第十五話 鮮血のナイトエルフ、ジャンヌ
ーーテルネブラ、地下指令室。
そこにはジャンヌ、ハドソン、五名の新兵がいた。
ジャンヌが咳払いをして挨拶をした。
「では改めて、私はジャンヌだ。テルネブラは現在王族たちが引退して、私を代表として、新しい国として独立するために動いている。君たちはこれから国を守力となる。最初の仕事として国境の警備を任かせる。何かあればこの通信装置から連絡してくれ」
ハドソンが小さな丸い首輪のようなものを渡した。
「首につけてください。中央の丸を押すと本部に繋がります。指示もそちらに流れますが、隊員倒しの連絡はできません。何かあればすぐに本部へ」
「はい!」
新兵たちは足早に担当場所は散っていった。
「彼らもまたいい兵になるといいですね」
「ええ。今はいい流れになっているけど、まだ以前のように後ろ向きな思考のものも多い。人が増えたことで小さな争いもあるが、闇の秩序のおかげで大きな喧嘩にはならない。このまま何も起きないといいけれど」
ジャンヌは心配そうな顔をした。
彼女はいまだに自分の中にある不安と闘いながらなんとか前を向いている状態だった。
「大丈夫ですよ。もし何が起きても、今のあなたならなんとかなるでしょう」
「そうだといいわね……」
ハドソンがフォローするが、ジャンヌの不安が消えることはなかった。
次の夕暮れの頃だった。
何やら街中が騒がしく、司令室には兵士が一人駆け込んできた。
「ジャンヌ殿! 国境で争いが起きています!」
「何ですって! 急いで向かうわ!」
危険な場所はお任せしますと、ハドソンが司令室に残った。ジャンヌは一人走って国境へ向かう。
腰にあったポーチから、宝石のような飾りを取って額につけた。これは映像を残す器具らしい。
「急がないと。夜になるとまずい」
ここら辺は、気温の変化が激しい。夜になると急速に冷える。兵士たちには温度変化に弱い種族や、寒さに弱いものもいる。それぞれの長所と短所は理解した上での配置になっている。
「今はちょうど交代の時刻だろうか。その隙をつかれたのかもしれない」
ジャンヌの走る足に力が入る。
瞬間、駆けたつもりのジャンヌの体が宙に飛んだ。
「なんだ? この力は……」
ジャンヌの身体能力が、日常のそれとは比べ物にならないほど高くなっているようだ。
建物の屋根を飛びまわり、あっという間に国境まで着く。その手を握り締め、みなぎる力に驚きながらも警戒は怠らない。
国境線の少し先で煙が上がっていた。
気配を確かめると、十名ほどの襲撃があり、国境の警備がそちらまで出ているようだ。
そしてその横からさらなる襲撃者の気配。こちらの大きな戦闘は揺動のようだ。本命はこの隙に国内まで入るつもりなのだろう。ジャンヌは今までにない気配の察知能力に驚きながら、ある言葉を思い出していた。
「「魔力の回路を最適化した。今日明日は体調を崩すかもしれないが、そのうち信じられないような力が出る…かもな」」
黒曜様が何かをしたあの後、ジャンヌの体には特に体調を崩すなどの変化がなかった。何も起きないことに少し気を落としたこともあったが、黒曜様の力が信じられないのではない、自分の中にあるという力が信じられなかったのだ。
「もしかして今、何かが起きているのか」
全身の血液が熱い、研ぎ澄まされていく感覚が彼女の気持ちも沸騰させていく。
ジャンヌは一歩踏み出し、踏み込むと、その姿は一瞬にして消えた。
国境線付近、揺動部隊たちを横目に兵士のいない隙をついて侵入を図る集団がいた。
「魔族は人ではない! あいつらより優れた俺たちがこの国をもらうぞ!」
走る男たちの上を何かの影が通った。沈みかけた真っ赤な夕日が照らす中、背後に何かが立ったのだ。
「なんだこいつは!」
「それはこちらの台詞だな」
夕陽を浴びて真っ赤に輝く、驚くほど冷静で狂気に満ちた目つきをしたジャンヌだった。
「何しにきたんだ、お前たち」
男たちの集団は、揃って大きな声で笑い出した。
「この国を、もらいにきたのさ! ここはこれから俺たちの国になる!」
「お前みたいなひょろひょろの女しか兵士がいないなんて気の毒だな」
「魔族は虫以下だ! そんなやつに国なんていらねえ!」
「俺たちがうまいもん食えねえってのに、お前がいい暮らししてるなんておかしいぜ!」
一番体の大きな男が前に出る。
「というわけさ。この国はおれたちがもらうぜ!」
手に持った棍棒を振り回して、ジャンヌに向かっていく。ジャンヌは何人が向かってきても容易くかわし、ひときわ高く背後へと飛んだ。
「お前たち、なぜ闘いにこれた? 強い悪意なら、闇の秩序に制裁させれるはずなのだが……」
ジャンヌの額につけた器具を使い視界共有をしていたハドソンが、通信装置を使い話しかけた。
「全く速すぎて目が回りました。悪意の反応はないようですよ、ジャンヌ。その者たちは悪意ではなく、本当にそう思っているようです。悪い気持ちは1%もないのですよ」
ジャンヌが虫を見るような目つきになった。
「光の思想は、そこまでに根強く人間の心に巣喰っているのか」
男たちが急に慌て出し陣形をとる。
騎士崩れか盗賊か、ある程度の戦闘はできる者たちのように見えた。
「なんだこいつ! 人間の動きじゃねえぞ」
「魔族はこんな奴ばかりなのか? 聞いてないぞ!」
少しずつ見える恐怖の色、そこには少しずつ闇の気配が忍び寄る。
「お前たちには私から、闇の秩序を与えよう」
ジャンヌの瞳が一際強い輝きを見せた。
黒曜の力のような、わずかな漆黒の力が体のまわりに浮かぶと、ジャンヌは瞬間移動したように男たちの中心に飛んだ。その手には剣が握られていた。
「なんでここに!」
一人が言った、と思った時には、その男以外は皆地面に伏していた。ジャンヌが剣を振り、そこについた汚れを払った。
「さて、残りのひとり、お前。ここにきたもう一つの集団以外に仲間はいるのか?」
一番小さく、気弱そうな男は倒れた仲間を見て絶望の表情になる。ジャンヌを見る顔からは血の気が引いている。
「こ、答える必要はない!」
「そうか」
その後すぐに、男の頭は地面に埋まっていた。
ジャンヌは今まさに戦闘している集団の方に駆けていく。
「くそ! こいつらなんでこんな時に!」
兵士たち交代の時間、まだ夜の部隊が来るまでには少し時間があった。気が緩んできたのかもしれない、それは全員の心に浮かんだ言葉だった。
はじめての襲撃、今まで誰かに襲われることはなかった。闇の秩序に安心していたせいでもある。そして、はじめての実戦。彼らは今まで、ただ生きることに絶望していただけの何もできなかった魔族。
ジャンヌに触発され、憧れ、勇気を出したばかりの訓練し始めたばかりの兵士だった。
部隊長が異変を察知して、町への入り口付近からは引き離したものの、戦闘が長すぎる。このままでは体力の限界がすぐにくるだろう。
「へっ、雑魚め! お前たちがいい暮らししてるなんておかしな話だぜ!」
敵は不思議と逃げ回わるばかり、こちらの体力がなくなるのが先なのは明らかだ。
「まずい、このままでは……」
六人いる兵士たちのうち、今日配属の新人が二人。その二人はもう限界で、先ほどから立っているだけでやっとの様子だった。
夕日が真っ赤に辺りを照らしていた。
そろそろに日が暮れる、赤い光が強く輝いた。
「待たせた」
光は戦闘の中心に落ち、それは夕日を浴びたジャンヌの髪だと兵士たちが気づいた頃には、襲撃者は全員沈黙していた。
「大丈夫か?」
ジャンヌが兵士たちの方へ駆け寄る。
そこにはいつもの少し不安そうなジャンヌの顔があった。
「ジャンヌ殿! なぜここに?」
「ジャンヌ殿?」
「今襲撃が! あれ?」
兵士たちはやっと、襲撃者が全員倒れていることを認識したのだった。
「良かった。みんな無事ね…」
その日からジャンヌは兵士たちからより強く憧れや尊敬の眼で見られることとなった。
『鮮血のナイトエルフ、ジャンヌ』
彼女の物語はここからがはじまりだった。
ーーテルネブラ、地下指令室。
魔導通信板には、ジャンヌが作成した最新の配給記録と、衛生改善の進捗グラフが映し出されている。指導者としての彼女の視線は、もはや悲壮感ではなく、明確な目標と効率を捉えていた。
「ハドソン。本日の食料配給は誤差1%以内。ノクティス・ベイルのシステムは、私たちの国を、まるで正確無比な機械のように動かしているわ」
隣で魔導炉の出力を確認していたハドソンは、満足げに頷いた。
「ジャンヌの統率力があってこそです。そして何より、闇の王妃陛下の合理性が、私たちの知性を解放してくれた。資源の不足を誤魔化していた旧体制とは、もう別世界です」
ジャンヌは、ローブ改めて身に着け刀を腰にさすと、立ち上がった。銀色の髪は戦闘に適した編み込みのままだが、その姿にはかつての戦闘指揮官ではなく、統治者としての威厳が加わっていた。
「私の仕事は、この地下指令室だけではない。この秩序が、民の心に定着しているか、この目で確認し、浸透させなければ」
ジャンヌが地上に出ると、目の前には数ヶ月前まで荒涼たる砂漠と粗末な穴蔵だったテルネブラの街並みが見える。
そこには今、クロガネの技術で再建された、均質で清潔な居住区が並んでいる。最も大きな変化は、中央広場にあった。以前は水汲みを巡る争いが絶えなかった広場には、ノクティス・ベイル式の魔力駆動の浄水塔が立ち、そこから配管を通じて、温かい水が各戸に供給されている。
ジャンヌは、道端で歓声を上げている子供たちの姿を目にした。彼らは、以前なら病や飢餓に苦しんでいたはずの存在だ。
「ジャンヌ様!」
一人の年老いた魔族が駆け寄ってきた。彼はかつて、指導者に不満を抱き、争いを起こそうとしていた男だ。
「ありがとうございます。私は、以前は飢えと寒さの中で生きることを強いられていました。今、私の息子は魔力炉の整備士として配属され、私自身は資材配給係として働いています」
深く頭を下げ、ジャンヌを拝むように手を合わせた。
「私の仕事は、この街の秩序を維持することだ。以前のように、血筋や力で仕事が決められることはない。貴方の能力と労働が、そのまま貴方の生存と豊かさに繋がる。それが黒曜陛下と十六夜王妃陛下のもたらした闇の秩序だ」
ジャンヌは強く言い切った。
男は深く頭を下げた。
「私たちは、光の教義よりも、闇の秩序のほうが、遥かに公正だと知りました。陛下と同じ魔族であることをこれほど誇りに思ったことはありません」
ジャンヌは老人に手を振り、国境付近へと向かった。
窓口にはアストリアからの亡命希望者が、列をなしている。彼らは人間、そして魔族たちだ。
襲撃にあったからというもの、門を建設し、強固なセキュリティを築く準備も進めている。
あの襲撃者たちのおかげで、ジャンヌと兵士の意識が変わった。
闇の秩序にいれば良い、という安心感だけでない、それに加えての自衛の重要さ。秩序という支配の中にも、それに縛られず外れるものがいるということ。
襲撃者がきたという噂が広まった後も、人の流れは増え続けている。彼らの多くは、光の教義による汚職と、不平等な配給システムに苦しんできた人々だった。
「ジャンヌ様。アストリアの亡命者たちが、私たちを希望の要塞と呼んでいます」
「そうか。彼らの目は、かつての私自身の目だ。偽りの光に絶望し、真の生存を求める目だ」
ジャンヌは厳かに言った。
彼女は、亡命者の列の前に立ち、力強い声で宣言した。
「ここ、テルネブラは、闇の秩序の下にある。血筋、種族、過去の信仰、全て問わない。今我々に必要なのは、労働への献身と秩序の遵守のみだ。より早い独立と発展に協力してくれ!」
補足するように、後をついてきたハドソンが話した。
「もし君たちが能力を持ちながら、不合理な制限に縛られていたならば、ここでその知性と力を解放しなさい。闇の秩序は、君たちの生存と尊厳を守る。そしてこの国の発展を促し、豊かな生活へと合理的に結びつけるための、力となるだろう」
彼女の言葉は、亡命者たちの心に深く響いた。闇の王の軍団の強さではなく、秩序の公正さこそが、彼らをテルネブラへと引きつけていた。
日が沈む頃、ジャンヌは再び地下指令室へと戻った。
部下が食事を運んできた。
「お疲れ様でした、ジャンヌ殿」
「ありがとう」
ハドソンがテーブルの対面に腰掛けると、今日の様子を報告した。
「街の魔力効率も安定しています。全てが順調です」
ジャンヌは、満面の笑みを浮かべた。その琥珀色の瞳は、穏やかな光を宿していた。
「ハドソン。私たちが、十六夜陛下に最初に謁見したとき、私はただ絶滅を恐れる弱き指導者だった。だが今は違う」
彼女は、指令室の壁に貼られた、テルネブラの発展計画図を眺める。
「私たちは、闇の秩序という名の武器を手に入れた。この武器は、武力よりも遥かに強力で、世界を良い方向に導く真の力だ。私たちは、もう、絶滅を恐れない。ただ、十六夜陛下の示す永遠の共存の秩序を、このテルネブラで完成させるだけだ」
テルネブラは、ジャンヌという新しい指導者と、闇の王妃の秩序によって、確かに再生の道を歩んでいた。




