第5話 呪われた王子との対話
「わ、わたしは……、ヴァルセン様の呪いのことについて全く知りません。……なので、教えていただけないでしょうか」
ローズは、意を決して口を開いた。
「ヴァルセン様のその呪いは、いったい何ですか?」
「……」
ヴァルセンは、すぐには答えなかった。
彼の赤い瞳がどこか遠くを見つめるように揺れる。
「……私の呪いは、そう簡単に語れるものではない」
ヴァルセンはテーブルに置かれた本を手に取り、ローズへ渡した。
「これは……?」
「呪いの一部が書かれている」
受け取ったその本は、見た目よりもずっしりとした重みがあった。
黒革の表紙には金色の装飾が施され、ところどころ擦り切れている。
(王家に伝わる禁忌の記録……?)
ローズは表紙に書かれたタイトルを読み、そっとページを捲った。
(……その呪いは、王の器を持たぬ者に現れた)
呪いをその身に宿す者は、王国に災厄をもたらす。
王の器を持たぬ者が王となれば、たちまち理性を失い、獣と化して国を滅ぼす。
故に、呪われし者は忌避され、例外なく処刑されてきた。
そのページには、そう書かれていた。
ローズが次のページへと指をかけたとき、
「私は、生まれたときから呪いに侵されていた」
ヴァルセンの声が室内に響く。
彼は視線を下に落とし、ギュッと拳を握りしめた。
「……喉の奥が焼けるように熱くなり、抑えようのない衝動に襲われる。気を抜けば、理性を失いそうになる。……だからこそ、周囲は私を恐れ、決して近づこうとしない」
ヴァルセンの視線がスッと、壁に絡みつくバラへ向く。
「呪いにかかった理由はわからない。王家の血に刻まれたものか。それとも、誰かが意図的にかけたのか……」
ローズは読み途中の本を閉じ、彼の言葉と本の記述と照らし合わせるように、ふと考える。
(彼は、どこまでわたしに教えてくれるのだろう……)
本に書かれているのは、呪いの概要にすぎない。
ヴァルセンはこうして、自身の呪いについて話している。
しかし、呪いの核心について――、本に書かれていること以外の部分をあえて伏せているような気がした。
ローズは本を握りしめ、彼に問いかけた。
「ヴァルセン様は、呪いをどうしたいですか?」
(わたしは知りたい。貴方の気持ちを。……貴方がこの呪いをどう受け止め、本当はどうしたいのか)
ローズが勇気を出してそう問いかけた後、ヴァルセンは少し驚くような表情を見せた。
まさか、「どうしたいか」と聞かれるとは思わなかったのだろう。
少し考え込んだ後、彼は皮肉げに笑った。
「お前はどうしたい?」
「……え?」
「そんなことを考えたこともない……、という顔をしているな」
問いを問いで返された。
思いもしない返答に、ローズは固まった。
「何度か言っているが、お前は父上に何か言われただろう。例えば……、私を殺せとかな」
「ど、どうしてそれを! ……って、あっ!」
隠していたことを見抜かれ、ローズは言葉を失う。
それと同時に、自分が失言をしたことに気づいて慌てて口を手で塞いだ。
「ある程度、予想していた。劣っているとは言え、聖女を私のもとに送る、その意味を」
ヴァルセンは冷ややかに微笑んだ。
「現時点で、お前は父上の駒だ。そして、私にとっても駒に過ぎない」
(駒……)
「……初めから、わたしの目的をわかっていながら、ここに招いたんですか?」
「あぁ」
「ど、どうして……っ!」
「お前が本当に駒でしかないのか、知るためだ」
(陛下の駒であるわたしを知る、ため……?)
「父上がお前に私を殺せと言ったのは、国に不要な存在である私を消すため。そして、王位を私の弟に譲るため。父上にとってメリットがある。……では、お前にとってはどうだ?」
「わたしにとって……」
(彼の命を奪うことで、わたしは……)
「劣等聖女としての烙印を拭い去り、自分の存在を証明することができます」
(でもそれは、お父様が望むわたしの姿。わたしも一度はそれを望んだ。だけど……、わたしが本当に望むのは、貴方を救うこと)
自分と似た者であるヴァルセンを救う、それがローズの望みであった。
「……お前のその力で、私の呪いの症状を軽減できるか試してみろ」
ヴァルセンはそう言って、ローズに手を差し出した。
「わたしが……?」
「やめるか?」
「いえ、やります!」
(……とは言ったものの、どうすれば……?)
ローズがヴァルセンの手を見つめ困惑していると、彼は続けて言った。
「聖女の力を使えば、症状が軽減する、と本には書かれていた。しかし、同時に呪いを宿した者を苦しめることがある、ともな。……どうなるかは、お前次第だ」
「わたし次第……」
ローズは、ヴァルセンの差し出された手をジッと見る。
彼の手を取るべきか。それとも、やめるべきか。
(もしも、わたしの力で彼をさらに苦しめることになったら……)
ローズの中で迷いが生まれた。
「……やはり、劣等聖女には無理か?」
「……!」
ヴァルセンに「劣等聖女」と呼ばれ、ローズの中で何かが弾けた。
(貴方にはそう呼ばれたくない……!)
「次に来るときまでにどうするか、答えを用意しておけ」
ヴァルセンは手を引っ込め、立ち上がる。
「待ってください!」
ローズが声を上げ、ヴァルセンの手を掴もうとしたその瞬間。
「……っ」
突然、ヴァルセンが膝をついた。
「ヴァルセン様……!?」
顔を青ざめさせたヴァルセン。
ローズは彼の身に異変が起こったのだと瞬時に理解し、彼に近づこうとした。
しかし──。
「……ぁ」
ゾワッ、と背筋を這い上がるような悪寒が走った。
ローズはその場で足を踏みとどまらせた。
(この感覚……、昨日の……!)
ローズがヴァルセンに追い込まれる寸前に感じた、あの感覚を再び感じた。
(でも、なんで今……?)
ローズがぼんやりと考えていると、彼女の指先がヴァルセンの手に触れた。
「……っ、触るな!」
即座に、ヴァルセンの激しい拒絶と共に、ローズの手が振り払われた。
「あっ、す、すみません!」
ローズは慌てて手を引いた。
だが、そのわずかな動作の中で、ヴァルセンの爪が彼女の手を掠めた。
(……!)
ヒリッ、とした痛みが走る。
見ると、爪が当たった右手の甲から血が滲んでいた。
「……クソっ」
ヴァルセンは、バッとローズの右手を見た。
「あ、あの、ヴァルセン様……」
心配するローズをよそに、ヴァルセンは胸を手で抑え、荒く息を吐きながら一歩後退った。
「帰れ」
「え?」
「今日はもう、帰れ!」
「でも……」
「いいから、帰るんだ!」
ローズは食い下がろうとした。
しかし、これ以上ここにいてもヴァルセンを苦しめるだけだと悟り、黒革の本をテーブルに置いて部屋を去った。
(彼のあれは、呪いの症状? それとも、別の何か? ……あぁ、もう、わからない!)
来た道を戻るように、ローズは屋敷の中を走る。
(……けど、わたしが触れようとした瞬間、彼は苦しみ始めた)
ローズの頭には、ヴァルセンの苦しそうな表情が焼きついて離れなかった。
(わたしのせい? わたしが彼を苦しめた……? そんなつもりじゃなかったのに……!)
ローズは唇を噛みしめ、右手を押さえながらバラ屋敷を後にした。
◇◆◇
太陽が真上に昇った頃、ローズは侯爵邸へと帰宅した。
柔らかな日差しを浴びながら、彼女は石畳の道を進む。
(全然、違う……)
外では、使用人たちがそれぞれの仕事を励んでいた。
バラ屋敷の静寂さとは大違い。ここには、人の温もりと活気があった。
いつもと変わらぬ穏やかな日常がそこにあるのに、今のローズには、この光景が眩しく見えた。
(まるで、別世界みたい……)
ローズは、ほんの数時間前までヴァルセンの傍にいた。
だからこそ、彼の苦しそうな表情がローズの脳裏にこびりついて離れようとしなかった。
(あのとき、わたしはどうすればよかった……?)
「はぁ……」
ローズは深くため息を吐き、侯爵邸の扉を開けた。
すると──。
「あっ! おかえりなさい、お姉様!」
中へ入った瞬間、明るく弾むような声が玄関ホールに響いた。
ローズは足を止め、階段の上にいた少女へと視線を向けた。
(リリィ……)
そこには、ローズの妹、リリィ・ブランシュが柔らかな笑顔を浮かべていた。
彼女は、陽だまりのように輝く金色の髪を揺らしながら階段を降り、ローズへ駆け寄った。
「……ただいま」
ローズは小さな声で返事をした。
「もうっ! わたし、ずっとお姉様を待ってたんですよ!」
リリィは、拗ねたように頬を膨らませた。
彼女のその無邪気な仕草に、ローズの胸がチクリと痛んだ。
(わたしは、こんな風に笑えない……)
そう思いながら、ローズは自分の右手を見つめた。
右手の甲にある、ヴァルセンの爪が掠めてできた傷跡。
乾きかけた血がわずかに赤黒く滲んでいた。
「ねぇ、お姉様!」
リリィに呼ばれ、ローズはハッとなって顔を上げた。
右手の傷を無意識に隠すようにして。
「な、何……?」
ローズがぎこちなく微笑むと、リリィはゆっくりと首を傾げた。
「ヴァルセン様とお会いになったのですよね?」