第十一話 辺境の魔族ジャンヌと元賢者ハドソン
世界への波紋と辺境からの使者
あたりは砂漠で囲まれ、家というには穴の多い粗末な建物がまばらにある。
ここは辺境の「魔族の国テルネブラ」の、深く隠された地下指令室。
その部屋は粗末な石造りだが、部屋の中央には、賢者ハドソンが独自に開発した、魔力解析装置が輝いている。
魔族の指導者ジャンヌは、その解析装置の前に立っていた。彼女はまだ若いが、その全身には、長年にわたる迫害と戦闘の傷跡が数多く刻まれている。
「ハドソン。帝都から届いた映像は、どこまで信用できる?」
ジャンヌが問う。
二人が見ている画面に映し出されているのは、闇の王妃・十六夜の戴冠式の映像と、聖女の姿のエドワードが公共事業に従事する姿。
映像は、カサネの情報網を使い、帝都から秘密裏に世界中の有力者に配信されているものだ。
ハドソンは、もともと、世界最大の国、光の王国アストリアの最高技術者だったが、数ヶ月前に魔族の国に劇的に亡命してきた。
彼は、その合理的で無感情な瞳で分析結果を告げた。
「ジャンヌ。この映像が偽りである可能性は、0.03%です。特に、ノクティクスベイル帝都の浄水・暖房システムが、空気中の遊離魔力を利用した永久機関に近い構造であることは、私の解析で確認が取れています。実に素晴らしい技術です。これは光の魔術では実現不可能な、新技術です」
ハドソンは、光の王国にいた頃、技術が常に光の教義という不合理な制約に縛られることに苦しんでいた。
「そして、こちらをご覧ください」
ハドソンは、別の画面に、アストリアの外交・軍事の最新情報を表示させた。
「アストリアは、闇の王の解放により、ノクティクスベイルの帝都で処理していた世界の負の闇が、光の中心である自分たちの国に逆流することを極度に恐れています。彼らは軍備を増強していますが、その予算は神殿の汚職によって大幅に水増しされています。よほど恐れているのでしょう。彼らの光の教義は、技術の進歩と、知性の自由を抑圧する、理不尽な力そのものなのです」
ジャンヌは、疲弊した自国の状況を思い浮かべ、拳を強く握りしめた。
「私たちの国は、もう限界だ。長年の迫害で力は抑え込まれ、周辺の人間国家群は、私たちを闇の残滓として排除しようとしている。そしてここへきてこれだ。闇の支配者の登場。ただでさえ弱い我らは、先に標的にされるだろう」
「ええ、そうでしょうな。近くて弱くて、実にやりやすい戦争となるでしょう」
「彼らの言う光の平和は、私たちの『絶滅』の上に成り立っている。魔族にとっては平和なんて訪れたことはない」
ハドソンは、淡々と技術者の視点から進言した。
「ジャンヌ。我々が生き残る道は一つ。あの闇の王妃・十六夜が築いた秩序の下に入ることです。彼女は感情ではなく効率で動く。そして何より闇の力を知っている、我々にない知識があることでしょう。彼女は私たち魔族を尊厳ある生存として認め、世界の安定という彼女の目的に組み込むことができる、唯一の人間です」
ジャンヌは、玉座の間の映像をもう一度再生してじっくりと見た。そこに映る十六夜は冷酷だが、その瞳には知的な支配者としての確固たる意志があった。
「闇の王妃は、私たちに臣従を求めるでしょう。彼女は人……それは屈辱だが、偽りの光の支配下で滅びるよりも、真の秩序の下で生きる方が、私たちの魔族としての尊厳を守れるかもしれない……」
ジャンヌは、意を決したように立ち上がった。
ローブに隠れていた、顔がよく見え、銀色の髪が靡いた。常に戦闘に適した編み込みにされているようだ。その瞳は鋭く琥珀色に輝いていた。
「ハドソン。私の力、そして貴方の知恵とアストリアの極秘情報を、闇の王妃への最高の贈り物とする。私たちは、命懸けの交渉に向かおうじゃないか。闇の王妃に、私たちの生存と尊厳を、彼女の世界秩序の戦略に組み込ませる!」
こうして、ジャンヌとハドソンの二人は、帝都への命懸けの旅に出ることを決意した。彼らの行動は、世界を動かす最初のドミノとなる。
ーー数日後、帝都の闇の王宮、第一執務室。玉座には闇の王・黒曜と王妃・十六夜が並び座り、傍には三人の側近が並んだ。
彼らの前に、異国からの客人としてジャンヌとハドソンが案内された。彼らはボロボロのローブ姿であったが、旅の疲労を隠し、毅然とした態度で頭を垂れた。
十六夜は、二人の背後にある滅亡寸前の絶望と、そこから生まれた生存への強い意志を即座に読み取った。
「ようこそ、辺境の魔族の国からの使者、代表のジャンヌ。そして、付き添い人、光の王国の元賢者、ハドソン」
十六夜は、ジャンヌの瞳を冷徹に見つめた。
「あなた方がここに来た理由は明白です。偽りの光の支配下で死ぬか、私の絶対的な秩序の下で生きるか。その選択を迫られている」
ジャンヌは、玉座にひざまずいたまま、迷いのない声で訴えた。
「その通りです、王妃陛下。私たちの国は、もう限界です。周辺の人間国家群は、陛下方の共存の誓約が発動した今、闇の勢力拡大を阻止するという大義名分のもと、私たちの国を完全に滅ぼそうとしています」
側に控えていた宰相カサネが補足する。
「そのようですね。戦争の準備は進んでいるようですが、第一の標的は我が国ノクティクスベイル帝国ではなく、魔族の国テルネブラのようです。まあおそらく踏み台にしやすいからでしょうね」
ジャンヌは苦い表情になり、顔を伏せた。
「私たちの国の王は、あまり戦う意志が見られません。もう抗うことを諦めているのです。ですから、私はここへ来た。帝国の武力を求めているのではありません。私たちが求めているのは、陛下方の知恵と、技術です。秩序をもって生きる尊厳を、私たちにも与えていただきたいのです! どうか、闇の眷属である魔族に救いを!」
次に、ハドソンが冷静な口調で続けた。
「私は、この尊厳ある生存という要求を実現するための、最高の贈り物を持ってきました」
ハドソンは、一冊の分厚い羊皮紙の束を差し出した。
「これは、私がアストリアにいた頃に観測した、古の契約の魔力の歪みに関する全データ、そして、アストリアを裏で操る『聖典評議会』の、腐敗した経済構造と、神殿の隠し資産に関する詳細な情報です。この情報は、彼らのー偽りの光ーの根幹を内側から崩壊させる、最高の道具となります」
十六夜は、この二つの贈り物が、世界を動かすための完璧な駒であると即座に理解した。ジャンヌは大義名分、ハドソンは具体的な武器だ。
十六夜は、ハドソンから羊皮紙を受け取ると、隣の黒曜に目をやった。
そして小さく二人にだけ聞こえるように囁いた。
「旦那様。これで、私たちは、世界を救う闇の秩序を、正当な武力をもって行使する最高の機会を得ましたわ」
黒曜は、十六夜の手を優しく握った。
「お前の知性が命ずるままに。私の力は、その秩序を保証するためにある」
十六夜は、玉座から二人に判決を下した。
「ジャンヌ。貴方の要求を、私たちは同盟という形で受け入れましょう。ただし、条件があります。貴方の国は、直ちに帝都の秩序モデルを完全に導入し、自分たちを守ることに固執して動けずにいる王族を排して、貴方とハドソンが全権を握ること。古い無秩序な伝統は、一切認めません」
「私たちが国を率いる……」
「それはそれは、大変なことになりそうですな」
「ハドソン。貴方の技術の自由は、この帝都が保証します。ただし、貴方の知識と技術は、すべてクロガネの指揮の下、魔族の国の防御を絶対的なものにするために捧げられます。裏切りは許しませんよ」
「御意。私は自由な研究さえできれば」
ジャンヌは、喜びと感謝の念をもって、顔を上げた。
「御意! 私たちの尊厳が守られるならば、私たちは陛下方の秩序に、全力を尽くします!」
十六夜は、カサネに鋭い指令を下した。
「そうか、その瞳。お前はナイトエルフの一族か」
「ええ、彼女は闇の力が溢れていた時代、溢れる魔獣を討伐する旅をしていたナイトエルフの末裔ですわ。今はその瞳でさえ、先祖帰りでもなければ見ることはないそうです」
ジャンヌは自分の事についての話であったが、何もわからないようだった。
「面白い。その力、先祖の頃のように戻してやろう。全ての抑制を外すぞ」
黒曜はジャンヌの方へサッと手のひらを向けて、空中で何かを握りつぶした。
途端、何かの弾ける音がしたが、ジャンヌの体に特別な変化は起きなかった。
「何か起きたのですか?」
ハドソンが黒曜のした何かに興味を惹かれ、隣にいたジャンヌを調べるように見つめている。
「魔力の回路を最適化した。今日明日は体調を崩すかもしれないが、そのうち信じられないような力が出る…かもな」
「ありがとうございます! 陛下!」
ジャンヌはまだ実感のわかない変化だが、帝国の主人から賜った力にとりわけ大きな感謝を伝えた。
その様子を。十六夜はとても穏やかな笑顔で眺め、そして黒曜を見つめた。
黒曜も十六夜見つめ微笑み返した。
二人は頷きあい、十六夜がカサネに合図を送り、指示を出す。
「カサネ。ハドソンの情報と、あなたの情報網を統合しなさい。隣国アストリアの外交・経済構造の弱点を徹底的に洗い出し、聖典評議会の喉元に、最も鋭い針を突きつけなさい」
「そしてクロガネ。ジャンヌとハドソンと共に、直ちに魔族の国へ向かい、闇の防御技術をもって鉄壁の防壁を築きなさい。彼らに、偽りの光の武力が、私たちには一切通用しないことを証明し、見せつけるのです」
こうして、闇の王妃の世界秩序の再構築戦略が、今、始動した。魔族の国は、十六夜の知恵と黒曜の力によって、世界を変えるための最初の要塞へと変貌しようとしていた。




