なでなで、ぎゅっ
彼女は、ふわふわのサイドテールを軽やかに揺らしながらこちらに向かってくる。
私の目の前まで来ると、金平糖みたいに甘くてかわいい笑顔を浮かべて、ぎゅっとしがみついてくる。そして、こう言うのだ。
「えへへ。せんぱいの抱き心地、今日も最高です!」
いつからだろうか、これが日常になったのは。頑張って思い返してみるけれど、彼女の無邪気なしぐさに思考を邪魔されて、思い浮かんだことが霧散していく。
これもまた、いつものことなので、特に気に障ることでもない。
「あなたの身体、あったかくて気持ちいい。……それで、今日はどうする? 行く?」
「あっ、はい! 移動しましょう!」
今は放課後。学年が違う私たちは、こうして落ち合って屋上に行くことがよくある。談笑したり、ぼうっとしたり、勉強を教えてあげたり。
彼女は、職員室前に落ちていた屋上の鍵を勝手に拾って私物にしてしまったらしい。立派な窃盗だと思うが、先生たちにばれているわけではないし、気にすることもないだろう。
「せんぱい、今日はぽかぽかでいい天気ですよ! 何しましょうか〜」
「それじゃ、お昼寝でもしちゃう? 夕方だけどね」
「夕焼け空の下、肩を寄せあって眠る女子高生……エモエモのエモです!」
くだらない話をしていると、あっという間に扉の前だ。彼女が鍵をはめて回せば、扉が開いて外の空気が一気に入りこんでくる。
足を踏み入れてみると、なるほど確かに心地いい。これはお昼寝コースまっしぐらだ。
「もう眠くなってきちゃいました、せんぱい!」
「それにしては元気そうね……」
きらきら輝いた笑顔を向けてくるものだから、私は思わず苦笑する。この子を見ていると、いつも気づけば口元が緩んでいて、こんな私は良くないな、と思う。
だけど、その思考すらも愛おしく思えてきてしまうから不思議だ。彼女はきっと、人間を超越した天使とかの類の存在なんだろう。馬鹿げた話ではあるが、それ以外にこの感情を説明する方法が分からない。
あれこれ考えていると、彼女は私の手を取って、日陰になっているフェンスのそばまで連れてくる。ここで寝ようという腹づもりか。
ふたり並んで、フェンスにもたれかかるように腰を下ろす。彼女が身体をもぞもぞと寄せてきて、なんだかくすぐったかった。触れた部分が、妙に熱を持っている気もする。
自分でもよく分かっていないけれど、とにかくこのままではみっともない姿を見られてしまいそうで、私はおとなしく眠ることに決めた。心頭滅却だ。
どうせなら、先輩らしくかっこいい姿を見せていたい。
「あれ? せんぱい、もう寝ちゃった?」
目を瞑って、彼女の声に耳を傾けないように頑張る。私に届く前に空気中で溶けてしまいそうなほどにふわふわな声音なので、そこまで大変ではなかった。
「ふふ、たまには甘えてくれたっていいんですから。いつもあたしばっかりでごめんなさい、せんぱい?」
ここから先のことは、もう思い出せない。
彼女と出会う前の自分は、どんな人間だっただろう。
みんなから信頼されていて、普段から努力を欠かさず、それなりに楽しくやっている。別に、不満があるわけではない。だけど、何かが足りないような感じがして。
心にぽっかりと穴が──なんてのは大袈裟な表現だ。ただ、埋まっているように見えてはいるけれど、私の心は少しだけ容量が大きかった、そういう話だ。
そんな、味気ない毎日を過ごしていた私のもとに現れたのが、ふらふらと危なっかしく歩いている彼女だった。
原因はただの寝不足だったけれど、彼女ははじめから距離感がおかしかった。手を繋いだうえで腕を組んできて、私はそのまま彼女を保健室に連れて行ったのだ。最初の印象は『変な子』だった。
不思議と、嫌ではなかった。だから、こんな秋になるまで関係が続いているんだと思う。
「────!」
耳にやさしい声がきこえる。
「──ぱいっ」
意識が覚醒していく。
「せんぱい?」
「ん、ん〜…………ひゃあ!?」
目を開くと──眼前に、彼女の顔があった。自分の体勢を確認してみると、どうやら膝枕されているようだった。
「え、えっと……重いよね、ごめんね?」
そう言って、慌てて起き上がる。下を見ると、白くて柔らかそうな彼女のふとももがさらけ出されていた。私は、これを枕にして寝ていたわけか。数秒前に戻りたくなった。
地べたにぺたりと座ってひと息つく──なんて暇はなく、彼女はなんと、いきなり私の頭を撫でてきた。
「へっ!? な、なんで撫でるの……?」
「なんで、って。そうですね〜……」
私の頭上で手を滑らせながら、残った手の指を顎にあてて思案する彼女。
「あたしの膝で寝てるせんぱいがかわいかったから、ですかね!」
「……なにそれ。恥ずかしいんだけど」
私は、じとりと彼女に視線を送る。彼女はそんな私を気にしたふうもなく、らしくもない艶やかな笑みを浮かべて言い放った。
「せんぱい。かわいがってあげますから、もっと甘えてくださいね?」
──一体いま、私はどんな表情をしているのだろう。自分を客観視する余裕なんてなくて、ただ顔が熱いことだけひどく感じられた。
後輩にここまで翻弄されるなんて、私はどうかしている。
けれど、同時に腑に落ちてもいた。私はたぶん、誰かに甘えたかったのだ。今までは『甘えられる側』に徹してきたから、どこかで満たされない気持ちになっていたのだろう。
──いや、それでも。家族以外に、ましてや後輩女子に甘える方法なんて、知るはずもない。
「私、なにすればいいの?」
「それじゃあ……」
彼女は私と向き合って、腕を広げた。
「──おいで、せんぱいっ」
また、その顔。あなたにはもっと、無垢で元気で、チューリップみたいな表情が似合うはずなのに。
でも蠱惑的なその笑顔も、やっぱりすごく似合っていて、なかなか鼓動が収まってくれない。
このどきどきの正体に目を逸らしていたくて、私は思いっきり彼女に抱きついた。ずっと、細くて折れてしまいそうだと思っていた身体は、予想通りに華奢だった。この中に臓器が入っているのだと思うと、少しだけへんな気持ちになった。
早まっていく鼓動をつぶすように、彼女の胸に頭をぐりぐり押しつけた。その心臓は、私と同じくらい忙しなく動いていた、のかもしれない。
学校の屋上×百合、良すぎ。
せんぱい、と平仮名なのがまたかわいらしいですよねぇ。そしてせんぱいもかわいい。みんなかわいい。ハッピ──────!