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呪われた王子を救ったのは、劣等聖女でした  作者: 稲風八十八
第1章 呪われた王子と劣等聖女
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第7話 紅き血の誘惑と白い薔薇の消失(ヴァルセン視点)

 自室を侵食するかのように咲き誇る赤いバラを視界に入れながら、ヴァルセンは屋敷に足を運び入れた者の気配を察知した。

 王宮の者たちが動き出すにはまだ早い時間帯。

 静寂に包まれたバラ屋敷に来訪者の姿があった。


「お、おはようございます……!」


 明るく声を張り上げたその人物の声が、ヴァルセンの耳に突き刺さる。


(本当に来た……)


 ヴァルセンは窓際に立ち、屋敷の前に立つ人物を見下ろした。

 そこにいたのは、ローズ・ブランシュ。

 彼の冷え切った心とは真逆に、彼女の長く伸びた茶色の髪は朝日を浴びて輝いていた。


「……」


(あの女の考えていることは理解できない)


 ヴァルセンは窓から視線を外し、静かに部屋を出た。

 怯え、震えるくせに自分に関わろうとする彼女の意図が読めず、苛立ちが募る。


(父上に逆らえずにいるのだろう)


 ヴァルセンは暗い廊下を突き進む。

 彼の足は自然と玄関に向いていた。


(だが、あの女は……)


 そんなことを考えているうち、ヴァルセンは玄関に着いた。


「ヴァルセン様! おはようございます!」


 ローズの声と軽快なノックの音が玄関に響く。


(……あぁ、鬱陶しい)


 ヴァルセンは眉を寄せ、深く息を吐いた。

 彼は、物心がついた頃にはすでに一人だった。一人でいることに慣れていた。

 それなのに、今になって自分に近づく。今まで誰も寄りつかなかったくせに今さら何だ、と。

 まるで、自分の心の領域に土足で踏み込まれたような感覚だった。


(何であれ、所詮は父上の駒。操り人形が自分の意思で動くはずがない)


 ヴァルセンはドアノブを掴み、そして一気に扉を開いた。


「……朝からうるさい女だな。こんな早くから何をしに来たんだ」


 突然現れたヴァルセンに驚いたのか、ローズは目を見開いた。

 彼の気も知らずに、彼女は臆さず言葉を返した。


「昨日、お話を聞いていただけなかったので、改めて来ました!」


(……)


 ヴァルセンはローズを一瞥した。

 昨日とはずいぶん様子が違う。

 震えて不安げな表情を見せていた人物と同一人物とは思えないほどに、まっすぐな視線、恐れのない態度。


(人は一日でこうも変わるものなのか?)


「お前……、しつこいな」


 ヴァルセンは小さく舌打ちをした。


(まるで、何かを決意したような顔だ)


「……はぁ」


 あぁ言えばこう言う。

 昨日と同じことが繰り返されることは目に見えていた。

 だから、ヴァルセンは早急に要件を聞くことにした。


「で……、何を話したいんだ」

「ヴァルセンの呪いについてです」


(私の呪いについて……)


 ヴァルセンは顔を曇らせた。

 

「それは、父上に言われてか?」

「ち、違います!」

「違う? では、お前自身の意思か?」

「……はい、そうです。自分の意思でここに来ました」


(自分の意思でここに来た、と)


 ヴァルセンは目を細める。


「……まぁいい。入れ」

「え?」


 ヴァルセンはローズに背を向け、屋敷の中へと歩き出した。

 彼女の動揺した気配を背後に感じながら、微かに口元を歪める。


(さあ、お前はどうする?)


 これは、試しているのだ。

 本当に自分の意思でここへ来たのなら、迷わず踏み込んでこい。己で証明してみせろ、と。



   ◇◆◇



 自分の後ろからついてくる足音を確認しながら、ヴァルセンはローズを誘導した。

 だが、ときどき、彼女の足音が止まる。

 何かを見ているのか、それとも警戒しているのか。

 彼はそのたび後ろを振り返り、早く来いと無言で促した。


「……」

「……」


 ヴァルセンとローズの間に交わされる言葉はない。

 黒光りする木製の床板が、二人が歩くたびに経年劣化で軋んだ。


「……ここだ」


 ヴァルセンは足を止めた。

 屋敷の奥にあるその部屋は、彼の自室だった。

 ローズは恐る恐る部屋に入って来た。


「……!」


 ローズは目を丸くし、部屋中のバラを見渡した。


「この屋敷全体にあるバラは、すべて私のために咲き続けている」

「……え?」


 ローズが不思議そうに首を傾げた。

 ヴァルセン自身も、なぜそんな言葉を口にしたのかわからなかった。


(何を言っているんだ、私は)


 ヴァルセンは自分の不用意な発言に困惑しながら、真紅のソファに腰を下ろした。


「座れ」


 そう声をかけると、ローズは緊張した様子でゆっくりと向かいの椅子に座った。


「それで? お前は、私の呪いについて何か知っているのか?」

「わ、わたしは……、ヴァルセン様の呪いのことについて全く知りません。……なので、教えていただけないでしょうか。……ヴァルセン様のその呪いは、いったい何ですか?」

「……」


 ヴァルセンは短く息を吐いた。


「……私の呪いは、そう簡単に語れるものではない」


 言葉にすること自体が苦痛。

 呪いによって長年苦しんできたヴァルセンにとって、この話題は触れたくない過去の一部。自らの痛みを思い返すことに等しかった。

 彼はどう伝えるか考えた後、テーブルに置かれた黒革の本をローズに渡した。


「これは……?」

「呪いの一部が書かれている」


 ローズは戸惑いながらも本を受け取り、ページを捲った。

 記された文字を一つ一つ追いながら、徐々に表情が硬くなっていく。

 ヴァルセンはその様子を横目で見ながら、静かに続けた。


「私は、生まれたときから呪いに侵されていた」


 ヴァルセンは視線をテーブルに落とす。

 そして、苦しみに耐えるようにギュッと拳を握りしめた。


「……喉の奥が焼けるように熱くなり、抑えようのない衝動に襲われる。気を抜けば、理性を失いそうになる。……だからこそ、周囲は私を恐れ、決して近づこうとしない」


 それが呪いを背負う者の宿命だった。

 例え望んでなくとも、否応なしに背負わされる。

 ヴァルセンは壁に絡みつくバラを見上げた。


(そうさ、私は……)


「呪いにかかった理由はわからない。王家の血に刻まれたものか。それとも、誰かが意図的にかけたのか……」


 ローズは本を閉じ、ヴァルセンの言葉をじっと聞いていた。

 何かを考えるように目を伏せ、そして、次の言葉を紡いだ。


「ヴァルセン様は、呪いをどうしたいですか?」


 ヴァルセンはその問いに、わずかに目を見開いた。


(呪いをどうしたい、か)


 そんなこと考えたこともなかった。

 ヴァルセンにとって呪いとは、己を縛り、孤独に追いやり、心を喰らい、生きる意味を奪うもの。

 それらを止めるために咲くバラは、自身が呪われた存在であることの証でもあり、彼を閉じ込める檻でもあった。

 考える機会すらなかったのだ。

 少しの沈黙の後、彼は皮肉げに笑った。


「お前はどうしたい?」

「……え?」


 ローズは、ヴァルセンの問いに息を呑んだ。

 彼女の瞳が揺れる。

 動揺を隠しきれていない。


「そんなことを考えたこともない……、という顔をしているな」


 ヴァルセンはソファの背にもたれ、赤い瞳でローズをじっと見据えた。


(私はいったいお前に何をしてほしいんだろうな)


 ヴァルセン自身もわからなかった。

 呪いによって閉ざされた世界に、目の前のローズは当たり前のように入って来て、問いかけてくる。

 だから、口が滑ったのかもしれない。


「何度か言っているが、お前は父上に何か言われただろう。例えば……、私を殺せとかな」


 ヴァルセンは、ローズの顔が強張るのを見逃さなかった。


「ど、どうしてそれを! ……って、あっ!」


 ローズは自分から口を滑らせたことに気づき、慌てて口を手で塞いだ。


(やはりな)


「ある程度、予想していた。劣っているとは言え、聖女を私のもとに送る、その意味を」


 ヴァルセンの言葉に、徐々にローズの顔が曇っていく。


「現時点で、お前は父上の駒だ。そして、私にとっても駒に過ぎない」

「……初めから、わたしの目的をわかっていながら、ここに招いたんですか?」

「あぁ」

「ど、どうして……っ!」

「お前が本当に駒でしかないのか、知るためだ」


 ヴァルセンはローズを観察する。

 彼女は何かを飲み込むように、唇を強く結んでいた。


「父上がお前に私を殺せと言ったのは、国に不要な存在である私を消すため。そして、王位を私の弟に譲るため。父上にとってメリットがある。……では、お前にとってはどうだ?」

「わたしにとって……。……劣等聖女としての烙印を拭い去り、自分の存在を証明することができます」


(劣等聖女という烙印を消し去りたいのか。それならば……)


「……お前のその力で、私の呪いの症状を軽減できるか試してみろ」


 ヴァルセンは、ローズに手を差し出した。

 本当に自分を変えたいのなら、この手を取るだろう、と確かめるようにして。


「わたしが……?」

「やめるか?」

「いえ、やります!」


 ローズはヴァルセンの手を見つめて困惑したが、強く頷いた。

 彼女の様子を見て、手を差し出しただけでは伝わらないと思い、彼は言葉を続けた。


「聖女の力を使えば、症状が軽減する、と本には書かれていた。しかし、同時に呪いを宿した者を苦しめることがある、ともな。……どうなるかは、お前次第だ」

「わたし次第……」


 ローズは、ヴァルセンの差し出された手をジッと見る。


「……やはり、劣等聖女には無理か?」


(お前の覚悟がその程度だったとは)


「次に来るときまでにどうするか、答えを用意しておけ」


 ヴァルセンはローズの態度に落胆し、手を引っ込めて立ち上がる。


「待ってください!」


 ローズがヴァルセンの手を掴もうとした。

 そのときだった。


「……っ」


 ドクンッ。

 心臓を直接掴まれたような衝撃がヴァルセンを襲った。


「ヴァルセン様……!?」


 激しい動機に耐えられず、ヴァルセンは膝をついた。


(くそっ、こんな時に!)


 指先が震え、視界の隅が霞んでいく。

 獣の本能が目を覚ましかけているのを感じ、ヴァルセンは奥歯を噛みしめた。

 ローズは彼の異変に気づき、近づこうとした。


「……ぁ」


 だが、ヴァルセンの何かを感じ取ったローズは、その場で足を止めた。


「……っ、触るな!」


 ヴァルセンは勢いよくローズの手を振り払った。


「あっ、す、すみません!」


 ローズは慌てて手を引くが、そのときにヴァルセンの爪が彼女の手を掠めた。

 そして、甘く濃厚な香りが漂った。


「……クソっ」


 それは、昨日発作を起こしたときに感じたものと同じものだった。


(この女か!)


 ヴァルセンは、匂いの元を探るように視線を巡らせた。

 そして、ローズの右手の甲に滲んだ鮮やかな赤を見つけた。


(血……?)


 一筋の赤が、透き通るローズの肌を伝い、床へと落ちた。

 その瞬間、ヴァルセンは自分の発作を強めている匂いの正体が、彼女の血であることを理解した。


(それなら、昨日のも……)


 よく見ると、ローズの人差し指にも小さな傷跡が残っていた。


(……あぁ)


 ヴァルセンの喉の奥が無意識に鳴り、乾いた渇望が広がった。


「あ、あの、ヴァルセン様……」


 ローズが心配そうに声をかける。

 しかし、今のヴァルセンには彼女を気遣う余裕はなかった。

 鼻を擽る甘い香り。

 これまで抑えていた本能が、徐々に目を覚ましていく。


(美味そうだな)


 その白い肌に歯を立てれば、きっとこの苦しみからは解放される。

 例えそれが一時的なものであっても、たった数滴でも舌に落とせば変わるはず。


(これだけ鮮やかに輝く血だ。どれほど甘美だろうか)


 思考が浸食されていく。

 甘い血が舌の上に広がる錯覚。

 脳がそれを求めている。

 ヴァルセンは自然と手を伸ばしそうになった。


(……違う。ダメだ……!)


 しかし、理性の最後の灯火が揺らいだ。

 ヴァルセンは鋭く息を吸い込み、寸前で踏みとどまることができた。

 今の彼にとって、ローズの血は毒だった。


「帰れ」

「え?」

「今日はもう、帰れ!」

「でも……」

「いいから、帰るんだ!」


(ダメだ。これ以上は耐えられない。頼むから帰ってくれ!)


 ローズとの距離を取る。

 ヴァルセンはそれ以上何も言わず、彼女に背を向けた。

 今はただ、彼女が去っていくのを待った。

 

「……」


 ローズが戸惑いながら屋敷を去って行くのを感じ、ヴァルセンは荒い息を整えた。


「はぁ、はぁ……」


 重くなった体に鞭を打ち、ソファに体を沈めた。

 その瞬間、張り詰めていた理性が途切れ、一気に疲労感がヴァルセンを襲った。


「……ふぅ」


 まだ匂いは残っていた。

 けれども、本人がいたときよりは体が楽になった。

 ふと、壁に立てかけられている鏡を見た。


「……」


 ギラリ、と獣じみた光を宿す赤い瞳。


「はっ、まるで飢えた獣だな」


(あぁ、こうして本物の化け物になっていくのか……)


 呪いのせいとは言え、人間が本能的に血を欲するなど到底あり得ない話だ。


「……最近、やけに発作が頻繁に起きる……」


 薄々と感じていた変化に、ヴァルセンは考え込んだ。

 以前までは月に数回程度だった発作が、明らかに回数が増えていた。

 一時的なものだと自分を誤魔化していたが、だんだんと誤魔化しが効かなくなってきた。


「……確認するか」


 ヴァルセンは、重い体を引きずるようにして立ち上がった。

 発作が落ち着き、少しずつ意識がクリアになってきたとは言え、まだ息は荒い。

 だが、今の自分の状態を確かめるためにも、白いバラを見に行く必要があった。



   ◇◆◇



「……」


 屋敷の地下へとやって来たヴァルセンは、机の上を見て眉を寄せた。

 本来そこにあるはずのものが、ない。

 白いバラがないのだ。


「……チッ!」


 ヴァルセンは地下の部屋を隈なく探したが、白いバラの姿はどこにもなかった。

 代わりに机の上残っていたのは、赤く染まった一枚の花弁。


(……王宮の者か?)


 これまでにも、白いバラが消えることはあった。

 王宮の者が勝手に持ち出し、白いバラを屋敷の外に捨てていたのだ。

 彼らの話を聞けば、国王の命令で白いバラを処分しようとしていたという。


(今回も同じか?)


 ヴァルセンは残った赤い花弁を摘み上げ、指の間で潰した。


「あれがないと困る……」


 呪いの状態を可視化できる白いバラは、ヴァルセンにとって唯一の指標だった。

 呪いが安定しているときは純白のまま。

 しかし、発作が起きたり、呪いが悪化したりすると、その花弁が赤く染まる。

 だからこそ、彼は常にその花を確認し、自分があとどれだけ人間でいられるかを測っていた。


「屋敷の外に捨てられたか? それとも……」


 考えられる可能性はいくつもあったが、今すぐ確かめなければいけない。

 この屋敷の外に、白いバラがまだ残っているかどうか。

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