第4話 バラ屋敷への招待
「お、おはようございます!」
静寂に包まれた屋敷の前で、場違いなほどの明るい声が響いた。
声の持ち主は、ローズ。
普段の彼女ならこんな大声を出すことはないが、今日は違った。
ローズがそうした理由は、至って簡単。
バラ屋敷の主、ヴァルセン・アルデュールと向き合うため。
(今日は、絶対に話を聞いてもらう!)
昨日は、ろくに話もできずに終わった。
ヴァルセンは口を開いたが、あれを返事と呼んでいいのか。
会話というより、ローズが一方的に話しかけていたようなものだった。
彼がまともに取り合ってくれる可能性はどこにもなかったが、それでも――。
「……よしっ!」
ローズは頬を軽く叩き、気合を入れた。
「ヴァルセン様! おはようございます!」
声を張り上げ、扉をノックする。
しかし、屋敷の中からは物音一つしない。
(いないのかな……?)
小さく息を吐こうとした、そのときだった。
「……朝からうるさい女だな」
扉が開き、黒髪の青年が姿を現した。
(!)
赤い瞳がまっすぐローズを見据えている。
どこか苛立ちを滲ませながらも、昨日よりは幾分、冷静な様子。
「こんな早くから何をしに来たんだ」
ヴァルセンは露骨に不機嫌そうな声で言った。
「昨日、お話を聞いていただけなかったので、改めて来ました!」
(頑なに自分のことを語ろうとしない、貴方のことを知るために)
ローズは怖気づくことなく、しっかりと言葉を紡いだ。
彼女の表情は覚悟を決めたものだった。
「お前……、しつこいな」
ローズを見て、ヴァルセンは小さく舌打ちをした。
(出会って一日。にもかかわらず、貴方はしつこいと感じる。……予想通りだ)
ローズは昨日、侯爵邸へ帰ってからずっとヴァルセンのことを考えていた。
彼は自分と同じ孤独である。そして、人一倍警戒心が強く、人を寄せつけない。
しかし、自分の本当の気持ちを隠し、強がる。
ヴァルセン・アルデュールとは、そういう人物なのではないか、と。
彼女は視線を逸らすことなく、まっすぐヴァルセンを見返す。
「……はぁ。で……、何を話したいんだ」
痺れを切らしたヴァルセンは、ローズをギロッと睨んだ。
「ヴァルセンの呪いについてです」
臆することなく、ローズは言った。
彼女のその言葉に、ヴァルセンの表情がわずかに曇る。
「それは、父上に言われてか?」
「ち、違います!」
「違う? では、お前自身の意思か?」
「……はい、そうです。自分の意思でここに来ました」
(そう、自分の意思で。今日は、陛下の命令は関係ない)
ヴァルセンは何を思ったのか、唐突に言った。
「……まぁいい。入れ」
「え?」
(今、彼は何と言った……?)
「『入れ』って、言った? 聞き間違いじゃないよね……?」
ローズが驚く間もなく、ヴァルセンは扉を開けたまま屋敷の中へと消えていった。
(なんで……? 昨日はあんなに拒絶してたのに)
「もしかして、わたし、何か試されてる?」
ヴァルセンの言うことが夢のように感じ、ローズは自分の頬を抓った。
「……痛っ!」
(夢じゃない……!)
ヴァルセンの態度の変化の意味は、ローズにはわからなかった。
けれど――。
(試されてるなら、乗るしかないよね)
ローズは、迷わず屋敷の中へと足を踏み入れた。
◇◆◇
バラ屋敷の中はどこまでも暗く、静かだった。
日が昇っているはずなのに、陽光は一切屋敷の中へ入ってこない。
さらには、ところどころのカーテンが閉められていた。
(わざと陽の光を遮ってる……?)
それこそ夜になり、廊下の壁にかけられた燭台に灯りが灯らない限り、昼夜の区別がつかないほどに。
(まるで、彼の心の中みたい……)
足を踏み入れたこのバラ屋敷全体が、ヴァルセンの心を映した鏡。
そんなことを考えながら、ローズは先を歩くヴァルセンの後ろ姿を見つめた。
(見た目と中身がチグハグだなぁ……)
肩で切り揃えられた、艶やかな黒髪。
ローズよりも全体的に大きく、引き締まった体。
彼の背中は時折、ひどく寂しげに見えた。
廊下の窓の隙間から、朝の冷たい風が吹き込む。
そして、風と共にバラの匂いが鼻をくすぐった。
(……いったい、どこに向かっているんだろう)
ヴァルセンがどこへ向かっているかなど、ローズには見当もつかない。
使用人の一人の姿も見えない、広い屋敷の中をひたすら歩き続けた。
「……ここだ」
ヴァルセンが足を止めたのは、屋敷の奥にある一室。
ただ一言、それだけを言って彼は部屋の中へと入った。
「……ん?」
(入っていいの……?)
言葉の足りないヴァルセンの意図をしっかりと理解するまでには、時間がかかりそうだ。とローズは感じた。
(お邪魔します……)
ローズは部屋の中へと入った。
「……!」
ローズは目を丸くし、思わず息を呑んだ。
陽の光が差し込んだ部屋。
いたるところに古い書物が置かれ、中には新しいものもあった。
そして、屋敷中でより一層、バラの香りが濃く漂う。
壁、柱、天井。
廊下では見ることのなかった赤い花が、絡まるように咲き誇っていた。
(綺麗……。なのに、素直に綺麗だと思えない……)
部屋中を見渡して、ローズはそう思った。
「この屋敷全体にあるバラは、すべて私のために咲き続けている」
「……え?」
ヴァルセンの低い声が響く。
彼は黒いテーブルに積み上げられた本の表紙に軽く触れ、真紅のソファに腰を下ろした。
「座れ」
ヴァルセンはそう言って、向かいの椅子を指し示す。
ローズは促されるまま、ゆっくりと腰を下ろした。
「それで? お前は、私の呪いについて何か知っているのか?」
ヴァルセンはソファの背にもたれかかり、無表情でローズを見つめた。
「わ、わたしは……」