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第二十一話 幻影の魔王ルーナリア



封印の間には大きな壁画と巻物があった。


「これが、全てのはじまりか」



黒曜が巻物を手に取った。

そこにはこう書いてあった。


「世界を作った神は次の世界を作る旅に出た。この世界には深淵の闇が残った。全てを飲み込む闇だった。ある日聖女が深淵を封じ、闇を封じ、人々が光と共に生きる世を作った」


隣にいた十六夜は不思議そうな顔をしていた。


「これは始まりの聖女の手記でしょうか?」



二人は巻物から壁画へと視線を移した。


壁画には炎のような大きな塊、それの周りに星のような三つの何か、そしてその横に聖女のような女性の姿と小さなたくさんの生き物と人間。



「伝えられている史実とは異なる……どうして深淵を封じた光は三つなの?」


十六夜は黒曜の手を取り、彼の顔を覗き込んだ。


「ノクティス、ミゼラ、ヴォルグ、ルーナリア。この四つが封印されていたはずでは?」


「私が生きていたい頃は少なくとも闇と光は別に生きていたが、その後の話、シーダーは封印されたのは四人の魔王と、そう言っていたな。これが偽りなのか、それともシーダーの話が間違っているのか、それよりも遥か昔の話なのか。いずれにしても謎が増えたな……」




二人は封印の間の調査をハドソンに任せ、残りの魔王二人、ヴォルクとルーナリアの捜索と協力体制の構築準備へと向かった。











ーー聖峰グラツィア制圧から一日。激戦の余韻が残る聖堂の熱狂とは裏腹に、地下深くにあった古代の遺物には冷たい静寂が支配していた。




宰相カサネは、ジャンヌとミゼラ、わずかな護衛を伴い、最深部の地下神殿へと足を踏み入れた。彼の役目は、戦後処理と、旧体制の象徴であった始まりの聖女の御神体の確保、そして彼女をノクティス・ベイルの秩序下に置くことだった。



始まりの聖女、この闇と光の争いの根源である彼女は、『光の魔術によりその姿を永遠に保ち、光の世界を守る』という内容を大司教レムスが語ったのだ。



評議会の処理を任されていたカサネが、ミゼラとジャンヌと共に事情聴取をしていた折、ミゼラの精神干渉により、真実しか話せなくなったレムスから出た、大司教のみに語り継がれた真実だった。


「ここにいるはずの聖女を滅すれば、光の魔術の全てが終わる」


カサネの隣にはミゼラが立つ。彼女の青い瞳は、この場所が発する真実の匂いを静かに探知していた。



「報告通り、この中で間違いないかな。何かの痕跡がある。そしてこの地下神殿には厳重な魔術封印が施されている」



カサネは、高さ三メートルはある黒曜石の扉に触れる。強固な錠は一切破られていないが、扉は固く閉ざされたままだった。


「魔力の封印か……強行突破はしません。物理的な破壊は無駄なコストを生む」



カサネは冷静に魔力を分析し、魔力の錠を解除するコードを探し当てると打ち込み、時間をかけて扉を開いた。聖女を傷つけず確保することは、十六夜による世界統一の正当性を示すために必須の条件だった。



重厚な石の扉がゆっくりと内側へ開く。カサネは、護衛たちに一歩下がっているよう命じ、ジャンヌ、ミゼラと共に地下神殿の内部へと視線を向けた。


だが、その場所には、誰もいなかった。




内部は、真っ白な四角い空間が広がり、凝ったガラス細工の窓、そして玉座のような豪華な椅子が完璧に整えられていた。まるで、数世紀の間、誰も使っていない清浄な空間のようだった。


「……いない?」


ジャンヌが思わず声を漏らす。


カサネは無言で神殿内を隈なく調べた。壁には何かを動かした傷跡も、転移魔法特有の魔力波の乱れもない。扉の錠も完璧な状態だった。


「物理的な矛盾だ。この扉は誰にも開けられていなかった。にもかかわらず、聖女の姿がない」



カサネの冷静な声には、初めて明確な苛立ちが滲んでいた。優秀な宰相である彼にとって、理由のわからない事象は、そのまま秩序への脅威を意味したからだ。



「ミゼラ。何か感じるか?」


カサネは隣の元魔王に問いかけた。


ミゼラは床に膝をつき、瞳を閉じる。静かに呼吸を繰り返す彼女の周りには、微かな鏡のような波紋が広がった。


そして、ミゼラは静かに、しかし戦慄すべき分析を告げた。


「カサネ、ここに残された魔力の痕跡は、『幻影の魔女ルーナリア』のものかもしれない。私も昨日察知した、二つの大きな力の気配に似ている。その片方だとするならおそらく彼女だろう」



カサネは眉をひそめた。ルーナリアが聖女を連れ去ったことは想像できた。だが、ミゼラは首を横に振った。


「違うね、連れ去ったのではないだろう。この部屋には、最初から聖女の気配、真実がない。ルーナリアは、聖女がいると信じ込ませる幻影を、この場所全体に施していたのだはないかな。その痕跡を我々は感じたに過ぎない。私よりも力が強いのだとすれば、この感覚すらも惑わされたものかもしれないら。そうなら黒曜様でないと対処すらできないだろうね」



つまり、聖女は聖峰の制圧よりずっと以前に、密かに連れ出されていたか、あるいは彼らが聖女という存在を認識していたこと自体が、ルーナリアによる壮大な虚偽だった可能性がある。



「認知の改ざん……」


カサネは呟いた。


「ええ。彼女の能力は、単なる視覚的な幻術だけではない。記憶や記録といった人間の認知の根幹を、静かに、そして完全に書き換えることができるのでしょう。彼女の狙いは、我々の目の前にある真実ではなく、我々の築いたものや信頼を壊すことにあるのでは?」



カサネは、ミゼラの言葉を聞きながら、手のひらに汗が滲むのを感じた。


武力や戦略で攻略できる敵ではない。ノクティス・ベイルの基盤である秩序と理性は、今、最も非合理的な武器である幻、そして嘘によって、水面下で侵食され始めたのだ。


「ルーナリアはそもそも封印されていなかったのか?」


カサネは即座に通信機を取り出した。十六夜への報告は急を要する。



「ジャンヌ、ただちに現場を封鎖、扉の者たちを残らせます。ミゼラ、君は私と共に先に帰還する。この脅威は、もはや我々個人の手に負える問題ではない。ジャンヌは封鎖が完了次第戻ってきてくれ」


「承知した」


この不在と虚無こそが、ルーナリアが十六夜の秩序に仕掛けた、最初の宣戦布告だった。








カサネがグラツィアからの報告を終えた直後、ノクティス・ベイルの中枢指令室は混乱の極致に達していた。壁一面の巨大な情報スクリーンには、世界各地の状況を示すデータが赤く点滅し、緊急の国際通信が鳴り響いていた。




「申し上げます! 自由都市アリアスで暴動が発生!  市民が闇の王による虐殺の幻影を目撃し、ノクティス・ベイルへの反感を露わにしています!」



「大陸間同盟から通信!  聖峰との戦いが無抵抗の神官を攻撃したものだったのではないか、と厳しく問われています!」



情報分析官たちが次々と報告を上げる。カサネが懸念していた、ルーナリアの認知改ざん能力は、すでに牙を剥いていた。



世界各地の空には、数時間前までノクティス・ベイルの勝利を讃えていた人々を凍りつかせる、悍ましい光景が投影されていた。



それは、闇の王が、剣を抜き、慈悲を乞う聖峰の信徒たちを無表情で、あるいは微かに笑みを浮かべながら次々と斬殺していく、偽りの悪夢だった。実際には、グラツィアは無血開城だった。だが、ルーナリアの幻影はあまりにも鮮烈で、人々の闇の王は悪であるという根源的な猜疑心を完璧に刺激した。



十六夜が世界統一のために築き上げた、信頼と秩序という脆い基盤が、ルーナリアの幻影によって根底から揺さぶられていた。



「私が行こう」


黒曜が立ち上がり、その姿が闇へと消えた。


「……闇の力を制御してくる。この異常も少しはおさまるだろう……」



「お願いします」



十六夜は闇に消えた黒曜に声をかけた。


混乱の渦の中心で、十六夜はただ一人、玉座に座したまま微動だにしなかった。その表情は完全に無表情だが、その無表情こそが、彼女が心の中で激しく怒っている証拠だった。


彼女の怒りは感情的なものではなく、非効率で無秩序な事態に対する、冷徹な怒りだった。



「報告を整理して、カサネ」


十六夜の声は静かだったが、その一言で司令室のノイズは一瞬で鎮まった。

しかし異常な報告は映像となって瞬く間に映し出されていく。



カサネはこの間に、ミゼラと共にゲートから戻ってきていた。



「ルーナリアは我々の敵対勢力だった残党や、反王政の勢力を操作し、各地で幻影を拡散している。このままでは統一どころか、全土で反乱が起きかねません」



ホヅミが、激しい焦燥と共に剣の柄を叩いた。


「小賢しい! 幻を見せる術者どもを全員焼き払い、恐怖で沈黙させればいい!」


ホヅミの提案は単純かつ強硬だった。しかし、十六夜はわずかに首を振る。



「それは愚策よ、ホヅミ」



十六夜は、スクリーンに映し出された、黒曜が虐殺を行う幻影を指差した。




「恐怖による支配は、短期的には有効だが、長期的には憎悪という非効率的な反発力を生む。そして、我々が今、武力で対応すれば、彼女の闇の王は嘘つきで暴君であるという虚偽の主張を、国民の前で肯定することになる」




十六夜の論理は明快だった。ルーナリアの嘘を打ち破る唯一の方法は、力ではなく真実による反撃だ。彼女の仕掛けたゲームは情報戦であり、そのルールで勝利しなければならない。



「カサネ。ミゼラの能力を情報兵器として利用しましょう。リミタージュの技術者に命じ、広域魔導通信網をミゼラの精神探知能力に直結させて」



「まさか、『真実の鏡』(ヴェリタス・ミラー)の実験を、今、この全土で実行されるのですか?」


カサネが息を飲む。それは、理論上は可能だが、能力を使うミゼラにとって精神崩壊の危険を伴う、極めて危険な作戦だった。





「これはもっと先に使うつもりだったけど、他に手がない。彼女の力は想像より強かった。そして私の思考そのものも、彼女の手の内だった可能性がある。彼女の幻影に割り込み、嘘のロジックそのものを、国民の目の前で強制的に可視化させる。ルーナリアの嘘を、無意味な冗談に変えるしかない」


十六夜は、玉座から立ち上がり、冷徹な決断を下した。




「ヴェリタス・ミラーを決行して。カサネ、指揮を取りなさい。ただちにミゼラをシステムに接続させてこの無秩序なノイズを、一刻も早く排除する」




「御意」


カサネは一礼して、ミゼラの方を見た。


「一体何をしようというの?」


ミゼラは状況を掴めずにいた。ヴェリタス・ミラー、ミゼラの力を増幅し、彼女の力で嘘を見極める装置を作る。これは全ての封印されし魔王と協力し、光の排除が終わったあとの世界を想定して検討していたシステム。黒曜と十六夜、そして側近の三人しかまだ知らない作戦だった。


そう、そのヴェリタス・ミラーの装置がまだ作られていない。ミゼラの力を増幅するはずだったが、そもそもミゼラを装置として、歯車として組み込まなければ元段階では使うことができない。



「ミゼラ、少しだけ貴女の力を借りる。大丈夫、私も一緒に行きます」


十六夜は自身をもその装置として使い、世界にばら撒かれた嘘を制御しようとしていた。



「そんな! 十六夜様もですか!」


「ええ、だから貴方が指揮を取るのよ、カサネ」



カサネは息を呑み、拳を強く握った。


「承知いたしました…」



十六夜はミゼラの近くへ移動すると、彼女の手を引いて闇に消えた。






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