第十六話 エルダードリアード、千年の森の記憶
ジャンヌは今日も国境付近へと向かった。
窓口にはアストリアからだけでない、様々な種族の亡命希望者が、列をなしている。
彼らは人間、そして魔族たちだ。その日はとりわけ異質な姿をした一団がその列に混ざらないまま様子を伺っていた。
見た事もないような材質の厚手のローブを纏い、大小様々な体格。二十人には届かないほどの人数が固まり、誰にも声をかけずにいる。
ジャンヌは朝からその異様な気配を察知していた。姿だけでない、気配、魔力、全てが未知だった。一日中動きがなかったためついに声をかけることにした。
ジャンヌはローブを着ておらず、その姿がしっかりとわかるように、剣をさした状態で近づいた。
「初めまして。私はジャンヌ、ここの代表だ」
声をかけられたその一団は少し動揺を見せたが、そのうち一番小さな背丈の、最も古そうな外套を着たものが前に出た。
「これはこれは……古のナイトエルフがいるという噂は本当だった。実に素晴らしい力を感じます」
そのものは顔を隠していたフードを脱ぐと、深い礼の姿勢をとる。
顔は、樹木の年輪のような複雑な模様を持ち、口元は動かないが、深く窪んだ瞳の奥で、古代の記憶が宿るはちみつ色の魔晶石が光を放っている。
腕や脚は、捩じれた木の根や枝で構成されているようだ。全身の樹皮の隙間からは、苔や小さな菌類、そして太古の魔力を湛えた緑色の光が微かに漏れ出ている。
「我々はここより先の太古の森を守ってきたエルダードリアード。かつてナイトエルフたちと共に深淵の闇を封じておりました……私は族長のシーダー。ぜひあなたに、闇の秩序を守るものにお伝えしたいことがあるのです」
その一団はシーダーの礼にならい、一斉にジャンヌに対して頭を下げた。
ジャンヌはそのただならぬ雰囲気に圧倒されながら、急いでハドソンヘ通信を繋ぎ、十六夜への取り次ぎを連絡させた。
黒曜、十六夜は二人の居城に客室を用意した。
そしてそこでティーパーティと称し、シーダー率いるエルダードリアードの一団をもてなした。
今の時代にあるお茶や菓子に注目するもの、十六夜が用意した書籍を読むものと、様々にくつろいでいる中、その最奥には豪華な一席が設けられていた。
「エルダードリアードがまだ生き残っていたとは。彼らはその昔、一番警戒心の強く、そして誇り高い種族であったな」
黒曜が昔を懐かしむように話した。
隣に座す十六夜もまた、何かを思いだすかのように目を閉じた。
「ええ、あなたの記憶の中にも、その姿はありません。言い伝えと、噂のみがわずかにあるようです」
「深淵の静寂と言われておりました。我々は俗世より離れ、その知識と時代の伝承を守るもの。姿なき一族で良いのです」
ゆっくりとお茶を楽しんでいるシーダーは、どこが口かもわからない顔でクッキーを食べた。
「その姿なき一族が何故ここまで?」
黒曜もまた、特別なプレッシャーをかけることなく、古い友人と楽しく話すように声をかけた。
「茶会という席ですが、ここでの会話はどこにも漏れることはありませんので、ご安心ください。なんでもお話していただきたいですね」
十六夜の側で給仕もしているカサネが補足した。
知識欲が隠せていない、シーダーの話が聞きたくて仕方がない様子だった。
テーブルにつかず、十六夜の後ろに控えたジャンヌも不思議そうな顔をしていた。
「我々の森は常に深い霧と、魔力が濃密に絡み合った静寂に包まれており、空間が歪んでいるため、通常の人間や魔族は容易に侵入できません。そのため、いまだに古い闇の力もわずかに残っております。あなたの事も私は覚えていますよ、黒曜」
「懐かしい呼び方だな」
「あら、それは私も存じ上げませんわ。あなたの名から、この国ができたのですね」
十六夜が少しむすっとした表情で口を挟む。
「すまない、今のような私になる前の名前でな。矮小な、子どもの頃ゆえ、十六夜にも共有されなんだ」
「いやはや。あなたも妻の尻に敷かれるとは。時代は流れるものですな」
咳払いを一つすると、変わったのかわからない表情のままシーダーは昔話をはじめた……
「 エルダードリアード、我々は森の木々そのものと生命の根源を共有する、極めて長命な樹木の精霊種族です。私ももう千年以上生きております。自然との調和と記憶の継承に特化しており、武力よりも時間の概念と生命の維持を重視します。
その昔ナイトエルフは森の民として共であり、我々を守ってくれていた。そう、時を超え永遠の友であります。彼らは森を守るために戦い、次第に姿を見なくなった。
我々はその頃から完全に森を閉ざし、わずかに入る情報を収集し、また魔力が世界に満ちる時を待っておりました。
そして今、こうしてあなた方のところに参った次第です」
「ほう、千年を生きるか。その頭には、私たちと同じような複雑な何かが詰まっている事だろう」
黒曜は遠くを見つめる眼差しで、どこか憂いた面差しになった。
十六夜がそっと手を重ね、黒曜に寄り添った。
「私たちは光の支配を排除し、全ての闇を解放しようとしています。このまま闇を抑制し続けることの無意味さを感じ、私は黒曜様に魂を捧げました」
十六夜が強い眼差しでシーダーを見た。
そこには統治者としての覚悟と、黒曜の妻たる女の愛が見えた。
シーダーは微笑んだ、ように見えた。
「そうですか。あなた方が闇の守人として、森の友であり続けるのなら、私たちもその道を支えましょう。古き良き時代の、力のあふれる世に戻していただけるのなら、喜んでこの知識を捧げましょう。そして、よければ私の願いを聞いてくだされ」
「願いか、一体なんだ? まずは聞いてみようか。お前たちが森から出てまで、叶えたい何かを」
黒曜は少し目を細め、十六夜の手を握り返した。
「そうですね。私も気になりますわ」
シーダーは、ゆっくりとお茶を飲み、深呼吸をした。
「ええ。まずはこの世界が光の支配下になった頃の話をしましょう……
その昔、黒曜がまだ幼き頃。
世界には深淵と呼ばれる形なき闇とそれが生み出す魔獣が世を支配しておりました。
同じ深淵の闇から、そこから派生して生まれたのが我々魔族であり、闇の力を使い、魔獣を狩って生きておりました。
それと同じく、遠い地に光が存在し、そちらから生まれたのが人族、そして獣たち。それは対であり、お互いに干渉することなく暮らしていた。
ある時、人族は数を増やし、争いをはじめた。
そしてそこには、光の民には扱いしれぬ深淵とは別の『闇』が生まれたのです。それが全てのはじまりとなりました。
新しい闇に飲まれた人族を手助けしようとした魔族がおりました。しかし、その魔族は帰りませんでした。魔族を知った人族は、魔族が持つ力、闇の恐ろしさを知り、利用しはじめます。
そしてより強い魔族を封印の要として用いて、自分たちがより暮らしやすい、新たな世界へと作り変えはじめました……」
「支配の魔王ノクティス、絶望の魔王ミゼラ、殺戮の魔王ヴォルグ、幻影の魔王ルーナリア。
この4人がその者たちの名です。ノクティス、あなたは、一番最初に封印の要として封じられた。
他の三人はそれでも足りない部分を埋めるために少しずつ増やされ、四人で強固な封印を作ったと聞いております。
私たちの森の近くにはミゼラの封印があります、『嘆きの古城』と呼ばれる廃城がそれです。
この城は、かつて光の教義を熱狂的に信奉していた貴族の一族が住んでいた場所。
ミゼラを封印したのは、その一族の長であり、聖典評議会の初期の協力者であった聖騎士イグニス。
イグニスは、自身の信仰する光の力の絶対性を証明するため、ミゼラを武力ではなく、信仰による精神的な魔力の源とする特殊な結界で封印したと言われておる。
しかし、ミゼラは封印される際に、イグニスの信仰の裏側にある、人間としての深い絶望、彼が密かに犯した罪や、自己嫌悪を増幅させた。その結果、イグニスはミゼラの封印を完成させた直後、その精神的な苦痛に耐えかねて自害し、一族もろとも古城は荒廃した。
評議会はこの事実を徹底的に隠蔽し、古城を呪われた場所として、ミゼラの封印が解けるのを恐れながら監視し続けていた。
そこを我々エルダードリアードが、森を少しずつ広め、光の軍勢が入らぬように隠しております」
「ミゼラ、か。その名は聞いたことがないな」
「あなたのいなくなってから、かなり後のことでしょう。ミゼラに関する記憶を、この葉に込めてあります」
五本指が分かれたような大きな緑の葉を手渡され、十六夜が受け取った。それを顔に近づけ瞼を閉じる。
「ミゼラはまだ年若い女性だったようです。彼女の一族の能力は、物理的な力ではなく、対象の精神構造に直接干渉することにあった。その中で力が強く、そして若く扱いやすかったが故に捕まってしまったのですね。
彼女の魔力は、触れた対象の最も深い絶望、トラウマ、後悔、罪悪感といったネガティブな感情を、現実の幻影として視覚化し、数百倍に増幅させます。これにより、対象は自らの精神的な苦痛に耐えきれず、自壊または狂乱状態に陥ります。
次に精神の支配。絶望によって精神が崩壊した対象は、彼女にとって抵抗の意思を持たない傀儡となります。彼女は、相手の絶望を鎮める代わりに、絶対的な服従を要求することで、遠隔地から人間や魔族を支配することが可能です。
評議会がミゼラを恐れたのは、その力が信仰や武力といった精神的な支柱を根底から崩壊させ、無秩序なパニックを世界中に引き起こす危険性を持っていたからです」
「ええ。そのミゼラの封印が、崩壊寸前なのです。黒曜、あなたの封印が解け、各地の均衡が崩れた。私たちに力も戻るが、それ以外にも影響が出ている。ミゼラは自分を捕まえた者たちに報復すべく、精神支配の能力を周囲に拡散しようとしています」
闇の王妃・十六夜は沈黙していた。黒曜と十六夜は闇の統制に加え、評議会の足取り探しに注力していて、それを中断し更に新しい闇の統制に力を動かす余裕はなかった。
「そして、アストリアの残党と思われる勢力が、ミゼラの封印された力をどうにかしようと、森をあらし古城を探している兆候が見られます」
十六夜は、冷徹に判断を下した。
「ジャンヌ、あなたに任せても良いかしら? 問題は、武力ではなく、精神的な安定—すなわち心で解決しなければならないところかしら」
ジャンヌは、即座に敬礼し任務に志願した。
「王妃陛下。ミゼラは絶望を操る魔王、絶望を知る者でなければ、彼女とは対話できません。私にお任せください。テルネブラの指導者として、精神的な無秩序の拡大は防がなければなりません」
十六夜は黒曜の方へ顔を向けた。
黒曜はひとつ頷いただけだが、二人にはそれで充分だった。
「それでよろしいかしら?」
十六夜はシーダーへ視線を動かした。
表情の見えない顔つきだが、シーダーは頷いたように見えた。そしてジャンヌの方へ頭を下げる。
「頼みます。古き友、ナイトエルフの力を信じます」
十六夜は、絶滅の恐怖を乗り越えたジャンヌ強さを理解していた。彼女の経験こそが、この任務の鍵となる。
「ジャンヌ、必ずハドソンを伴いなさい。私が解読した、ここにあった封印の術式を教えましょう。しかしミゼラが同じ術で封じてあるとは言い切れない……カサネ、ホヅミの部下から精鋭を少数選別して同行させて」
カサネはすぐに一礼すると、その姿は闇に消える。そして闇から一言聞こえた。
「直ちに」
「ジャンヌ、ミゼラの精神支配は、簡易的な精神防御結界では防げません。あなたの強い意志が唯一の武器です」
「御意」
ジャンヌは、すぐさま出立の準備をすべく茶会を後にする。ゲートをくぐり、テルネブラに戻ろうとすると、シーダーがあとをついてきた。
「共に参ります」
「なんと心強い。助かります」
ジャンヌはハドソンに事情を伝え、すぐ支度を整えると、精鋭たちと共に嘆きの古城へと向かった。彼女の胸には、十六夜から学んだ確固たる信念が宿っていた。




