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第16話 麗しき夜の幕開け

「ここって……」


 ローズは目を見開いた。

 馬車が停まったのは、王宮ではなく王都の一角にある仕立屋。

 この店は、つい数日前にヴァルセンと訪れた場所。

 彼と共にドレスを選んだ店だった。


「お待ちしておりました、ヴァルセン様。そして、ローズ様」


 店内に足を踏み入れると、すぐに奥から店主が現れた。

 店主は恭しく微笑んだ。


「すでに、準備は整っております」


 すると、侍女たちが奥から姿を現し、ローズを囲む。


「ローズ様、どうぞこちらへ」

「えっ? あっ、ちょ、ちょっと!」


 半ば強引に店の奥へと連れて行かれるローズ。

 ヴァルセンは彼女の姿が奥へと消えていくのを見届けると、ゆっくりと視線を店主に戻した。

 店主は頭を下げると、丁寧な口調で言った。


「ヴァルセン様、ご依頼の品はきちんとご用意が整っております」

「問題はないな?」

「ええ、もちろんでございます。ヴァルセン様がおっしゃられていた、ローズ様にぴったりのものとなっております」

「……そうか」



   ◇◆◇



 店の奥へと連れられたローズは、ふわふわとしたクッションの敷かれた椅子に座らされた。

 そして、状況を理解する間もなく、侍女たちが手際よく彼女の周りを取り囲む。


(……!?)


 髪をそっと持ち上げられ、柔らかくブラシが通される。

 別の侍女は机の上に並べられた化粧道具を手に取りながら、ローズに優しく微笑んだ。


「ローズ様、どうぞリラックスなさってください。私どもにすべてお任せを」

「ええっと……?」


 戸惑いながらも、ローズは鏡に映る自分の姿を見る。

 乱れていた髪はすぐに整えられ、頬に軽く色が乗せられていく。

 それは彼女自身の魅力を引き出すような、繊細な化粧だった。


(……ん?)


 ふと、ローズの視線が机の上に並べられたものへと移る。

 そこには、美しい銀の髪飾りやルビーがついたペンダントがまばゆい輝きを放っていた。

 どれも見たことのないほど精巧な品々。

 ローズが持っているものではなかった。


「……あの、これって?」


 ローズが問いかけると、侍女の一人が微笑みながら答えた。


「ヴァルセン様のご指示でご用意させていただきました」

「ヴァルセン様が……?」


 ローズが言葉を失っていると、侍女の手がするりと近くに置かれていたドレスへと伸びた。


「それでは、お召し替えをいたしましょう」

「えっ、あっ……!」


 侍女たちは手慣れた様子でローズを支え、滑らかな手つきでドレスを脱がせる。

 そして、新しいドレスへと導いた。

 その間、彼女はされるがままになりながら、頭の中でグルグルと考え込んでいた。


(もしかして、彼は最初からここに寄るつもりだったの……?)


 髪飾り、アクセサリー。そして、化粧。

 どれもこれも、ローズのために用意されたもの。

 ヴァルセンからの贈り物だった。


(わたしのために……?)


 触り心地の良い布が肌を滑るたび、ローズは心なしか背筋が伸びるのを感じた。

 そして気づけば、華やかな装いへと変化していた。


「髪飾りをおつけしますね」


 侍女の一人がローズの髪をまとめ上げ、美しい銀細工の髪飾りをそっと差し込んだ。

 そして最後の仕上げとして、ルビーのペンダントを首元にかけた。


「とてもお似合いです、ローズ様」


 そう声をかけられ、ローズはハッと我に返った。


「……ありがとうございます」


 ここまで、何もかもしてくれた侍女たちにお礼を言う。

 そして、ローズは鏡の中に映る自分の姿を見て、思わず息を呑んだ。


「……っ!」


(……嘘。これが、わたし……?)


 華美すぎず、それでいて舞踏会にふさわしい気品を持ちあわせている、淡いピンクと白のグラデーションが美しいドレス。

 そんなドレスを身に纏ったローズのまとめられた髪には、上品に輝く銀の髪飾り。

 優雅なドレスと髪飾りが見事に調和していた。

 光を受けて輝くペンダントをローズはそっと指でなぞった。


(……あぁ、嬉しい。すごく嬉しい……。こんな風に、誰かに大切されたのはいつぶりだろう)


 何とも言えない感情が、ローズを襲う。

 そして、胸がキュウっと締めつけられるような感覚を味わった。


「……あっ」


 余韻に浸っていると、鏡の中にヴァルセンの姿があった。

 振り向くと、彼は入口近くに立っていた。


「……」

「ヴァ、ヴァルセン様……?」


 ヴァルセンは無言でローズに近づく。

 彼の赤い瞳がジッとローズを見つめる。

 まるで、何かを確かめるように。


(……?)


 一瞬、ヴァルセンは口を開いた。

 しかし、何事もなかったかのように口を閉ざしてしまった。


「……支度は済んだか」

「は、はい」


 ローズが頷くと、ヴァルセンは軽く息を吐いた。


「行くぞ」


 そう言い、ヴァルセンは手を差し出した。

 ローズは迷うことなく、彼の手を取った。

 黒革の手袋越しに感じる彼の体温が心地よかった。


「……」


 ヴァルセンは何も言わず、ローズの手を引いた。



   ◇◆◇



「ヴァルセン様」

「なんだ」


 馬車に乗り込んでしばらくして、ローズはそっと口を開いた。

 向かい合って座るヴァルセンは、窓の外に視線を向けたままだった。

 彼の横顔を見つめながら、ローズは少し恥ずかしがりながら微笑んだ。


「ありがとうございます」


 その言葉に、ヴァルセンは少しだけ視線を動かす。

 だが、すぐに「何のことだ?」と言わんばかりに無言でローズを見る。


「……こんなに綺麗なドレスを選んでくださって」

「別に、礼を言われるほどのことじゃない」

「そんなことありません。ドレスだけじゃありません。髪飾りもペンダントも……」


 ローズは胸元のペンダントへと視線を落とし、そっと握りしめる。


「……わたし今、すごく嬉しいんです」


 着替え終えた自分の姿を見たとき、信じられなかった。

 まさか自分がここまで変わるとは思わなかったから。


(だって、こんなに着飾ったのは初めて)


 彼女は普段、人前に出るときは華やかすぎない服装でいた。

 それもこれも、妹のリリィよりも目立つことがないようにするためだった。


「……気に入ったのか?」

「はい、とても……!」


 ローズが微笑むと、ヴァルセンはしばらく沈黙したまま、ぽつりと呟いた。


「……似合ってる」


 それは、あまりにも自然な言葉だった。


「えっ?」


 ローズは驚いて、ヴァルセンを見つめる。

 しかし、肝心の彼は目を逸らしていて視線が合わない。


「い、今、何て……?」


(わたしの聞き間違いじゃないよね?)


 ローズは確認のため、もう一度聞いた。

 すると、ヴァルセンはボソッと言った。

 それはもう、よく耳を傾けないと聞き逃すほどの小さな声だった。


「……よく、似合ってる」


 それだけを言うと、ヴァルセンは気まずそうにして、再び窓の外へと視線を向けてしまった。


「……」


 ローズはしばらくヴァルセンを見つめた後、視線を伏せた。


(まさか、彼がわたしを褒めてくれるなんて……)


 口数も少なく、素直に感情を表に出さないヴァルセンのことだ。

 素直に褒めたつもりはないのだろう。

 しかしそれでも、自分に合うドレスを選んでくれたのも、こうして準備まで整えてくれたのも、全部彼の計らいだった。

 だからこそ、今の彼の言葉がとても嬉しかった。


(……なんだか、幸せ)


 ローズは胸がポカポカと温かくなるのを感じながら、夜の王都を駆ける馬車の揺れに身を委ねた。



   ◇◆◇



 祝賀舞踏会はすでに始まっていた。

 しかし、主役である第二王子のアルバの姿はまだなかった。


「なぁ、聞いたか? 今日、あの呪われた王子が来るらしいぞ」

「それ、本当なのか!?」


 王宮の広間では、貴族たちが各々に談笑していた。

 そんなときだった。


「第一王子、ヴァルセン殿下。並びに、ブランシュ侯爵家令嬢、ローズ・ブランシュ様のご到着でございます!」


 侍従が大きな声で告げたことで、広間の空気が一瞬で変わった。


「……!?」


 人々の視線が扉に集中する。

 そしてゆっくりと扉が開かれる。

 ヴァルセンとローズ、遅れての登場。

 二人の姿はまるで、今宵の主役のように注目を浴びるには十分すぎた。


(すごい数の視線……)


 ローズは少し緊張した様子で、ヴァルセンの腕を取る。

 けれど、その歩みを止めることはない。

 多くの人々の視線が一斉に二人へと向けられる中、誰よりも目を見開いていた人物がいた。


「……嘘」


 それは、ローズの妹のリリィだった。

 小さく呟いた彼女の顔には、驚きと困惑が滲んでいた。

 なぜなら、彼女の想像とはまるで違う形でローズが現れたから。


(リリィ……)


 ローズは妹の姿を横目に見ながら、ヴァルセンの隣で堂々と歩を進める。


(恐れることは何もない……。だって、今、わたしの隣には彼がいてくれているから……)


 今宵、劣等聖女ではなく一人の貴族令嬢として。

 ローズはヴァルセンのエスコートを受けながら、祝賀舞踏会の会場へと足を踏み入れた。

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