第25話 隠した本心と届かぬ距離
(……眩しい)
瞼の裏が明るい。
差し込む朝の光に顔を顰めたローズは、軽く目を開けた。
(結局、眠れなかった)
寝不足で体は重く、だるい。それなのに、頭の中だけはやけに冴え渡っていた。
「はぁ」
ローズは掛け布団を頭までかぶり、静かにため息をつく。
何か特別な出来事があったわけではない。ただ、バラ屋敷で一夜を過ごした――、その事実がローズの心をかき乱していた。
寝返りを打っては悶えることを繰り返すうちに、気づけば夜が明けていた。
(ヴァルセン様と、顔を合わせられる自信がない……)
考えないようにしても、気づけばヴァルセンを思い浮かべている。好きという、まだ名を与えられたばかりの感情が、胸の奥で居場所を主張し始めている。
(大丈夫。普通に、今まで通り接すればいいだけ)
「……そろそろ起きないと」
泊めてもらった以上、再度お礼を言って帰らなければ。そのためには、いつまでもベッドにいるわけにはいかない。
ローズは、外から聞こえてくる、チュンチュンという小鳥の囀りをぼんやりと耳にしながら、のそりと体を起こした。
(目の下に隈できてないといいなぁ)
ベッドから降りて、室内の鏡の前に立つ。
目の下に隈はない。けれど、肌の調子はあまりよくなく、目の奥が重たい。
不調を誤魔化すように、ローズは指で寝癖を直して、そっと髪を梳いた。
(服、どうしようかな)
昨夜は、汚れたドレスから着替えるためにヴァルセンの服を借りた。けれど、侯爵邸へ帰るときにこの格好のままでは、さすがに不自然すぎる。
「んー」
どうしようか、と考えていたときだった。
「……?」
廊下から足音が近づき、部屋の前でぴたりと止まった。
ノックの音も、声もない。ただ、扉の向こうで何かをそっと置くような音がして――、そのまま、気配は去っていった。
ローズは不思議に思って扉を開ける。
「これって……」
目線を下げると、そこには、小さく折りたたまれた衣服が置かれていた。
(用意してくれたんだ)
ローズは、それを手に取った。
淡いベージュのシンプルなワンピース。貴族令嬢の外出着というには簡素すぎるが、最低限の礼儀は保たれていた。
「ありがとうございます」
添え書きもなく、ただ静かに着替えを置いてくれた相手に対してのお礼を囁くように言い、ローズは一度扉を閉めた。
◇◆◇
(平常心、平常心)
淡いベージュのワンピースに着替えたローズは、深呼吸を繰り返しながら廊下を歩く。
時間帯的には、朝食をとっている頃。
ヴァルセンもすでに席についているのでは、と考えた彼女は、ダイニングへと向かっていた。
(……会って、何て言おう)
お礼か、あの「責任を取る」発言に触れるべきか。 それとも、「おはようございます」と普通に挨拶をすればいいのだろうか。
「……」
当たり前の挨拶ですら、今のローズには難しく感じられた。
「……あ」
そのとき、ローズは数人のメイドを見かけた。
彼女たちは、当番制でこの屋敷に派遣された者たちだ。
(……この屋敷の日常って、こういうものなのかな)
ローズは無意識に立ち止まり、作業を続けるメイドたちを見つめる。
彼女たちの仕草一つ一つは、淡々としていた。
無駄な私語もなく、互いに目を合わせることもなく。誰もが必要最低限の動作だけをこなしていた。
その姿は、まるで決められた手順をなぞる機械のよう。
『王子付き』という肩書があっても、そこに誇りや華やかさは見当たらない。
目を輝かせる者など、一人としていなかった。
(わかってはいた。いたけれど……)
突きつけられた現実に、浮かれていた気持ちが冷や水を浴びせられたように静まっていく。
一人だけ、夢を見ていたような気がした。
ローズは俯き、そっと目を伏せた。
(……この好きという感情は、ヴァルセン様を苦しめない?)
ヴァルセンには、人を愛する余裕がない。
彼にとって、誰かに好かれること自体が負担でしかないのかもしれない。
想いを告げたところで、きっと彼は自分を責めるだけだ。
(わたしは、彼を救いたい。でも、好きという気持ちが強くなればなるほど……)
自分を見てほしい。
特別でいたい。
ヴァルセンの助けではなく、恋人になりたい。
ヴァルセンのためを思っているはずなのに、いつの間にか自分のために行動してしまうかもしれない。
(ヴァルセン様を苦しめるくらいなら、この想いはしまっておいたほうが……)
ローズは小さく首を振り、胸の奥の気配に蓋をするように息を吐いた。
「……行こう」
まずは、いつもの顔で「おはようございます」と言えるように。
ローズは、足取りが重くなっているのに気づかぬふりをしながら、ゆっくりとダイニングへと向かった。
◇◆◇
「おはようございます……」
小さな声で挨拶をしてダイニングに入ると、すでにテーブルには朝食が並べられていた。
ぎこちない動きで席に着くローズの姿を見て、ヴァルセンが目を細める。彼は何食わぬ顔で椅子に座り、紅茶を口にしていた。
「……顔色が悪いな。眠れなかったのか?」
「え? ……あ、だ、大丈夫です。ちょっと寝不足なだけで……」
「無理しているように見えるが」
「そう……、ですか? わたしはいつも通りですよ? ……むしろ絶好調です!」
「わ~、美味しそう! いただきます!」と、ローズはナイフとフォークを手に取り、目の前の皿に目を落とす。
そこには、軽くトーストされたバター風味のブリオッシュと彩り豊かなフルーツ。そして、湯気を立てるコンソメスープがあった。
ローズは無理やり笑顔を作って、スープをひと口すする。
優しい味。だけど、喉の奥が少しだけ詰まる気がした。
(……いつも通りに振る舞うって、こんなに難しかったっけ)
内心が波打つたびに、匙を持つ手にも微かな震えが伝わる。
そんなローズの様子を、ヴァルセンはちらりと見やる。
その深紅の瞳には、何かを見透かすような光が宿っていたが、結局、彼はそれ以上深く追及してくることはなかった。
「……口に合うか?」
代わりに、そんな一言を投げかけた。
「はい」
ローズは、ぎこちなく微笑みながら答える。
その言葉に、ヴァルセンはほんのわずかに目を細めた。
「……そうか」
それ以上でも、それ以下でもない。
けれど、その短い返事にほんの少しだけ心が和らぐ気がした。
「ヴァルセン様」
「なんだ」
「このスープを作った方に、伝えておいてもらえませんか?」
「なんと?」
「すごく優しい味がします、と」
ローズはそっと息を吐いて、もう一口スープをすくった。
◇◆◇
「……一晩、お世話になりました。とても、助かりました」
ローズは、やや緊張気味に礼を述べる。
玄関先では、すでに馬車の準備が整っていた。
「無理はするな。……体調が戻らなければ、また泊まっていけばいい」
「えっ……!? いや、あのっ、さすがにそれは……!」
ローズが言葉に詰まりながら慌てて否定すると、ヴァルセンは肩をすくめる。
「冗談だ。……半分な」
(は、半分冗談!? ……それって、どういう意味!?)
その言葉に、ローズはさらに心臓が跳ねるのを感じた。
視線を彷徨わせ、息を整えるように瞬きをする。
何か返さなきゃ。そう思うのに、言葉が見つからない。気の利いたひと言も、冗談を返す余裕もなかった。
ローズはただ、小さく微笑むことで精一杯だった。
少しの沈黙が流れたのち、ようやく声を絞り出す。
「……それじゃあ、あの……、また」
一拍置いて、ヴァルセンが軽く顎を引く。
「気をつけて帰れ」
ローズは一礼し、馬車に乗り込む。
すると、馬車がゆっくりとバラ屋敷を後にする。
カツカツと馬車の車輪が石畳を叩く音が、少しずつ遠ざかっていく。
(たった一晩だったのに、離れるのがこんなに名残惜しいなんて……)
ローズは、カーテンの隙間からそっと窓の外を覗いた。
ヴァルセンは手を振るわけでもなく、何かを言うわけでもない。ただ、玄関先で静かに佇んでいた。
(このままじゃ、きっとまた揺らいでしまう。……ちゃんと、気持ちを整理しなくちゃ。けれど――)
馬車が角を曲がり、バラ屋敷の姿が見えなくなった瞬間、ローズはそっと目を閉じた。
(……もう少し、あの屋敷にいたかったな)
◇◆◇
「ローズ! お前、いったいどこで何をしていた!!」
侯爵邸に到着すると同時に、ローズは父親に呼び出された。
(こうして呼び出されるのは、何度目かな)
ローズは居心地の悪さを感じつつも、冷静に過去のことを思い返しながら、父親の前に立った。
いつかのとき、父親は机の上にたくさんの書類を広げ、ローズには目もくれずペンを走らせていた。
しかし、今回は違った。
父親の視線は書類ではなく、初めからローズに向けられていた。
「聞こえているのか、ローズ!」
「はい」
「いったいどこで、何をしていた!」
「友人の……、友人の家に泊まっていました」
ローズが言い淀みながら言うと、父親は眉間にシワを寄せた。
「友人だと?」
「そうです、友人です」
(そう、ヴァルセン様は友人)
「まさか……、お前が言う友人とは、あの王子ではあるまいな?」
「……」
「答えないと言うことは、図星か?」
「……違います」
「はぁ……」
苛立ちを抑えているのか、あるいは呆れているのか。父親は、深く息を吐いた。
「ローズ、命令を忘れたとは言わせんぞ」
「忘れておりません」
「それが、嘘でないと言えるか?」
「はい」
「では、なぜ昨日、あの男とあれほど親しげにしていた?」
(……っ)
父親からの指摘に、ローズは胸を突かれたような動揺を覚えた。
(ダメ、ここで顔に出したら。疑いを確信に変えられてしまう!)
ローズはすぐさま無表情を装い、心を押し殺す。
嘘をつくことに慣れたわけではない。けれど、心を守るためにそうしなければならない場面は何度もあった。
今は、そのときに身につけた演じる力を活かすときだった。
「呪われた王子との接触は、必要最低限に留めよと命じたはずだ」
「……お言葉ですが!」
ローズは、思わず声を強めた。
「……わたしはただ、命令の遂行を円滑に進めるために、あえて距離を詰めました! 心を許したわけではありません。むしろ、彼の警戒心を解くための行動です!」
口に出したそれは、ローズの本心ではない。
(本当はもっとそばにいたいし、もっと知りたい)
好きを自覚した今、その気持ちはもう引き返せないほどに膨らんでいる。
でも、そんな想いは父親の前で吐き出していいものじゃない。
(お父様だけじゃない。誰にも悟られないように、だ)
「……ふん」
父親は鼻を鳴らし、ローズを値踏みするように見下ろした。
「いい機会だ。しばらく王都を離れ、地方で奉仕でもしてこい」
「……え?」
父親はゆっくりと椅子にもたれかかり、指を組んで静かに告げる。
「場所は、ノクティエル村。孤児院で聖女としての自覚を身につけるのだな」
「……」
あまりに突然のことに、ローズは押し黙る。
父親は書類を手繰り寄せながら、興味を失ったように言い捨てた。
「……己の立場と役目、そして分不相応な感情が何を生むか、じっくり考えるといい」
「……了解しました」
ローズは深く頭を下げた。
父親は娘の姿を見て、冷たく笑った。
(……次に会えるのは、いつになるかな)
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
でも、それを顔には出さない。今は、まだ――。
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