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てん・てん・てん

作者: おおたに

サトシはわかりやすいやつだった。

あ、サトシって名前ね。俺と他数名のターゲット。

それとわかりやすいって、要するに理由のこと。狙う理由。

たとえば一つ、太っている。ぶよぶよ。

たとえば一つ、臭い。酸っぱい臭いがする。風呂には毎日入ってるらしいけどね。

たとえば一つ、目つきが悪い。顔を下にむけてジットリと目だけで見上げてくる。まぶたが腫れぼったくて目が細いから、よけい気持ち悪い。背は結構高くて俺と同じくらいあるのに。なんでわざわざ下行ってから上に行くんだよ。なにそのヘアピンカーブ。これがかわいい女の子なら抱きしめてあげたくもなるけど、残念ながらサトシはそれらの条件から一番遠いところにいる生物だ。

ただこれらは俺達いじめっ子の行為を持続し、強化させるための理由であって、きっかけはべつにあった。

それを一言で言うと――ん~、『怠惰』?

いや、『強欲』かな。

あ、この言葉はね、このあいだ『セブン』って映画観て覚えたんだ。

七つの大罪がテーマの映画。

あれすごいね。『大食』――スパゲティ食べさせられまくって死んだやつ。サトシはあそこまですごくないけど。


あ。

で、強欲ね。

いやまあ、映画とは全然違うんだけどさ。

サトシって電車通学してるんだけど、いつも同じ席に座るんだ。うしろから二両目。一番うしろの一番端っこ。

まあ俺達の乗る駅が始発だから一応空いてはいるんだけど、やっぱ無理な時ってあるじゃん? どうしても。並ぶ位置がうしろだったとか、先に座られたとか。

サトシはね、違うんだよ。

絶っっ対そこに座るの。

もし前に客がいれば、押しのけてでも席を確保する。取られそうになったら走る。

すごいよね。

何だよそれって思うよね。

それ何? 目標? クラスにも皆勤賞狙って絶対学校休まない奴とかいるけどさ、お前はそれなの? その席を確保し続けることが一年間の目標なの?――って問いつめたくなるくらいの熱意なんだ。

しかもねえ、またその時の目が怖いんだ。

まばたきせず、焦点が定まってない感じの目でじっと席を見つめてるの。

ほら、なんかマンガとかであるじゃん?

もうボロボロで死にかけてんのに、目標にむかって歩み続けるキャラみたいな。

たいていそういうのって容赦なく殺されたり、寸前で力尽きたりするんだけどさ、まあサトシの場合はきちんと目的のブツを手に入れるわけ――その価値はともかくね。

それでサトシは居場所を確保してから例の目つきをするんだ。

下をむいて上を見上げるやつ。

それで前に立っている人が自分を見つめていたらすぐに視線を外す。あとはそのままじっと固まって音楽聞いてるか、マンガを読んでる。

俺がそのことを知ったのは偶然だった。

たまたま車両を変えたんだ。

特に理由はない。普段はメンタイ味だけど、今日はチーズ味にしてみたような、そんな気まぐれ。

そこで、見ちゃった。

俺はいつも前から二両目に乗ってたんだけど、少し離れたところでこんなことが起こっていたなんて思ってもみなかった。というか、サトシがいたことじたい知らなかった。

押しのけられたOLのお姉さんなんて、軽く叫び声あげてたからね。

まあそんなわけでサトシは一気に注目の的になった。俺のね。

それまでは同じクラスというただそれだけの、全然興味ない人だったのに。

あとの流れは忘れた。

事件を目撃した日、俺はそれを本日の話題のメインにして――気づいたらサトシくんをいじめるようになってた。そこらへんは友情と一緒。「俺達ってなんで話すようになったんだっけ?」って話、友達とすることあるでしょ?


まあでもさ。

むかつくんだよ。

やっぱ。

サトシくんは。

しかも大変迷惑なことに、僕とあいつは変な縁があるみたい。

だってほら。

いまもこうして買い食いをしているサトシくんに偶然出くわしたんだから。

いやまあ、べつにいいんだけどね。買い食いくらい。

でも、ねえ――やっぱ注意はしておいてあげなきゃ。

これ以上太ったらダメですよって。

いや、だって買い食いってレベルじゃないぜ、あれは。「遠足の準備?」って訊きたくなるレベル。

あれはダメ。ダメ、ゼッタイ。

ということで、俺と仲間はサトシくんに声をかけ、交渉を開始した。

サトシくんは俺達の注意を受け入れておとなしくお菓子を諦めた。

お菓子は没収。俺達の胃の中で保管することになった。

そのあと俺達はいったんサトシと別れた――と見せかけて、あとをつけてみた。

理由は特にない。

勘が働いたって言うか。

そういえばこのあいだテレビで、この道何十年っていうたこ焼き屋のオヤジが紹介されててさ。そのオヤジの特技っていうのが、『意識せずにタコを十個つかむ』ってことだったんだ。

小さく切ったタコを山盛りにした容器があるでしょ? そこからサッとタコを取ると必ず十個だけつかんでんの。何回やっても。

一つのこと続けてるとあんなすごいことができるんですねーって、俺の好きなグラビアアイドルが感想言ってたけど、俺の勘もそれと同じ。

日々コツコツとサトシいじめを続けていた俺は、サトシについての職人になったみたい。


だって。

やっぱ当たったからね。

俺の勘。

サトシは俺達とわかれたあと、電車で一駅だけ移動した。

それで一番近くにあったコンビニに飛び込むと――あいつ、またお菓子を買ったんだ。

しかもさっきより多い。

「キャンプの準備?」って訊きたくなるレベル。

いやもっとすごかったかも。

冬眠の準備くらい? まだ夏前なのに。

もちろんそのお菓子も保管になった。

いや、でもすごかったな。

俺達と再会した時のサトシの顔。

マンガみたい。

「ギャアー!!」とか叫んでてもおかしくなかったよ。あれ。

でね。

もうそれだけで満足したから、俺達はあいつを帰してやるつもりだったんだ。

でもむこうがね、違った。

キレちゃった。

サトシは意味不明な叫び声あげながら俺のところにむかってきた。

サトシは右手をふり上げている。その先端にある五本の指は拳を形作っていた。

当たり前か。

こんな関係の二人だ。相手に差し出すのはグーに決まっている。最初はグー。あ、あれって戦闘開始の合図だったのか。俺はお前の敵だぜっていう意思表示。いま気づいた。まあどうでもいいんだけど。

だけどこんなふうに頭がすばやく働く一方、体はまったく動かなかった。

パンチという単語が頭のなかでふわふわと漂う。

そういえば最近俺といい雰囲気になった女の子が読んでた本のなかにも何とかパンチって出てきたな――と、またもこの場面ではどうでもいいことを思い出す。

なんだっけ。

えっと。

そう、思い出した。

『おともだちパンチ』――って、全然真逆じゃん。

あれは「人を愛するためのパンチ」だって、あの子が言ってたし。普通の拳じゃなくて、親指を他の四本で包む形にしたら、拳は途端に愛らしくて平和的なものに変わっちゃうらしい――うん、全然意味わかんなかったけどね。

まあでも一生懸命な感じがかわいかったので許す。

とにかく平和なんだろ? 愛するんだろ? 

要するにそれって俺がサトシに一生抱くことがない感情ってこと。


と、こんなふうに疑問が氷解した瞬間。

俺はサトシのにくしみパンチを右目にくらった。

頭のなかにバチっとした電撃が走り。

右目にグニャっとした感触を覚え。

体がグラっと傾いたのに気づいてから。

痛みがやってきた。

そのあとのことはよく覚えていない。

脳に衝撃を受けすぎたせいか、怒りで我を忘れたせいかはわからない。

とにかく俺はにくしみパンチやにくしみキック、にくしみ髪の毛つかんでふり回しをサトシに浴びせまくったあと、仲間に引き離されてようやく制裁を止めた。

家に帰った時に覚えてたのは、にくしみアタックを繰り出している時の断片的な感触と、あいつから漂ってきた酸っぱい臭いだけだった。

人を不快にさせ殺意すら抱かせるあの臭い。

醜悪。

あれはまさにそれだ。

もういいかげん使い切っただろ、と思っていたにくしみがまた沸き上がってきた。すごいね。心って。いくらでも出てくる。

でも、もう家に帰ってきてるし、いまからサトシのところに行くのはさすがにめんどくさい。というか、俺あいつの家知らないし。

ストレスはできる限り早めに解消しておくべきなんだけど、だからといってドメスティック・バイオレンスに走るわけにはいかない。

俺はいじめっ子の役割をこなすのに忙しいのだ。ここにさらにDV男優の肩書きを加える余裕はない。

ということで、余ったにくしみは明日にまわすことにした。

少し腫れていた右目のまぶたは寝る時になっても熱くて痛かったけど、疲れがすぐに意識を途切れさせてくれた。


翌日。

まぶたはまだ腫れていた。

昨日より少し大きくて、視界を半分ふさぐくらい。

「眼帯していく?」と親が訊いてきた。

俺は迷った。

どっちが『大したことない』度をアピールできるだろう。

いっそ学校を休むって――いや、ダメだ。

なんかそれじゃ、あいつにやられちゃったみたいじゃん。

くそ。

なんでこんなことで悩まなきゃいけないんだよ。

新たなにくしみが生まれ、昨日から持ち越した分に追加される。

う~ん……よし――あ、いや――うん。よし。

俺はそのままで行くことにした。

友達に会った時どんなテンションでまぶたのことを話すかを考えながら、駅にむかう。

ホームにたどり着くと、サトシを見つけた。

外見はいつもと同じ。太っていて、目つきが悪い。

昨日の俺は怒り狂いながらも奴の顔を攻撃しなかったようで、傷は見当たらなかった。自分の冷静さにちょっと感心する。

ホームに電車がやってきた。

プシューと音がして、ドアが開く。

突進するサトシ。今日もいつもの場所を確保。あらためて見ると、ほんとすごいな。なんだあのエネルギーの無駄遣い。今はエコの時代だっていうのに。

サトシはイヤホンを装備して、外の世界を遮断している。

俺はゆっくりと近づくと、あいつの前に立った。

じっと見つめると、すぐにサトシは気づいた。

恐る恐る顔を上げ、俺だとわかった瞬間全身を震わせる。

にくしみ三ポイント消化。

俺が何も言わないでいると、サトシは視線を車内にさ迷わせた。

いやいやダメだよ。

人はたくさんいるけど仲間はどこにもいないんだから。

やがてサトシは諦めた。

ハッと息を吸いこむと、そのままうつむいて固まってしまった。

まるで海に潜ろうとしているみたい。

そう、絶望という名の海に――と、心のなかで言ってみる。

酸えた臭いが鼻をつく。

奴の臭いだ。

他人の顔を自動で顔をしかめさせ、イラつかせる臭い。

にくしみ十ポイント追加。全然減らねー。

電車が学校のある駅に着くと、サトシが再び顔を上げた。

俺をじっと見つめてくる。

指示を待つ犬みたいな目で。

キモチワル。

俺は無視して電車を降りた。

しばらく歩き、ふり返る。

サトシはホームの端でポツンと立っていた。

稲を刈り終えたあとのカカシみたいに虚しく見える。まあサトシみたいな奴がカカシなら、鳥の代わりに自分が稲を食べ尽くしそうだけど。

前をむく。

歩行を再開しながら今日のスケジュールを考える。

あ、もちろんいじめのね。他は学校が決めてくれるから。

ホームを出て太陽の光を浴びた途端、腫れたまぶたに痛みが走った。

やっぱ眼帯してくればよかったかな。

でももう遅かった。



※※※※



やっぱ眼帯してこなきゃいけなかったんだ。

いまの俺はその事実を心から理解していた。

そういえばさ、『つまらないところでつまずく』ってよく聞くけど、あれって重複表現だと思わない?

だってそれがつまらないものだからこそ、油断してつまずいちゃうんでしょ?

それが重要だったりすごく目立つものだったら、絶対注意するじゃん。

まあその当否はともかくとして。

もっと重大なのはさ。

つまずかせるものがつまらないものだとしても、その結果までがつまらないとは限らないこと。

それどころか最終的な結果が取り返しのつかないほど重大だってことは、結構あると思うんだ。

たとえばリレー。

つまらない小石につまずいてこけた結果、一位からビリになっちゃなりする。

たとえば殺人鬼。

つまらない小枝を踏んづけた結果、殺人鬼に見つかって追いまわされたりする。さらに悪い場合、殺人鬼という重要なものに目を奪われるあまり、つまらない木の根につまずいてこけてしまう。彼女がヒロインでなければ、最後に待っているのはもちろん死だ。それも最悪の形の。

他には――そう。

いじめ。

眼帯をしていく・いかないという、つまらない選択につまずいた俺は、いじめっ子の座から転落することになった。

きっかけは、俺の腫れたまぶたを見た仲間の一言だった。

「なんかお前の目、サトシに似てない?」

ここで俺がクールに対処できてたら話はそこで終わっていたかもしれない。

けどこの日は条件が悪かった。

俺はにくしみポイントがだいぶ溜まっていたし、仲間は前日に俺がサトシに殴られて倒れたところを見ている。

俺が興奮しながら否定すると、仲間は黙り、冷めた目で俺を見た。

よくマンガとかで四天王的なキャラがやられると、「ククク……奴は我等のなかでも最弱……」みたいなセリフが出てくるけど、その時の俺はまさにそんな存在だった。

次の休憩時間、俺はトイレの鏡で右目を確認した。

細くなったそれは、確かに目つきが悪い。

だけど実際のところ、ほんとに俺の目がサトシに似てたかどうかはあまり関係がない。

こういったことで重要なのはレッテルであって、事実じゃないからだ。

そしてそれを貼られたら、はがすのはとても難しい。

それどころか、はがそうとするとますますからみついてくる。

俺は眼帯につまずき、こけた。

それで一緒に走ってた仲間と距離ができた。死ぬほどダラけて生きてたたつもりだったけど、俺達はそれなりに急いでたみたい。やっぱり青春は夕日にむかって走るものだったんだね。

起きて走り出しても、彼らは遠くに行っているし、こっちはケガもしている。気力だって折れている。そうしてますます引き離されていく。悪循環。

たとえるならそんな流れで事は進んで行った。


――で、最終的に俺はどうなったと思う?

いじめられっ子?

違う。

俺は。

サトシになった。

……意味わかんない?

だよねえ。

ま、順を追って説明しよう。

レッテルを貼られて以来、俺は仲間と距離ができた。

かといってべつのグループに入ることもできない。自分の不器用さに気づいたのはこの時だ。

孤独。

少しずつ確実に開く溝。

強烈な不安。

それを解消するため、何かないかと手を伸ばす。

指先に触れるものがあった。慌ててつかみ、引きもどす。

そこにあったのは、お菓子だった。

最初は少し多めに――やがて狂ったように食いまくった。

塩と砂糖と、魔法の呪文みたいな原材料でできた塊。

食って、食って、食って――限界が来ると吐いた。

喉の奥から口までを、酸えた臭いが漂っていた。

覚えのある臭い。俺をもっともむかつかせるもの。

それは新たな不安となり、すぐに飢餓に変わった。

いつかのにくしみと同じく、心は不安をいくらでも生み出してくる。

だが体には限界がある。

塩と砂糖と魔法の増援が間に合わなくなった時、俺の体は脂肪をたっぷりとためこんでいた。もうすっかり腫れがひいたはずのまぶたは、両方とも膨らんでいた。

そこにいたのは、確かにサトシだった。


これがいまの俺の姿。

周りとの溝は埋まらず、いまもたっぷり広がっている。この脂肪がどこまでも膨らんですべてを覆ってくれたら、なんて想像が浮かんだりするけど、そんなことは不可能だ。

あ――で、孤独ね。

いまは……孤独は解消した。一応ね。

皆が変化する俺から遠ざかるなか、手を差し伸べてくれるやつが一人だけいたんだ。

それがサトシだった。

嘲笑うわけでもなく。

復讐するわけでもない。

サトシは俺とのあいだに一切の過去を持ち出さず、まるで初めて会ったみたいに俺と接した。

「サトシ……お前っていいやつだったんだな……」――という展開には残念ながらならなかった。

サトシは俺にとっての最底辺の具体的な姿だ。

そいつと握手を交わすってことは、自分がそうなってしまったと認めることになってしまう。


けど。

やっぱりダメだった。

孤独はもっと怖い。

だから俺はサトシを受け入れた。

でも、あい変わらず塩と砂糖と魔法の助けは必要だった。

なぜならその時の俺は『蜘蛛の糸』状態だったからだ。

読んだことあるだろ? 芥川龍之介の小説。地獄に落ちた悪い奴が、極楽から垂れてきたクモの糸をのぼろうとする話。

あの時のカンダタみたいに、中途半端な救済はかえって不安を高めることがある。

だから必要最低限のことをすべて無視して結ばれた不健康な友情は、孤独の代わりにべつの不安を連れてきただけだった。

その不安と戦うために、今日も俺は大量の塩と砂糖と魔法を送りこむ。これが俺の軍隊だった。

やっぱあの時言われたように、俺とサトシは似ていた――って思う?

残念ながらハズレ。

だってサトシは俺と違ってこの友情を不健康だとは思わなかったみたいだからね。

その証拠に俺と友情を結んだ時からサトシは食いまくることをやめて、吐くこともなくなり、結果として脂肪が減った。

まあ『メガネを取ったら美少女』だったみたいな変身ではなかったものの、それでもこれまでがこれまでだったから、いまの姿は数割増しでよく見える。

そして彼には俺以外の友達もできた。


でもそれはサトシの外見が変化したから、というわけじゃない。少しは関係しているけど、それはきっかけのようなものだ。

一番の理由は、サトシが周りを赦したことだろう。

俺に近づいてきた時のように、これまでいじめるか無視するかしていた奴らを、サトシは赦した。初めて会ったどころか、むしろこれまでそれなりに順調にやってきたような調子で接したのだ。

サトシの周りには人が集まるようになった。

当然だろ?

同じようなことを、歴史に残るいじめられっ子、イエス・キリストがやっているんだから。

『罪を憎んで人を憎まず』ってやつ。


――あ。

サトシがこっちにやって来る。

とても優しい笑顔を浮かべて。

サトシがこのクラスの神の子となったあとも、あいつの俺に対する態度は変わらなかった。

皆がどれだけ俺を遠ざけても、優しく接してくれる。

でもね。

ほんとは俺を見てなんかいないんだ。

ほら。

サトシの目。

微笑の形に曲げたまぶたの奥にある目。

それはあの時と同じ色をしている――電車の座席を見つめる時と。

まばたき一つせず、訪れるもののいない沼のような色の目。それを俺にむけている。

そう言えば、サトシはもう電車の席にはこだわらなくなった。

新しい居場所を見つけたからだ。

その座席は前よりずっといい。

だって、そこの周りに集まるのは、皆自分の仲間だから。

サトシは、一番の迫害者だった俺に優しく接する。皆の尊敬を勝ち取るために。俺がサトシの新しい座席。すべての体重を預けてくるけど、つねに背中をむけている。

不健康――不健康――不健康。

単語が頭をループする。

隙間なくつめこんだはずの胃が、新たな食料を要求してくる。

飢餓感に耐えながら、俺もサトシに微笑みかけた。腫れぼったいまぶたが弓なりに曲がり、さらに視界を狭める。サトシの顔が切れて見えなくなった。


だってほら。

孤独はもっと怖いだろ?

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[一言] はじめまして。 ツイッターから来ました。 後味の悪い物語は大好物です。私も後味の悪い作品ばかりですので…。 そうそう、感想ですね…。面白かったです。二人称にすることで、非常にテンポが良い作品…
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