑ちゃん」

「ううん、わたし、もう気にしてないよ」

 小夏と緑はすぐに仲直り。その後は仲良く夕食タイムを過ごしたのであった。

 

夕食の後は入浴タイム。

二クラス合同で、指定されたクラスから順番に入るようにされている。

呼ばれたクラスの生徒達は、お風呂セットを持ち女湯へと向かっていく。

今日は一・二組からだった。

「船曳先生、覗かないで下さいね♪」

 緑は、女湯入口前の廊下で出会った彼に向かってウィンクした。

「ハッハッハ、三次元女共の裸なんて覗くわけないだろ」

 船曳先生は高笑いしながら、男湯の暖簾を潜った。

「あー、なんかムカっときました」

 緑はぷくっと膨れた。

 周りにいた他の何人かの生徒達も、少し冷ややかな目で彼を見送った。


 七十名ほどの女生徒達がキャイキャイはしゃぎながら、楽しい入浴時間を過ごす。

「きかちゃん、けっこうお胸あるねえ。わたしより大きいよ。Cある?」

 女湯脱衣所にて、緑は羨望の眼差しで希佳の胸元をじっと見つめる。

「そっ、そんなにはないって」

 希佳は遠慮がちに答えた。

「謙遜しちゃって。いいなあ、きかちゃん」

 緑は希佳に前から抱きつき、おっぱいを鷲掴みした。

「あんっ! もうグリーンさんたら、くすぐったいからやめてー」

「スキンシップ、スキンシップーッ」

 容赦なく希佳のおっぱいを揉みまくる。

「キカっち、おしりもいい形してるね。触らせてーっ」「桃みたい」「欲しいーっ」「齧り付きたーい」

 他のクラスメート達も便乗してくる。

「もっ、もう」

前からも後ろからも揉まれる希佳。嫌がりつつも、とても気持ち良さそうな表情を浮かべていた。彼女は人気者なのだ。

(裸見せるの、恥ずかしいな。みんなアンダーヘアーもばっちり見せてる……あの子、ロリ顔なのにけっこう濃いのね、意外。緑ちゃんもあたしよりは……ってなに眺めてるのよあたし、ダメダメ)

 小夏は他の生徒達から視線を逸らそうとしながら、照れくさそうに服を脱いでいく。脱衣所に入った途端、急に大人しくなってしまった。小夏は下着を外す前からバスタオルをしっかり全身に巻いた。

「目のやり場に困る」

 真優子も同じようにしていた。 

脱ぎ終えた生徒達は、続々と浴室へ入っていく。

緑と希佳は堂々と裸体をさらけ出し、バスタオルは手に持っていた。

二組六班の四人は隣り合うようにして、洗い場シャワー手前の風呂イスに腰掛ける。

「わたし、これがないとシャンプー出来ないの」

緑は照れくさそうに呟きながら、シャンプーハットを被った。

「緑ちゃん、幼稚園児みたーい」

 隣に座る小夏はくすくす笑う。

「私も、今はさすがに使ってないな」

 小夏の隣に座る真優子は、緑をちらりと眺めた。

「べつにいいでしょ」

 緑は堂々と言い張る。

「グリーンさん、萌える! 妹に欲しい。髪の毛洗うの手伝ってあげよっか?」

 緑の隣に座る希佳は、きゅんっと反応した。

「いい、自分でやるよ」

 緑は照れくさそうに答えた。

「タオルで隠してる子、あたしと真優子ちゃん含めて十人くらいしかいないわね」

 小夏は辺りを見渡しながら真優子に話しかける。

「そうね」

 真優子も周囲をちらりと見た。

「あたし、家で入る時はスッポンポンなんだけど、ここではちょっとね」

「私も。みんなが見てる前では恥ずかし過ぎて無理」

「あの、真優子ちゃん。メガネ外したお顔もかわいいね」

「あっ、ありがとう」

 小夏と真優子は小声でおしゃべりしながら体を洗い流していった。


「わぁーい!」

 緑のはしゃぎ声と共に、ザブーッンと飛沫が上がる。湯船に足から勢いよく飛び込んだのだ。そして犬掻きのような泳ぎをし始めた。

「緑ちゃん、はしゃぎ過ぎ。小学生みたい」

「グリーンさんのはしゃぎたい気持ちは良く分かる」

「緑さん、周りの子達に迷惑かけないようにね」

二組六班他の三人は静かに湯船に浸かった。

「広くて最高。ワタシ、お風呂大好き。夏は一日三回入ってる」

 希佳は足を伸ばしてゆったりくつろぎながら、嬉しそうに語る。

「し○かちゃん並ね。あんまり入りすぎるとお肌ふやけちゃうよ」

 小夏はにっこり微笑む。

「それよりコナツにマユコ、湯船にタオル入れたらダメよ」

 希佳は真優子のバスタオルをぐいっと引っ張った。

「やめてーっ、希佳さん。恥ずかしいよう」

 真優子は腕を前に組んで必死に抵抗する。

「こなつちゃんも、他のみんなみたいにスッポンポンになろうよ」

 緑も小夏のバスタオルを引っ張る。

「やーん。ダメよ緑ちゃん」

 小夏は足をバタバタさせ懸命にタオルを守る。

「皆さーん、湯加減はいかがですか?」

ちょうどその時、持丸先生も浴室に入ってきた。タオルは巻いてなく、スッポンポンだった。風呂イスにゆっくりと腰掛け、シャンプーを出して髪の毛をこすり始める。

「持丸先生、お胸ペッタンコですね。わたしの方が勝ってる」

「モッチー貧乳だね。地理用語で言うならプレーリーだ。けどアンダーヘアーは熱帯雨林のようにしっかり大人だね」

 緑と希佳は湯船から上がり、持丸先生の側に駆け寄った。にこにこしながら彼女の裸体をまじまじと見つめる。

「もう、失礼よ魚田さん、仙頭さん」

「あいたーっ」

 緑はでこピンを食らわされてしまった。

「いったーい」

 希佳は洗面器でカツーッンっと叩かれた。

 それを見て、他に駆け寄ろうとしていた子達は足が止まってしまった。

(あたしと同じくらいか)

 小夏は、湯船の中からこっそり眺めていた。


「今何キロあるかなあ?」

 浴室から出て、緑はスッポンポンのまんま脱衣所に置かれてある体重計にぴょこんと飛び乗った。

「……よかったあ、身体測定の時と全く同じだ」

 目盛を見て、満面の笑みを浮かべる。

「グリーンさん、身体測定は服の重さが数百グラムあるから、実際は増えてるってことよ」

 希佳は緑の耳元でささやいた。

「あっ、言われてみれば……」

 緑はがっくり肩を落とす。

「あたしはきっと痩せてる」

 そう自信満々に言い、小夏も体重計に飛び乗った。タオルは巻いたままで。

「……えええええええっ!? ごっ、5キロも増えてる。なっ、なんで!?」

 目盛を眺め、小夏は大きな叫び声を上げた。

「こなつちゃん、豚さんに一歩近づいたね」

 緑はにやりと笑い、小夏の肩をポンッと叩く。

「小夏さん、下を見て」

「ん?」

 小夏は真優子に言われたようにしてみる。

「あああーっ!」

 瞬間、大声を張り上げた。

「タネ明かし」

 希佳はにこっと笑う。希佳が体重計の上にこっそり手を置いていたのだ。

「もう、希佳ちゃーん」

「体重気にした時の表情、女の子っぽくてかわいかったよ」

「ひっどーい。罰として希佳ちゃんも乗って!」

「あーん、やだ」

 小夏に追われ、希佳はスッポンポンで逃げ惑う。

「皆さん、後のクラスが支えますので、速やかに出ましょうね」

 脱衣所ではしゃいだり、ジュースを飲みながらのんびり過ごしたりしていた一・二組の生徒達に、持丸先生は優しく注意しておいた。

 生徒達は、パジャマの代わりに体操服を着用する。冬用の、学年色であるイエローのラインが入った紺地ジャージ上下の子。夏用となっている、学年色ラインと校章の付いた白地半袖クルーネックシャツと青色ハーフパンツの子、二パターンだ。割合としては、時季的なことと荷物が軽くなることもあってか夏用の子が大半を占めていた。

 二組六班の中では、真優子のみ冬用だった。

 

全てのクラスが入浴を終えた後、午後八時半からは館内大ホールにて学年レクリエーションが行われることになっている。

 集まった生徒達は、各自好きな場所に固まって座って鑑賞する。

 二組六班は、ちょうど真ん中の方に座った。

 開演前に、

「あのう、始めに言っておきます。皆さんが入ったあとお風呂場点検したんですけど、とってもかわいらしいキツネさん柄パンツの落とし物がありました。ご丁寧にお名前も書いてありましたよ。お心当たりのある方は、後で取りにきてね」

 持丸先生はそのパンツを手に掲げ、舞台の上からマイクを用いて全クラスの生徒達に向けてにこにこしながら伝えた。

 その約三秒後、

「あああああああああああーっ、わたしが今日穿いてきたやつだーっ」

 緑は大声で叫んだ。その行為によって、みんなにバレてしまった。当然のように生徒達から大きな笑いが起こる。

緑は全速力で持丸先生の下へダッシュした。

「魚田さん、次からは気をつけましょうね」

 持丸先生はくすくす笑いながら手渡す。

「ああ、恥ずかしい。お母さんったら、わたしもう子どもじゃないのに余計なことしてくれちゃって」

 緑は受け取ったパンツを上着の中に隠し、ぶつぶつ呟きながら元の場所へ戻る。

「グリーンさん、かわいいの穿いてるね」

「あたしに恥ずかしい思いをさせた罰が当ったわね」

 希佳と小夏が両サイドからくすくす笑ってくる。

「なに笑ってるの、もう」

「いったーっい」

 緑は照れ笑いしながら、小夏の頭をコチッと叩いておいた。

「ではこれより、学年レクを始めますたい。皆さん楽しんでくれんねね」

 学年レク実行委員長から長崎弁のようなもので開式の言葉が告げられ、プログラムが始まる。

 有志で参加した生徒達は手品や漫才、合唱、演劇、ジャブリング、三味線の演奏などを繰り広げていった。


学年レク実行委員長から閉式の言葉が述べられた直後、

「ではこれより、サプライズ。酒田先生が皆さんに歌を披露してくれるそうですよ」

 持丸先生が舞台の上に上がってきて、唐突に告げた。

会場内が一瞬静まり返ったあと、『おおおおおおおーっ!』という歓声と、大拍手が上がった。

「えー、先生がやるの?」

 大ホール後ろ隅の方にいた酒田先生は驚いたような表情を見せ、持丸先生を見つめる。

「酒田先生、ぜひ歌ってあげて下さい」

 持丸先生は彼女のもとへ駆け寄り、深くお辞儀して頼み込んだ。

「でっ、でもさ」

 酒田先生は困惑する。

「わたしの中学時代、文化祭の時に披露してくれたあの曲が今でも忘れられません」

 持丸先生は真剣な眼差しで懇願する。

「あのう、持丸先生と酒田先生って、生徒と教え子の関係だったんですか?」

 学年レク実行委員長が驚いた様子で尋ねた。

「その通りよ。酒田先生はね、先生が中学三年生の頃の担任だったの。あの頃は若かったなあ」

「ちょっと、ちょっと、もっちゃん。今でも若いって」

 酒田先生はかわいらしい表情で突っ込んだ。

「皆さん、酒田先生の歌、聴きたいよね?」

 持丸先生が問いかけると、

「めっちゃ聞きたーっい」「酒田先生! 歌ってーっ」

 生徒達から応援の声と大拍手が巻き起こった。

「しょうがないなあ、それじゃ、歌ってあげる」

 酒田先生はこう宣言して舞台上に上がり、マイクを手に持った。

 持丸先生は舞台上隅に置かれてあったピアノの前へ。

 

持丸先生による長崎の名曲、『長崎は今日も雨だった』の伴奏が流れ、酒田先生の天使のような美声がこだまする。

「酒田先生かっこいい」「素敵」「タカラジェンヌみたい」「ファンになりましたーっ」「持丸先生もピアノ上手」

歌唱中、生徒達から大きな歓声が沸く。


「あーっ、緊張したわ」

 酒田先生は歌い終えるととても幸せそうな表情を浮かべた。

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「アンコール、アンコール、アンコール」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 生徒達は大声援を送る。

「無理!」

酒田先生はにこやかな表情でそう告げて、舞台裏からそそくさと姿を消した。

 生徒達、そして他の先生方は宿舎中に響き渡るほどの盛大な拍手を送った。

「酒田先生、素晴らしい歌唱力でしたね。うちもめっちゃ感動しました」

 学年レク実行委員長はぽろりと涙を流しながら感想を述べる。

これにて、第一回学年レクリエーションは完全に閉幕。

 生徒達はそれぞれのお部屋へと戻っていく。

大ホールの近くには、ゲームコーナーが設けられてある。

「皆さん、ちょっとだけなら遊んでいいわよ。酒田先生今お風呂入ってるから。酒田先生は、お風呂長いの。三十分以上は出てこないわ」

 遊びたそうにしている生徒達を見て、持丸先生は許可を出した。

「お金使い過ぎるなよ」「取り合いでケンカしないようにね」

 他の先生方も同じく。

すると生徒達の多くがゲームコーナーへ流れ込んでいった。

二組六班の四人も立ち寄った。

「じゃあ、今の内にプリクラ撮ろうよ」

「いいねえ」

「ご当地プリクラにしよう!」

 希佳の誘いに、小夏と緑は快く乗る。

「いいのかな?」

「せっかく許可してくれたんだし、ねっ」

 希佳は罪悪感に駆られる真優子の手を引っ張り、強引に連れて行く。

 専用機に入った四人、緑と小夏は前側に並んだ。

お金を入れてフレームを選び、ポーズをとる。機械音声に従って撮影を済ませた。

「よく撮れてるわね」

 取出口から出て来たプリクラをじっと眺める小夏。他の三人も後ろから覗き込む。

「こなつちゃん、わたしの顔に落書きし過ぎだよ」

 緑は唇を尖らせた。

「ごめんねー、緑ちゃん。つい美術の腕が唸っちゃって」

 小夏はてへっと笑った。

「マユコは表情が硬すぎだね。もう少し笑ったらよりかわいいのに」

 希佳はくすりと笑いながらアドバイスする。

「だって私、お写真苦手だもん」

 真優子は沈んだ声で打ち明ける。

「あたしも生徒証の写真はそんな感じよ。だから真優子ちゃんも気にすることないって」

 小夏は真優子の肩をポンッと叩いて慰めてあげた。

「ありがとう小夏さん。あの、私、次はあれがやりたいです」

 元気を取り戻した真優子は、プリクラ専用機すぐ隣に設置されていた筐体を指差した。

「まゆこちゃんも、ぬいぐるみが好きなの?」

「うん!」

 緑からの問いかけに、真優子は嬉しそうに答える。真優子がやりたがっていたのはおさじ蓑クレーンゲームだ。

 四人はクレーンゲームの側へ近寄る。

「あっ、あのアデリーペンギンさんのぬいぐるみさんとってもかわいい!」

 お気に入りのものを見つけると、真優子は透明ケースに手の平を張り付けて叫ぶ。

「マユコ、あれは隅の方にあるし、他のぬいぐるみの間に少し埋もれてるよ。物理学的視点で考えても難易度は相当高いよ」

「大丈夫!」

 希佳のアドバイスに対し、真優子はきりっとした表情で自信満々に答えた。コイン投入口に百円硬貨を入れ、押しボタンに両手を添える。

「まゆこちゃん、頑張ってね」

 緑はすぐ横で応援する。

「うん、絶対とるよ!」

真優子は慎重にボタンを操作してクレーンを操り、目的のぬいぐるみの真上まで持ってゆくことが出来た。

 続いてクレーンを下げて、アームを広げる操作。 

「あっ、失敗しちゃった。もう一度」

 ぬいぐるみはアームの左側に触れたものの、つかみ上げることは出来なかった。再度クレーンを下げようとしたところ、制限時間いっぱいとなってしまった。

「もう一回やります!」

 真優子はとっても悔しがる。お金を入れて、再チャレンジ。しかし今回も失敗。

「今度こそ絶対とるよ!」

この作業をさらに繰り返す。真優子は一度や二度の失敗じゃへこたれない頑張り屋さんらしい。

けれども回を得るごとに、

「全然取れない……」

 徐々に泣き出しそうな表情へ変わっていく。

「あたし、クレーンゲームけっこう得意な方だけど、あれはちょっと無理だな」

 小夏は困った表情で呟いた。

「マユコ、ワタシにまかせて。機械にパックンチョされたマユコのお小遣い計五百円の敵、ワタシが討ってあげる!」

 希佳は真優子に向かってウィンクする。

「あっ、ありがとう。希佳さん」

 するとたちまち真優子のお顔に、笑みがこぼれた。

「きかちゃん、優しい」

「真優子ちゃんもよく健闘してたよ」

その様子を、緑と小夏は微笑ましく眺めていた。


「……まっ、まさか、こんなにあっさりいけるとは思わなかった」

 取出口に、ポトリと落ちたアデリーペンギンのぬいぐるみ。

希佳は、一発でいとも簡単に真優子お目当ての景品をゲットしてしまったのだ。

「希佳さん、お見事でした!」

「おめでとう、きかちゃん」

「やりますなあ」

三人は大きく拍手した。

「ワタシ、別に得意でもないのにたまたま取れただけだって。先にマユコがちょっとだけ取り易いところに動かしてくれたおかげでもあるのよ。はい、マユコ」

 希佳は照れくさそうに語る。一番驚いていたのは彼女自身だった。

「ありがとう、希佳さん。ペンちゃん、こんにちは」

 真優子はさっそくお名前をつけた。受け取った時の彼女の瞳は、ステンドグラスのようにキラキラ光り輝いていた。このぬいぐるみを抱きしめて、頬ずりをし始める。

その時、

「おーい、きみたち。消灯時間が迫ってるよーん」

 と、四人は背後から何者かに声をかけられた。

「あっ、船曳先生、ごめんなさい。すぐ部屋に戻ります」

 真優子はびくっと反応し、慌ててぺこりと頭を下げた。

「勇者希佳は『フナッビー』に出くわしてしまった。攻撃した。しかし空振った」

 希佳は冷静だった。

「希佳ちゃん、先生は暑さに弱そうだから、炎魔法を使うと効果的かも」

 小夏は笑いながらアドバイスする。

「おいおい、きみたちにとってワタクシはRPGのモンスター的存在なのかよーん? ま、それはそれでなんか嬉しいけどな」

 船曳先生はにやけ顔でそう呟きながら、希佳のそばへゆっくりと歩み寄った。

「絶対ここに来るなあ、とは思ってたんよ、ワタシ」

 希佳はにこりと微笑みかける。

「ねえきみたち、ワタクシとあそこにある音ゲーでどっちが高スコア取るか勝負してみるかい? もしも、きみたちが勝つようなことがあったならば、今度の実力テストできみたちが取得した点数に、さらに三〇点分サービスで加点してあげるよーん。ま、ワタクシが負けるなんてことは天地がひっくり返っても絶対ありえないけどな」

 船曳先生は、クレーンゲームから少し離れた場所に設置されてある筐体をびっと指差す。画面右から流れてくる音符に合わせて太鼓を叩き、スコアを増やしていく業務用音楽ゲームであった。

「船曳先生相手ではちょっとねえ……」

 小夏は彼の実力に恐れをなしたのか、遠慮した。

「じゃ、ワタシがやってあげる!」

 そこで希佳が船曳先生の挑発に乗った。

「ふふふ、後悔するなよーん。ワタクシはね、お子様相手だからって手加減なんて一切しない主義なんだよーん。ポ○モンのカードゲーム大会では幼稚園児や小学生を何度も泣かせたことがあるよーん。ワタクシ自慢じゃあないが学生時代、学校にいる時間よりもゲーセンにいたり、家に引き篭ってテレビゲームしたりしている時間の方が遥かに長かったんだよーん。ゲーム歴は三十数年。まだファ○コンはおろかゲーム○オッチすら出ていなかった、ス○ースイン○ーダー時代からのベテランゲーマーであるワタクシの実力をお見せしてあげるよん。ワタクシはきみたちが生きて来た時間の倍以上はゲームに親しんでいるんだぞ! 今までに発売されたコンシューマーゲームも数え切れないほどありとあらゆるジャンルを遊んできたんだぞ! そんなワタクシに勝てるなんて、まさか本気で思ってないよねーん?」

船曳先生はどうでもいい自慢話を長々と続ける。

「まあ見てなってフナッビー。ワタシも音ゲーには自信あるからさ」

「ふふーん。ではお手並み拝見しようではないかあ。ハッハッハ」

 希佳と船曳先生はじっと睨み合う。二人の間には、目には見えない火花がバチバチ激しく飛び交っていた。ちなみに船曳先生の方が背は低かった。

「フナッビーからお先にどうぞ」

「とっても親切だなあ仙頭さんは。だが、そんなことしてくれたってワタクシは本気でやるからねん」

船曳先生は百円硬貨を二枚、財布から取り出しコイン投入口に入れた。そして難易度は『むずかしい』を選択。選んだ曲は、今流行のアニソンだった。 

「ほいさっ、ほいさっ」

 開始直後から船曳先生は、必死にバチで太鼓をドンドコ連打する。


「どうだ! ハァ、ハァ、ハァ……」

 曲が流れ終わったあと、船曳先生は全身汗びっしょりとなっていた。

彼の叩き出した点数は、1061700点。

「ワッ、ワタクシの、自己ベスト更新しちゃったよ。フ○ーザ初期状態戦闘力の倍以上だな。ちょっと大人げなかったかなあ」

 息を切らしながらやや前屈みの姿勢で画面を見つめ、くくくっと微笑む。

「次はワタシね。公平な勝負するから、同じ曲同じ難易度にしてあげる」

「ふふふ、ワタクシの偉大な記録、ぬっけるっかなん?」

「そりゃやってみないと分からないよ」

 希佳もバチを両手に持った。数秒後、画面上に流れてきた音符に合わせて太鼓を叩き始める。

「んぬ!? なっ、なかなか上手いではないかあ、仙頭さん。だが、その程度でこのワタクシに勝てるなんて思うなよん。経験の差ってのが違うんだよーん」

 船曳先生は目をパチリと見開いたあと、再び余裕の表情で嘲笑う。


それから約二分後のこと、

「やったぁ! ワタシの勝ちぃーっ!」

 希佳はガッツポーズをして快哉を叫んだ。画面には1082300という数字がピカピカ光り輝いていたのだ。

「希佳ちゃん、すごーい。自称ベテランゲーマーの船曳先生をボロ負けにさせてしまうなんて」 

「きかちゃんおめでとう!」

「希佳さん、さすがです」

 希佳の後ろ側に立って応援していた三人は、パチパチ大きく拍手した。他の生徒達も希佳にたくさん拍手を送った。

「まっ、負けただと!? この、ワタクシが――」

 船曳先生は口をあんぐり開けた。

「どうよ、フナッビー」

 希佳は彼に向かってパチッとウィンクした。

「もっ、もう一度だけでいいから勝負してくれないかなーん? いっ、今のはね、ワタクシの仙頭さんに対する優しさが無意識の内に心の中に芽生えて不覚にも手加減してしまっただけなんだよん」

 船曳先生は焦りの表情を見せながら、やや早口調で希佳に頼み込んでみる。

「えーっ、ワタシたち、早く部屋戻って就寝準備せんといかんのに」

 希佳はにっこり微笑みながらやんわり断った。

「なっ、何だよもう! 勝ち逃げは卑怯だぞ。いいもん! ママに言いつけてやるもんねっ! ぬおおおおおおおっ!」

 すると船曳先生は突然両手をド○えもんの手のような形にして、筐体をバンバンバンバン激しく叩き始めた。その音が周囲にも響き渡る。

「あのう、船曳様。機械が故障致しますので、おやめ下さいませーっ」

 案の定、すぐに従業員さんがすっ飛んで来た。

「だってだってだってーっ。というかこれさあ、始めっから一部の機能がぶっ壊れてたんじゃないのかい? 従業員くん。どう考えても不自然なんだよ。このワタクシが初代プ○ステよりも年下の女子中学生ごときに負けたんだから」

 船曳先生はいろいろケチつけて、尚も筐体をバシバシ叩き続ける。

「申し訳ございません」

 従業員さんはぺこりと頭を下げた。

「船曳先生、そういうのはワ○ワ○パニックで発散した方がいいですよ」

「フナッビー、小学生みたい」

 真優子と希佳はにこにこ微笑む。

船曳先生のとった異様な行動を目にした生徒達の中にはくすくす笑う子、どん引きした子、「船曳先生、かっわいいーっ」「ゲームに負けた時のうちの弟そっくり」などと叫びながらカメラ付き携帯電話に収める子……いろいろであった。

 先生方は彼がこんな幼いわがままっ子のような態度も取ることをよく知っているようで、微笑ましく眺めていた。

(こんな情けない姿見せちゃったら、母さんに送り迎えしてもらってることバレてもなんてことないんじゃないの?)

 と、小夏は思った。

「皆さん、そろそろ酒田先生が出てくる頃よ」

 持丸先生はマイクを使って生徒達に呼びかける。彼女は風呂場を監視し、酒田先生が湯船から上がって脱衣所に出てきたことを確認したのだ。

 緑達四人、そしてその他の生徒達も急いでお部屋へと戻っていった。


「あら、船曳先生。どうなさったのですか?」

 風呂から上がった酒田先生は心配そうに、筐体にひれ伏せる船曳先生に話しかけた。

「うるせえアホの酒田、ほっといてくれよんっ!」

 船曳先生はこう叫んで、酒田先生の手をパシッと振り払う。

「――っ!」

 その瞬間、酒田先生の表情は豹変した。

 

      ○


「あたし、寝相悪いからお布団にするよ」

「わたし、ベッド」

「ワタシもベッドの方がいいな」

「私もです」

 部屋に戻った二組六班の四人は、どこで寝るかを話し合う。

「ベッド二つしかないから誰か一人、こなつちゃんのお隣になるね」

「じゃんけんで決める?」

「じゃんけんって、ありきたり過ぎるよね。トランプで決めようよ」

 希佳の提案に、緑はこう切り返す。

 小夏以外の三人で、ババ抜きをすることになった。

 緑は家から持ってきていたトランプをシャッフルし、裏向けにして小夏と希佳に配っていく。

 配られたカードのうち、同じ数字のカードを捨てる。

「なんかあたし、危険人物扱いされてるみたいなんだけど……」

 小夏はムスッとしながら三人の様子を眺めていた。

「わたし、今の所一番枚数少ないよ」

 真優子と希佳の手持ち枚数を見て、緑はにっこり微笑んだ。緑は配るさい、自分有利になるように意図的にジョーカーを外し、同じ数字の札が多くなるようにしていたのだ。他の三人は緑の不審な動きに当然のように気付いていた。

 こうしてゲームが開始する。


      □


「良かった♪」

 二番目に、手持ちの札が無くなった真優子は嬉しそうににっこり微笑む。

「えーっ、なんでぇーっ?」

 結局、最後までジョーカーを持っていたのは緑であった。

「緑ちゃん、真優子ちゃんが持ってたババ、引いたでしょ。表情に出て、ものすごく分かりやすかったよ」

「グリーンさん、持ち方ももう少し工夫した方がいいよ」

 小夏と希佳はくすくす笑う。

「あーん、納得いかなあい。もう一回だけやろうぉ」

 緑は駄々をこねた。

「それじゃ、やりましょう」

「ワタシももう一回やりたいからね」

 真優子と希佳は快く了解した。

「そんなことすると、緑ちゃん勝つまで絶対やめないから。さあ、緑ちゃん。あたしといっしょにおねんねしましょうね」

 小夏はニカッと微笑みかけ、緑の肩をガシっとつかんだ。

「やめてこなつちゃん、ねえ、きかちゃん、お願い。きかちゃん体大きいし、強そうだし。こなつちゃんのお隣で寝てあげて」

「私も、希佳さんが小夏さんのお隣で寝るのが最適解だと思います」

 緑と真優子は希佳の目を見つめながらお願いする。

「しょうがない。ワタシが布団で寝るよ」

 希佳は多少嫌な気持ちがありながらも引き受けた。

「希佳ちゃん優しいな。今夜はよろしくね♪ あたし、いいもの持ってきたんだ。じゃじゃん!」

 小夏はそう言って、カバンの中からラノベ数冊と携帯用ゲーム機を取り出した。

「ちょっと、こなつちゃん。正直に出さなかったの? 酒田先生に見つかったらやばいよ」

 緑は焦り顔。

「大丈夫、大丈夫。小説については禁止って言ってなかったでしょ」

「確かにそうだけど」

「酒田先生から言わせれば、ラノベもマンガと同等なんじゃないかしら」

 真優子は推測した。

「ワタシなんか、マンガを持って来てるよ。原作はラノベだけど」

 希佳はカバンから取り出し、三人に堂々と見せ付けた。

「見つかってもわたしは知らないよ。特に酒田先生に」

「小夏さん、希佳さん。連帯責任で私と緑さんまで叱られちゃうから。もし読むんならお布団に潜ってこっそりやってね」

 緑と真優子は困り顔で注意した。

「そう簡単には見つからないって」

「絶対気をつけるから」

 小夏と希佳は聞く耳持たず、堂々と読み耽る。

 そんな時、

「こらぁーっ、おまえら静かにせんかいっ!」

 部屋の外から酒田先生の甲高い怒声が聞こえて来た。

 二組六班の四人も途端に静かになる。

「なんで化粧品なんか持って来とるねんっ! おまえらには早過ぎやっ! 没収する!」

その十数秒後に、生徒達のすすり泣く声も聞こえてくる。修学旅行夜の定番といえよう。

「いつもの酒田先生に戻ったね」

「ほんと、ほんと。怖いよう」

 小夏と緑はコソコソしゃべりあう。

「きっとフナッビーが気に障るようなこと言ったんだとワタシは思う」

 希佳の推測は、ずばり的中していた。

「失礼する」

酒田先生は当然のように、二組六班のお部屋にも入って来た。ジャージ姿で、手には竹刀を持っていた。

四人は部屋中央付近に正座姿勢で寄り添う。

「この班は真面目な子揃いやね。このあとも騒がないように。あっ、ところで花見、携帯ゲーム機は持って来てないやろな? もし見つけたらおまえら全員連帯責任で廊下に正座や。只管打座の心構えで」 

「持って来てるわけないですよ。なんであたしばかり疑うんですか?」

 小夏は迷惑顔で抗議する。

「去年の野外活動の時に没収されたってもっちゃんから聞いてな。布団の中とかに隠してないやろな?」

 酒田先生はニカッと微笑む。

「ない、ない。断じてありません」

 小夏は手をブンブン振りかざし、真剣な表情で主張した。

「ほんまかいな。花見、只管打坐は誰が唱えた教義か分かるか?」

「法……いや道元さんです。曹洞宗の」

 酒田先生からの突然の質問に、小夏は五秒ほど考えてから答えた。

「正解や。ちゃんと覚えとるな、今後も忘れんように。それじゃおまえら、就寝時刻にはきちんと寝るように」

 酒田先生はこう忠告して、お部屋から出て行った。

「セッ、セーフ。あぶな、あぶなっ」

 小夏は酒田先生の推測通り、布団の中に隠していた。酒田先生の足音に耳をそばだて、遠くへ行ったことを確認すると再びゲーム機を手にする。

「皆さーん」

 その直後に、またもいきなり扉がガシャリと開かれ、先生の誰かが入って来た。

「うひゃあっ!」

 小夏はびくーっと反応し、大慌てでゲーム機を布団の中に隠す。

「どうしたのかなぁ? 花見さん」

 その先生はにこーっと微笑みかけてきた。

「なっ、なあんだ。持丸先生か」

正体が分かり、小夏はホッと胸をなでおろす。持丸先生はピンク地に紫色の朝顔文様のついた浴衣姿だった。

「モッチーは怒っても全然怖くないね。それっ!」

「きゃっ!」

 希佳はにやりと微笑んで、持丸先生の着ていた浴衣の裾をめくり上げた。持丸先生は思わず悲鳴を漏らす。

「あーっ、モッチー、浴衣なのにパンツ穿いたらあかんよ。ひょっとして今、アレ来てる時とか、こりゃ失礼」

 希佳はからかう。

「もう、仙頭さんったら」

 持丸先生は眉をぴくりと動かした。

「あいたっ」

 次の瞬間、希佳は頭を押さえ込む。わずかな隙に持丸先生は目にも留まらぬ速さで高等学校用の英語テキストを帯から取り出し、角っこを希佳の脳天に直撃させたのだ。

「持丸先生、希佳さんにご指導ありがとうございました。私、もう寝るから。今日はすごく疲れちゃった」

真優子はメガネを枕元に置き、先ほど希佳にゲームコーナーでとってもらった、あのアデリーペンギンのぬいぐるみをしっかり抱きしめて、お布団にもぐり込んだ。

「では皆さん。グッナーイ。明日の朝は早いので夜更かしはしないようにしましょうね」

 持丸先生は笑顔でそう言って、お部屋から出て行った。

「モッチーやるねえ。また叩かれたい」

 希佳は苦笑する。彼女の予想外の攻撃に恐れ入ったようだ。しかし嬉しさも半分あった。

それから一分と経たないうちに、真優子からすやすや寝息が聞こえて来た。

「まゆこちゃん、の○太くん並みの速さだね。寝顔とってもかわいい」

 緑はにっこり微笑む。

「……キス、したい」

 希佳は真優子の唇に自分の唇をぐぐっと近づけた。

「うわっ! ダッ、ダメよ希佳ちゃん、こんなせこいやり方でしちゃ」

 小夏は慌てて希佳の額を手で押して、さらにでこピンして阻止した。

「あいたーっ、すまんねコナツ」

 希佳は額を両手で押さえる。

「わたしももう寝るよ。こなつちゃんもきかちゃんも、体に毒だからあまり夜更かししちゃダメだよ」

 そう眠たそうに告げて、緑もお布団に包まった。

 二分ほどしてすやすや寝息が聞こえてくる。

「グリーンさんの寝顔も、かわいいね」

 希佳は緑の頬っぺたをツンツンつつき、にんまり微笑む。

「希佳ちゃん、キスなんかしたら、スリッパでバチーンよ」

 小夏はスリッパを両手に持ち、希佳の背後に立った。

「分かってるって」

 希佳は素直に従った。

この二人はそのあと、家から持ってきた携帯ゲーム機で遊んだり、マンガやラノベを読んだりして過ごしていた。

 午後十一時。

【皆さん、消灯時間です。明日の朝は早いので、夜更かししないようにしなさい】

 スピーカーから酒田先生による放送がかかる。

「酒田、まだ寝るわけないじゃん。夜はこれから始まるんよ」

希佳はそう呟いて、テレビの上に置かれてあった番組表を手に取った。小夏といっしょに眺める。

「長崎って深夜アニメ、全然やってないわね」

「残念。せめてBS、CSが映ってくれれば」

 記載されたテレビプログラムに、小夏と希佳は大声で嘆く。

「ねーえ、うるさいよう」

「起きてるんだったら、もう少し静かにしてね」

緑と真優子は目を覚ましてしまった。眠たそうな声で二人に注意する。

「はーぃ。ごめんね、緑ちゃん、真優子ちゃん」

「すまないね、起こしちゃって」

小夏と希佳は申し訳なさそうに謝る。

ほどなくして、お部屋の電気が自動的に消えた。

「なんだ、どっちにしてもテレビ見れないわけね」

「ワタシ、諦めが付いたよ」

この二人はそのあとは三〇分ほど携帯電話の灯りを照らし、先ほどと同じようにして過ごした。

「なんかもうやることないし、眠くなって来たし、いい加減寝よう」

 希佳がそう呟いた矢先、

「ちょっと希佳ちゃん、なんでそんなにあたしからお布団離してるの?」

 小夏はニカッと微笑んだ。

「だってコナツ、寝相悪いんでしょ」

 希佳はきっぱりと言い張った。彼女はお布団をそーっと引っ張り、一メートルほど離したのだ。

「大丈夫よ。気をつける!」

 小夏は自信満々に言い張る。

「いやあ、気をつけても無意識に動いちゃうと思うから……」

 希佳は嫌がる素振りを見せた。

「希佳ちゃん、あたしを信じて。トラストミー」

 小夏はうるうるした目で、希佳の目をじっと見つめる。

「わっ、分かったよ、コナツ」

 希佳はしぶしぶ引き受けた。

こうして希佳は再びお布団を引っ付けた。

希佳はお布団に潜り込むと、疲れていたためかほどなくしてすやすや眠りに付いた。

 小夏も同じく。


      ○


 真夜中、三時頃。

「いたっ!」

 希佳は目を覚まし、声を漏らす。小夏に背中を蹴られたのだ。

「……」

 小夏はぐっすり眠っていた。

「もう、コナツったら」

 希佳はお布団を数十センチ引っ張って、再びお布団に潜り込んだ。


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