第4話 外交使節
「さあ、お出かけよ。準備してね」
「今度はどこ」
「お隣の国」
「おいおい、外国かい」
「そう、表敬訪問よ」
「で、いつ」
「明日」
「はあっ、明日って唐突すぎないか」
「他の者はちゃんと事前に言ってあるわよ。どうせあなたは、冒険者なんだから、たいした準備いらないでしょ」
「まあそうだけど、一応、薬とか野宿の準備とかしておかないと」
「野宿の準備は要らないと思うけど、何せ王族の随行よ。高級宿や村長宅等に泊まれるわよ」
「そうは言っても、旅は何が起きるか分かんないから最善の準備はしておかないと」
「まあ、いいわ、その辺は任せるから」
「綺麗なところね。一面黄色よ」
「そうだね、こんなにひまわりが群生しているところは他では見たこと無いね」
エリザベスは馬車の窓を開けて、馬車に併走しているルークと話していた。
「よし、決めた。停めて」
エリザベスが御者に声を掛けた。
「あと、私の馬持ってきて」
廻りの衛兵に命ずる。
「うーん、気持ちいい。やっぱり馬車に籠っているのは性に合わないわ」
道路の片面、見渡す限りひまわりが咲いていた。
日差しは暑いが、爽やかな風が山から吹き降ろしてくる。
エリザベスは長い髪をたなびかせて爽やかな空気を満喫していた。
「ねえ、ところでルークあなた、東の方の出身て言ったわよね」
「んっ、まあそうだが」
「昔の都があった方?」
「そう、そっちの方だね」
「あの辺りは戦が絶えないと聞いたわ」
「ああ、戦争はしょっちゅうあったな」
長きに渡る争いは深刻な世情不安を引き起こす。
食料は軍にとって重要なことであった。『軍隊は胃袋だ』といった言葉があるように、軍にとって食料の確保は大切なことである。
戦は何の生産性もなく、多くの物資を消費していく。
一万の軍勢には一万の軍勢が消費する食糧が必要であり、その中に騎兵が存在するならば食糧の何倍もかさ張る飼葉もまた必要になる。
意外に知られていないのが、塩分補給の重要性である。塩分の補給を忘れると、筋肉中の電解質のバランスが崩れ、痙攣が起こり歩けなくなる。補給を怠ると意外なところで死を招く。
体重七十kgの人が休憩も含めた通常の八時間行軍したとすると、水分が約三リットル蒸発し塩分も十g程度流出する。通常、食事で十g程度塩分を摂取しているが、流出分と差し引くと体内にほとんど残らない計算になる。
一日に兵士一人当たり必要な量は塩十gと米六百gとすると一万人で塩百kg米六トンにものぼる。
海や岩塩が取れる場所があれば塩の調達は容易ではあるが、そうでない場合は多大の費用を要する。
さらに、貴重な金属類を槍、剣、矢に使用する。
このように戦争は人材、資材ともに多大な消耗を強いる。国家は長期の戦争を行うとすぐに財源不足に陥る。これを賄うためには、税を多くするか借金をするしかない。
当然今まで治安にあたっていた兵士は戦場に送られ、農業、工業に従事していた働き手も徴用されていく。庶民の生活に関わる経費は削られ、役人の給料も削られることとなる。その結果、役人は私腹を肥やすようになり賄賂や不正に走り、ただでさえ働き手をとられている農村は高い税でさらに疲弊していく。
治安が悪化することは火を見るより明らかであった。
食料遅配などにより戦場から脱走した兵士や逃散した村人の多くが匪賊化し、政府の力の及ばぬところで無法の限りを尽くし始めたのである。
彼らの無法は当初食うために行われていたはずだったものが、いつしか自らの快楽を得るためだけに行う刹那的なものに変わっていった。
特に政府の影響力が弱い辺境は顕著であった。
闇に紛れて野盗たちは村の包囲を完了しようとしていた。
「さあ、宴の始まりだ」
野盗の長は顔を醜く歪ませて薄く嗤った。
紅く燃えさかる炎がそこかしこに見え、あたりから悲鳴や怒号が聞こえてくる。
「そ、それは種籾です……それまで奪われては来年は全く収穫できなくなってしまいます……」
「死んでいく人間にゃ来年の心配もいらんだろうがよ」
野盗に立ちはだかった村長は、一刀両断で斬り捨てられた。
「とっとと、もらう物もらったらずらかるぞ」
蓄えを根こそぎ略奪されていくなかで抵抗する男たちは例外なく殺されていった。
この近辺を荒らしまわったら、正規軍が出動してくる前に逃亡しなくてはならないのだから村の未来など知ったことではなかった。
そんな村の道を急いで走り抜けようとする一群があった。
中央には馬車が、その周囲には護衛と思われる壮年の騎士とその従卒が数名いた。
煤で汚れてしまってよく分からないが、名家の者たちのようだ。
前方に簡素な革鎧と粗末な武器を身につけた柄の悪そうな男たちが行く手を塞いでいた。
一人が馬車に気付き、声を上げる。
「オイ、あれ見ろよ」
「金を持っていそうだぜ、殺っちまおう」
斧を腰に下げた男が笑みを浮かべながら言った。
「よっしゃ、まずは馬車の中を見ようぜ」
馬車一行の行く手を阻むと、一気に散開して包み込みはじめた。
騎士の従卒があわてて野盗たちの前に立ちはだかる。
「若を連れて早く。ここは我らにお任せを」
「ご無事で」
「すまぬ」
馬車から降ろした少年を馬に乗せ、壮年の騎士は走り去っていった。
「家族はどうしたの」
「全員死んだな。俺は、知り合いを尋ねて遠くに行く途中だから救われた」
「……」
「気にするな。東ではそんなに珍しい境遇という訳ではない。俺なんかは、まだいい方さ。軍が非戦闘員しかいない集落を襲ったこともある」
「民族浄化とかジェノサイドとか呼ばれるもの?」
「そう、酷いもんだったよ。他民族の種は残すなと男は見つけ次第殺し、若い女は散々嬲られた末に絞殺。老人は生きたまま油を掛けられ火葬にされた者もいた。戦場に行けばどこにでも大なり小なりある事だけど……」
「人を殺すと言うのは素面じゃ出来ないから、みんな狂気になっていくのよね」
「狂気は一旦箍が外れると暴走する。自分達が駆けつけたときには手遅れだった。うまく隠れたものが数名いただけだった。あまり思い出したくないが、頭は忘れないよ」
「ごめんなさい。いやな記憶を思い出させて」
「いや、いいさ。今は割り切れているから。皆、人のことなんか考えられない時代だったんだ。俺が生き残ったのは運が良かっただけなのさ。でも亡くなっていった人たちの分も精一杯生きなきゃね」
夏の軽装からルークの二の腕が覗いていた。風に吹かれた前髪をかき上げた時、腕に大きな傷跡が見えた。
彼の経験の豊かさと有事の冷静な態度は、一朝一夕に出来たのではない事が感じられた。