第24話 想いを自覚する
「……で、その髪は? 濡れているままうろついていたのか?」
唐突に話題が移ったことに戸惑いながらも、ローズはおずおずと髪に触れる。
「タオルで拭いたつもりだったんですけど……、まだ濡れてますか?」
「あぁ。乾かしてから動け。風邪でも引いたらどうする」
そう言うと、ヴァルセンはゆっくり立ち上がる。
そして棚の方へ歩いていき、ふかふかのタオルを一枚と小さな木製の櫛を手に取った。
「座れ。乾かしてやる」
「いえ、自分でやります!」
慌てるローズに、ヴァルセンはじろりと鋭い視線を向けた。
「責任を取るのは私だろう?」
「うっ……」
「黙って座っていろ。すぐ終わる」
(ヴァルセン様、なんかずるい……)
ヴァルセンの押しの強さに抗えず、ローズは大人しくソファに腰を下ろした。
ふいに背後に気配が動き、髪に優しくタオルがあてられる。
「……!」
静かに、丁寧に、濡れた髪が包まれていく。
ヴァルセンのその手つきは意外なほど繊細で、ローズは身動きがとれなくなった。
(……落ち着かない)
ヴァルセンの指先が髪を梳くたび、くすぐったさと照れが交互に押し寄せる。
「扱いやすい髪だな」
「そう、ですか?」
「手入れが行き届いている」
「あ、ありがとうございます」
ローズが小さく呟くと、背後でヴァルセンがふっと短く息を吐いた。
やがてタオルが外され、代わりに櫛の軽やかな音が響く。
(……なんでわたし、こんなにドキドキしてるの?)
バラ屋敷に来てからというもの、ローズの胸はずっと落ち着かなかった。
今までに体験したことのない高鳴りに、彼女は戸惑いを隠しきれずにいた。
「……これでいいだろう。あとは、自然に乾くはずだ」
その言葉と共に、ヴァルセンの手がローズの髪から離れた。
(あ……)
その瞬間、彼女は思わず振り返りそうになって、ぐっと堪える。
(どうしてこんなにも、彼の手が離れてしまうのが寂しいんだろう……)
「……苦しい」
ぽつりと零したその言葉は、ヴァルセンの耳に入ることはなかった。
「……おい、大丈夫か? お前、顔色が――」
「だ、大丈夫ですっ! 本当に大丈夫ですから!」
「そ、そうか」
「あのっ、ヴァルセン様! 泊まるお部屋をまだ伺ってなかったので、案内してもらえますか!?」
「あ、あぁ……。わ、わかった」
「お願いします!!」
「……こっちだ」と言い、ヴァルセンは廊下に出た。
ローズとヴァルセンの静かな足音が、夜のバラ屋敷の廊下に消えていく。
(危なかった。思わず、このままずっとそばにいたいって言いそうだった……)
◇◆◇
「ここだ」
案内されたのは、綺麗に整えられたシンプルな部屋だった。
「他に必要なものはありそうか?」
ヴァルセンは部屋の入り口に立ったまま、軽くローズのほうを見た。
ローズは部屋の中にあるベッドや家具を一通り見回してから、微笑んだ。
「いえ、大丈夫です! 本当に、何から何までありがとうございます!」
「気にするな。これも、私の責任だからな」
「責任って……。それ、いつまでそんなふうに言うつもりですか?」
「さぁ、いつまでだろうな」
淡く笑みを浮かべながら、ヴァルセンはそう答えた。
彼の口調は軽口のようでいて、どこか本気だった。
(ずっとはさすがに困るなぁ……)
「……今日は一日、ありがとうございました。ヴァルセン様、ちゃんと休んでくださいね?」
「そう言うお前こそ、変な夢を見ないように」
「変な夢……?」
「例えば、誰かに追いかけられる夢とか、な」
「……それって、誘拐犯になったヴァルセン様が追いかけてくる夢じゃないですよね?」
「さぁな」
揶揄うように目を細めたヴァルセンを見て、ローズは「もうっ」と頬を膨らませてそっぽを向いた。
「……寝ます! おやすみなさい!」
「あぁ、おやすみ」
ローズは小さく会釈をして、ヴァルセンが部屋から出て行くのを待つ。
スタスタ、と足音が遠ざかっていく。
(もう、いないかな?)
静まり返った廊下を覗き、誰もいないことを確認してから、そっと鍵をかけた。
カチリ、という音が聞こえた瞬間、ローズの中の緊張の糸が切れる。
彼女は、全身の力が一気に抜けたようにズルズルと床にへたり込み、体を丸めた。
そして、とても深いため息をついた。
「はぁ……」
(ヴァルセン様、なんてことを言うの……)
――責任を取るのは私だろう?
あの言葉が、ずっと胸に残って離れない。
あの言葉に、深い意味などないだろう。
あの言葉は、ヴァルセンなりの気遣い。
いつものように、ほんの少しだけ揶揄うような口調で言っただけ。
(それくらい、わかってるのに……)
低い声で、真剣な目で、あんな風に言われたら。
「あんなの、まるで、告白じゃん……」
どうしたって、ただの冗談とは思えなくなる。
「……」
ローズは自分の胸に触れて、目を閉じる。
(本来ならば、ヴァルセン様とわたしは『呪われた王子とその彼を始末する劣等聖女』という最悪の関係性……)
国王と父親からの命令に従う、それだけのはずだった。
けれど、ローズはすぐに命令に逆らうことにした。
逆らえばどうなるか、わかっていながら。
境遇が似ていた。
自分を重ねてしまった。
何もかも切り捨てるような、諦めた目。
ヴァルセンから目を逸らせなかった。
きっと、最初は同情だったかもしれない。
(……本当に、そうだった?)
ただの憐れみ? ただの使命感?
「……違う」
ローズは初めから、ヴァルセンのことを放っておけなかった。
それは、誰かに言われたからじゃない。
不器用でいながらも優しくて、まっすぐで。
そんな彼の姿を知ったから。
気づいたときには、目が離せなくなっていた。
「……」
気づかないふりをしていた。
そんなわけない、と思っていた。
しかし――。
(わたしは、ヴァルセン様のことが……)
その問いに、もう答えは出ている。
カチリ。
扉の鍵をかけたときに聞こえた音が、胸の奥でも響いた気がした。
まるで、ずっと噛み合わなかった気持ちがやっと鍵穴に合ったように。
「……好き」
言葉に出して、ストン、と胸の奥に落ちた。
それだけで、今までのざわめきがスッと溶けていく。
「わたしは、ヴァルセン様が好き」
今まで蓋で抑えられていた想いが、氾濫したみたいに胸の奥から溢れ出す。
顔がじんわりと火照って、息が詰まりそうになる。
(どうしよう……。明日、どんな顔をして会えばいいの?)
想いを自覚してしまったから、もう今までみたいには振る舞えない。
「わたし、今日ちゃんと眠れる……? ……いや、眠れない。眠れるわけがない」
ローズは頭を抱えて、悶える。
「……あぁ、これも、すべてヴァルセン様のせいだ!」
そう言うローズの口元は、自然と綻んでいた。




