第六話 愚かな皇子の追放
闇の王宮が出現し、民衆に発見され、貧困街への「闇の恵み」がもたらされてから一夜。
帝都の空気は、既に闇の王と女王の支配下にあった。
真実の暴露と聖女の無力化によって、皇子エドワードの支持基盤である貴族たちは、保身に走り次々と沈黙。
エドワードの手札に残ったのは、軍部という最後の暴力だけだった。
「許さんぞ、十六夜……あの悪女め。そしてあの異形の鬼神!」
王宮の一室で、エドワードは激昂していた。彼の目には、闇の王宮の玉座で優雅に微笑む十六夜の姿が想像の中で見えている。
彼が愛し、手に入れるはずだった自分だけの「帝都の未来」は、今はもう消え失せ、十六夜と鬼神の手中にあった。
「もはや、政治や民衆の支持などどうでもいい! 私は帝都の正統な皇子だ! 暴力でねじ伏せ、あの城を粉砕する! 白百合の無力さなど、私の軍事力の前には無意味だ! そのあとでまたやり直せばいい!」
エドワードは、彼に残された全軍、およそ五千の近衛兵士に対し、闇の王宮への総攻撃を命じた。
「鬼神など、ただの一匹の魔物だ! 数の暴力の前には、必ず屈する! 聖女が失敗したのなら、武力で討ち果たすまでだ!」
その命令は、既に恐怖と疑念に満ちた兵士たちに、最後の「絶望的な任務」として伝達された。
王宮から出撃した軍勢は、帝都の中心街を抜け、夜明けの光を背にして、高台にそびえ立つ漆黒の王宮へと進軍した。彼らの行進は、もはや帝都の未来を賭けた戦いではなく、愚かな支配者の最後の意地でしかなかった。
闇の王宮の巨大な格子窓から、十六夜はその光景を見ていた。
「来ましたわね、旦那様。彼らが最も得意とする手段で、私たちを討伐しに来た」
十六夜は、黒曜の腕の中で、冷ややかに笑った。
「彼らは、あなたの力を完全に理解していない。そして、自分たちの軍事力が、この帝都の『秩序』を乱す最大の『無秩序』であることにも気づいていない」
黒曜は、まるで子猫を扱うように十六夜の髪を撫でた。
「ふむ。この光景も、お前の望む通りの展開だ。私の力を、彼らの最も恐れる形で見せてやろう。戦など不要。彼らの『無秩序』を、私が一瞬で『秩序』に変えてやる」
黒曜は十六夜をそっと離すと、ゆっくりと玉座から立ち上がった。彼の漆黒の洋装が、王宮の闇を吸い込み、異様な輝きを放つ。
「女王よ、帝都を見下ろせ。これが、闇の王の帝都奪取だ」
黒曜は、王宮の窓を開け放ち、高台を登ってくる皇子の軍勢に向けて、たった一人で立った。
「お前たちの抵抗は、ここで終わりだ。愚かな皇子エドワード」
彼が放った魔力は、戦場を覆う怨嗟や恐怖、殺意にまつわる全てのものに反応した。
黒曜の魔力は、軍勢を直接攻撃することはしなかった。代わりに、兵士たちが持つ剣、槍、銃。それらの「殺意という名の無秩序な道具」に、一瞬にして「強制的な秩序」を与えた。
ギィィィン、という帝都全土に響き渡る異音と共に、五千の兵士が持つ全ての武器が地面に向けて、一斉に突き刺さった。
兵士たちは、武器を手放すこともできず、その場に釘付けにされた。闇に拘束され、ただ地面に座って上を見上げる事しかできない。
彼らの殺意は、黒曜の力によって「動くことのできない、完全な静止」という形で固定化されたのだ。それは、怒りや恐怖さえも凍り付いた、絶対的な秩序の光景。
軍列の最後尾にいた皇子エドワードは、自らの目の前で起こった超常現象に、信じられないとばかりに絶叫した。
「ま、待て! 何だ、これは!? 動け! 撃て! なぜ、貴様らは動かない! 俺を守るのが仕事だろ!」
彼の叫びに応える者はいなかった。兵士たちは、武器に固定され、動くことができない。恐怖のあまり涙を流す者すらいたが、それさえも微動だにしない静寂の中に封じ込められた。
黒曜は、一歩も動かず、その光景を一瞥した。
「「皇子エドワードは、五千の軍を引き連れその最後尾で泣き叫び、私一人を脅迫しにきたのか! 人間は、道具を無秩序な殺意のために使う。私の力は、その無秩序を許さない。これがお前たちの誇る武力か? たった一瞬で、お前たちのすべては役立たずになった」」
黒曜の冷たい声が、また帝都全土に響き渡った。それは、エドワードの敗北と無力感を証明する、虚しい木霊となった。
その時、闇の王宮の門が、音もなく開いた。
漆黒のドレスを纏い、闇の女王の烙印を誇る十六夜が、優雅に、しかし冷酷な笑みを浮かべて現れた。
彼女は、身動き一つ取れない皇子エドワードの前まで、空を渡りゆっくりと歩み寄る。
「ごきげんよう、エドワード殿下。あなたがお望みだった『真の王の力』、ご覧になられましたか?」
十六夜の瞳は、深紅に燃えていた。
「さあ、殿下。私の裁きは、剣ではありません。あなたの愚かさを、この帝都にいるすべての民衆の前で、丁寧に暴き、粉砕して差し上げますわ」
十六夜は、背後に控える黒曜を一瞥した。彼は、静かに、しかし絶対的な信頼と愛情を込めて、女王の背中を見守っている。
エドワードは、初めて、真の絶望を知った。武力は通じず、そして今、最も恐れる元婚約者の知的な断罪が始まろうとしている。
武器に固定され動けない五千の兵士を背に、十六夜はただ一人、皇子エドワードの前に立った。
エドワードは顔を引きつらせた。
「黙れ! お前は悪魔の妻となり、この国を裏切った悪女だ! 私こそが正統な王位継承者! 正義はこちらにこそある!」
十六夜は、哀れみすら感じさせない冷たい笑みを浮かべた。
「正統? あなたが愛したのは、国ではありませんわ。『国を救う英雄となる自分』という、ご自身の描いた偽りの理想です」
彼女は一歩踏み出した。
「あなたは、私の家が代々国を支えてきた真実を知りながら、白百合の『聖女の力』という耳障りの良い言葉に惑わされました。なぜなら、真実の闇との共存は、あなたの手には負えない複雑な秩序だったからです」
十六夜は、密かに確認した機密文書の内容を静かに、しかし帝都全体へと重く響く声で語り始めた。
「「私はあなたの計画をすべて知っていました。私を『闇の王への生贄』として差し出し、全ての面倒ことを消し去り、その間に白百合の力で怪異を『抑圧』し、偽りの平和を築く。すべては、あなたが『簡単に治められる国』を作りたかっただけでしょう?」」
エドワードの目から、最後の威厳が失われ、恐怖と羞恥が滲んだ。
「違う…私は、ただ、皆を、救いたかった…」
「「救いたい? いいえ。あなたは『支配者』として尊敬されたかっただけです。悪女を追放し、い伝説の鬼神を消し去った英雄になりたかった」」
十六夜は突き放した。
「「あなたは帝都の真の守護者である黒曜様の鎖を断ち切る勇気もなければ、私の家系が持つ闇の知識を学ぶ努力もしなかった。代わりに、清らかな虚像を掲げ、都合の悪い真実を隠蔽した」」
十六夜は、闇の王宮から、一冊の真新しい書籍を呼び出し、手の近くへと取り出した。それは、彼女が魔力で再構築した、『始祖契約書・正本』の正確な写しだった。
「「これこそが、あなたが破壊しようとした帝都の真の歴史です。あなたがめんどくさい、嫌いだからやらないと言って逃げていたお勉強ですよ。これを見てもなお、あなたは『闇は悪』だと主張できますか?」」
エドワードは、眼前にその写しを見せられる。動くことが叶わず、それを見続け、そしてその真実の重みに耐えられず、地面に膝をついた。彼の傍らには、武力も権威も、そして愛したはずの理想も、何一つ残っていなかった。
「もう結構です、殿下。あなたの裁きは、あなた自身の無力さが下しました」
彼の前にいた五千の軍勢は、もう一切の戦意が残っていない。
エドワードへの失望、憎悪、そんな思いが充満しているのが、黒曜と十六夜には伝わっていた。
そしてこの声を聞く、帝都の人々からも、同じ思いが流れてきていた。
十六夜は黒曜の方へ振り向いた。
「旦那様。玉座が待っていますわ。私たちを、この国を裏切り、愚行に走った愚かな皇子には、もうこの帝都を治める資格はありません」
黒曜は、静かに、そして圧倒的な威厳を込めて頷いた。
「よかろう、女王。この帝都は、私とお前が統治することこそが皆の望みではないか?」
黒曜は一歩踏み出し、その漆黒の視線は、帝都の中心、旧王宮を射抜いた。
黒曜が魔力を解放すると、旧王宮を守る結界、門扉、そして権威の象徴である紋章が、一瞬で彼の漆黒の支配下に置かれた。
光の象徴、白を基調とした色で統一されていた王宮が、その色を一瞬で黒くした。
帝都の王宮の最上階。
そこの中心、玉座の間。
皇帝と皇后は、そこで玉座に座ったまま、その異様な魔力の奔流を迎えた。彼らは絶叫しない。顔色は蒼白だが、長年権力を握ってきた冷酷な支配者として、動じることなく黒曜の言葉を聞いた。
黒曜の声が、帝都の街中に轟き渡った。
「「聞け、帝都のすべての民よ! 我こそが、闇の王・黒曜である。そして、この隣に立つ者こそが、闇の女王、十六夜である!」」
「「この瞬間をもって、偽りの光による支配は終わりを告げます。旧王族による統治は、我が女王・十六夜の裁きの下、ここに破壊した!」」
十六夜の声が、黒曜の魔力によって増幅された。
「私たちは、あなた方に闇の救済と、光の支配からの独立。真の共存をもたらすつもりです! 闇への服従を誓う者には救済を。抵抗する者には、相応の秩序を与えましょう!」
玉座の間。魔力の奔流が止むと、皇帝が冷たい声で呟いた。
「……愚かな皇子め。私の国を、たった一晩で無様にも武力で明け渡すとは」
皇帝は玉座から立ち上がり、窓の外の漆黒の王宮を見据えた。
「鬼神、黒曜。そして、十六夜め。我々の計画を壊しよって……。せっかく父親を殺して、従順な娘として育てようとしたのに。馬鹿息子のせいで計画が台無しだ。確かに、武力ではお前たちの勝ちのようだ。だが、この帝都は、政治と根深い貴族の血脈で動いている。お前たちの『秩序』が、我々の『伝統』を破壊すれば、どうなることか。きっと民衆は我々を選ぶ、必ずお前たちを悪魔と呼ぶことになるだろう」
彼は、黒曜の力では制御できない、歴史と血脈という新たな敵の存在を示唆した。
「いいだろう。私の帝都は、一時的に明け渡そう。だが、私たちは『廃された王族』として、次の手を打つ。こちらにも知略が得意なものはいるのだ……。これは、お前たちの『内政』との戦いだ。武力では勝てぬ。だが、知略と歴史の重みは、お前たちよりも長く、しつこく、汚い。きっと闇を打ち砕く」
皇帝と皇后は、最後の矜持を保ったまま、警備兵に命じて静かに王宮から退出した。
彼らは「敗者」ではなく、「戦線を一時的に引いた冷酷な黒幕」として物語から一時退場したのだ。
十六夜は、その反省のない老人の後ろ姿に満足そうに頷いた。
「ふふ、見事な負け惜しみ。旦那様、さすがは帝国の支配者。これで『武力』ではなく『内政』という名の戦場が明確になりましたわ」
黒曜は玉座へ戻り、十六夜を膝の上に座らせた。
「上等だ、女王。奴らの『伝統』とやらを、私の『秩序』がどのように破壊し、作り変えるか。見せてやろう」
二人は見つめ合い、不敵に微笑んだ。
「そろそろ次の一手と行きましょう」
玉座の下には無数の影が姿を見せていた。




