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第12話 2人で味わうホットケーキ

 時は流れ、一週間後。

 現在、ローズはバラ屋敷の広いキッチンに立っていた。

 ヴァルセンが全く食事をしていないということを知ったローズは、彼に少しでも美味しいものを食べてもらいたくて、自ら腕を振るうことにしたのだ。


(喜んでもらえるといいなぁ)


 卵を割りながら、ローズはふと温かい気持ちになった。

 もともと、彼女は趣味でよく料理を作っていた。

 しかし、できあがった料理を誰かに食べてもらったことはなかった。

 自らの手料理を振る舞う機会がなかったのだ。

 だから、食事を作りたいと申し出たとき、ヴァルセンがそれを許してくれたことがとても嬉しかった。

 自分が作った料理を誰かに食べてもらえるということが、自分の料理が誰かのためになることが、ローズにしてみれば、くすぐったくも誇らしいと感じられた。


「ふふっ」


 ローズは無邪気に笑った。

 彼女の胸は今、期待で躍っていた。

 キッチンには、いろんな音が響く。

 ボウルの中で材料を泡立て器で混ぜる音、フライパンに生地を流し込む音、バターがジュッと溶ける音――。

 この屋敷でこんな音が響くのは、初めてのことかもしれない。


「……甘い匂いだな」


 聞き慣れた低い声に、ローズはくるりと振り向いて笑った。


「あっ、ヴァルセン様! ちょうどよかったです! もうすぐできるので、少し待っていてください!」


 この場の主役と言えるヴァルセンは、キッチンから漏れ出した甘い匂いに誘われて、ここまでやって来た。


「……何を作っている?」

「ホットケーキです!」


 ローズは元気よく答え、ヘラでホットケーキをひっくり返した。


「ホットケーキか……」


 ヴァルセンは、ジーっとホットケーキが焼かれる様子を眺めていた。

 ふわり、と甘い匂いがキッチンいっぱいに広がる。


「うん、いい感じ……!」


 フライパンの中には、きつね色にこんがりと焼き上がったホットケーキがあった。

 ローズはホットケーキを慎重に、それぞれのお皿に積み重ねていった。

 仕上げにたっぷりの蜂蜜をかけ、甘酸っぱいベリーとドライフルーツ、さらにはナッツを添えた。


「はい! できました!」


 ローズが自信たっぷりに胸を張った。


「さぁ、ヴァルセン様! 冷めないうちに食べましょう!」


 ローズはできたてのホットケーキが乗った皿を両手で持ち、ヴァルセンと一緒にダイニングへ向かった。



   ◇◆◇



「……」

「……」


 ダイニングへ来て向かい合って座ったのはいいものの、ヴァルセンはホットケーキを見つめるだけで、なかなか手をつけようとしなかった。


「……あの、食べないんですか……?」

「……」


 ローズは眉間に深くシワを寄せた。


「もしかして、ホットケーキ嫌いでしたか……?」

「いや……」

「甘いものが嫌いでしたか?」

「そういうわけじゃない……」

「それならどうして……」


 ヴァルセンはローズを一瞥し、再度ホットケーキをジッと見つめる。

 フォークを持とうとはしなかった。


(この前、食べられないものがないか聞いたときは、何も言ってなかったのに……)


「あの、ヴァルセン様……? す、少しだけでも食べてみませんか……?」


 ローズはそっと皿を押しやりながら、懇願するように言った。


「……」


 しかし、ヴァルセンの視線は相変わらずホットケーキの一点に注がれたまま。


(……ん?)


 ローズはそこで、ヴァルセンが何かを考え込むように沈黙していることに気づいた。


(も、もしかして、警戒してる……? わたし、疑われてる!?)


 ローズは焦り、思わず身を乗り出した。


「あの、ヴァルセン様? ホットケーキに毒でも入ってるんじゃないか、って思ってませんか!?」

「……、別にそういうわけじゃ……」


 しかし、ヴァルセンの反応があまりにも曖昧だったため、ローズは確信した。


「完全に疑ってるじゃないですか! ……し、心外だ! わたし、そんなことしませんよ!?」

「……わかってる」

「いや、わかってない人の態度ですよね!? ……もう! だったら、私が毒味します!!」


 そう言って、ローズは勢いよくフォークを手に取り、自分の皿にあるホットケーキを刺して口へ運んだ。


「ほは、ふぁふへんふぁま。ぼふまんへありまふぇん……!(ほら、ヴァルセン様。毒なんてありません……!)」


 もぐもぐとしっかりと咀嚼し、口の中を空っぽにしてからローズは満面の笑みを浮かべた。


「うん、ちゃんと美味しいです! だから……」


 ローズは自分の皿にあるホットケーキを一口大に切り、フォークに刺した。

 そして、何の躊躇もなくヴァルセンの口元へ差し出した。


「はい、あーん!」

「……!?」


 その瞬間、ヴァルセンは石像のように固まる。

 彼の赤い瞳がこれ以上ないくらいに開かれた。


「お、お前……、そういうことを気にしないのか?」

「……え?」


 ヴァルセンの真剣な眼差しに、ローズは首を傾げる。


「だから、その……。……いや、何でもない……」

「……? さぁ、どうぞ!」


 ヴァルセンは困惑したようにローズとフォークを交互に見つめる。

 しかし、根負けしたのか、彼は軽くため息をついて、しぶしぶホットケーキを口に運んだ。


「……」

「どうですか……?」

「……悪くない」

「……!」


 その言葉を聞いた瞬間、ローズはパァッと顔を輝かせた。


(やったぁ!)


 ローズは、思わず小さくガッツポーズをした。

 ヴァルセンは視線を逸らし、自分の手元に置かれたフォークを手に取った。

 そして、ホットケーキをフォークで刺し、静かに食べ始めた。 

 しばらくの間、二人の間には食事の音だけが響く。


(ふふっ、なんだかんだ言って、気に入ってくれたみたい!)


 ヴァルセンは黙々と食べていた。

 ホットケーキが次々と減っていくのを見て、ローズは嬉しくなった。

 だからなのだろう。喜びが込み上げてきて、思わず言葉が零れた。


「……これは、先週も言ったことなんですけど。……わたし、よく料理を作るんです。……と言っても、趣味みたいなものですけどね」

「……」


 ローズはヴァルセンを見つめながら、ゆっくりと話し始めた。

 彼女は少し恥ずかしそうにしながら、言葉を続けた。


「けど、作った料理を振る舞える機会がなくて……、今まで誰にも食べてもらったことがないんです。……だから、ヴァルセン様が初めてなんです。わたしの作った料理を食べてくれたのは」


 ヴァルセンが手を止めて、チラリ、とローズを見た。

 彼女は目を瞑って、その当時の思い出にふけるように。

 あの頃の暖かな記憶を胸に抱きしめるようにして、手のひらを軽く握りしめた。


「……わたしが幼かった頃に、母が作ってくれたんです。今日、わたしが作ったようなホットケーキを」


(今でも、覚えてる。お母様が作ってくれた、温かくてとってもふわふわしたホットケーキ……)


「だからこそ、あの頃の幸せをもう一度、ヴァルセン様とわかち合えているような気がして……。わたしが作ったホットケーキを今、ヴァルセン様に食べてもらえていることが、とっても嬉しいんです!」


 ローズは照れくさそうに笑った。

 そんな中、ヴァルセンが顔を上げた。


「……お前の母親は、良い人だったんだな」

「……はい。わたしの母はとても優しくて、太陽みたいな人でした」

「『でした』……? それは、つまり……」

「ヴァルセン様が予想している通りです。母が作ってくれたホットケーキはもう、食べることはできません……」


 ローズは懐かしそうに微笑み、やがてフッと寂しげに目を伏せた。


「……」

「……私が食事を取らない理由だがな」


 ヴァルセンがぽつりと呟く。


「食事の必要性を感じないんだ。……どうせ呪いで死ぬのなら、食べても意味がない」

「……っ」


 あまりに衝撃的な言葉に、ローズは息を呑んだ。


「それに、幼い頃からよく食事に毒を盛られていた。……つまり、私にとって食事とは、生きるために必要なものではあったが、同時に命を削るものでもあった」

「……ヴァルセン様が今日、わたしが作ったものを食べてくださったのは、義務感だったからですか……?」

「いいや、違う。それだけは、断じて違うと言える」

「それじゃあ、どうして……」

「……体が食事を拒んでも、心が必死に生きようと努力をしている……。きっと、誰かとこうして食事を取ることを、心のどこかで望んでいたのかもしれない」

「ヴァルセン様……」

「……だから、お前がそこまで私の食事を深刻に考えることはない。私だって、食事を取らなければいけないことくらい、わかっている」


 ヴァルセンはそこで軽く息をついて、ローズをまっすぐ見つめる。


「……今後は、しっかり食事を取るつもりだ。お前と一緒に食べて、少しは食事の時間を大切にしようと思えたからな」

「ヴァルセン様……!」

「……お前も食べないと、冷たくなるぞ。……というより、もう冷めているか」

「いいんです! 冷めていても、美味しいことに変わりはないので! ……って、ヴァルセン様、いつの間に食べ終わって……!!」

「お前が夢中で話している間に、すでに食べ終わっていた」

「……え!? じゃあ、わたしのホットケーキ少し、食べてもらえませんか? ちょっと、盛りすぎちゃって……」

「……仕方ないな。せっかく作ったものを無駄にするのはよくないからな。……食べてやる」

「ありがとうございます……!」


 二人は楽しそうに言葉を交わした。

 そうして、和やかな空気に包まれながら食事を終えた頃、ヴァルセンはふと思い出したかのように口を開いた。


「あぁ、そうだ……。お前、今月末に開かれる王宮祝賀舞踏会、誰かと参加するか?」

「えっ?」


 思わぬ質問に、ローズは目を瞬かせた。


「……まさか、忘れてたのか?」

「そんな! わ、忘れるなんてことありませんよ! アルバ様の成人を祝う、重要な式典を忘れるだなんて……! 突然の質問に、驚いただけです!」

「そうか。……それで、誰かと行くつもりか?」

「えっと……、まだ決まってません……」

「……ならば、私と参加するか?」

「……えっ?」


 ローズの心臓が大きく跳ねた。

 そして、思わずフォークを落としそうになった。


「ヴァルセン様と一緒に、ですか……?」

「嫌なら別にいい」

「い、嫌じゃないです! むしろ、嬉しいというか、その……!」


 ローズが慌てて手を振ると、ヴァルセンは小さく笑った。


「……三日後の午後、予定を空けておけ」

「三日後……? いったい、何をするんですか?」

「お前が王宮祝賀舞踏会で着るドレスを見に行く」

「えっ……、……えぇっ!?」


 こうしてローズは、ヴァルセンと共に今度開催される王宮祝賀舞踏会に参加することになった。

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