第二十二話 幻影の聖女?ルーナリア
中枢司令室の喧騒から隔絶された、地下深くの技術開発施設。技術者クロガネが統括するリミタージュの研究室は、魔導と科学が融合した冷たい光に満ちていた。
床には巨大な魔力増幅回路が刻まれ、その中心には、広大な通信網とミゼラの精神を接続するための複雑なインターフェースが設置されていた。
カサネが指示を出す中、ミゼラは静かにそのインターフェースの中心へと歩み寄る。彼女の体には無数の細い魔力コードが接続されていく。彼女の真実を探知する力を、クロガネが開発した広域魔導通信網に乗せて世界中に広げるためだ。
「カサネ。接続は完了した。ミゼラ様の探知魔力を、中継衛星を介してルーナリアの幻影が拡散されている全域に逆流させる」
クロガネが冷たい汗を拭いながら報告する。
「問題は、ミゼラの精神負荷です」
カサネは緊迫した声で言った。
「世界中を駆け巡る虚偽のデータ、それもルーナリアの強力な魔力によって増幅された嘘の奔流を、その身一つで受け止めることになる」
ミゼラは、接続された状態で目を閉じていた。その顔は青白く、まるで氷の彫像のようだ。
「……王の秩序のために、私は私の真実を世界に証明することになるとはね」
ミゼラが、か細くも確固とした声で答える。
「ルーナリアの嘘は、あまりにも不完全だ。彼女の虚構を打ち破る、完璧な嘘のない領域を、私が示す」
「大丈夫、私がついてるわ」
十六夜が隣に立ち、彼女の両腕にも無数のコードがつけられていく。
カサネは覚悟した。この作戦は、十六夜の合理的な判断に従う行為であると同時に、ミゼラの魔王としてのプライドを賭けた行為でもあった。
「十六夜様、指示を」
「起動して。真実を、力でねじ曲げようとするなんて、私たちの力を見せつけてやるわ」
カサネがスイッチを押し込む。
[ヴェリタス・ミラー、起動]
中央演算室の魔力回路が一斉に発光し、施設全体が重低音の振動に包まれた。ミゼラの周囲の空間が歪み、彼女の青い瞳から放たれた真実の波動が、クロガネの通信網を通じて、光速で全世界へと拡散していく。
ミゼラの意識が、世界中の無数の虚偽のデータと接触する。
ルーナリアが仕掛けた闇の王の虐殺の幻影は、ミゼラの真実の波動に触れた瞬間、幻影の構成要素へと変換、分解されていく。幻影の背景、人物の動き、感情の描写……その全てが、現実に存在しない、魔力と虚偽で編まれた偽物、嘘のコードとして可視化され始めた。
幻影の裏側にある虚偽のロジックが暴かれたことで、パニックに陥っていた世界の人々は、その違和感に気づき始めた。
「なんだ? この映像おかしくないか?」
「あれは……嘘だ。よく見ると、背景が変じゃないか?」
「王様から、不自然な黒い粒子が出ている。偽物だ!」
ルーナリアの仕掛けた幻影は、まだその全てが消えたわけではない。しかし、その幻影の上に、ミゼラによってこれは偽物であるという真実のタグが上書きされ、焼き付けられていく。
「すごい、各地の映像にー真実を見極めよーと表示されている」
ミゼラは全身から大量の汗を流しながら、血の涙を流しながら、嘘の波動の中心、すなわちルーナリアが魔力を最も集中させている場所を特定した。
「捕捉……した……。自由都市タルシス。都市全体をハブとして幻影を発信してる……!」
カサネは即座に装置の停止、タルシスへの転移ゲートを開くよう命じた。
「目標捕捉。これより制圧部隊を出撃させます。十六夜様、斥候にホヅミとジャンヌを送ります」
十六夜が頷くよりも早く、二人はゲートにかけて行った。
十六夜は崩れ落ち、ミゼラは意識を失った。
「すぐにミゼラを治療して」
倒れた十六夜は震える手でミゼラのコードを外そうとした。装置のコントロールをしていた技術者たちが慌ててコードを外しにかかる。そしてカサネが歩み寄り十六夜の手を取ると、彼女のコードを外した。
「十六夜様も治療をしなければ…」
「私はまだ戦わねばならないわ」
十六夜はカサネを制し、すぐにモニターを準備するように指示を出す。
「タルシスにモニターは?」
カサネが首を振った。
「タルシスは光の支配を受けておらず、我々の手も入っておりません。今ホヅミが魔道具を持って向かいました。すぐに映るはずです」
ルーナリアは、十六夜の意識の外にあった中立都市に潜んでいたようだ。だが、彼女が嘘で世界中を繋いだことで、真実の波動に居場所を特定される致命的なミスとなった。
モニターにノイズが走り、少しずつ街の様子が見えてきた。
転移ゲートを潜り抜けた先、自由都市タルシスは言葉では言い表せない地獄と化していた。
物理的な破壊ではない。
しかし、都市全体が、ルーナリアが仕掛けた巨大な幻影の迷宮と化していた。目の前の建物は忽然と消え、次いで数秒前にはなかったはずの、血塗られた壁が立ち塞がる。
絶叫を上げる群衆が二人に向かって押し寄せる……が、次の瞬間には静かな石畳の像に変化した。今いる場所が真実か、嘘かという、認知の揺らぎが、二人の精神を苛んだ。
「ルーナリアの遊び場ね。これは、物理的な迷宮よりたちが悪いわ」
ジャンヌは剣を抜きながら、周囲の混乱に冷静に対処した。
しかし、彼女の隣にいるホヅミは、その混乱の中にあって、確かな道標だった。ホヅミの鼻は、闇の魔族独特の血の匂いを捉えていた。
「ジャンヌ、右です。この路地は崩壊する幻影、注意しながら左へ進む。ここには強い血の匂いがする。ルーナリアはどれだけの血を浴びたのか……。俺よりも多くのモノを切っているのかもしれない」
ホヅミの指示に従い、ジャンヌは迷いなく剣を振るい、立ちはだかる幻影の壁を切り裂いていく。通常の戦いであれば、敵の攻撃を避けねばならないが、この戦いで重要なのは、自分の認知を疑い、いかに目の前を確認できるかだった。
二人が長い時間をかけ都市の広場のような場所に到達すると、そこには巨大な幻影の波動の源、聖女のような像が設置されていた。そして、その前に、目的の魔女が立っていた。
幻影の魔女ルーナリア。
彼女は、ノクティス・ベイルの兵士たちを嘲笑するように、余裕の笑みを浮かべていた。
「見つけたわ。真実を探す哀れな犬たち。でも残念。この広場から発信されている魔力を止めることは、あなたたちにはできない」
ルーナリアは、手を広げる。その瞬間、彼女の姿が変化した。
美しく、聖なる光を纏った聖女のような姿へ。
「ああ、ジャンヌ。あなたも闇の王に魂を売ったのですね」
ルーナリアは、聖女の姿を借りてジャンヌの最も深いところにある正義の心を揺さぶろうとした。彼女の姿と声は、ジャンヌの幼い頃の記憶に強く訴えかける。
一人の子ども時代、家族も家もない。そんな子どもが集まり、廃墟のような馬車でゴミをあさり生きてきた。
一瞬、ジャンヌの剣を持つ手が震えた。
そんな幼いジャンヌの前に聖女の姿をしたルーナリアが現れる。
「可哀想な子。私が助けてあげる…」
しかし、その瞬間、横にいたホヅミが、まるで心臓を掴まれたかのように苦悶の声を上げた。
「……嘘、嘘だ! ジャンヌこれは、彼女がこれまで吐いた中で、最も美しく、最も完璧な虚偽です! 頭の中に、感情に訴えかけることで、我々を妨害しようとしている!」
精神の限界を超え、ホヅミが喉の奥から真実の叫びを絞り出したことで、ジャンヌは我に返った。
「黙れ、偽物め」
ジャンヌは迷いを断ち切り、憎しみを込めて剣を構えた。その刃が向かう先は、聖女という偶像そのものだった。
「私はもう弱い子どもではない。私は私の意志で王に仕えている! お前がその最初の姿で、私の過去を否定したとしても、屈しない。覚悟しろ」
剣撃と幻術が交錯する。ジャンヌは幻影を切り裂き、その奥にあるルーナリアの本体を追い詰める。しかし、ルーナリアの幻術は巧妙で、その剣は何度も空を切った。
その時だった。
ヴェリタス・ミラーの力がホヅミの魔道具を通じて、タルシスの町に放たれた。
都市全体を覆っていたルーナリアの魔力が、真実の波動によって逆流する。あたかも、巨大なホログラム装置の電源が切れたかのように、空間が歪んだ。
「……ありえない! 私の幻影が、こんなにも簡単に!」
ルーナリアが悲鳴を上げた瞬間、彼女を覆っていた聖女の幻影が、ガラスが粉々に砕けるような音と共に崩壊した。
ルーナリアはその姿を消して、広場には聖女の像のみがあった。
ジャンヌとホヅミは愕然として立ち尽くした。彼女の能力は、幻影を消す反撃を受けたことで、完全に無力化されていた。
「何もいない?」
「何がどうなっているんだ」
ーージャンヌとホヅミの声が聞こえた。
映像にあるのは広場に立つ聖女の像のみ。
ミゼラのいない状態で無理やり装置を起動した十六夜は、もう動くことができないほど疲弊していた。
「十六夜様、ここさえも、ルーナリアの罠にはまっていたようです」
カサネが十六夜を支えなければ、彼女は起き上がることもできない。
「そのようね。私の見たものが今、黒曜と繋がっています。彼が戻り次第、私も彼の見たものを共有し対策を……」
十六夜はそのまま意識を失った。
薄れる意識の中、闇から黒曜が現れた。十六夜の瞳には彼の姿がうつることはなかった。




