第21話 この命に価値はないとしても(ヴァルセン視点)
時は少し戻って、ローズと別れた直後。
ヴァルセンは、この国の国王であり自分の父親である男と言葉を交わしていた。
「珍しく、公の場に顔を出しているのだな」
「えぇ。弟の成人を祝う、大事な夜ですから」
壇上に座る国王は、赤絨毯の上に立つヴァルセンを一瞥しながら口を開く。
その表情からは、何を考えているのか一切読み取れず、無機質な静けさだけが漂う。
長年、王位に君臨し続けてきた者らしい、隙のない威圧感と冷徹さがそこにはあった。
一方でヴァルセンは、国王の反応を見透かすように涼しげな表情を浮かべていた。
目元は微動だにせず、口元だけがかすかに笑みの形を作っている。
「ずいぶんと他人行儀な言い方だな、ヴァルセン」
「立場をわきまえてのことですよ、国王陛下」
ここは、公的な場。
父と子としてではなく、王子と国王としての体裁だけが意味を持つ、冷えきった舞台。
二人のぎこちないやり取りは、彼らの関係そのものでもあった。
(父親だと一度も思ったことない相手に対して、他人行儀で何が悪い)
ヴァルセンは、これまで一度として目の前の男を父だと思ったことがない。
血を分けた親であるはずの国王は、ヴァルセンを一人の子として見たことはなく、王家に生まれた災厄として、彼を産んだ母親もろとも王宮から遠ざけた。
かつては愛する妻と呼んだはずの女性ですら、呪われた子を産んだというだけで冷たく切り捨て、母子ともに誰の目にも触れさせぬよう、ひっそりとバラ屋敷へと押し込めた。
見向きされることもなく、忘れ去られた存在として。
幼いながらにしてその事実を知ったヴァルセンは、父親に対して愛情も、尊敬も、期待も、抱くことはなかった。
父子という形は最初から存在せず、残ったのは立場だけだったのだ。
だからこそ、ヴァルセンは皮肉を含んだ丁寧さで一礼した。
「……なぜ、劣等聖女をパートナーに選んだ」
国王は、真正面からヴァルセンに問いかけた。
ヴァルセンは顔を上げ、その問いに対して涼やかに返した。
「それは、陛下が一番よくおわかりでは?」
国王にわざと答えさせようとする、意図的な言い回しだった。
国王はすぐには返答せず、しばし沈黙の間を置いた。
「いいや、全く理解できないな。お前はこれまで、誰かに関心を持つことはなかったはずだ」
ヴァルセンの変化はあまりにも異質で、理解しがたいもので。
国王にとって、それは理解の範疇を超えた行動だった。
「……そうですね。これまでの私なら、ローズ・ブランシュをパートナーに選ぶことなど、ありえませんでした」
「ではなぜ、選んだ」
その問いに、ヴァルセンは冷ややかに目を細め、肩を竦めた。
「『無価値』と蔑まれている劣等聖女と、『災厄』と恐れられる呪われた第一王子。滑稽で、お似合いな組み合わせでしょう?」
「……」
「だから、選んだのですよ」
(こうでも言わないと、貴方は納得しない)
「お前の言葉遊びは、昔から変わらんな」
国王が低く唸るように呟いた。
「肝心なところに触れようとしない。劣等聖女を庇っているのか?」
「さぁ、どうでしょう」
「感情に溺れたか? 愚かなことだ……」
「愚か……」
「私のことはどうと言ってもらって構いませんよ。もとより、この命に価値はないと判断されたのは、他でもない貴方なのですから。ただ……」
ヴァルセンは静かに目を伏せると、わずかに目線だけを上げて国王を見やった。
「関係のない劣等聖女を巻き込むのは、やめていただきたい」
冷静な口調のまま、感情の波を押し殺すように言い放つ。
(私を始末しようとしているのは誰だ? ローズ・ブランシュを使って仕掛けてきたのは、貴方だろう。それなのに、その口でよくも私に『なぜ選んだ』などと言えたものだ)
一瞬だけ、内に潜んでいた憎悪が瞳の奥に宿る。
――そのときだった。
「あら、自分のことをよくわかっているじゃない」
軽やかで艶やかな女の声が、会話の空気を切り裂いた。
「王妃よ、今は私がヴァルセンと話をしているのだが……」
静かながらも、明らかに不快感を滲ませた声が国王の口から漏れる。
「いいじゃないですか。ワタクシも久しぶりに、この子とお話がしたいですもの」
優雅な足音を響かせて、王妃はゆっくりとヴァルセンのもとに歩み寄った。
「ヴァルセン。元気そうで何よりですわ」
王妃は微笑んだ。
その笑みはあまりに美しく、そして、あまりに冷たかった。
「……えぇ。王妃も元気そうで」
そう言うヴァルセンの声音には、一切の感情が乗っていない。
(……不愉快だ)
王妃の香水の強い香りがヴァルセンの周りに漂い、彼は無意識に顔を顰めた。
(……思い出したくもないのに。よりによって、この場で……)
鼻先に刺さる香りが記憶の蓋を開ける。
(……)
閉ざされた扉の向こうで聞こえた、母の震える声。
何度も呼びかけるのに返ってこなかった、血の気を失った母の姿。
張り詰めた空気とそこに残された冷たさだけが、今でも脳裏に焼きついている。
(あぁ、不愉快だ……)
頭の奥で鈍く、疼くような痛みが走った。
「ワタクシ、驚いたのよ? 貴方がこの場に姿を見せるなんて思わなかったから。……貴方を動かしたのは、劣等聖女?」
「……それを知って、どうなさるおつもりで」
「さあ? どうしようがワタクシの勝手でしょう」
王妃は扇子を開き、唇を隠すようにして微笑んだ。
そして、ヴァルセンの耳元で囁いた。
「貴方、呪いに関する本を必死に読み漁っているみたいだけど、無駄よ? 聖女であった貴方の母ですら、結局何もできずに死んでいったのだから。……あぁ、本当に可哀想な人だったわ」
「……」
(……笑わせるな。母の死の原因を作ったのは、他でもない貴様だろう)
王妃は、扇子の奥でクスクスと笑った。
彼女の態度は、どこまでも嘲弄めいていた。
ヴァルセンは王妃の冷笑を無言で見下ろしながら、ぎゅっと手袋越しに拳を握り締めた。
「ローズとか言うあの娘も、いずれ貴方の母と同じ目を見るのかしらね」
「……」
「……ふふっ。貴方と関わった時点で、不幸は約束されているも同然よ」
王妃は満足したように、扇子を揺らしながらヴァルセンから離れていった。
(……母と同じ目に遭わせるものか)
声にはしない。怒りも吐かない。
だが、ヴァルセンは静かに心の奥底で強く誓った。
過去を切り捨て、未来を曇らせる、この国の支配者たち。
壇上の玉座に座る国王と王妃を、赤い瞳でまっすぐに射抜いた。
「……戯言を」
その一言を呟くと、ヴァルセンは身を翻した。
◇◆◇
「はぁ……」
ヴァルセンは壁際に寄りかかり、息をついた。
彼は、煌びやかな照明に彩られた会場を横目で見やる。
会場の中心では音楽と歓声が混じり合い、華やかな舞踏会が続いていた。
(……やはり、息苦しいな)
無数の好奇に満ちた視線と口先だけの賛辞。そして、押しつけがましい社交辞令。
表情を崩すことすら許されない空気がこの場には充満していた。
ここは、王子としてのヴァルセンを消費するだけの場所。
この場所に満ちる華やかさも輝きも、彼にとってただの虚飾にすぎない。
だが――。
(不思議だな)
弟の成人を祝う式典とはいえ、ヴァルセンは興味もなければ祝う気持ちもなかった。
形だけの義務として顔を出し、誰とも言葉を交わさず去るつもりだったのだ。
そんな彼が自らローズに声をかけ、舞踏会への同伴を誘った。
自分には縁のない行動をとった。
(私が誰かと共にここに来るなんてな……)
ほんの少し、自嘲が混じる。
けれど、自分が取った行動を後悔してはいなかった。
明確な理由は見つからない。否、その理由がまだ言語化できないのかもしれない。
ただ、例え理由を言葉にできずとも言えることが一つあった。
(後悔はなかった)
ローズを誘ったことは、間違っていなかったということ。
心のどこかで、これはきっと正しい選択なのだと思えていた。
ふと、ヴァルセンは視線を巡らせる。
さきほど別れたローズの姿を探すように会場を見渡した。
(まだ戻っていないのか……?)
注意深く探るが、ローズの姿は見当たらない。
ヴァルセンが眉を顰めた、そのときだった。
「あれは……」
「ドレスが……、いったいどうしたのかしら……」
ざわ……、と空気が波打ち、会場の片隅から人々のざわめきが広がっていく。
(……なんだ?)
ヴァルセンの視線が自然とその方向へ引き寄せられた。
ざわつく視線の先に、彼女がいた。
バルコニーからゆっくりと戻ってくる、ローズ・ブランシュ。
「……」
ローズのその姿を見た瞬間、ヴァルセンの眉間に影が落ちる。
彼女の淡いドレスに広がる、赤黒い染み。
(誰かに、わざとかけられたか)
ワインを零したにしては不自然な広がり。
ドレスが汚れたのは偶然ではないだろう、とヴァルセンは考えた。
(……あれが、ローズ・ブランシュの選んだあり方か)
人々の視線に晒されながらも、ローズは背筋を伸ばして堂々と歩いていた。
恥じることも慌てることもなく、品を保ち続ける姿を見せていた。
ヴァルセンは足早に歩を進めた。
視線も噂も振り払うように人波を横切り、一直線に彼女のもとへ向かう。
「それは、どうした?」
ローズの前に立ったヴァルセンが、汚れたドレスを指さして問いかけた。
ローズは笑顔を崩さず、まるで何事もないかのように返した。
「ちょっと、手が滑ってしまって……。せっかくのドレスを汚してしまってごめんなさい」
「……いや、それは――」
そう言いかけて、ヴァルセンは口を閉ざした。
「……そうか」
一瞬でローズが嘘をついていることはわかった。
だが、彼女がそう言うなら、今はそれ以上を求めるべきではない。
「行くぞ。ここにいては目立つ」
「……そうですね」
ローズが小さく頷いたのを確認し、ヴァルセンは黙って彼女の手を取り歩き出した。
二人の背中を無数の視線が追う。
それを気にすることなく、ヴァルセンは静かに会場を後にした。
扉が閉まる音が響き、舞踏会の喧騒がゆっくりと遠ざかっていく。
まるで、虚飾の世界からローズをそっと解き放つように。
(……気丈な女だ)
どれほどの痛みを抱えているのか。
ローズの心に刻まれた苦しみを、ヴァルセンは察していた。
だからこそ、彼は何も言わない。
彼女の心が震えるそのときまで。
その笑顔が、静かに崩れ落ちるその瞬間まで――。




