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第26話 ノクティエル村

 父親に命じられ、休む暇もなく侯爵邸を出発したローズは、遥か北東部にあるノクティエル村の孤児院を目指していた。

 馬車に揺られること、およそ一日半。

 途中、何度か休憩を挟みながら移動をしていたのだが、長旅の疲れはじわじわと彼女の身体に蓄積されていたようで――。


「ん……」


 目を伏せたのが最後、ローズの意識は静かに夢の淵へと引き込まれていた。

 やがて、時間の感覚すら曖昧になった頃。

 ――ごとん。


「……っ!?」


 車輪が何かを乗り越えた衝撃で、ローズの体が軽く跳ねた。

 その刺激に導かれるように、彼女の意識が静かに現実へと引き戻される。


「ここは……」


(……そうだ、お父様に言われてノクティエル村に向かってたんだった)


 少しずつ意識が覚醒していく中で、自分が何をしていたかを思い出す。

 ローズは軽く首を振って眠気を振り払い、身を起こした。


(今、どこにいるんだろう?)


 自分はどれほど眠っていたのだろうか、とローズはぼんやりと考える。

 彼女が最後に見た景色は、森に囲まれた細い山道だった。

 現在地を確認するように、カーテンに手を伸ばす。布地をつまんでめくり、外の景色を覗き込む。


「……わぁ」


 ローズは思わず声を漏らした。

 いつの間にか視界はひらけ、馬車は自然豊かな景色が一望できる丘の上に出ていた。


(もしかして……、ここがノクティエル村?)


 そこに広がるのは、田畑とゆるやかな丘の稜線。そして、陽光を受けて鏡のように煌めく湖面。湖畔には素朴で低い家々が点在し、煙突からは煙が立ちのぼっていた。


(まるで、絵本の世界にいるみたい)


 王都や領地ではまず見ることのない見慣れない風景に見入ったローズは、無意識のうちに馬車の窓を開けていた。


(……涼しい)


 息を吸い込むと、澄んだ空気が肺の奥に染み込んでいく。

 湿り気のない、ほんのりと草木と土の香りを含む風が鼻をくすぐる。

 耳を澄ませば、木々の葉が触れ合う音と蹄の乾いた音が耳を打つ。


(旅の疲れが、すっと引いていく……)


 ささやかな癒やしに身を委ねていたときだった。御者が静かに告げた。


「まもなく、到着いたします」


 馬車はなだらかな坂道を下り始め、目的地へとゆっくり近づいていく。

 ローズは窓を閉じて、深呼吸を一つ。心を整えるように、息を吐き出した。



   ◇◆◇



 しばらくすると、馬車の速度がゆっくりと緩まり、やがて止まった。

 扉が開くと、ひんやりとした朝の空気が優しく流れ込んでくる。

 ローズはスカートの裾を整え、馬車から静かに降り立った。


(……ここが、わたしがしばらく過ごす場所)


 小高い丘の上に建つ古びた建物。石造りの壁には蔦が這い、木の窓枠はところどころ色褪せていた。

 入り口の脇には、色とりどりの花が咲く小さな花壇があった。

 子どもたちが世話をしているのだろうか。『みんなのはなばたけ』とつたない字で書かれた木の札が立っていた。

 ローズが微笑ましくその花壇を眺めていると――。


「ようこそいらっしゃいました!」


 孤児院の扉が開き、白いエプロンを身に着けた、ふくよかな体型の女性が出てきた。


「初めまして。私が孤児院(ここ)の院長、フローラと申します」


 目元に細かな笑いシワを浮かばせたフローラ。彼女はにこやかに微笑みながら、両手を広げるようにしてローズを出迎えた。


「は、初めまして、ローズ・ブランシュと申します! 今日から、しばらくこちらでお世話になります!」

「えぇ、えぇ、伺っておりますとも! さあさ、遠慮せずに入ってくださいな。長旅でお疲れでしょう?」


 促されるままに中へ入ると、木の床がキュッキュッと控えめに音を立てた。

 広くはないが、清潔感のある空間。どこも整然としており、住む人の丁寧な暮らしぶりが伝わってくる。

 窓辺にちょこんと座るクマのぬいぐるみは、まるで「ようこそ」とローズに対して微笑んでいるようだった。


「よろしくね」


 ローズがぬいぐるみの頭を指先で優しく撫でていると、奥の廊下から数人の子どもたちが顔を覗かせた。


「ねえ、あの人が新しいお姉ちゃん?」

「きれい……!」

「ほんとに聖女様なのかなぁ?」


 ひそひそと囁く声に、ローズは思わず微笑んだ。

 少し近づいてから子供たちの目線に合わせるようにしゃがみ、挨拶をする。


「初めまして、ローズ・ブランシュです。しばらくの間お世話になります」


 すると、子どもたちは一瞬ぽかんとした顔をしたのち、照れくさそうに顔を引っ込めていった。


「あらっ、子どもたちったら! ごめんなさいねぇ。あの子たち、ローズさんに会えるのをずっと楽しみにしていたのに。いざローズさんを前にしたら……、ふふっ、ちょっと緊張しちゃったみたい」

「いえ。こうして迎えていただけて、嬉しいです」


 ローズは立ち上がって、フローラの優しげな眼差しを見つめた。


「今日からどうぞ、気楽に過ごしてちょうだいね。ここでは、誰でもが家族も同然よ」

「ありがとうございます」


 フローラの温かい言葉に、ローズは自分の胸の奥に張りつめていた緊張がフッと解けていくのがわかった。


「……あら、いけない! ここでずっと立ち話をしていても、なんだか落ち着かないわよね。まずは、お部屋をご案内するわ」


 そう言ってフローラは、ローズの手をそっと取り、軽やかな足取りで廊下を歩き出した。



   ◇◆◇



 廊下を歩きながら、フローラは一つ一つの扉の前で立ち止まり、説明を加えていく。


「こちらが食堂、あちらは子どもたちのお部屋。それから、あの奥に見えるのが診療室よ。具合が悪くなったときは言ってちょうだいね」

「はい。……あっ」


 ローズがこくりと頷いて、ふと視線を中庭へ通じる窓の外に移したときだった。


「――あの、あれは……?」


 ローズが指を差した方向に、フローラはゆっくりと視線を向ける。


「あぁ、あれね? 綺麗でしょう?」


 何気なく目に入った中庭の一角。

 そこには、ひと際目を引く深紅のバラが夏の光を受けて静かに揺れていた。


「あれはね……、昔、私が働いていた場所に咲いていたものなの」

「フローラさんが働いていた場所の……」

「この土地の気候にはあまり合わないはずなのに……。それでも、あの子はずっと咲いてくれているの」

「……どうして、昔の職場の花がここに?」

「坊ちゃまがくださったのよ」

「坊ちゃま……?」


 思わず聞き返したローズに、フローラはくすりと笑いながら頷いた。


「えぇ。私が坊ちゃまの傍から離れないといけなくなっちゃったときにね。『……これ、あげる。みんな、この花は呪われているって言うけど、フローラは怖がらないでくれたから。……この花、見たら思い出して。たまにでいいから、ぼくのことを……』って、そう言ってくれたの」


 フローラは、フッと懐かしそうに微笑んだ。けれど、瞳の奥には、どこか懐かしさと哀しさの混じった色が浮かんでいた。


「世間では冷酷だの、不吉だのって言われているけど……。私にとっては、いつまでも小さくてかわいい、不器用な坊ちゃまのままなのよ」


 その声音は、長年仕えてきた者にしか出せない親しみと愛情が滲み出ていた。


(……まさかここでも見るとは、思ってもみなかった)


 ローズはもう一度、バラを見つめた。

 幾重にも重なる深紅の花びら、折れてしまいそうなほどに繊細な茎、近づく者を拒むように鋭い棘。そして、澄んだ空気の中でほのかに鼻をくすぐるあの香り。


(間違いない。あれは、あの屋敷でいつも目にしていたバラだ)


 ローズは、未だ微笑みの奥に影を宿すフローラの横顔をジッと見つめ、彼女が単なる孤児院の院長ではないこと、そして、過去にヴァルセンと深く関わっていたことを確信した。



   ◇◆◇


 

 フローラは最後の扉の前で立ち止まった。


「ここが、ローズさんのお部屋よ。必要なものがあれば、遠慮なく言ってちょうだいね」


 鍵を回す音が軽やかに響き、扉が静かに開かれる。

 中は小ぢんまりとしていながらも温かな空気に包まれた一室だった。ベッドと木製の机、そして、窓際には花瓶に一輪の黄色い花が飾られていた。


「今日は長旅で疲れたでしょうからね、無理せずゆっくり休んでちょうだいね。いつもお昼ご飯は少し遅めで、十三時からよ。時間になったらまた呼びに来るわね」

「わかりました。ありがとうございます!」


 フローラが立ち去ったあと、ローズはそっとベッドの端に腰を下ろした。

 部屋の空気を味わうように目を閉じようとした、そのときだった。


「ねぇねぇ、お姉ちゃんってどこから来たの~?」


 開けっ放しの扉の方から、子どもの声が飛び込んできた。

 ローズがそちらに顔を向けると、そこには数人の子どもたちがいた。どの子も、先ほど玄関でちらりと顔を覗かせていた子どもたちだ。


「おうじさまには会ったことある?」

「好きな食べ物な~に?」

「まほう、使えるの?」


 一度にたくさんの声が飛んできて、ローズは思わず目を丸くしてくすくす、と笑ってしまった。


「えっとね、わたしは南の方にあるブランシュ侯爵領ってところから来たんだ。もちろん、王子様にもあったことあるよ。好きな食べ物はね、んー、ホットケーキかな? 魔法はね、使えるけどあんまり得意じゃないかなぁ……」


 一つ一つの質問に丁寧に答えていくローズ。子どもたちはさらに目を輝かせて、次々と声を上げた。


「会ったことあるんだ! おうじさまってどんな人!? やっぱりかっこいい?」

「王子様はね、ぶっきらぼうだし、笑わないことも多いけど……。でもね、本当はとっても優しくて、一度決めたことは絶対に守ろうとするかっこいい人だよ!」

「へぇ~! お姉ちゃんは、そのおうじさまのことが大好きなんだね!」

「……へっ!?」

「だってお姉ちゃん、ほっぺ赤くなってるんだもん!」

「ほんとだ~! ねぇ、見て! 今のお姉ちゃん、ルルくんがバナナを食べてるときそっくり!」

「うっ、うっせーよ! それ、今関係ねぇだろうが! それに、バナナうめぇんだから、仕方ねぇだろ!!」


(は、初めて会った子たちに恋心がバレちゃうなんて……!)


 ローズは頬を押さえながらも、笑いをこらえることができなかった。


「お姉ちゃん、顔まっかっかー! 恋だ、恋だー!」

「おうじさまとラブラブだー!」

「けっこんしちゃえー!」

「うるさいよ、もー……!」


 いつしか、部屋の中には明るい笑い声が満ちていた。


「今日から、お姉ちゃんも私たちの仲間だよね!」

「ねぇ、フローラ先生に言って、いっしょに遊んでもらおう!」

「僕、お姉ちゃんといっしょにお昼ごはん食べる~!」

「あたしもいっしょに食べるも~ん!」


 ぱたぱた、と足音が遠ざかっていく。子どもたちはまた走って、廊下の先へと消えていった。

 静けさが戻った部屋の中で、ローズはそっと窓辺に近づいた。

 花瓶に飾られた黄色い花が陽の光を受けて輝いている。


(……ここでなら、きっとやっていける)


 そう思えたのは、優しく出迎えてくれたフローラと子どもたちの無邪気な笑顔のおかげだった。

最後の投稿からだいぶ期間が空いてしまいました……。お久しぶりです、稲風八十八です。これから、更新頻度を前回並みに戻せるように頑張ります!

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