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第一話 班決め

「こなつちゃん、修学旅行いっしょの班になろうね」

「もっちろん。あと誰誘う? 四人か五人で一班って書いてたね」

「うーん、今のクラス、こなつちゃん以外あまり話したことない子ばかりなんだよね」

「あたしも緑ちゃん以外とあんまり話してないな。けど感じ悪そうな子もいないようだし、適当に声かけてみよっか?」

「そうだね」

緑と小夏は楽しそうに会話を弾ませながら、学校からの帰り道を歩き進む。

「……うわっ、また現れたわね、モンスター」

 曲がり角に差し掛かった途端、小夏は前方を凝視する。二人がいる数メートル先を、とある野生動物がトコトコ歩いていた。

「あっ、本当だーっ。こんにちはーっ」

 緑はその野生動物を中腰姿勢でじっと観察する。

 茶色い毛並みに四本足、扁平なお鼻。

 その正体は、イノシシだった。二人が通う学校周辺では頻繁に出没するのだ。イノシシ注意の看板も随所に立てられてある。

「危ないから近寄っちゃダメよ、緑ちゃん。襲われて怪我でもしたら修学旅行行けなくなっちゃう」

 小夏は注意を促す。体長は五〇センチほどとイノシシにしては小柄だった。まだ成長途中と思われる。

「確かに危険だよね」

 緑は数歩あとずさった。

「退治しなきゃ」

 小夏はそう言い、側に落ちてあった小石を拾い上げた。

「そりゃーっ」

そしてすぐさまそのイノシシに狙いを定め、放物線を描くように投げつける。

 コツンッ。

 鼻の辺りに見事命中した。

「やった!」

 小夏は小さくガッツポーズをとる。

 それとほぼ同時に、イノシシはフーフー鼻息を荒げながら二人の方を向いた。

 案の定、追いかけて来た。

「こなつちゃんのバカーッ、イノちゃんますます怒ちゃったじゃない」

「いやあ、逃げていくと思ったんだけどね」

 緑と小夏はイノシシがいた場所と反対方向へ走る。今にも泣き出しそうな表情の緑をよそに、小夏はこの状況を楽しんでいるようだった。

「こなつちゃん、あそこの歩道橋に上がろう。あそこまではきっと追ってこないよ」

「そうね」

 二人は息を切らしながら、急いで階段を駆け上がった。

 上まで辿り着くと、そーっと歩道を見下ろす。

 イノシシは標的(緑と小夏)を見失ったようで、どこかへと走り去っていった。

「ああ怖かった。もう、こなつちゃんったら。大人のイノちゃんだったら絶対追いつかれて突進されてたよ」

 緑はホッと一息ついてから、小夏をむすぅっとした表情で睨みつける。

「ごめん、ごめん」

 小夏はてへりと笑った。

「イノちゃんを見かけたら、手を出さずそっと見守ってあげましょうって校内通信にも書いてあったでしょ」

「もう二度とやらないって」

 二人は歩道橋から下り、いつもの通学路へと戻る。

「緑ちゃん、テスト最終日も昼までなのはいいよね」

「うん。帰ってからいっぱい遊べるもん。あっ……そういや今日、お母さん夕方までいないんだった。お昼はコンビニでお弁当買って食べてねって」

「じゃ、緑ちゃん。あたしんち寄って来なよ。お昼ご馳走するよ。昨日のカレーいっぱい余ってるんだ。そのあとテレビゲームして遊ぼう」

「それじゃ、そうさせてもらうよ。お母さんにメールしとこ」

 小夏からのお誘いに、緑は快く乗った。

学校から小夏のおウチまでの所要時間は徒歩で約二〇分。私学に通っている子としてはわりと近い方だ。


「ただいまーっ」

「おじゃましまーす。おばちゃん」

「おかえり小夏。あらいらっしゃい、みどりちゃん」

花見宅の玄関に入ると、小夏のお母さんがキッチンから廊下に出てきて、爽やかな笑顔で出迎えてくれた。

緑と小夏は靴をきちんと揃えて廊下に上がり、キッチンと隣り合わせになっているリビングへ。二人はそこに敷かれてあるグレイ地のカーペットに座り込んだ。

「あっ、こなつちゃん、あぐらかいちゃダメだよ。お行儀悪いよ」

 緑はこう注意し、小夏の両膝をパチッ、パチッと叩いた。

「だってさ、この方がくつろげるんだもん」

 小夏は制服スカートの下に穿いてある、水玉模様のショーツが丸見えなっていた。

「もっと女の子らしくしなきゃ。ここも少しずつ膨らんできてるんだし」

 緑はにこっと笑い、小夏の右胸を指でぴっと押してみた。

「もう、緑ちゃんったら」

小夏はちょっぴり頬を赤らめた。

「小夏、みどりちゃんのこと少しは見習った方がいいわよ。はーいどうぞ」

 小夏のお母さんがカレーライスを二皿、リビングにある小さめのテーブルへ運んでくる。

「ありがとう、おばちゃん」

 緑はスプーンでルーとご飯をいっしょに掬い取り、お口に運んだ。

「うひーっ、かあい」

 その瞬間、両目を×にして舌をぺろりと出した。

「ごめんね、みどりちゃん。辛かった?」

 小夏のお母さんは申し訳なさそうに尋ねる。

「いえ、平気です」

 緑はそう言ってもう一口。

「かっ、かあい」

 再び両目を×にする。

「緑ちゃん、無理しなくてもいいのよ。舌はお子様なんだから」

 小夏は爽やかな表情で、平然とスプーンを進めていた。

「なんか悔しい」

 緑は不満を呟く。

「みどりちゃん、これをかけると甘くなるわよ」

 小夏のお母さんは、瓶に入れられたココナッツミルクを運んで来た。

「お借りしまーす」

 緑はそれをルーに垂らして、再びお口へ。

「あっ、あまーい♪」

 噛み締めた瞬間、緑の顔は綻ぶ。

「ココナッツミルクは、辛口カレーを甘くする魔法のアイテムよ」

「へぇ。主婦の裏技だね。わたし、これなら全部食べられるよ」

 言った通り、緑は全て平らげたのだった。


「緑ちゃん、テレビゲームして遊ぼう」

「うん」

 食後、小夏は二階にある自分のお部屋へ緑を案内する。

 六畳ほどの広さで、フローリングに花柄のカーペットが敷かれてあった。

学習机の上には教科書やプリント類、携帯型ゲーム機やそれ対応のソフトなどが無造作に置かれていて、勉強する環境とは思えない。

転落防止柵の付いたベッドと、十四インチの小型テレビを挟むように折りたたみ式の小さなテーブルが置かれてある。

本棚には漫画とアニメ雑誌、ラノベが合わせて百冊近く並べられていて、壁にアニメのポスターが何枚か貼られていた。

普通の女子中学生が好みそうな、ティーン向けファッション誌は一冊も持っていないようである。

「久々のゲームだーっ。テスト期間中は封印してたからね」

「本当に封印してたの?」

 ハイテンションな小夏に、緑はにやけ顔で問い詰める。

「してたよ、もちろん」

「本当かな?」

 しれっと答える小夏を、緑は疑っていた。

ゲーム機本体が折りたたみ式テーブルの上に置かれていて、ケーブルが本体とテレビとに接続されており、すぐにでもテレビゲームを始められる状態になっていたのだ。

「どれで遊ぶ?」

小夏はテレビ下にある収納ケースを引き出す。中にはゲームソフトが五十本くらい詰められていた。テレビゲーム機用と携帯型ゲーム機用両方あり、RPG、アクション、スポーツ、レース、音ゲー、学習用、恋愛シミュレーション、格ゲーなどなど様々なジャンルが揃えられている。

「迷うなぁ。それにしてもこなつちゃん、女の子向けのゲームも増えたよね。少し前までは男の子が好きそうな格闘ゲームばかりだったのに。あっ、このパッケージかわいい」

 緑は塊の中から一つのゲームソフトを手に取った。

「あっ、緑ちゃん、ダメ。これは、絵はかわいいけど中身はホラーゲームなの」

 小夏はすぐに奪い返し、ケースの中に戻す。

「なあんだ、ホラーか。じゃあいいや」

 緑は途端に興味を失った。

(これはね、元々は18禁のパソゲーだったのよ。緑ちゃんにはまだ早いよ)

 そのゲームはCEROがCランク(十五歳以上対象)となっていた。小夏もまだ十四歳。プレイするにはふさわしくないのだが、小夏はこのランクのゲームを中学に入った頃からプレイしていたようである。

 結局、CEROがAランク(全年齢対象)のテニスゲームで遊ぶことにした。

 小夏はゲーム機にこのソフトをセットして、起動させる。メニュー画面が表示されるとプレイヤーを選択し、対戦開始。


「あーん、こなつちゃん強ーい。わたし、普段テレビゲームやってないんだから手加減してよ」

「ごめんね、緑ちゃん。つい本気出しちゃって」

 一試合終えて、小夏は得意げにてへっと笑う。

「このゲームはもういい! 他のにしよう」

 緑はぷくぅっと膨れてコントローラを床に投げつけるように置いた。拗ねてしまったようだ。

「じゃ、これ交替で遊ぼう。緑ちゃんから先にやっていいよ」

 小夏はアクションゲームと取り替えた。


「けっこう難しいけど、これは面白いね」

 プレイしていくうちに、緑の機嫌は直っていく。

 緑が一面をクリアすると、次の面を小夏がプレイする。

 こうしているうちに、二時間あまりが経った頃、

「緑ちゃん、おやつよ」

 小夏のお母さんがアップルパイと、飲み物にカルピスジュースを運んで来た。折り畳み式テーブルに置く。

「ありがとう、おばちゃん」

 緑は左手でアップルパイをつかみ、お口に運んだ。

「シナモンが効いてとっても美味しいです」

 瞬く間に満面の笑みを浮かべる。

「ありがとう」

 小夏のお母さんは嬉しそうに微笑み、一階へと降りていった。

緑と小夏はそれから引き続きテレビゲームをしつつ、マンガも読んだりして二時間あまりを過ごした。

「もう夕方だ、そろそろお母さん帰ってると思う」

 緑はお部屋にある目覚まし時計をちらりと眺めると、すぐに帰り支度をした。そして玄関へ。

「それでは今日はこれでお暇します。ばいばい、こなつちゃん、おばちゃん」

「ばいばい緑ちゃん、また明日ねーっ」

「みどりちゃん、また遊びに来てね」

 二人に見送られ、緑は嬉しそうに自分のおウチへ帰っていった。


緑のおウチは、小夏のおウチの三軒隣。歩いて一分もかからない。

「お母さんただいまーっ」

「おかえり、緑。小夏さんちへ寄ってたのね。お夕飯出来てるわよ。今夜は緑の大好物、ハンバーグにしたの」

玄関を入ると、緑のお母さんがお出迎えしてくれた。

「わーい!」

 緑はお母さんから夕飯のメニューを聞かされると、急ぎ足でキッチンへ向かい、テーブルの上に目を向ける。

「すごく美味しそう。ありがとうお母さん」

 洗面所で手洗いうがいを済ませてきて、イスに座った。

「いただきまーっす」

 そしてデミグラスソースのたっぷりかかったハンバーグをナイフで小さく切り、フォークを使ってお口に運ぶ。

「緑、美味しい?」

「うん。また腕を上げたね。お母さんのお料理は世界一だよ」

「まあ、緑ったら、照れるわ。こうすればピーマンも食べてくれるもんね」

「えっ!? 入ってたの? 全然気づかなかったよ」

 中学三年生になった今でも苦い野菜が大嫌いな緑へ、お母さんからの優しい気遣いだ。

緑は夕食を済ませたあと、九時頃までテレビ番組を見て、それからお風呂に入るのが中学時代からのいつもの日課。

シャンプー、洗面器、バスタオル、セッケンに加えて“シャンプーハット”も緑のお風呂セットの一つだ。

「ああ、今日もすごく楽しい一日だったなあ」

少しぬるめの湯船につかり、ゆったりくつろぐ。お風呂から上がってパジャマに着替えたら、次は歯磨きタイム。歯磨き粉は、ストロベリー味が彼女一番のお気に入り。

「お母さん、おやすみなさーい」

「おやすみ、お寝坊しないようにね」

「はーい」

 緑はドライヤーで髪の毛を乾かしたあと、お母さんに就寝前の挨拶をして、二階にある自分のお部屋へ。

学習机の上はきれいに片付けられていて、小夏とは対照的。

本棚には幼稚園児から小学生向けの少女漫画誌や少女コミック、児童図書、絵本が合わせて百数十冊並べられてある。中学三年生になった今でもこういった本が大好きで、買い集めているのだ。

午後十時。緑は、いつもこの時間には床につく。彼女のお部屋には、女の子らしくかわいいぬいぐるみも部屋一面にいっぱい飾られている。その中でも特にお気に入りの、お母さんに海遊館で買ってもらったジンベイザメのジャンボぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、ベッドにゴロンと寝転がりお布団に潜り込んだ。


      ○


 同時刻、花見宅。

 洗面所兼脱衣所。

「今どれくらいあるかな?」

 小夏は服を脱いだあと、体重計に飛び乗る。数値はデジタルで表示された。

(……増えてるう。修学旅行、お風呂入る時、素っ裸みんなに見られるのよね。お腹ぷにょぷにょ。水泳ももうすぐ始まるし、ダイエットしなきゃ)

 小夏は浴室に入るとバスタブの縁を両手でつかみ、腕立て伏せを始めた。

 続けて屈伸。汗だくになるまで続ける。

「ああ、気持ちいい」

 そのあとシャワーで髪の毛と体を洗い流して湯船にザブンッと浸かり、一息つく。

「小夏、そろそろ上がりなさい」

 計三〇分以上も入っていたため、お母さんから注意されてしまった。

「分かった、分かった」

 小夏は速やかに風呂から上がり、就寝準備を整えたのであった。


         ※※※


翌朝、八時頃。花見宅。

「小夏、早く起きなさーい」

 お母さんは大声で叫びながら、小夏のお部屋へ足を踏み入れた。

 七時五〇分にセットされていた目覚まし時計のアラームも、まだうるさく鳴り響いていた。

 お母さんはアラームを止め、小夏の頬を軽くペチペチ叩く。気持ちよさそうにすやすや眠っていた彼女を起こすためだ。 

「んうんーっ」

 小夏は布団の中から手をにゅっと出し、お母さんの手をパシッと払いのけた。

「もう! おまえは須磨水族館のアカウミガメか」

手を引っ込めて、頭まですっぽり掛け布団に包まる。153センチの小柄な体は完全に隠れた。

「うるさいなあ。あと一分だけ寝かせてーよ」

 さらにぐずる。

「小夏、いい加減にしなさいね!」

 お母さんは眉をへの字にクイッと曲げ、小夏の頬っぺたをぎゅーっとつねった。

「いったたた……起きる、起きるから」

 これには小夏も観念したようだ。

「小夏、早く支度しないと遅刻するわよ」

 お母さんはため息混じりにそう告げて、疲れた様子で一階へと下りていく。寝起きの悪い小夏を起こすのに、毎朝けっこう体力を使ってしまうのだ。

「あー、ねむぅーぃ」

 小夏は寝惚けまなこをこすりながらゆっくりと立ち上がり、学習机の上に置かれてある目覚まし時計を眺めた。

「八時……四分……えっ、もうこんな時間なの!? 大変だーっ」

 予想外の時刻に驚く。けれどもこれで、すっきり目が覚めた。慌てて鏡の前に座り、寝癖の付いた髪の毛を櫛でとく。今日は白色のヘアゴムで髪の毛を束ねて、彼女お気に入りのヘアスタイルに。

時計の針は刻々と進む。

ベッド下にある収納ケースから白色の靴下を取り出して穿き、パジャマを脱いで急いで制服に着替え始める。小夏達が通う学校では今月末日まで移行期間だ。

小夏は冬服である濃紺色ブレザーとオレンジ色チェック柄スカートの組み合わせではなく、夏服である半袖セーラー服と水色チェック柄スカートの方を選んだ。中学部三年生の学年色であるイエローのネクタイを留めて、お着替え完了。

階段を勢いよく駆け下り通学カバンを玄関先に置いて、おトイレを済ませて洗面所へと走る。

それからほどなくして、ピンポーン♪ とチャイム音が鳴った。

「はーい」

 お母さんが玄関先へ向かい、扉を開ける。

「おはようございます、おばちゃん。あの、こなつちゃんはやっぱり……」

「そうなのよ。テスト終わったらまた元に戻っちゃって」

「気持ちはよく分かります。わたしも朝は苦手ですから」

やって来たのは、緑であった。小夏とは幼稚園の頃からずっといっしょに登園登校している大の仲良しだ。

緑はまだ、冬服のままだった。

「小夏、みどりちゃん来たわよーっ」

 お母さんは、お顔を洗っている小夏に伝える。

「分かってる。緑ちゃーん、もう少しだけ待っててね」

「分かった。なるべく急いでね」

 小夏が大声で叫ぶと、緑はすぐに了解の返事をした。

時刻はすでに、八時十分をまわっていた。

「やっばーい。遅刻、遅刻」

タオルで顔を拭き取ると、小夏は緑が待つ玄関先へ。

朝食には、キウイジャムのたっぷり塗られた六枚切りトースト一枚、ほんのり塩辛いベーコンエッグ、そしてマヨネーズで味付けされたポテトサラダが用意されていた。けれども小夏は何も口にしなかった。

「それじゃ、いってきまーっす」

小夏はこう言って、真っ白な運動靴を履いた。

「小夏、いつも言ってるけど夜更かしはほどほどにね。二人とも行ってらっしゃい」

お母さんはリビングで、朝の連続テレビ小説を見ながら叫ぶ。

「行ってきまーす、おばちゃん。こなつちゃん、もう八時十一分になってるよ。急がないと遅れるよ」

 緑は携帯電話の時計を見ながらせかした。

「信号に引っかかったら百パーアウトね。ダッシュで行こう」

 二人は玄関を抜けて外へ出る。

まだ開花していないアジサイを横目に見ながら門を抜け、学校へと急ぐ。


「いい加減、スクールバス通して欲しいよ」

「疲れたーっ」

小夏と緑は息を切らしながら急な坂道を早足で上っていく。

自転車通学をしている子の姿も多く見られ、かなりしんどそうにペダルをこいでいた。

二人は八時二十五分の予鈴チャイムが鳴るのとほぼ同時に正門へ飛び込んだ。鳴り終わるまでは約二十秒。それ以降の登校は遅刻扱いとされてしまう。

毎朝正門前に立つ、生徒指導部の先生方が厳しくチェックしているのだ。

「なんとか間に合った。ぎりぎりセーフ。ほんと、危なかったよ」

 小夏は背中を少し丸め、ホッと一息ついた。

「誰のせいかなあ?」

 緑はニカーッと笑い、小夏の頬っぺたを片方の手でぎゅーっとつねった。

「いたたた、ごめんねー、緑ちゃん」

二人は中学部校舎へ入り上履きに履き替え、四階にある三年二組の教室へ。二人が入った時には、すでにクラス担任の持丸先生が教卓の前に立っていた。

二人が席に着いて十数秒後に、八時半のチャイムが鳴った。朝のホームルームが始まる。

「皆さん、おはようございます。今日も頑張っていきましょう」

持丸先生は出欠を取り連絡事項を伝えたあと、速やかに美術室へ移動するよう指示した。

このクラスの本日一時限目は、美術だからだ。

緑と小夏は並んで廊下を歩き進む。

「あたし、今日はなんか調子悪い。さっき立った時くらっと来たし」

 小夏は眉間にしわを寄せ、おでこを手で押さえた。

「こなつちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ」

 緑は下から覗き込む。

「平気、平気。きっと寝不足が原因よ。あたし昨日、というか時刻的に今日だけど四時頃までアニメ見つつゲームしてて、ほとんど寝てないんだ」

 小夏は笑顔で答えた。

「こなつちゃんらしいね」

 緑はくすっと微笑んだ。


 美術室では座席は自由。仲の良い緑と小夏は窓際の席に前後隣り合うようにして座った。

教科担任は出張のため、今日は自習となっていた。

広々とした教卓の上には数千枚の、様々な色の折り紙用紙が置かれている。次の授業時までに千羽鶴を作っておくようにと、黒板に書かれてあった。

千羽鶴は、修学旅行先で使われることになっているのだ。

「一人三十羽くらいずつ折って下さい」

 クラス委員長からの指示が入る。

「緑ちゃん、あたし鶴の折り方知らないから教えてね」

「うん! まかせて」

「ありがとう。折り紙、あたしが取りに行ってくるよ」

 そう言うと小夏はゆっくりと立ち上がる。そして教卓の方へ向かっていった。

 その数秒後。

 ガタンッ。

 何かが机にぶつかる音がした。

 小夏が倒れこんでしまったのだ。

「大変! 花見さんが倒れたよ」

「貧血のようね」

 小夏のすぐ近くにいたクラスメート達を中心にざわつく。

「こっ、こなつちゃん、大丈夫? 頭打ってない?」

 緑は慌てて駆け寄った。

「うん、平気、平気。ちょっとくらっと来ただけだから」

小夏は幸いすぐに意識を取り戻した。

「でも、保健室行った方がいいよ」

 緑は強く言う。

「保健委員の子、保健室へ……って、その子今日欠席だ」

 クラスメートの一人が叫んだ。

「わたしが連れて行くよ。こなつちゃん、一人で歩ける? おんぶしよっか?」

 緑は心配そうに小夏に話しかける。

「なんか悪いけど、その方が楽そうだし、そうさせてもらうよ」

 小夏は元気なさそうに言った。

「わたしにしっかり掴まってね」

緑は小夏の前側に回り、背を向ける。少しだけ前傾姿勢になった。

「すまんねえ、緑ちゃん」

小夏は申し訳なさそうに礼を言い、緑の両肩にしがみ付いた。

「うーっ、重たーい。上がらなーい。無理」

 緑は小夏を一瞬ふわっと浮かせたあと、すぐに下ろしてしまった。

「緑ちゃーん」

 小夏は眉をぴくりと動かし、緑の後頭部をポカンッと叩く。

「いたーい」

「ワタシに任せて」

 緑は、すぐ側の席に座っていた子から声をかけられた。

「あっ、ありがとう。えっと……誰だっけ? 確か美術部の……名前が思い浮かばない」

「ワタシ、仙頭希佳よ」

その希佳という子は、茶色みがかった髪の毛を肩にかかるくらいまでのセミロングウェーブにしていた。つぶらな瞳ですらりとした体つき、背も高めで一六〇センチ台後半はあるように見えた。

「きかちゃんって子か。重たいこなつちゃんをよろしくお願いします」

「重たいは余計」

「いたっ」

 小夏はもう一度、緑の後頭部をポカンッと叩く。

「仲良いね」

その様子を眺めて、希佳はくすっと笑った。

「希佳ちゃん、ごめんね、迷惑かけちゃって」

「いいのよ、気にしないで」

希佳はそう言うと、小夏をお姫様抱っこした。

「きゃっ!」

 小夏は思わず小声を漏らす。

「この方が楽でしょ?」

「うっ、うん。けど……恥ずかしい」

「今授業中だから誰にも見られないって」

 希佳は小夏に向かってパチリとウィンクした。

「きかちゃん、わたしもついて行くよ」

 緑は、小夏を抱いた希佳のすぐ後ろを歩く。

こうして三人で美術室から出ていく。そのさい、他のクラスメート達からなぜか拍手が送られた。

 保健室は美術室とは違う校舎。距離にして百メートルくらい離れている。

 渡り廊下を通って、階段を駆け下りていった。


「失礼します。米原まいばら先生、美術の授業中にこなつちゃんが貧血で倒れました」

 手ぶらの緑が保健室の扉をそっと引いて小声で叫び、先に中へ入る。

 小夏を抱いた希佳も中に入れて、緑は扉を閉めた。

「いらっしゃい」

 養護教諭、米原先生は爽やか笑顔で迎えてくれた。ぱっちり瞳に卵顔。さらさらした黒髪は後ろでお団子のように束ねている、三〇歳くらいの女性だ。

 今保健室には、この四人以外には誰もいなかった。

「コナツ、下ろすね」

「ありがとう」

 希佳は小夏をソファの上にそっと下ろした。

「花見さん、お久しぶりね」

「米原先生、またお世話になりまーす」

 小夏はかすれた声で呟いた。

「花見さんが、女の子らしい理由で運ばれるなんて初めてね」

 米原先生は優しく微笑む。

「あたし、保健室にお世話になるの、健康診断以外ではこれで五度目かなあ?」

「それくらいになるかしらね。今までは彫刻刀で手を切ったとか、廊下走ってて転んだとか、イノシシをおちょくって突進されたとか、木から落ちたとか、男の子みたいな理由だったよね」

「やだなあ、米原先生」

小夏は手を振りかざしながら、照れ笑いする。

「米原先生、以前より若返ってますね」

 緑はにこにこ笑ながらお世辞を言う。

「ありがとう、いつも付き添いで来てくれる魚田さん。花見さん、これをどうぞ」

米原先生は、保健室内にある冷蔵庫から貧血に効くという栄養ドリンクを取り出し、小夏に差し出した。

「ありがとうございます」

 小夏は瓶の蓋を開け、ゴクゴク一気に飲み干していく。

「早退する?」

「いえ、少し休めばカムバックですよ。今日はテストも返って来るので」

 米原先生からの質問に、小夏は先ほどまでと打って変わってはきはきとした声で伝えた。栄養ドリンクが効いたようだ。

「わたしがこなつちゃんの答案、預かっといて家まで届けてあげるのに」

 緑はにっこり笑いながら言う。

「それは絶対嫌だなぁ」

 小夏は苦笑いだ。

「花見さん、貧血になったのは、今回が初めてかな?」

「はい。テスト期間中は睡眠時間削って勉強してて、昨日から今朝はほぼ徹夜でテレビゲームして、寝坊したから朝食も抜いて。そしたらなんか頭がぼーっとしてて。それと、あたし今ちょうどアレ来てる時だからかな? 修学旅行と被らなくてよかったよ」

 小夏は照れ気味に打ち明けた。

「原因は非常に良く分かりました。皆さんも、朝食を抜くのはダメよ。保健や家庭科の授業でも言われてるでしょ。毎日のように貧血で運ばれてくる子がいるのよ」

 米原先生は困惑顔で忠告する。

「あたし、最近太ってきたような気がする」

 小夏はぽつりと呟く。

「花見さん、身体測定のデータ見ると標準体重より少ないのよ。だからダイエットはする必要ないの。敏感になりすぎて太ってないのにダイエットしようとする子が本当に多くて……」

 米原先生はパソコン画面を見つめながら、ため息交じりに助言した。この学校の生徒達全員の身体測定データが、専用ソフトに記録されてある。

「標準体重ってのが、多過ぎるような」

 小夏は腑に落ちなかったらしい。

「きかちゃんは167.9センチか。やっぱ大きいね。わたしより10センチくらい高い。体重は……」

 緑はパソコン画面に顔を近づけた。

「あんっ、見ちゃダメ!」

 希佳は咄嗟に緑の目を覆う。

「ごめんなさーい」

 緑が謝罪すると、希佳はすぐに手を放した。

 米原先生は緑が目を覆われている間に、画面右上にある×印でお馴染みの終了ボタンをクリックしていた。

「あのう、あなたは魚田緑さんって子だよね?」

 希佳は緑のお顔を眺めながら尋ねた。

「うん、そうだよ。わたしの名前、覚えてくれててありがとう」

 緑は嬉しそうに答えた。

「あの故事成語思い浮かべるよ。木に縁りて魚を求む」

 希佳はくすくす笑いながら述べる。

「それ、国語の先生に言われたことあるよ。緑と縁は字が似てるし、魚っていう字もあるから」

「じゃ、ワタシ、これから魚田緑さんのことグリーンさんって呼ぼう」

「グリーンさんって、アメリカ人みたい。それでいいよ、わたし気に入った」

 緑はにっこり微笑む。

「あたしは緑ちゃんの方が呼びやすいから、そのままで変えないよ。希佳ちゃん、クラス同じになったのは初めてだし、今までほとんど話したこと無かったね」

「そうだね。これからは仲良くしよう」

 希佳は握手を求めた。

「うん!」

 小夏はすぐに応じる。

「グリーンさんも」

 希佳は続けて緑にも求めた。

「きかちゃんのお手手、すごく柔らかい。わたしの方こそよろしくね」

 緑も快く応じた。

「いいわね、青春」

 米原先生はその様子を微笑ましく眺めていた。

「米原先生、あたし、一時限目終わるまでちょっと休んでまーす」

「分かりました。花見さん、貧血対策には日頃から鉄分豊富な物食べた方がいいわよ。お寿司の出前を取ってあげるね」

「わーい、ありがとう米原先生。太っ腹!」

 小夏は笑みを浮かべ、バンザイする。

「やはりマグロね」

米原先生は机の中から、学校近くにある宅配寿司店『ウリ坊寿司』のチラシを取り出した。朝食を抜いてくる生徒達のために、しょっちゅう出前をとってあげている。他所の学校ではまずあり得ないサービスだ。

「あたし、大トロで」

 小夏はちょっぴりよだれを垂らした。

「これこれ」

 米原先生は小夏のおでこをペチンッと叩く。

「わたしは、卵とイクラと鯛と、デザートに抹茶プリンも」

「ワタシはホタテとウニがいいな」

 緑と希佳もチラシのメニュー一覧を眺める。

「これこれ、便乗しない」

 米原先生はにこっと微笑んだ。

「あたし、鰻重も食べたーい」

 小夏はさらに要望を出す。

「給食が入らなくなるでしょ」

 米原先生は呆れ顔で申した。

「そういやコナツ、今週給食当番だったでしょ。ワタシが代わってあげるよ」

「サンキュー」

 希佳の優しさに、小夏はとても嬉しがる。

「それじゃ、お電話するね」

米原先生は携帯電話を手に取る。鰻重以外の三人の欲しいメニュー全てを注文してあげた。

「じゃ、あたし、横になってます」

 小夏はそう言い、上履きを脱いでベッドへ上がった。

「わたしも保健室で自習します。折り紙も持ってきたの。こなつちゃんが元気になってくれるように願いもこめて」

 緑は真剣な眼差しで告げて、スカートポケットから折り紙を取り出した。

「あたしは入院患者じゃないし」

 小夏は苦笑いした。

「じゃ、ワタシもここにいよっと」

 希佳も都合良く、折り紙を持ってきていた。緑と同じくスカートポケットから取り出す。

「あたし寝るんだから、あまり騒がないでね」

 小夏は二人にこう告げて、ベッド横のカーテンをシャーッと閉めた。

 それから二分ほどすると、スースーと小夏の寝息が聞こえてくる。

「こなつちゃん、かわいいな」

「えくぼもあるね。触りたい」

 緑と希佳はそっとカーテンを開けて、小夏の寝顔を覗き込んだ。

「魚田さん、仙頭さん、花見さん起こしちゃうといけないから、自習課題に取り組みなさい」

 米原先生は囁くような声で優しく注意した。

「「はーい」」

二人は素直に従いカーテンを閉めてあげ、折鶴作りに取り掛かる。

「あれ? このあとどう折るんだっけ? かなり久々だから忘れちゃった」

 緑は三角形に二度折った所で、手が止まってしまった。

「袋になってる所をこうやって……」

 希佳は実践を交えて手順を丁寧に教えてあげた。

「あっ、出来た。ありがとう、きかちゃん。さすが美術部だね」

 緑は見事自分の力で完成させることが出来、とても喜ぶ。

「どういたしまして。鶴の折り方は、期末テストにも出るみたいよ」

「そうなの? 暗記しとかなきゃ」

「……折り紙、苦手。鶴なんてさっぱり」

 米原先生も挑戦してみたが、悪戦苦闘する。ぐしゃぐしゃになった折り紙が数枚、彼女の目の前に広がっていた。

三人で楽しそうに作業を進めていたその最中、

 ドスンッという鈍い音と共に、

「あぎゃああああああぁーっ!」

 という小夏の甲高い悲鳴が響き渡った。

「こなつちゃん、何があったの?」

 緑はびくっとした。

「いたたた……腰思いっきり打ちましたーっ」

 小夏はその辺りを手で押さえていた。説明するまでも無くベッドから転落したのだ。

「花見さん、大丈夫? 湿布貼ってあげるね」

米原先生は苦笑いする。

「はーい」

 小夏はベッドにうつぶせで寝転がった。制服の上着を少し上げて、背中を出す。

「コナツ、泣きっ面に蜂だね」

 希佳はくすっと微笑む。

「こなつちゃんはね、ものすごく寝相が悪いんだ。だからこなつちゃんちのベッドには転落防止柵付けてるの」

 緑は笑いながら教える。

「ここのも、付けておこうかしら」

 今回の事件を受け、米原先生は考えた。

「そうした方がいいですよ、あたしと同じようなタイプの子が被害に遭わないように。あたし、もう起きます」

 湿布を貼ってもらった小夏は米原先生にこう意見し、ソファにゆっくりと腰掛ける。小夏も折鶴作りに取り掛かった。

「うーん、どう折るんだっけ?」

 最初の段階から戸惑う。

「まず折り紙を三角形に折って……」

 またも希佳が実践を交えて丁寧に教えてあげた。

「よぉし、完成」

 小夏は自作した折鶴を手でつまみ、三人に見せる。

「こなつちゃん、下手だね」

 緑は出来前を見て、くすくす笑う。小夏も米原先生に負けず劣らずぐしゃぐしゃになっていたのだ。

「大切なのは思いが込められてるかどうかよ。希佳ちゃんは、さすが美術部ね」

 小夏は言い訳しつつ、希佳のことも褒めてあげた。

「いえいえ、それほどでも。ワタシ、絵を描く方が好きなんよ」

 希佳は照れ隠しするように頭を掻いた。

 そんな時、外からブロロロォォォとバイクの走行音が聞こえてくる。

出前が届いたのだ。

「お待たせしました。ウリ坊寿司です」

「いつもどうもーっ」

米原先生はグラウンド側の入口から受け取った。


「「「いただきまーす」」」

 届けられたお寿司を、三人はネタの部分を手につかみ、美味しそうに頬張る。

「他の子達にはナイショね」

 米原先生はしーっのポーズをとった。

「「「はーい!」」」

 三人は声を揃えて強く約束した。

 その直後、廊下側の入口扉がガラリと開かれる音が聞こえて来た。

「あの、失礼します」

 そして一人の女生徒が入ってくる。時刻は九時半にもうあと三分ほどでなるところ。ちょうど今、一時限目終了後の休み時間だ。

「やあ! マユコ」

 希佳は呼びかけた。

「希佳さん戻ってこないから、呼びに来たよ。なんかお寿司食べてるし」

 そのマユコという子は笑みを浮かべながら希佳の方へ歩み寄る。

「マユコもいる?」

 希佳はホタテ寿司をその子の口元へ近づけた。

「いや、いいよ。給食の時と放課後以外に飲み物以外を口にするのは校則違反だし」

 丁重に断る。

「えっと、確かあなたは面白い苗字の子、大学さんだっけ?」

 小夏は中トロ寿司を頬張りながら尋ねた。 

「はい。私、大学真優子っていいます」

 苗字が『大学』の真優子は一五〇センチにも満たないであろう小柄さ、ごく普通の形のまん丸なメガネをかけて、濡れ羽色の髪の毛を左右両サイド肩より少し下くらいまでの三つ編みにしていた。とても真面目そう、加えて大人しそうな感じの子だった。

「まゆこちゃんって、数学部に入ってるんだよね。見るからに頭良さそう」

 緑は卵寿司を齧りながら、興味深そうに真優子のお顔を眺めた。

「ありがとう」

 真優子はちょっぴり照れた。

「マユコは、ワタシの小学時代からのお友達なんよ」

 希佳はそう言って、真優子の肩をつかんだ。

「おウチもけっこう近いし、同じクラスになることがしょっちゅうあって、その時はいつも出席番号前後になるから」

 真優子は嬉しそうに話す。

「わたしとこなつちゃんも、とっても仲良いよ」

 緑は小夏の手を握り締める。

「照れるな、緑ちゃん。あの、希佳ちゃんに真優子ちゃん。もしよかったら修学旅行、あたし達と同じ班になってくれない?」

 小夏は唐突にお願いしてみた。

「もちろんオーケーよ。ワタシも今のクラスで特に仲良い子、マユコしかいなかったから困ってたんよ」

「こちらこそよろしくお願いします」

二人は即、快く了承してくれた。

「サンキューッ」

 小夏は大喜びした。

「どうもありがとう」

 緑も嬉しそうに礼を言う。

「さてと、もうすぐ休み時間終わるし、そろそろ教室に戻らなきゃ。次の数学は楽しみだーっ。あたし一番の得意科目だし。今回は出来なかったけど、たぶん80点はあると思う」

 小夏は嬉しそうに話す。

「わたしにとっては一番返って来て欲しくない教科だよ」

 緑は不安そうに呟いた。

四人は保健室を後にする。

「ところで希佳ちゃんと真優子ちゃんは、どの辺に住んでるの?」

小夏は尋ねてみた。

「西宮よ」

 希佳が答えた。

「ってことは電車通学なのね」

 小夏は反応する。

「うん、マユコと毎朝いっしょに阪急で通ってる。苦楽園口が最寄り駅」

 希佳は嬉しそうに言った。

「阪急かあ。毎日乗れるなんてちょっと憧れる。あたしんちは歩いて二十分くらい、自転車通学禁止区域ぎりぎりの所なの。あと五〇メートル遠かったら自転車で通えたんだけどな」

 小夏は少し不満げな表情を浮かべた。

「わたしんちからはぎりぎり自転車通学出来るみたいだけど、乗れないから関係ないや」

緑は笑顔で話す。

「私も乗れないよ」

 真優子は照れくさそうに打ち明けた。

「仲間だね、まゆこちゃん」

 緑はとても嬉しがる。

いろいろお話をしながら廊下を歩き、四人は三年二組の教室へと戻っていった。


二時限目、数学。

授業開始を告げるチャイムが鳴り終わっても、クラスメート達の多くは席に着かずおしゃべりを続けていた。

「おーい、きみたちー。早く席に着いてねーん」

 廊下からトーンの高い声が聞こえてくる。教科担任、船曳先生がやって来たのだ。

 この合図で、クラスメート達がようやく席に着くのが彼の授業時の常日頃だ。

 クラス委員長からの号令のあと、授業が始まる。

「ではでは、お待ちかねの中間テスト、返却するよーん。今回はきみたち成績非常に悪かったよん。平均点47.8しかなかったさ。やっぱ高校過程は難しかったかな? それでは出席番号順に取りに来てねーん」

 船曳先生は、四十代前半くらいの男性教師。坊ちゃん刈りで、やや小太り。牛乳瓶の底みたいなメガネをかけていた。

 この学校では中高一貫教育の特性を活かし、数学と英語については中学三年時から高校課程の内容を先取りして学習させている。

「ほい、魚田さん。三年生になってもワタクシの期待を悪い意味で裏切らないね」

「こっ、こんなひどい点数、初めて見た……お母さんになんて言い訳しよう」

 出席番号三番の緑は、受け取った答案用紙を見て愕然とする。

「解答欄がずれてしまったとか言えばいいと思うよん。ワタクシも学生時代、国語と英語の成績が悪くていつもそう言い訳してたし。すぐにバレたけどねん」

 船曳先生はにこにこしながら、慰めの言葉をかけておいた。

「そんな言い訳通用するわけないよう」

 緑はがっくり肩を落としながら自分の席へと戻っていく。


「ほい、花見さん。落ち込むなよーん」

 小夏は受け取った際、答案用紙右上に書かれた点数をそーっと確認した。

「えっ! どういうことですか? 船曳先生。×ほとんどないのになんでこんなに点数が低いんですか? △ばっかりだ。答え合ってるなら○下さいよう」

 船曳先生の側へ詰め寄り、大声で抗議する。

「やーだよん。数学っていうのはね、答えそのものよりも、途中の課程の方が重要なんだよん。花見さん、数学得意だなんてよく言えたものだな。きみは今まで点数自体は高得点取ってるけど、それは問題集の答え丸暗記してただけだろ?」

「そりゃ図星ですけど、今までは○くれてたじゃないですか!」

小夏の抗議に対し、

「そうだ、そうだ」「先生、うちのもめっちゃ△増えとる」「なんで採点シビアになってるのー?」「ひどいですよ、船曳先生」

 同情するクラスメート多数いた。

「きみたちももう中学三年生、一貫校じゃない所では高校受験を意識する学年なのだよん。一貫校の諸君はどうしても勉強怠けがちになってしまうからねん、ワタクシは、きみたちがそうならないよう、今回からは厳しく採点することにしたのさ」

船曳先生はクラスメート全員に向かって笑顔で説明する。

「それなら先に言って下さいよう。船曳先生のケチッ。ねえ、今回だけは特別に○に」

 小夏はしつこく抗議し続ける。

「ハッハッハ。実力テストで挽回してねーん」

 船曳先生は高笑いする。

(こなつちゃん、もう諦めなよ)

小夏と船曳先生とのこのやり取りを眺めた緑は、少しにやけた。


「最高点は大学さん、一〇〇点満点だったよーん」

 船曳先生は全員に答案を返し終えた後、こう伝える。すると、クラスメート達から『おおーっ!』という歓声と拍手が巻き起こった。

「……」

 真優子は照れくさいのか、頬を少し赤らめ俯いていた。

「期末では絶対誰にも百点取らさないように、灘中生もさじを投げたくなるような超難関問題出してやるからねーん」

 船曳先生はにやりと微笑んだ。

「えーっ」

 というクラスメート達の多くからのブーイングをよそに、

(楽しみだなあ)

 真優子はこう心の中で思っていたのであった。


「ねえ、こなつちゃん。何点だった?」

 号令が終わると、緑はすぐさま小夏の席へ駆け寄る。

「緑ちゃんだけにこっそり見せてあげる」

 小夏は点数が書かれた答案用紙右上隅をそっと広げる。

「なんだ、こなつちゃん、62点もあるじゃない。わたしなんか35点だよ」

 緑は眉をぴくりと動かした。

「緑ちゃん、声大きい。これでも、あたしにとっては悪い点数よ。中学入ってからの最低点大幅に更新したし」

 小夏は不満そうに言う。

「なんか嫌味を感じる」

 緑はむすっとなった。

「グリーンさん、コナツ。ワタシも悪かったよ」

「こんにちは」

 希佳と真優子も小夏の席へ寄ってきた。

「まゆこちゃん、一〇〇点おめでとう! まゆこちゃん本当に見た目通り頭良いね。わたしもパワーを頂かなくては」

 緑はそう褒めて、真優子の頭をなでなでする。

「あたしも頂戴」

 小夏も便乗する。

「いえ、それほどでも。定期テストだからこそ取れたと思うので」

 北野天満宮の牛像のように扱われ、真優子は少し照れてしまった。

「ワタシ、98点。一問途中計算ミスして△付けられた。中学入ってから初めて一〇〇点逃したよ」

 希佳は残念そうに呟く。

「きかちゃんもすごいねえ。今までずっと取ってたんだ」

 緑は希佳の頭もなでなでした。

「希佳ちゃん、めっちゃ良いじゃない。何が悪かったよ、こっの」

 小夏はでこピンをパチンッと食らわせた。

「痛いよ、コナツ」

 希佳は目を×にする。

「それにしても船曳先生の採点の仕方、本当に腹が立つ」

 小夏は唇をかみ締め、こぶしをぎゅっと握り締めた。

「まあまあコナツ。フナッビーは生徒思いなのよ。フナッビーってね、子ども達にもっと算数の面白さを知ってもらいたいらしくて、休日や夏休み期間中はキッズ向け算数セミナーを無料で開講してるみたいよ」

 希佳は船曳先生の意外な一面を伝える。

「へぇ、けっこう活躍してるんだね。わたしも参加したいな」

「いい一面も持ってるのね、ちょっと見直した」

 緑と小夏の、彼に対する尊敬度は上がったようだ。

「次は社会科だね。めちゃくちゃ不安だ。酒田先生、すごく怖いよ。すぐ怒るもん」

緑はため息混じりに呟く。

「あたしも酒田先生の授業は受けたくない。保健室戻ろうかな。そういや体育祭の練習の時、行進で少しでも列が乱れたら笛吹いてめっちゃ怒ってきたね」

 小夏は苦笑する。

こうして始まった三時限目、社会科。

授業開始のチャイムが鳴ると同時にクラスメート達全員、今度は慌しくそれぞれの席に着いた。鳴り終わってから数十秒後、教室の扉がガラリと開かれた。

「では授業を始めます」

 怖いと噂される教科担任の酒田先生がやって来たのだ。三〇代後半の女性教師。黒色ショーヘアーで、眉は細くきりっとしており、とても険しい表情をしていた。

『起立、気をつけ。礼、着席』

 と、クラス委員長からお決まりの号令がかかる。

「今から試験を返します。今回は皆さん、非常に成績が悪かったです。呼ばれた人は返事をして速やかに取りに来なさい。浅生!」

 酒田先生はかなり不機嫌そうに命令する。

「はっ、はい」

 その浅生さんという子をはじめ、クラスメート達のほとんどがびくびくしながら答案を受け取りに行っていた。


酒田先生は全員に返却し終えたあと拳を握り締め、黒板をバシーンと思いっきり叩いた。

「おまえらな、平均たったの55.2ってどういうことやねん? このクラスが一番低かった。授業中何聞いとってん? おまえらには高校受験関係ないかもしれへん。せやけどな、こんないい加減なことしとったらあかんねん。高校からは一般入試受けて入って来る外部の子との競争になるねんで!」

眉をへの字に曲げてより一層険しい表情になり、顔を真っ赤にさせながら同じ階にある他の教室全てに響き渡るほどの大声で怒鳴り続ける。

「今回の試験で50点未満だった者は明日の放課後、再試験を行います。それでまた50点未満やった者は、修学旅行の夜の自由時間返上で補習授業やっ!」

終了のチャイムが鳴ったあと、酒田先生は公民の教科書で教卓を叩きながら告げ、かなりご機嫌斜めな様子で教室から立ち去っていった。

十分間の休み時間、緑の席を中心に四人は集まる。

「酒田先生、今日は特に怖かったね。授業終わるまでずっと説教してたし。わたし、76点だった」

「緑ちゃん、相変わらずすごい。社会科は勝てないわ。あたし、37。中学入ってからの最低点更新しちゃったよ。あいつの作る試験問題、むず過ぎるんだよ。記号問題ほとんど無いし、漢字間違いは容赦なく×にするし。普通は△でしょ」

 小夏は唇を噛み締めながら嘆く。

「ワークからそのまま出た問題少なかったよね。論述問題も多かったし、答え丸暗記が利かないよ。二年までの新在家先生の方がよかった。優しいし、問題簡単だったもん」

 緑も共感した。

「酒田のやつー、社会科はそれほど重要科目でもないのに再試験なんか課しやがって。一・二年の時習った地歴分野まで出題してくるし。そんなのもう忘れたって」

 小夏は大きな声で不満を呟く。

「酒田先生は“一夜漬け”とか“置き勉”っていうのが大嫌いみたいよ」

 真優子はさらりと伝える。

「実力がつく問題を出してくれるから、ワタシは酒田ちゃんの方がいいな」

 希佳は嬉しそうに言った。

「いいよね、頭いい子は。真優子ちゃんは何点だった?」

 小夏は真優子に顔を近づけて訊く。

「98点、一問ミスでした」

「すごーい、まゆこちゃん。文系科目も強いね」

 緑はパチパチ拍手する。

「この天才めっ!」

「いたーい」

小夏は真優子のこめかみをぐりぐりした。

「ワタシは81。社会科苦手なんだ」

 希佳は悲しげな声で呟いた。

「わたしより良い。きかちゃんもすごいよ」

 緑は羨ましそうに、希佳の答案用紙を眺める。

「15点くらい分けて欲しいな。このメンバーで再試験はあたしだけかあ」

 小夏はため息をつき、悔しがる。

「このテストを見直せばきっとなんとかなるよ」

 真優子は慰めた。

「それでも不安だ。なんとしても補習授業回避しなくっちゃ。酒田先生って、去年まであたしたちの一個上の学年受け持ってたよね。なんで下りてきたんだろ? 普通六年間持ち上がりなのに」

 小夏はため息交じりに告げる。

「何人かは例外があるって。酒田ちゃんの授業も楽しまなきゃ損よ」

 希佳は諭しておいた。


 四時限目、英語。

「嘘……」「えーっ」「なんで……」

持丸先生から英語のテストを返却され、クラスメート達の多くは失望した。

「皆さんショックを受けてるようね。今回からは高校課程に入って難しくなったからね。平均点もグーンと下がってるからあまり気にしないでね。では引き続き、修学旅行の班決めを行います。どのように決めようかな?」

 持丸先生が悩んでいたその時、

「先生、ワタシ、マユコとグリーンさんとコナツと同じ班がいいな」

 希佳は挙手をして要求した。

「OKよ。他の皆さんも、好きなもの同士でいいかな?」

 持丸先生の提案に、クラスメート達のほとんどが賛成した。

「では皆さんで相談し合って決めて下さいね。四人または五人で一班ですよ」

 それを受けて、持丸先生はこう指示を出した。

 クラスメート達は散らばって、好きなもの同士で固まっていく。

「きかちゃん、ありがとう。気を利かせてくれて」

「希佳ちゃん真優子ちゃんと同じ班になれてあたし、すごく嬉しい」

「どういたしましてー」

「改めてよろしくお願いします」

緑、小夏、希佳、真優子も近くに集う。

 他の子達もそれぞれのメンバーを全て決めると、持丸先生は近くにまとまるよう席替えをさせた。

 緑、小夏がお隣同士。その後ろの列に希佳と真優子という配置。

二組は全部で八班。緑達四人は六班となった。


四時限目が終わると、お昼休み。

 中学部では給食の時間が始める。六班の四人は席を向かい合わせにした。

 給食当番の子は白衣と帽子、マスクを着用してそれぞれの役割をこなしていく。

「はい、コナツの分は山盛りにしたよ」

 小夏に代わり給食当番となった希佳は、メニューの一部を小夏の机の上に運ぶ。希佳はおかず係を担当していた。

「あたし、こんなにいらないんだけど」

 小夏は嫌そうな顔をする。

「貧血によく効くよ」

「他のでも代用出来るでしょ。あたし、レバー大嫌い」

「臭み抜かれてるよ」

 希佳はそう言って、そそくさ他の子の席へ向かっていった。

 メニューの一つに、レバニラ炒めがあったのだ。

「ダメだよ、こなつちゃん。ちゃんと鉄分摂らなきゃ。わたしのも分けてあげる」

 緑は自分側に配られたお皿に乗ったレバニラ炒めをお箸でつまみ、小夏のお皿に移した。

「緑ちゃんがいらないだけでしょ、ピーマンも入ってるし」

「違うよ。わたし、こなつちゃんのお体のことを心配してるの」

「はいはいはい、分かった、分かった」

 小夏はレバニラ炒めの入ったお皿を右手に取り、緑のお皿に戻す。

「あーん、やめてーっ」

 緑は再び小夏のお皿へ移そうとしたが、

「いらない、いらない」

 小夏はお皿を左手に持ち替え、自分の背中側へ隠した。

「なんか、かわいい」

 その様子を真優子は傍で、微笑ましく眺めていた。

「これこれ、食べ物を粗末にしない」

 持丸先生に注意され、

「「はーい」」

緑と小夏はようやく小競り合いを止めた。

クラス全員に全てのメニューが行き渡り、

「手を合わせて、おあがりなさい」

 と給食当番から告げられて、クラスメートたちは食事に手を付け始めた。

 六班は楽しそうに会話を弾ませながら食事を進める。

「そういやあたしたちの一個上の学年って修学旅行、東京行ったんだよね。なんでまた九州に戻したんだろう?」

 小夏はふと疑問が浮かんだ。

「数学部の先輩から聞いたんだけど、自由行動で禁止されていた秋葉原、渋谷、原宿、池袋へ行った班がいて、その子たち、酒田先生から一晩中正座させられてこっぴどく叱られたそうよ。それで酒田先生は旧来通りの行き先に戻したらしいの」

真優子はさらっと伝えた。

「そこが禁止って、あたしたちの年代の子が一番興味ある場所なのに」

 小夏はため息をつく。

「そこ行けなくても東京タワーとか、浅草の雷門とか、上野動物園とか、両国にある江戸東京博物館とか、すごく面白そうな所いっぱいあるよね」

「うん。私は国会議事堂とか、総理官邸とか、皇居とか、国立科学博物館とか、東大赤門とかも見学したかったな」

 緑と真優子は楽しそうに話し合う。

「お年寄りや、ちっちゃい子どもが喜びそうなとこばかりね」

 小夏はため息混じりに突っ込んだ。

「夜は東京ドームでプロ野球観戦もしたみたいよ」

 真優子は先輩からの情報をさらに伝える。

「あたしプロ野球には全然興味ないな、というか敵よ、深夜アニメの。サ○テレビなんか試合終了まで放送して延長するし。アキバまで禁止って、面白くなさそう、九州でよかったよ」

「アキバに行けないんじゃ、楽しさ半減だものね」

 小夏と共に、希佳も嘆いた。

「希佳ちゃんって、アキバに興味あったの!? ……ひょっとしてアニメ好きとか?」

 小夏は驚き顔で尋ねた。

「うん。ワタシアニラジもよく聴くし、深夜アニメもいっぱい見てる。ワタシんち、ハ○ヒの舞台の近くだから、探訪もしたことがある。ア○メイトやゲー○ーズもよく利用してるよ」

 希佳は小声で打ち明けた。

「えっ! 意外ね。希佳ちゃんってなんか渋谷とか原宿好きそうな、いまどきの感じの子なのに」

「やっぱアニヲタっぽくは見えないのかな?」

 希佳は照れ笑いする。

「見えない、見えなーい」

 小夏はにこにこ笑いながら意見を述べた。

「オタク趣味なのはかまわないけど、身なりだけはちゃんと綺麗にしなさいってママから言われてるんだ。コナツはいつ頃から深夜アニメを見始めた?」

「小六の頃からかなあ。徹夜で受験勉強してる時に、テレビ付けたらアニメやってて、なんか惹き込まれちゃって」

「ワタシときっかけそっくりだね。ワタシも小六の時。ブルーレイとかキャラソンCDは買ってる?」

「よっぽど欲しいものじゃないと買わないな。あたしの母さんお小遣いあんまりくれないから、ゲームとラノベと漫画買うだけでスッカラカン」

「ワタシもなんよ。中学生にとっては高過ぎるよね?」

「ほんと、ほんと。もう少し値下げして欲しい。ところで希佳ちゃん、BLは好き? あたしは苦手なんだけど」

「ワタシも苦手なんよコナツ。男の子が視るような美少女萌え系の方が好き」

 小夏と希佳は、とても楽しそうに趣味話を弾ませる。

「ねえねえ、BLってなあに?」

 緑はきょとんとした表情で口を挟んだ。

「みっ、緑ちゃん、それはね……」

 小夏は返答に戸惑う。

「教えてーっ。わたしすごく気になるう」

 緑はにこっと笑い、顔を小夏にぐぐっと近づける。

「グリーンさんは、知らない方が……」

希佳も焦りの表情を浮かべた。

そんな時、

「誰か水羊羹いる人ーっ? あと三個あるよ」

 クラスメートの一人が大声で叫んだ。欠席した子の分のデザートが余っていたのだ。

「いるいるーっ」

 それを聞くや緑はガバッと立ち上がり、給食台の方へ駆け寄っていった。


「いただきまーす」

 戻ってくると、美味しそうに頬張り始める。さっきの話題はすっかり忘れたようだ。

 緑と希佳はホッとした。

「ていうか、修学旅行の定番っていったらやっぱ京都だよね」

 小夏は新しい話題を振り出す。

「神戸にある学校が京都へ修学旅行って、近過ぎるよ」

 真優子はくすくす笑う。

「わたしは沖縄か北海道が良かったな。いまどき公立でも飛行機使うとこ多いのに」

「高等部は韓国へ四泊五日だって。釜山とソウル、それから板門店も見学するみたいよ」

 希佳は教える。美術部の先輩からの情報らしい。

「いいなあ。関空からだと沖縄より近いんだよね、そこって」

 緑は羨んだ。

「あたし、キムチとビビンバ食べまくりたい。高等部は二年生で行くんだよね、二年後が楽しみだあ」

 小夏は期待に胸を弾ませた。

「皆さーん、新幹線とバスの座席も決めておいてね」

 持丸先生は教卓から、クラスメート達に向かって叫ぶ。

「あたし、バスは絶対前列窓際がいいな。酔いやすいし。去年の野外活動ではゲロ吐いてひどい目に遭ったよ。座席の網のところに入ってる茶色い袋に、オエェェーッっていっぱいぶちまけちゃって。袋の中はゲロ温泉なんちゃって」

 小夏は笑顔で楽しそうに語った。

「……こなつちゃん、給食食べてる時にそんな汚い話しないでね」

「下呂にお住まいの方々に謝っておいてね」

 緑と真優子は困惑顔で注意した。

「コナツ、男の子に退かれるよ。チャンピ○ンの漫画に出てくる女の子キャラじゃないんだし」

 希佳は微笑み顔でアドバイスしておいた。

「ごめーん」

 小夏はてへっと笑う。

「ところで、班長は誰がやる?」

 希佳が問いかけた。

 すると次の瞬間。

「・……えっ、ワタシ?」

 三人の視線が希佳に集中した。

「そりゃそうよ。一番頼りになりそうだもん」

「きかちゃん、お姉さんっぽいし」

「希佳さん、お願いね」

 三人は強く要求する。

「やっぱそうなっちゃうのかあ」

 希佳はちょっぴり気まずそうだった。小学生の頃から班長や学級委員長を度々任されていたらしい。

「持丸先生、二組のバスに乗る先生は、持丸先生とあと誰ですか?」

 小夏は、教卓で給食を食べている持丸先生に尋ねてみる。

「酒田先生と船曳先生よ」

 持丸先生は爽やかな笑みを浮かべて答えた。

「うえー、やだなー、酒田先生が。船曳先生は最高なんだけど」

「酒田先生が乗るなんて、楽しさが激減だね」

 小夏と緑はげんなりした。

「これこれ」

 持丸先生は苦笑いを浮かべ、優しく注意する。

「けど酒田先生って、スタイルはすごくいいよね。背も高いし、なんかタカラヅカにいてもおかしくないような」

 小夏は長所も探ってみる。

「それは確かに言えてる」

 緑も同意した。

「身長、ワタシより高い一七一センチだからね」

 希佳は酒田先生の身長くらい欲しいと思っている。

「酒田先生、若い頃はタカラジェンヌに憧れてたそうよ。宝塚音楽学校に、年齢制限来るまで毎年受け続けたらしくって」

 持丸先生は詳らかに教えた。

「へぇ。すごい根性ね。確かに、いてもおかしくないような風貌してるわね」

小夏は酒田先生のことをちょっぴり見直したようだ。


お昼休みは一時間。五時限目は午後一時十分から始まる。今日は理科の授業が組まれてあった。

 教科担任の鶴見先生はテストを返却し、簡単に解説を済ませたあと通常授業へと移る。

「それでは、前回の復習から始めましょう」

鶴見先生は六十代前半のお爺さん先生。鶴と同じ縁起物、亀のようなゆったりのんびりとした口調で授業を進めておられた。

「アメーバは、どうやって仲間を増やしていくんだったかな? 魚田さん。教科書は開かずに答えてね」

「……」

 緑は指名されたことにも気づかず、すやすやと眠っていた。

「おやおや? お休み中」

 鶴見先生は緑の席へ、これまた亀のようなゆっくりとした速度で歩み寄り、

「おーい」

 と、一声かけた。

「……」

 緑は、まだ目を覚まさず。

困り果てた鶴見先生は、ある行動に出た。

「起きて下さいなー」

緑のうなじを指示棒で軽くチョン、チョンとつついたのだ。

「はっ、はう!」

 すると緑はビクンと反応し、パチッと目を覚ました。

「おはよう魚田さん」

「……あっ、寝ちゃってたんだ、わたし。いっけなーい」

 垂れたよだれを制服の袖で慌ててふき取る。

「お昼ご飯食べたばかりで眠たいところやろうけど、今授業中やでえ。ところで、さっきから質問なんやけど、アメーバの仲間の増やし方を答えてね。簡単だよね?」

 鶴見先生は優しく問いかける。

「えっと、アメーバか…………あっ、思い出した。忍法分身の術だ! 一匹のアメーバさんが分身していっぱい増えていくやつですよね?」

 緑はお目覚め爽やかスマイルで質問に答えた。

その瞬間、他のクラスメート達からドッと笑い声が起きる。

「魚田さん、確かにそんな感じだけど」

 鶴見先生もにっこり微笑んだ。

「あれえ? 違うの? じゃあ……握手するのかなあ?」

 緑がこう答え直すと、クラスメート達からの笑い声はさらに高まった。

「ますます遠ざかったんやけど……」

 鶴見先生はやや困り顔に変わる。

「分かったこれだ! おしくらまんじゅう」

 緑はきりっとした表情で三度目の回答をする。

 今度はクラスメート達から、なぜか拍手まで送られた。

「魚田さん、それらは仲間作りのきっかけになるかもしれんけど全部違うでぇ……まあ、いいや。ではこの問題は……大学さんに答えてもらおう」

 鶴見先生は苦笑いしながら真優子を指名した。

「細胞分裂です」

 真優子は、緑のさっきの発言がおかしかったのか、くすくす笑いながら答えた。

「はい正解。お見事。ちなみにミカヅキモやゾウリムシも、このような増やし方をするのはみんなご存知だよね」

鶴見先生はそう告げながら、ゆっくりとした歩みで教卓へと戻っていった。

(まゆこちゃんすごいなあ、理科も一〇〇点取ってたし)

 緑は尊敬の眼差しを向ける。緑以外にも何人か、居眠りしている生徒はいた。堂々とマンガやライトノベルを読んでいる子もいた。さらには携帯ゲーム機で遊んでいる子までいた。けれども鶴見先生はそんな子たちのことは注意もせず、完全放置して授業を進めておられた。

次の六時限目、技術の授業は移動教室となっている。二組のクラスメート達はコンピュータルームへ。中学部三年生は今、情報とコンピュータの単元を学習しているのだ。

四人はおしゃべりしながら廊下を歩く。

「グリーンさん、あの答え方はセンスあるね」

 希佳はにこにこ笑いながら緑に話しかけた。

「本当は分かってたよ。寝ぼけてただけだよ」

 緑は照れ笑いした。

「緑ちゃん何か言ったの? あたし、いつの間にか寝ちゃってて気付かなかったよ。まだ眠ぃ」

 そう言って、小夏は一回あくびをした。

「あの先生の授業、ワタシもいつも眠くなるよ」

「私ももう少しで寝てしまうところでした。鶴見先生の話し方は子守唄みたいで」

希佳と真優子も同情する。

「のんびりしてるけど、動体視力はすごいらしいよ。陸上部の顧問やってて、百メートル走とかで、ほぼ同体にゴールした走者のタイム差を0.01秒単位で見分けられるんだって」

 希佳はそんな秘密を三人に伝えた。

「すごーい。意外な特殊能力持ってるんだね」

「まさに神眼の持ち主ね」

「実践するところを、一度見てみたいです」

 三人はちょっぴり驚くと共に、尊敬度も上がった。


コンピュータルームには最新式に近いデスクトップパソコンが50台ほど設置されている。一人一台ずつ利用出来るようになっていた。

四人は近くに固まるようにして座った。 

「あたし、この授業一番好き。インターネットやり放題だもん」

「わたしもこの授業すごく楽しい。あの先生じゃなかったらね」

「確かにね」

 小夏と緑が隣り合う。

「こなつちゃん、新しく設定したパスワードはまだ覚えてる?」

「うん!」

 うっかり屋さんの小夏は、忘れて一度再発行してもらっていた。

パソコンは電源ボタンを入れ、生徒それぞれに振り分けられている学生番号とパスワードを入力することで起動するような仕組みになっている。セキュリティ対策も万全だ。

授業開始のチャイムが鳴り、入口の自動扉が開かれ、教科担任が入室した。

「それじゃ、始めるよーん」

現れたのは、船曳先生だった。数学に加え、この教科も兼任していたのだ。

「また今日も課題いっぱい出されそう」

 小夏は顔をしかめた。


 授業開始から十五分ほど経った頃、

「二日目の長崎自由行動、どこ周りたい?」

 希佳は長崎市内の観光案内が載っているホームページを開いて、三人に訊いてみた。

「龍馬のぶーつ像」

緑、

「三本鳥居と、眼鏡橋も見に行きたいな」

真優子、

「軍艦島行こう!」

小夏。

 三人もそのページを見ながら答える。

「ワタシは孔子廟と新地中華街にも行きたい。全部回れるかな。ちょっと削らないと無理かも。長崎って観光地多いね」

 班長に任された希佳は悩む。

班自由行動では原爆資料館、浦上天主堂、出島、大浦天主堂、グラバー園の五箇所は必ず見学するように指定されていた。

「おーい、きみたち。ちゃんと今日の課題済ませてからにしてねーん」

 船曳先生が苦笑いを浮かべながら近寄ってきた。

「えー。やっぱ提出するんですか?」

 小夏は嫌そうな表情で切り返す。

「当たり前じゃないかあ。いつも言うけどこの授業は遊びじゃないんだよん」

 船曳先生はふぅとため息をつく。

「ねえ、船曳先生。テレビゲームが大好きなんですよね。一日どれくらいやってるんですか?」

 緑は嬉しそうに彼に話しかけた。

「うーん、そうだなあ、平日五時間、休日一二時間くらいじゃないかなあ」

 船曳先生は嬉しそうに答えた。

「すごーい」

「やるねえ、あたしもテレビゲーム大好きですけど、そこまではさすがに無理ですよ」

 緑と小夏はパチパチ拍手する。

「難関国立大学進学を目指す高校三年生は、一日に少なくともこのくらいの時間は受験勉強に費やしているのだよん」

 船曳先生はにっこり笑いながら伝えた。

「マジで?」

「まだまだ先の話、先の話」

 小夏は少し驚く、緑は耳を塞いだ。

「魚田さん、その時は意外とあっという間にやって来るよん。じつはワタクシ、昔はゲームクリエイターになりたかったんだよねん」

「その方が教師よりもずっとお似合いですね」

 小夏は相槌を打った。

「きみもそう思うだろう。けどさあ、ワタクシのパパママに大反対されてさ、仕方なく教師になってあげたんだよん。ワタクシ専門学校へ行きたかったのに、あそこはプータローの養成所だからとか言われて四年制大学行かされてさ。ワタクシの家系、代々教師ばかりなんだよねん。ママもパパも教師だし。グランパは校長先生もやってたんだよん。そういうわけでワタクシも半強制的に教師にされちゃったわけさ」

 船曳先生は不平を独り言のようにぶつぶつ呟く。

「ひょっとして、子どもの頃はテレビゲーム禁止されていたとか?」

 小夏は尋ねてみる。

「いやいや、テレビゲームで遊ぶこと自体はワタクシ世代のヒーロー、高○名人が提唱しておられた一日一時間どころか何時間でも思う存分、自由にやらせてもらえてたよん。欲しいゲームは何でも買ってもらえたよん。ただね、条件としてゲームを職業なんかにしちゃ絶対にダメだよって厳しく言われてただけなのさ」

 船曳先生はため息混じりに話した。

「先生のご両親の気持ち、あたし分からなくもないな。ゲームクリエイターっていったら、連日徹夜続きで、安月給でこき使われる過酷な労働環境みたいですし。アニメーターよりはマシみたいですけど。テレビゲームやアニメ、マンガにも否定的で昔気質なあの酒田先生もおっしゃってましたよ」

「そういえばワタクシの小学校時代からの友人は、漫画家を目指してたよん。『ボクちん将来はジャ○プで連載して、ド○ゴンボールを超える大ヒット作を生み出すんだ!』って宣言して、高校卒業後は某予備校みたいな名前の教育施設に進んだんだけど、そこ卒業して以来十数年経った今でもずっとニート兼ヒッキー続けてるなあ。ママやパパの言ってたことはあながち嘘ではないことがよく分かったよん。大学進学を勧めてくれたことに今では感謝してるさ」

「確かに酒田も、そういう系のとこ進んでも、その道で食っていけるのは極々一部の才能に恵まれた子だけやねん、っておっしゃってました」

 小夏はとても楽しそうに、船曳先生と会話を弾ませる。

「そういやワタクシ、就活の時ママと揉めたなあ。大反対を押し切って受けたんだよん、ゲーム会社。プログラマーにデザイナー、プランナー、サウンドクリエイター……どの職種も作品選考と筆記までは大方通るんだけど、面接でことごとく落とされ続けて結局はどこからも雇ってもらえなかったっていう悲しい思い出もあるのさ。ワタクシ、あの時惜しくもゲームクリエイターになれなかった悔しさをバネにして、最近はホームページに趣味で自作したゲームを公開するようになったのさ」

 船曳先生はどんなもんだいと言わんばかりに自信満々に語る。

「船曳先生すごいですね」

「ゲームが作れるなんて、天才じゃん」

 緑と小夏はそんな彼を褒めてあげた。 

「いやいやあ、それほどたいしたことでもないよん」

 船曳先生は謙遜する。

「じゃ、あたしにも作れますか?」

 小夏はやや興奮気味に尋ねる。

「無理だろうな、高校レベル以上の数学と物理の知識も必要だし、花見さんには難し過ぎて理解は絶対不可能だよん」

 船曳先生はにやけ顔で言い張った。

「船曳先生、今の発言さりげなくひどいですよ。あたし、独学してやるもん」

 小夏はぷくぅっと膨れる。

「まあまあ、C言語の基礎はもう少ししたら教えてあげるから楽しみにしててねーん」

「フナッビーの作ったゲームって、どんなのかすごく気になるーっ」

 希佳は興味心身な様子で、船曳先生のお顔を見つめた。

「ふふふ、見たいかい? しょうがないなあ。特別にお見せしてあげるよん」

船曳先生はにやけ顔でこう告げてURLをキーボートで打ち込み、彼が製作したというホームページを開いた。

「ほほう、『フナビキングダム』か。なかなかセンスのあるタイトル付けたね」

 希佳は感心しながらページ内のリンクボタンをクリックしていく。

「直訳すると船曳王国ですね」

 真優子はにこにこ笑っていた。

「ありゃま? 算数パズルとか中心にまともな学習系ゲームばっかじゃん。意外や意外。ワタシがイメージしてたアレ系のとは全然ちゃうね」

「おいおい仙頭さん、変なイメージするなよーん」

 船曳先生は照れ笑いしながら頭を掻いた。

「アレ系ってどんなの?」

「ホラーよ、ホラー」(本当は違うけど。緑ちゃんは知っちゃいけないジャンルよ)

 緑から来た突然の質問に、小夏は慌てて答えた。

「あっ、創作小説コーナーもある。フナッビーが書いたの?」

 希佳は質問する。

「もちろんさー。ワタクシ、ラノベ作家も目指してて、五年ほど前から電○やMF、えん○め、ファン○ジア、ス○ーカーなどなど様々な新人賞に投稿し続けているからねん」

「小説書いて投稿してたんですか? あたしも書こうと思ったことあるけど、一ページ目で挫折しちゃったよ。四百字詰め原稿用紙三百枚とか絶対無理、五枚の読書感想文でもきついし。船曳先生は最高で何次選考まで残ったんですか?」

 小夏は興味津々に尋ねた。

「まだ一度も一次選考すら通ったことはないっさ」

 船曳先生は苦笑いしながらぽつりと告げる。

「あらら、それはご愁傷様」

 小夏はちょっぴり憐れんだ。

「冒頭読んだけどその理由が良く分かりました。フナッビーならぬワナビーですね」

 希佳はにっこり笑いながら突っ込んだ。

「そのうち大賞獲ってデビューしてやるもんね!」

 船曳先生は強く宣言した。

「ツイッターとかブログはやってるんですか?」

 希佳はもう一つ質問する。

「一時期やってたんだけどね、すぐに飽きてやめちゃったよん」

 船曳先生は笑いながら語る。

「ワタシと同じですね。なんだか空しくなりますよね、誰からもコメントがないと」

 希佳は嬉しそうに微笑んだ。

「そうだよな」

船曳先生は同感した。

「希佳ちゃん、ひょっとしてマイパソコン持ってる?」

 小夏は尋ねる。

「うん、最新型のWindows8、ノート型で」

 希佳は嬉しそうに答えた。

「いいなあ、あたしんとこ共有だし」

「わたしも自分用の欲しいな」

 小夏と緑は羨む。

「私のおウチにあるやつも共有だけど、別に不満はないよ」

 真優子は現状に満足していた。

「ワタクシがきみたちくらいの頃はWindows2.1を愛用してたなあ。懐かしいよん」

船曳先生は楽しそうに語る。彼はこのあとしばらく、自身が小学生の頃に遊んだゲームソフトの思い出話を四人に語ってあげた。その時の彼の表情は、おもちゃに夢中になっている幼い子供のように、とても生き生きとしていた。


 今日の教科授業は六時限目で終了。そのあと掃除、そして帰りのホームルームがあり、解散となる。

帰り際。

「小夏さん、社会科のノート貸してあげる。再試験の勉強に使ってね」

 真優子はそう伝えて、カバンの中から大学ノートを取り出した。

「サンキュー真優子ちゃん、助かるなー。大学さんのノートだから大学ノート、なんちゃって」

 小夏はありがたく受け取る。

「こなつちゃん、よかったね」

 緑は小夏の肩をポンッと叩いた。

「うん! 真優子ちゃんのノート、字もすごくきれいし、要点もきっちりまとめられてるし、あたしのノートとは大違いだな。さすが優等生」

 小夏はパラパラ捲りながら感心する。

「マユコはノートのまとめ方上手いからね。ワタシもしょっちゅう借りてるよ」

 希佳も真優子のことを尊敬しているようだ。

「真優子ちゃんのノート、これを丸暗記すれば百点間違いなしね」

「あの、小夏さん。あまり過度な期待はしないでね」

 完全に頼りきっている小夏に、真優子は釘を刺しておいた。


    ※※※


翌日、金曜日。

七時限目までの授業と掃除が終わり、帰りのホームルームで修学旅行のしおりが配布された。

「それでは皆さん、来週も元気にね。さようなら」

持丸先生がこう告げて、解散。

「こなつちゃん、ファイト!」

「頑張って下さい!」

「コナツ、冷静に考えればきっと出来るよ」

 そのあと、三人は小夏にエールを送り、教室から出て行った。

「この裏切り者」

 居残り組の小夏は、悲しげな声で嘆く。

三人は小夏の社会科再試験が終了するまで、廊下で待機することにした。

 教室内には小夏の他に、十数名の仲間がいた。

 数分のち、

「ではこれより、再試験を行います。今から問題用紙と解答用紙を配布します。合図するまで表は向けないようにしなさい。もし違反した場合、即失格、0点とします。この時計で四時一五分から始めます」

 酒田先生がやって来る。教室内黒板上設置の時計をちらりと眺めた。

(よぉーし、頑張るぞ)

 問題用紙・解答用紙が裏向けに配られると、小夏はシャープペンシルを握り締め気合を高めた。

「始め!」

 酒田先生のこの合図で、小夏他居残り組は問題用紙・解答用紙を表に向けて、シャープペンシルを走らせる。

(真優子ちゃんのノートにまとめられたやつ、そのまんまだーっ。これは、いける――)

 小夏は思わず笑みがこぼれた。

制限時間の四五分が経過すると、

「そこまで、シャーペンを置きなさい!」

 酒田先生はこう合図した。居残り組は全員すぐさま従う。

 酒田先生は答案用紙を回収すると、その場ですぐに採点をし始めた。厳しい表情で赤ボールペンを動かしていく。

 採点が終わると、出席番号順に返却していく。

「花見」

 酒田先生は厳しい表情のまま、小夏に答案を手渡した。

「……やったーっ、68点だーっ!」

 点数を眺め、小夏は笑みを浮かべてガッツポーズをとる。

「なに喜んでるねん? 八〇点は取らなあかん、次はもっと頑張りなさい」

「はっ、はい」

 酒田先生に突然優しく微笑みかけられ、小夏はちょっぴり照れてしまった。

「こなつちゃん、上手くいったみたいだね」

「良かった、良かった」

「私も、自分のことのように嬉しいです」

 廊下で待つ三人は、小夏の歓喜の声を聞きホッと胸をなでおろした。

「おっ待たせーっ。見事補習授業回避したよーっ。嬉しいーっ」

 廊下に出てきた小夏はこう叫びながら三人に答案用紙を見せつけ、ピースサインを取った。

「こらこら花見、何が嬉しいーっやねん。修学旅行中も、態度悪かったらテストの結果に関係なく特別補習授業に参加させるからな」

 酒田先生は教室廊下側の窓をガラリと開け、呆れた様子で注意した。


「もう五時過ぎてる。あたし、帰宅部だからこんな時間まで学校に残ったの初めてだな」

「わたしもだ。夕方の学校ってなんか新鮮」

「ワタシは、部活ある日は六時頃までいるよ」

下駄箱で、三人は靴を履き替えながらおしゃべりし合う。

「あの、今の時間帯なら、面白いものが見られるよ」

 真優子はそう呼びかけ、三人を体育館へ繋がる二階渡り廊下へ案内した。

「あそこを見て」

 小声でそう告げ、北側を手で指し示す。

「ん? あれは、フナッビーじゃない?」

 希佳は目を見開いた。

「あ、ほんとだ。なんかきょろきょろしてるわね」

「言ったら悪いけど、全然知らない人が見たら不審者に思われちゃうかも」

 緑と小夏も食い入るように眺める。

 四人のいる場所から三〇メートルほど離れた裏門の所に、船曳先生が立っておられるのが見えた。

それから数分して、そこにお車が止まった。そして中から、一人の女性が降りて来た。

「うわっ、すごい高級外車ね、長っ。あの人、ひょっとして船曳先生の彼女? いや、違うかな。六〇過ぎくらいだし。もしかして、母さんとか?」

「大当たりよ、小夏さん。船曳先生は、毎日お母様に送り迎えしてもらってるみたいなの。昨日、忘れ物取りに学校へ戻った時偶然見ちゃった。このことはみんなにはナイショにしといてねって言われたけど、どうしても教えたくって」

 真優子はにこにこしながら打ち明けた。

「本当?」

 小夏はきょとんとする。

「あらまあ、フナッビーったら、かわいい一面あるね。ワタシも今まで知らなかった」

 希佳はくすくす笑い出した。

「いいなあ、お母さんが毎日迎えに来てくれるなんて」

 緑は羨ましそうに、お車に乗せられる船曳先生の姿を眺める。

「そうかな? あたしは絶対嫌だな」

 小夏は笑いながら意見した。

「なんといっても船曳先生は芦屋のお坊ちゃんだからね。あの六麓荘に住んでるってお母様は自慢されてたの」

 真優子は嬉しそうに教えた。

「それはすごいね。わたしやこなつちゃんと住む世界が違いすぎるよ」

「やっぱそうだったか。容姿はお坊ちゃんっぽいし」

「ってことは、メイドさんとか執事さんとかいたりして」

かくして緑、希佳、小夏の三人も、船曳先生の知られたくない恥ずかしい秘密を知ってしまったのであった。


     ※※※


翌週、月曜日。

帰りのホームルームで、持丸先生から中間テスト総合得点表が配布された。

科目毎の平均点と偏差値、それに学年順位も記載されている。

(また今回もとれて良かった。嬉しい。期末も頑張ろう)

結果を眺め、真優子は微笑んだ。彼女の総合得点は五〇〇点満点中、四九五点。学年トップだったのだ。

「真優子ちゃん、すご過ぎ」

「わたしやこなつちゃんと、天と地ほどの差があるね」

 小夏と緑は羨むというより、むしろ尊敬の念を抱いていた。

「マユコは中学入ってから中間テストと実力テスト、ずっと学年トップ維持し続けてるんよ」

 希佳は伝える。

「期末テストは美術があるから無理。絵を描く実技試験もあるでしょ、私、そこでけっこう減点されるので、総合では二番か三番になるの」

 真優子は不満そうに呟いた。

「それでもその順位なのか」

 小夏はかなり驚く。

「ちなみに美術はワタシの六連勝中。マユコは中学入ってから一度もワタシに勝てたことはないんよ」

 希佳は嬉しそうに自慢する。

「今度こそ、勝つからね」

 真優子は希佳の目を見つめながら誓った。

 

修学旅行まであと二週間。

今週からは放課後などを使って学年レク実行委員、食事係、バスレク係、班長、修学旅行実行委員などそれぞれの役割の打ち合わせ会議も順次行われていく。

修学旅行の準備が着々と進みつつあった。

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