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第8話 呪われた王子の選択

 暖かな陽光、透き通った青空。生き生きとした鮮やかな緑の葉が、風に揺られて音を立てた。

 ローズが初めてヴァルセンと出会った、五月半ば。

 そこから早くも二週間が経ち、季節は夏へと移り始めていた。


「穏やかなお茶日和ですねぇ」


 初夏らしい空気感と湿気が少し残る、晴れた空の下。

 ローズは屋敷の庭にあるガーデンテーブルを挟み、ゆっくり流れる時間とお茶を楽しんでいた。

 彼女がいるのは、重厚なレンガ造りの壁面と美しいアーチの窓が特徴的なバラ屋敷。

 王宮の敷地からある程度離れた場所に建つ屋敷には、人が訪れることは滅多にない。

 そのせいか、石畳の小道には雑草が生い茂り、時折バラの蔦が絡みついていた。


「何言ってるんだ。いつも同じだろう」


 ヴァルセンがあっさりとローズの感想を切り捨てた。

 二人の関係性は相変わらずだった。

 しかし、変わったこともあった。

 それは――。


「ヴァルセン様……、少し変わりましたよね」

「は?」


 ヴァルセンの態度が以前よりも柔らかくなっていることだった。


「何を訳のわからないことを……。それよりもお前、暇なのか? 毎日のようにここへ来てないか?」

「毎日のように来ていることは否定しませんが、暇ではないですよ」

「どの口が言うんだか」


 それこそ以前は、拒絶に近い状態だった。

 だが、今は話すのは面倒くさがるものの、少なくとも追い返すことはしない。

 ローズの話を少しは聞くようになり、舌打ちの回数も減った。

 本当に些細な変化だが、ローズにとっては大きな変化だった。


「おい、何か言いたいことがあるのか?」

「えっ?」

「さっきから人のことをジロジロと見て……」

「あっ、えっと……。あのヴァルセン様、手を怪我されたんですか?」

「怪我……?」

「はい」


 ヴァルセンは顔を上げてローズを見た。

 彼の顔には、「何を言っているんだ」という呆れの色が浮かんでいた。


「前々から気になっていたんですが、聞きそびれちゃって……。ヴァルセン様、いつの間にか手袋をつけていらっしゃるので、その……」


 ローズは、ヴァルセンの手に視線を向けた。

 彼は本を持っていた。そしてその手には、黒革の手袋がつけられていた。

 記憶を掘り返してみたが、初めて彼と会ったとき、彼は手袋などつけていなかった。

 だから、怪我でもしたんだろうか、と不思議に思っていたのだ。


「あぁ、これか」


 ヴァルセンはそう言うと、本を閉じて手を見下ろした。


「お前を傷つけないためだ」

「え?」


(わたしを傷つけないため……?)


 ローズは目を瞬かせた。


「……お前、鈍いな」


 ヴァルセンは呆れたように息を吐いた。


「お前の血の匂いは、私には刺激が強すぎる。もう、あんな思いは御免だ」


(血……?)

 

 ローズがその言葉を理解しようと、ヴァルセンに詳しく聞こうとしたときだった。


「……」


 ヴァルセンがふいに視線を動かし、警戒するように屋敷の門を見た。

 その行動に違和感を覚えたローズは、本来聞こうとしていたこととは別のことを彼に問いかけた。


「……? どうしたんですか?」


 ヴァルセンはジッと門を見つめた後、静かに言った。


「匂いがする」

「匂い?」

「鼻につく匂いだ」

「その、匂いっていったい……」


 ローズの疑問には答えず、ヴァルセンは目を細める。


「お前とは違う……」


 ヴァルセンがそう言いかけた瞬間――。

 カツッ、カツッ、カツッ……。

 一定のリズムで石畳を叩く音が聞こえてくる。


(……!)


 ローズはハッと顔を上げた。


「もう一人の聖女様のお出ましだ」


 ヴァルセンがボソッと呟いた。


 柔らかく波打つ明るい橙色の髪。

 純白なドレスを身に纏い、淡いピンクのリボンを腰に結んだ少女がこちらへと近づいてくる。


「リリィ……」


 ローズは思わず、妹の名前を呼んだ。

 彼女はいつもなら、この時間帯は神殿で祈りを捧げている。

 そのはずなのに、妹がここにいる。


「どうしてここに……」


 姉の戸惑いなど知らずに、リリィは歩を進める。

 まっすぐに伸びた背筋、軽やかな足取り。

 やがて、リリィはヴァルセンの前で断ち止まった。

 そして――。


「お初にお目にかかります、ヴァルセン様」


 スッ、とドレスの裾を掴み、頭を下げた。

 無駄が一切ない、洗練された所作。

 彼女のその姿は、まさしく完璧な聖女の振る舞い。


「わたくし、この国のもう一人の聖女。リリィ・ブランシュと申します」


 リリィの澄んだ声が、風に乗って庭に響く。

 彼女の言葉の端々には、自信と誇りが滲み出ていた。

 それらは、姉とは違い、常に優等聖女として称えられてきたリリィだからこそ持ち得るものだった。


「……」


 ヴァルセンは、品定めするようにリリィを見下ろした。

 彼の視線は、初めてローズと会ったときのものと酷似していた。


「……優等聖女がこんなところに何の用だ」


 ヴァルセンのその声には、一切感情がこもっていなかった。

 そんな彼とは反対で、リリィは毅然とした態度のまま笑みを崩さず、顔を上げた。


「ヴァルセン様の傷ついた心を癒すために参りました!」


 リリィの紫色の瞳は、まっすぐヴァルセンを見据えていた。


「心を癒すだと……? 私は傷ついてなどいない」

「そんなことありません! ヴァルセン様は気づいてないだけで、傷ついています! そのために、お姉様が傍にいるのでしょう?」


 リリィは自分の主張を語り始めた。


「お姉様がヴァルセン様の心を癒す? そんなの、無理に決まってます!」


 リリィは大きく一歩を踏み出し、ヴァルセンとの距離を縮めた。


「だって、お姉様はリリィより劣ってます! ね? お姉様!」


 リリィは姉の手を握りしめ、首を傾げた。

 彼女のその行動は、姉に同意を求めているようだった。


「う、うん、そうだね……。リリィは、わたしよりも頼りになる聖女だよ」


(リリィの言うとおりだ。リリィに比べたらわたしなんて……)


 リリィの言葉に、ローズの胸が締めつけられた。

 妹の言葉に、悪意はないだろう。ただ、事実を述べているだけだ。


「……」


 リリィはジーっと姉を見ている。

 しかし、ローズは妹と視線を合わすことはできなかった。

 自分でも気づかないうちに下を向いていたからだ。


「……フッ」


 ヴァルセンは突然、鼻で笑った。


(あぁ、ヴァルセン様にも笑われた……。仕方ないよね、だって本当のことなんだもん……)


 ヴァルセンの反応を見て、ローズは表情を暗くし、反対にリリィは表情を明るくした。


「やっぱり、ヴァルセン様もそう思いますよね!? 貴方の心を癒すのは、リリィですよね!?」


 ヴァルセンの視線が二人の聖女の間を行き来し、目が冷ややかに細められた。


「いいや、お前には私の心を癒すことはできないだろうな……」


 次の瞬間、ヴァルセンの手がローズの方へと伸びた。

 彼女の腕を掴み、グッと自身の方へ引き寄せ――。


「私の心を癒すことができるのは、きっとコイツだな」


 ヴァルセンはローズの顔を見て、そう言った。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

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これからも楽しんでいただけるよう更新を頑張りますので、応援よろしくお願いします!

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