第6話 定められた期限と抗う決意
「ヴァルセン様とお会いになったのですよね?」
「……え?」
(どうして、貴女がそれを知っているの?)
ローズは目を見張り、やがて眉を寄せた。
リリィはそんな姉の反応を楽しむように、フフッと口元を押さえて笑った。
「お姉様ったら、『どうして』って顔してますね? 実は、お父様に教えてもらったんです!」
「お父様に……?」
「えぇ。陛下がお姉様に、『ヴァルセン様の命を奪うよう』に命令したってことも聞きました!」
リリィは、艶やかに声を弾ませながら続けた。
「陛下も、どうしてお姉様にそんな大変な役目を任せたんでしょうか……。お父様もお父様です! リリィに相談してくれればよかったのに……」
リリィは、濃いパープルの瞳をゆっくりと伏せ、頬に一筋の涙を流した。
「お姉様は、また一人で全部抱え込もうとするんですね……」
透き通った涙がポロポロと零れ落ちる。
彼女の姿は、さながら女神のよう。
きっと、国民が彼女の姿を見たら、心優しい聖女様だと思うだろう。
けれども、ローズは妹の涙する姿を見て戸惑った。
(ねぇ、リリィ。貴女は今、何を考えているの?)
妹が何を考えているのか、ときどきわからないのだ。
「お姉様、陛下の命令はツライでしょう……? 劣等聖女であるお姉様には、荷が重すぎると思うんです……!だからリリィ、お姉様のために一生懸命考えたんです!」
「考えたって、何を……?」
リリィは涙を拭うと、ローズの顔色を窺った。
彼女は慈愛に満ちた微笑みを浮かべたと思うと、そっと姉の手を握って躊躇いなく告げた。
「ねえ、お姉様? ヴァルセン様のことは、リリィに任せてみませんか?」
「……なっ!?」
(リリィがわたしの代わりに……? いったい、どうして突然そんなことを言うの……?)
リリィの提案に、ローズは動揺する。
「……その気持ちはありがたいけど、これはわたしの役目だから遠慮しておくね」
ローズはなるべく穏やかに言葉を返したが、内心は穏やかではいられなかった。
リリィの瞳の奥に一瞬、影が差した。
そして、彼女の瞳がごく僅かに細められ、笑みの形を取り繕っていることを見逃さなかった。
「そうですか……。まぁ、お姉様がそうおっしゃるなら仕方ありませんよね」
リリィは姉に言い返すことなくあっさりと引き、両手を胸元に添えて笑った。
「リリィは、いつだってお姉様の味方です!」
リリィは朗らかにそう言うと、くるりと踵を返して去った。
言いたいことは全て言い切った、そんな足取りだった。
「……」
その場に残されたローズは、何も言えずに立ち尽くす。
心の中で何かが引っかかる。
しかし、それが何なのかうまく言葉にすることができなかった。
(なんだろう、すごく嫌だ……。リリィにだけは、この件に関わってほしくない……)
もやもやとした気持ちを抱えたまま、リリィの背中を見送った。
そのとき――。
「お嬢様」
リリィと入れ違うように執事長がローズのもとへやって来て、彼女に声をかけた。
「旦那様がお待ちです」
「……」
ローズは無言で頷いた。
そして、執事長の後を追うように父親のいる執務室へ向かった。
その足取りは自然と重くなった。
◇◆◇
「はぁ」
執務室の前でローズはため息をついた。
彼女の体は少し、強張っていた。
深呼吸をしてコンコンコン、とノックをする。
すると、中から「入れ」と威圧的な声が聞こえてきた。
「失礼します……」
ローズが執務室へ入ると、父親は机の上にいくつも書類を広げていた。
その視線は書類に落としたまま。彼女には目もくれず、ペンを走らせている。
(いつもよりも機嫌が悪い……)
ローズは居心地の悪さを感じながら、父親の前に立った。
「遅い」
短く告げられたその言葉に、ローズの背が反射的にピンと伸びる。
「ローズ」
「はい」
「お前、午前中に第一王子に会いに行ったらしいな?」
「……はい」
ローズの返答を聞き、父親はペンを置いて、ようやく顔を上げた。
「どうだった?」
「え?」
「第一王子はどうだったかと聞いている」
「あっ、えっと……」
ローズは言葉を詰まらせた。
(何を答えればいいの……? 彼の呪いのこと? 彼の容態のこと? それとも……)
ローズが何と言おうか迷っていると、父親は眉間にシワを寄せた。
「なぜ答えられぬ」
「いえ、その、何と言えばいいのかわからなくて……。王子の第一印象でしたら、思ったよりも冷たい人でした。ですが、王族としての威厳もありました」
「ほう……」
父親は腕を組み、珍しくローズの話を聞いた。
「それで、陛下の命令は遂行できそうか?」
「……」
答えに詰まったローズに、父親は深く息を吐いた。
「ローズよ。第一王子、ヴァルセン・アルデュールが二十歳を迎えるまでに始末しろ」
「……え?」
ローズの頭が真っ白になった。
「これは、陛下から言い渡された正式な期限だ」
(期限が決まってしまった……)
国王は、王家の恥であるヴァルセンを生かすつもりはないらしい。
呪われた王子は、次の春を迎える前に死ぬ。
「ローズ、返事は」
「……」
「ローズ!」
「……はい」
放心状態でいるローズを見て、父親は冷たく笑った。
「はっ、呪われた王子に情でも沸いたか?」
「……」
「自分のやるべきことを忘れたとは言わせないぞ!」
「……忘れてはいません」
「ふんっ。……まぁ、いい。陛下の命に背いたらどうなるか、わからないほどお前は馬鹿ではあるまい」
父親は書類を手に取りながら、当然のように言い放つ。
「ローズ・ブランシュ。お前は陛下の駒であり、我がブランシュ家の駒。道具であるお前に拒否権はない。それだけ知っておけ」
(駒……、道具……)
「もう行け」
「……失礼します」
ローズは深く頭を下げ、部屋を出た。
◇◆◇
(あぁ、このままじゃ……)
廊下に出た瞬間、足が、手が、全身が震えた。
言葉が詰まるように声が出ない。
実の親にも道具として扱われたショックと、国王の命令の期限が決まった絶望。
それらが同時に押し寄せ、ローズは膝から崩れ落ちそうになった。
だが、負の感情に負けるわけにはいかなかった。
彼女には、やるべきことがある。
(彼の誕生日が期限ということは……)
春の訪れと共に生まれたヴァルセン。
ローズは彼の誕生日から残された時間を計算した。
(今は、五月。つまり……)
ヴァルセンが二十歳になるまで、約一年。
時間があると言えばある。しかし、ローズにとっては短い時間だった。
(わたしは、彼を救うって決めた)
自分と同じく孤独であるヴァルセン。
生まれたときからずっと呪いに苦しめられている彼を呪いから解放する。
そして──。
(わたしを劣等聖女として見下してきた人たちを見返したい!)
ヴァルセンの呪いを解くという選択を取ろうとしない人々。
彼らは、呪われた王子は死を迎えるその日まで、呪われたままだと思い続ける。
それならば、ローズはヴァルセンの呪いを解くことで誰もが信じなかった奇跡を起こそうと考えた。
(あぁ、バラが見たい)
ヴァルセンのことを考えていたら、あの屋敷にあったバラが無性に見たくなった。
ローズは自室へ走り出した。
自室にある、昨日拾った美しい白バラ。
近くにはそれしかバラがない。
バンっと勢いよく自室の扉を開けて、机の上に置かれた白バラを見る。
しかし──。
「え?」
ローズは呆然とした。
(どうして赤くなってるの……?)
そこにあるべきは、透き通るような白いバラ。
その白いバラは今、花弁の半分が鮮やかな紅に染まっていた。