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第二十六話 世界の秩序を守る闇の帝王と女王





聖峰グラツィアの跡地は、ノクティス・ベイルの新しい* 統治中枢へと生まれ変わった。



そこは、闇の王妃・十六夜が設計した、絶対的な合理性が支配する場所だった。



玉座の間。黒曜は、十六夜を隣に座らせ、心底満ち足りた表情をしていた。


「見てみろ、十六夜。お前が望んだ通りになった。世界は一つだ」


黒曜は、十六夜の細い腰を抱き寄せた。その力は、世界を統一した覇王のものであると同時に、愛する妻を守り抜いた夫の深い愛情に満ちていた。


「ええ、旦那様」


十六夜は満足げに頷いた。


「これで、光と闇という不合理な対立は消滅しました。残るは、真の生存のための合理的な労働と分配です」




その時、一室で強制労働させられているルーナリアの悲鳴が、玉座の間にも微かに響いた。

ルーナリアは、世界の情報と魔力循環システムの生体サーバーとして、数千年分のデータを処理させられ、休む間もない。彼女の肉体は不老不死だが、精神は終わりのない計算によって摩耗していた。



「ルーナリアは、少し怠けているようですね」



十六夜は冷たく言い放った。


「アルマに命じて、処理速度を倍にしなさい。彼女の傲慢さに与えられた永遠の罰が、私たちの秩序の動力源となるのです」




秩序は完璧に機能していた。

ヴォルグは、ホヅミに監視されながら、世界中を飛び回り、物資や要人を正確無比に輸送する秩序の疾風となっていた。



ミゼラは、世界中の通信を監視し、ルーナリアが流そうとする不合理な虚偽や、民衆の心に巣食う裏切りの念を即座に摘発していた。



しかし、その完璧なシステムに、微かなノイズが生じ始めた。



「ジャンヌ。各地で報告されている暴動の件、おかしいわ」


ミゼラが、珍しく苛立ちを露わにした。


「暴動の原因が闇の秩序への不満ではないの。原因が存在しないのよ」


ミゼラの真実の視線をもってしても、暴動を起こしている人々の心には、憎しみや不満ではなく、ただ、理由なく壊したいという衝動しか見当たらない。



「そして、この街の住民……幸福度、労働意欲、すべてが完璧なのに、彼らの魂の奥底に、私の力でも感知できない空虚エンプティネスが広がっている。まるで、存在の理由そのものを失っているかのように……」



それは、感情や論理を超越した、根源的な「無」の侵食だった。




その夜、統治中枢の最深部で、強制労働させられていたルーナリアが、意識を失った。


異変を察知した十六夜が駆けつけると、アルマが顔面蒼白で報告した。



「王妃陛下! ルーナリアのシステムコアに、未知の魔力反応が割り込んできました! 彼女の数千年の知識をもってしても、解析不能です!」



ルーナリアの口から、彼女自身の声ではない、冷たく、異質な声が響いた。



『――不快だ。構築された全てのことわりは不快。光も闇も、秩序も無秩序も、所詮は自己満足の箱庭。私は、それら全てを「無」へと還す者』



十六夜は、その言葉に、背筋に冷たい電流が走るのを感じた。


「貴方は、何者だ?」


『私は、根源的混沌アビス・カオス。この世界が誕生する前の無そのもの。長きにわたる聖女ルーナリアのシステム管理は、私を閉じ込める『強固な檻』となっていた。だが、貴方たち魔王が、光の教義という檻を壊し、聖女のシステムを暴走させた。檻は、もう脆い』




根源的混沌は、ルーナリアの肉体を媒体に、十六夜に向かって嘲笑した。


『さあ、闇の王妃。貴様が築いた完璧な秩序を、私に示してみろ。貴様が作ったシステムが、この「根源的な無秩序」に抗えるならな。貴様の愛する王も、お前の知恵も、全てを無に帰してやろう』



世界を統一したばかりのノクティス・ベイルは、存在そのものを否定される脅威に直面した。


十六夜の瞳が、静かに燃え上がった。



「面白い。論理を越えた混沌が、私たちの前に現れましたね」




十六夜は、ルーナリアの肉体から発せられる混沌の魔力に一歩も引かず、むしろ好戦的な笑みを浮かべた。



「この世に、私の秩序が解析し、組み込むことができない理は存在しません。貴方が無ならば、私は『無限の創造』をもって対抗します」



黒曜は、十六夜の肩に手を置き、その小さな背中を力強く支えた。彼の魔力は、その場の混沌を全て圧し潰すほどの絶対的な威圧感を放っていた。


「上等だ。世界を無に還すだと? 私の妻がこの世界に命を懸けている限り、貴様の混沌など、私が決して近づけさせはしない」



闇の王と王妃は、世界の創造主をも超えた、根源的な存在との最終決戦へと挑むことになった。



闇の王妃・十六夜は、根源的混沌の宣言を受け、即座に全システムに防衛プロトコルを発動させた。


「カサネ! 全世界の情報端末をロックし、ルーナリアの肉体から発せられる無の衝動を隔離させて!」


「ハドソン! アルマ! 根源的混沌の魔力波形を解析し、それが世界を構成する論理のどの部分に干渉しているかを特定しなさい!」



しかし、混沌の力は理不尽だった。解析装置のディスプレイには、意味のないノイズが走り、ハドソンは絶望的な声を上げた。


「陛下! 解析不能です! これは論理を持たない力です! 私たちのシステムは、存在しないものを解析できません!」



混沌の力は、システムを破壊するのではなく、存在の意味を奪っていく。統治中枢の魔導盤に映し出されていた世界地図の表示が、突然「空白ブランク」に変わった。


『無意味だ。貴様たちの目的、愛、憎しみ、全てを構成する情報こそが、私にとっての「ノイズ」だ』


ルーナリアの体を媒体とした混沌の声は、十六夜の絶対的秩序を根本から否定した。




混沌の魔力が、ルーナリアの肉体を媒体として、十六夜へと向かう。それは、存在の否定という名の精神攻撃だった。



『貴様の知恵も、貴様の愛も、貴様が持つ全ての記憶も、私にとっては無に等しい。消えろ』



その時、十六夜の前に、漆黒の巨大な影が立ち塞がった。黒曜である。



黒曜は、混沌の魔力を真正面から受け止めた。彼の魔力ー終ノ夜は、世界の終焉を司る力であるため、「無」との親和性が高い。混沌の力を受け止めた黒曜の肉体が、一瞬、黒い光に包まれ、存在の境界が曖昧になる。


「黒曜様!」


「案ずるな、十六夜」



黒曜は、歯を食いしばりながら、十六夜に背中を預けたまま、静かに命じた。



「この論理を持たない無秩序』 は、私の絶対的な力で押さえつけておく。だが、私が使えるのは武力のみ。これを秩序のシステムに組み込めるのは、お前しかいない」



「私は、お前の知恵を信じる。お前の望むように、この混沌を秩序に従わせてやれ」



黒曜の、自らの命を賭して妻の知恵を守る絶対的な愛が、混沌の魔力による存在の否定から、十六夜の精神を守り抜いた。




時間がない。黒曜が力を完全に解放すれば、混沌を道連れに、世界の一部が無と帰ってしまう。


十六夜は、冷静に全魔王へ命令を下した。


「全システムを、逆解析リバース・アナリシスモードへ。ヴォルグ、貴方はルーナリアの体から発せられる次元の揺らぎを、完全に固定しなさい。ホヅミ、手伝って!」



ヴォルグは渋々ながらも、ホヅミと共にルーナリアの周囲に空間固定結界を瞬時に展開。混沌の魔力が、空間的な広がりを失い、一点に閉じ込められる。


「ミゼラ! 貴方の真実で、混沌の魔力に感情のノイズを強制的に上書きしなさい! 憎しみ、恐怖、喜び、なんでもいい! 無に存在の理由を与えるのよ!」



「面白いわね!」



ミゼラは、渾身の魔力を放出した。彼女の悲嘆の波が、混沌の魔力と接触した瞬間、混沌に感情という名の矛盾を無理やり植え付け始める。


そして、その一瞬の隙に、十六夜の目が光った。



「解析完了ですわ、旦那様!」




「混沌よ。貴方は秩序を否定する無ではない。世界のバランスを保つための、絶対的な余剰エネルギー」



十六夜は、ルーナリアの体へ向かって宣言した。


「その力は、世界が停滞しないための、強制的なリセットの役割を持つ。貴方を否定すれば、世界は飽和し、自滅する。故に、秩序のシステムの一部として、この力世界に存在しなければならない……」



十六夜は、自ら考案した根源契約の法典を、黒曜が抑えつける混沌の魔力の中へ放り込んだ。それは、混沌の力に、絶対に履行すべき『役割』を定義するという、究極の論理の拘束だった。



『嫌だ、私は無だ! 役割など――』



「無ではない。この世界の理だ。そして、理は私の秩序の中に組み込まれる」



契約が発動した。混沌の魔力は、世界を破壊する力ではなく、システムの歪みを強制的にリセットする力へと、その性質を書き換えられた。








混沌の力が、ルーナリアの肉体から静かに引いた。ルーナリアは、ぐったりと床に倒れたが、彼女の顔は支配からの解放と永遠の労働の両方の虚無を映していた。


黒曜は、よろめきながらも、十六夜を抱き寄せた。



「……やり遂げたな十六夜。お前の知恵が、存在の否定に打ち勝った」



「ええ、旦那様。これで、光の教義も、魔王の混沌も、そして世界の根源的な無秩序さえも、全てが『ノクティス・ベイルの秩序』という名の歯車になりました」




勝利の安堵と、極限の疲労から、十六夜は黒曜の胸に顔を埋めた。



「これで……もう、誰も、この世界を不合理にしない」





黒曜は、妻の髪を愛おしそうに撫でた。



「世界の統一だ。あとは、私とお前が、永遠にこの秩序を維持していくだけだ」



闇の王と王妃は、根源的混沌さえも味方につけ、世界に対する絶対的な支配(秩序)を完成させた。彼らの愛と論理は、世界の理そのものとなったのだ。








聖峰グラツィアの残骸の上に築かれた、新しい統治中枢『アビス・レガリア』。その最深部に、最も重要な管理施設があった。


強制契約によって世界の生体サーバーとされたルーナリアは、透明な強化ガラス製の計算室に幽閉されている。




彼女の肢体には無数の魔力ケーブルが接続され、世界中の情報と魔力循環データを絶えず処理し続けている。顔は青白く、数千年の時を超えた美貌は、終わりのない労働によって憔悴しきっていた。



その計算室の監視モニターに、ふとレムス大司教とアルク枢機卿の姿が映し出された。彼らは今、かつて自分たちが支配した聖峰の麓で、単純作業による贖罪を強いられていた。



「ちくしょう、ちくしょう! こんな単純な土木作業で、この天才が世界を統一した魔王に奉仕するなど!」


レムスは地面を叩き、アルクは涙ながらに石を運んでいた。

その光景を見たルーナリアは、乾いた笑いを漏らした。



「馬鹿ね……。貴方たちは肉体の労働で終わる。私は永遠に、この秩序の正しさを証明し続けなければならない。殺されない、終わらない……これこそが、あの女王が私に与えた、最も残酷な罰よ」



彼女が自らを嘆くその時、計算室の扉が開き、アルマが重そうな工具箱を持って入ってきた。ドワーフの技術者は、ルーナリアに容赦ない視線を送る。



「おい、少し処理が落ちてるんじゃないかい? 私たちの技術の自由は、お前の怠慢で滞らせるわけにはいかないんだね」


アルマは新しい魔力増幅装置を接続し、ルーナリアの処理能力をさらに引き上げた。ルーナリアの悲鳴にも似た叫び声が、魔力炉の稼働音に掻き消された。




統治中枢の外部。ヴォルグは、ホヅミと共に、世界中の物資輸送を監督していた。

ヴォルグの虚空歩法によって、一瞬で地球の裏側へ送られる食糧、医療品、そして技術部品。彼の魔力は、破壊ではなく、合理的な結合のために使われていた。



「クソッ、ホヅミ! またこのルートの転送座標を変更したな!? 俺の自由な魔力解放を妨げるな!」


ヴォルグは風の刃を出しそうになるが、ホヅミの冷たい視線に凍り付く。


「ヴォルグ。座標のズレは0.3%。このズレが、テルネブラでの精密機械の組み立てに致命的な不合理を生む。よく確認するんだ」


ホヅミは剣を抜かず、ただ空間の歪みを指先で感じ取っている。


「貴様の能力は、私に監視されている。自由とは、責任を伴う秩序だ。それを理解しろ」



「くっ……お前は本当に……!」


ヴォルグは悪態をつくが、ホヅミの寸分の狂いもない秩序に、技術者として、そして武人として、ある種の畏敬の念を抱いていた。


彼は舌打ちをしながらも、完璧な空間転移を行い、次の輸送準備に取り掛かった。




玉座の間。ジャンヌは、玉座の隣で剣を握り、世界を見下ろしていた。そして、空中にはミゼラが静かに浮遊している。


「世界は静かになったわね、ジャンヌ。嘘も、不満も、すべてが合理的な枠内に収まった。私の仕事は、もはや暴動の鎮圧ではなく、 労働者の精神状態の健康診断に変わった」



ミゼラは、平和な世界の魂のノイズを解析し、小さな不合理すら見逃さない。彼女は、混沌を排除する存在から、秩序を支える柱へと変わった。



「全て、王妃陛下の知恵の賜物です」


ジャンヌは答える。

「陛下は、誰も殺すことなく、最も効率的で、誰もが否定できない絶対的な正義を完成させた」


ジャンヌは、玉座に座る十六夜の姿を見つめた。彼女の表情は、満足と、そして深い充足感に満ちていた。



玉座の真ん中。闇の王・黒曜は、玉座の肘掛けに顎を乗せ、自分の膝の上で静かに書簡を読み進める十六夜を抱きしめていた。


世界は統一された。戦いは終わった。しかし、黒曜の魔力は、依然として十六夜を包み込み、守護し続けている。


「これで、もう不安はないだろう、十六夜。混沌も、光も、全てがお前の掌の上だ」


黒曜は、十六夜の耳元で囁いた。

十六夜は書簡を閉じ、その美しい瞳で黒曜を見上げた。


「ええ、旦那様。これで、私の世界統一という名の計画は全て完了しました」



彼女は、静かに、しかし、世界で最も甘い声で続けた。



「私の秩序が求めたものは、究極的には貴方が永遠に、私の全てを肯定し、私の隣に座り続けるという、最も不合理で、最も個人的な欲望を満たすためでした」


もし世界が不合理であったなら、黒曜は世界を破壊してしまえばいいという非合理的な選択肢を選んだかもしれない。


十六夜は、黒曜の愛と力を合理的な支配という枠に閉じ込めることで、彼の世界への無関心と妻への溺愛を、永遠に維持したのだ。


黒曜は、それを理解し、心から満足した。彼は、この小さな女王の論理こそが、自身の存在理由なのだと知っている。


「ならば、望み通りにしてやる」


黒曜は、十六夜の顔を両手で包み込み、深く口づけを交わした。それは、王と王妃の永遠の共存、そして闇の秩序による世界の永遠の支配を誓う、最後の契約だった。


彼らの愛と論理によって築かれた世界は、今、「ノクティス・ベイルの秩序」いう名の、不滅の夜へと入った。



(完)




[作品の完結]



闇の王と王妃による物語は、ここで一応の完結となります。この結末にご満足いただけましたでしょうか?最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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