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第五話 光の失態と闇からの「恵み」




「殿下! 杉戸の扉が……消滅しています。代わりに、あれは……黒曜石のゲート。人間の手ではあんな細工は不可能です! 異形の建築物です! まるで『闇の王の入り口』が、社殿に作られたかのようでございます!」







夜明けと共に創造された闇の王が居城、黒の王宮は、地上から見れば単なる不気味な黒曜石の建築物だが、内部は、十六夜にとって極上の安息の地だった。


月石でできた玉座に体を預け、十六夜は昨夜からの情報処理で疲弊した頭と体を休めていた。黒曜は、そんな彼女の背後の座り、膝に置かれた十六夜の手に、自身の冷たい指を絡ませていた。


「地上は騒がしいな。愚かな蟻たちが、罠にかかった自覚もなく動き喚いているようだ」


黒曜の声は、この王宮全体を包む静寂の中で、深く心地よく響く。


「ええ。貴族たちは真実の毒に怯え、皇子は軍の動かし方で頭を抱えている。そして、白百合は――」


十六夜は、闇のネットワークを通じて、社殿に集結している白百合の様子を脳内で視覚化した。彼女は涙を流し、自身を偽りだと断じる声に苛立ち、権威の回復に躍起になっている。


「彼女は今、全市民を前に『闇の王の討伐』のための大規模な浄化の儀式を計画しているわ。私を悪魔と断罪し、その清らかな力で帝都の闇を祓い、自身の無実を証明しようと」


黒曜は鼻で笑った。


「ほう。私に、お前の元婚約者が差し向けた『ちっぽけな光』を見せてくれるか」


十六夜は体を起こし、玉座の黒曜に振り返った。


「その光を、民衆の目の前で無効化して差し上げて、旦那様。それが、彼女への最大の裁きです。彼女はちやほやされないと死んでしまうそうよ。光は、闇を排除できません。闇を知り、秩序を与えることこそが、真の安定。それを証明しましょう」


十六夜は、黒曜の頬に手を触れた。


「白百合の儀式が始まる同時刻、私は別の場所へいきます。あなたから託された、この国の人々への『恵み』を届けます。

帝都の最も穢れた場所――長年、皇室の怠慢のために足を運ばす、白百合も忌み嫌い立ち寄らず、光の力が届かずなかった場所。疫病が蔓延し、飢餓と混乱が渦巻く帝都の裏通り『貧困街ダーテンドラ』へ」


黒曜は満足げに目を細めた。


「お前の望み通り、この王の『秩序の力』を分けてやろう。私の力は、穢れたものを隠し滅ぼすのではなく、強制的に調和させる」


彼の手から、漆黒の魔力が十六夜の体に流れ込む。それは、穢れを抑圧するのとは真逆の、「闇の管理」の力だった。


「さあ、女王よ。偽りの聖女が、光の無力を世界に晒す舞台は整った。お前の裁きを、始めるといい」


黒曜は十六夜を抱き寄せ、王宮の巨大な窓から眼下の帝都を見下ろした。太陽は既に昇り、闇の裁きが始まる準備は整っていた。




闇の声が帝都中に轟いた、あの宣戦布告から三日後。


帝都の中心街フラールクにある広場は、不安と真実の毒に犯され、疑心で揺れる市民で溢れかえっていた。

王宮のものと貴族たちは機密漏洩の火消しに奔走するが、封印の地に黒曜石のゲートが出現したという事実は、あっという間に広まり、もはや隠しようがなかった。


皇子エドワードの命により、聖女の白百合が「闇の王討伐のための浄化の儀式」を強行することになった。

実際は白百合の強行なのだが、彼女の清らかな力で闇を祓い、自らの正統性を証明するため、あの二人にとっては起死回生の一手だった。




神聖社殿の大階段の上。純白の儀装束を纏った白百合は、震える体を必死に抑え、高らかに宣言した。


「闇の王と、その妻たる悪女・十六夜は、帝都を破滅させる災厄です! 私の清らかな光で、この忌まわしき闇を打ち払いましょう!」


彼女は両手を天に掲げ、全身の魔力を解放した。

白百合の魔力は、まばゆい光となってたしかに放たれたはずだった。

空間の淀みを拭い、人々の心にわずかな安堵を広げる。いつもならば、この力は瞬く間に帝都全土を覆い、世界を浄化する。そして彼女の権威を揺るぎないものにしたはずだ。


しかし、今、その光は社殿の上空、十六夜と黒曜が以前立っていた尖塔の辺りに達した瞬間、無力な泡のように弾けて消えた。


「な……」


白百合は絶句した。


光が、たった一人の鬼神の残滓すら浄化できない。それどころか、彼女が魔力を強めるほど、帝都の空を覆う闇の王の魔力の残滓が、まるで笑うかのように濃さを増していく。




十六夜は意識を飛ばして、上空からその様子を見ていた。


『闇の秩序は、光による排除を拒む。彼女の力は、ただの抑圧。闇を理解しない者に、真の闇は打ち破れない』






白百合は、焦燥と屈辱に駆られ、さらに力を込めた。無理やり闇を排除しようと放たれた光は、彼女自身と周囲の神官たちに鋭い痛みを返し、光の術者たちを苦しませた。


抑えられた闇の力が反発し、彼ら自身に跳ね返っていく。


「ああ、くっ……」


白百合の額には冷や汗が滲み、立ち上がっていられずに膝を折った。彼女の清らかな光は、闇の残滓一つすら祓うことができず、逆に自らを傷つけたのだ。


「聖女様が、お、お倒れになった!」


「闇の王の力は、聖女様を上回るのか?」


民衆はざわめき、疑念の眼差しが、膝をついた白百合に向けられた。


その時、一人の貴族が、空を指さして絶叫した。


「あれを見ろ! 丘の上に、城が……! いつのまにか真っ黒な城が……、あんなものが! まさか、あれがあの声の主の、闇の王の王宮なのか!?」


民衆の視線が一斉に、帝都を見下ろす高台に集まる。そこには、夜明けの光を吸い込むように立つ、威圧的な漆黒の城があった。


白百合は、膝をついたままその城を見た。美しくも禍々しい、あの城。それは、彼女の権威が崩壊したまさにその場所に、新たな王の玉座が築かれたことを示していた。


絶望が、白百合の心を支配した。


「嘘よ……私の、私の国が、こんなことで。訳の分からない悪魔に奪われた……!」


今までか弱く清らかな涙として、民衆の注目を集めていた白百合の泣く姿。そこにもはや聖女の威厳はなく、一人の女の無力な屈辱を物語っていた。







白百合の浄化の儀式は、醜い失敗に終わった。


白百合は癇癪を起こし、周りの人間に宥められ、早急に運ばれていく。

民衆の視線は、おかしくなった聖女から、一夜で出現した漆黒の王宮へと完全に移っていた。



その時、十六夜は動いた。



闇の王宮の月石の玉座で、十六夜は黒曜の力を借り、帝都の『負のネットワーク』を通じて新たな指令を発した。ターゲットは、長年放置されてきた帝都最大の貧困街「灰色の路地」。


「さあ、旦那様。彼らが『悪』と呼ぶ力を、『真の救済』として示して差し上げましょう」


黒曜の魔力は、「闇の管理」に特化している。それは破壊ではなく、強制的な調和と秩序の付与。


彼の魔力が、十六夜の指示に従い、一瞬にして灰色の路地に流れ込んだ。


まず、疫病。白百合の力では抑えられず、放置されていた病魔は、黒曜の闇の力によって「過剰な秩序」を与えられた。病は即座に活動を停止し、病巣は凝固し、瞬く間に無害な『闇の固形物』へと変化した。

病に伏せていた子供たちが、咳一つせず、起き上がった。


(子どもたち)

「夢で黒い人が出てきたんだ! 病は治まるだろうって! やったあ!」

「私も見た!」

「綺麗なお姉さん! 髪がまっ黒だった!」



看病していた家族たちは涙し、伏せっていた大人たちも次第に回復していく。


「闇の女王が助けてくださった…」




次は治安。

路地裏の隅々まで行き渡った、あえて抑圧されることもなかった無秩序な闇の力は、人々を暴力や窃盗に向かわせる「怨嗟」そのもの。それをあっという間に、強制的に鎮静化させた。


彼らの感情は冷たく、しかし、「秩序」という鉄の規律に従うようになった。

 

(浮浪者)

「なんだ? なんだか悪いことをすると頭が痛くなる」

「盗みをしようとすると体が動かねえ」

「ダメだいいことをしないと」

「みんなで頑張ろう!」


路地裏は静まり返り、飢えていた人々は、わけもわからず混乱していたのがぱたっとおさまった。そこには互いに助け合うという、新しい意識が芽生え、異常な効果を発揮し始めた。


そして、食料。

闇の王宮から、漆黒の糧が出荷される。それは風で運ばれ、次々と空から降ってきた。

漆黒の大きな箱に入ったそれは、闇の魔力で生成された、高栄養価のパンのようなもので、食べる者の命を繋ぐには十分すぎる量だった。


王宮では大量生産がはじまり、すぐに帝都中が賄えるほど豊かな食になるだろう。



白百合の儀式場から逃げ帰ってきた市民たちは、少しずつその信じられない光景を目にしていくことになる。



「疫病が……治っている!」


「誰も騒いでいない。この路地裏で、喧嘩も、略奪も起きていないだと?」


「あの黒い城から、恵みが降ってきた……聖女の光は私たちを見捨てたが、闇の王は救済をもたらした!」


大きな歓声は上がらない。代わりに、人々は静かに、しかし熱狂的な眼差しで、帝都を見下ろす漆黒の王宮に頭を垂れ始めた。


「闇は悪ではない。闇は、秩序だ」


この認識が、貴族たちの機密漏洩の衝撃よりもはるかに深く、帝都の民衆の価値観を根底から揺さぶった。


闇の王宮の玉座で、十六夜は黒曜に体を預けたまま、静かにその成果を視認した。


「完璧ですわ、旦那様。聖女の光は人々を浄化できなかった。ですが、闇は人々を管理し、秩序を与えた。これで、帝都の民衆は知ったでしょう。どちらが真の王であるかを」


黒曜は、満足げに十六夜の髪に口付けた。


「お前の望み通り、この帝都は、私とお前の『真の共存』の下で、安定するだろう。もう誰も、偽りの光になど、騙されはしないだろう」




帝都を見下ろす二人は満足そうに微笑んでいた。




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