第11話 怪我の治療と交わした約束
バラ屋敷を飛び出したローズは、急いで来た道を引き返していた。
自分を庇う形で倒れ込んだヴァルセンの表情が、頭から離れなかったからである。
――……ぐっ。
あの瞬間、聞こえたのは押し殺したような低い呻き声だった。
彼がゆっくりと体を起こしたとき、強く打った背中を押さえて、わずかに唇の端が引きつっていた。
(急がないと……!)
もしかすると、思ったよりも酷い怪我をしているかもしれない。
ローズがそう思った矢先、ふと足を止めた。
「本当に最悪……。ねぇ、変わってよ~」
「嫌よ! 誰が好き好んで、呪われた王子が住む屋敷を掃除したいと思う? 私まで呪われたらどうするのよ!」
道の角を曲がった先で、二人の侍女が立ち話をしていたのだ。
一人の侍女は、白いシーツや掃除道具を雑に抱えていた。
「はぁ……」
「ほら、そんな深いため息つかないで~? 呪われた第一王子様がお待ちよ~?」
「はぁ……、普通の王子様だったらお世話だって苦じゃなかったのに……」
「まぁ、バラ屋敷の掃除なんて、罰ゲームみたいなものよね」
「罰ゲームどころじゃないよ、もう! あ~、アルバ様のお世話だったら、むしろご褒美だったのに……!」
「……でもさ、よく考えて……? あの方がほとんど食事を取らないおかげで、私たちの仕事は楽じゃない! ほとんど食事に手をつけてないから、食器を片付けるのも一瞬!」
侍女たちはクスクスと笑いながら話を続ける。
「……けどさ、いくら王子とはいえ、出された食事に手をつけないだなんて、作った人に失礼だと思わない?」
「本当よね! せっかくのご馳走だっていうのに、何が不満なんだろうね~?」
「なんか、囚人みたいな生活をしてるよね」
「王子なのに囚人生活……? あっはは! なにそれ、笑えるんだけど!」
(……え?)
ローズの心臓がドクンと鳴った。
(ヴァルセン様がまともに食事を取っていない……? 王子なのに……?)
王族の食事といえば、豪華なものばかり。
それなのに、ヴァルセンはその食事にほとんど手をつけていないという。
(食事を取らないなんて……。それじゃ、まるで……)
頭の中で、侍女たちの言葉が繰り返される。
――なんか、囚人みたいな生活をしてるよね。
ヴァルセンのことを話す彼女たちの声音には、どこか嘲るような響きがあった。
それはまるで、彼のことを王子として扱う価値もないとでも言わんばかりに。
(……こんなの、絶対におかしい!)
胸の奥から熱い感情が込み上げ、ローズは強く拳を握りしめた。
ヴァルセンは王子なのに、あまりに酷い扱いを受けている。
ただ、呪いを持って生まれただけで、ここまで冷たくされるなど。
それが当たり前のように語られているこの状況に、どうしようもない憤りを覚えた。
(彼はちょっと不器用なところもあるよ。だけど、根は切実で優しいのに! ……どうして、誰も気にかけないの?)
侍女たちは軽い調子で会話を続けながら、バラ屋敷へと向かって行く。
ローズは立ち尽くしたまま、彼女たちの背中を見送った。
「……」
決意を固めるように、ローズは再び駆け出していた。
◇◆◇
「ヴァルセン様……!」
バラ屋敷に到着すると、すぐにヴァルセンの姿が目に入った。
彼は目を閉じて、どこか疲れているような様子でベンチに座っていた。
「……なんだ、お前。戻ってきたのか?」
ローズの姿を見るなり、ヴァルセンは目を開けた。
彼の声はいつもどおりだったが、やはりどこか苦しそうだった。
痛みを堪えているのか、それとも……。
「……っ」
ローズは息を整える間もなく叫んだ。それはもう、真剣な表情をさせて。
考えるよりも先に、言葉を発していたのだ──。
「服を脱いでください!」
「……は?」
突然の発言にヴァルセンは困惑し、沈黙が流れる。
「……、……は?」
ヴァルセンは訝しげにローズを見つめ、再度言葉を失った。
(あっ……!)
ローズはそこでようやく、自分がとんでもないことを口走ったのだと気づいた。
「ち、違います! そういう意味じゃなくて……!」
勢いよく手を振りながら、必死に弁解し始める。
ローズの顔は真っ赤になったり、真っ青になったり忙しかった。
「ち、治療です!」
「……治療?」
ヴァルセンは眉を顰め、ローズの様子を伺った。
ローズは真剣な眼差しで彼を見つめる。
「さっき、わたしを庇ったとき、背中を強く打ちつけていましたよね……?」
ローズは、ヴァルセンが庇ってくれた際のことを指摘した。
「……別に、大したことはない」
「そんなはずは……!」
「放っておけ」
そう言い、ヴァルセンは目を伏せた。
(放っておけるわけないでしょう……!)
ローズはヴァルセンの腕を掴み、真剣な眼差しで訴えかけた。
「大したことかどうかは、わたしが判断します! なので、服を脱いでいただけますか!? わたしに治療をさせてください……!」
しばらくローズを見つめた後、ヴァルセンはため息をついて渋々頷いた。
「……好きにしろ」
ヴァルセンはそう言って、ゆっくりと上着を脱ぎ始めた。
「……っ」
ローズは息を呑む。
想像していたよりもずっと痛々しい痕跡。
露わになったヴァルセンの背中には、深い青あざが広がっていた。
(想像以上にひどい。ちゃんと治さないと……!)
ヴァルセンの背中にそっと手をかざし、祈るように目を閉じた。
ふわり、と暖かな光が背中の傷を包み込む。
ゆっくりと広がる温かな力は、徐々に彼の傷を癒していく。
「……ふぅ」
ジンジンと疼いていた痛みが和らいでいったのか、ヴァルセンは肩の力を抜いて息を吐いた。
「……お前の力、思っていたよりも悪くないな」
「え?」
ぽつりと呟いたヴァルセンの言葉に、ローズは驚いて目を見開いた。
「治るのが早い。これで『劣等聖女』とはな……」
「わたし、ちゃんとヴァルセン様の役に立ててましたか……?」
「……あぁ」
ヴァルセンのその一言が、ローズの胸に温かく広がった。
そして同時に、ローズは自分の力がちゃんと役に立ったことに嬉しさを覚えた。
「……なぁ」
ヴァルセンは静かに彼女を見つめ、問いかけた。
「お前は、家でも肩身の狭い思いをしているのか?」
ローズは一瞬、言葉に詰まった。
だが、ゆっくりと首を横に振る。
「そこまでではありません。でも……」
どこか含みを持たせて。しかし、その先は言わなかった。
ローズはヴァルセンを見つめて、逆に質問を投げかけた。
「そういうヴァルセン様こそ、どうなんですか?」
「……私?」
「食事をほとんど取っていないと聞きました」
ローズの言葉にヴァルセンの表情が曇った。
「それは……」
「どうして、食べないんですか?」
ローズの問いかけにヴァルセンは沈黙する。
(ヴァルセン様……)
彼がどんな思いで過ごしているのか、少しでも知りたい。
それを知ったうえで、できることがあるなら、何かしてあげたい。
そんな思いで、ローズはヴァルセンの答えを待った。
「……私は」
ヴァルセンは、ゆっくりと口を開いた。
「……私は、食べることが好きじゃない」
(好きじゃない……?)
「でも、出される食事は豪華でしょう? なのに、どうして……?」
「食べる気にならない。ただ、それだけだ」
ヴァルセンは軽く肩を竦めた。
(なんだろう、この違和感……。まるで、生きることに執着がないみたい……)
「あ……っ」
ローズは、ヴァルセン言葉の裏に何か隠されたものがあるのでは、と思った。
「……ヴァルセン様。本当に、それだけですか……?」
「……」
ヴァルセンは少し目を細めたが、何も言わなかった。
彼の沈黙がすべてを物語っていた。
「……、あー……」
言うべきなのか、言わざるべきなのか。
ローズは迷ったが口を開いた。
「だったら、わたしが何か作ります!」
「……は?」
「わたし、こう見えてよく料理を作るんです!」
ヴァルセンは呆気に取られたような顔をさせたが、ローズの真剣な眼差しを見て、フッと笑った。
「……お前、本当に変な奴だな」
「変じゃないです! ……多分」
頬を膨らませて反論するローズを見て、ヴァルセンは少しだけ穏やかな表情になった。
彼は立ち上がり一言言った。
「……治療、礼を言う。……それと、食事の件は勝手にしろ。お前の好きにすればいい」
ローズはその言葉に安堵しながら、小さく頷いた。
(今度彼と会えるのは……、一週間後かぁ……。思ったよりも先だなぁ。なんだか、待ち遠しい……。……って!)
想像していたよりも、ヴァルセンと会うのが楽しみなっていたローズは、ハッとなった。
(わたしってば、浮かれすぎ! ただ、食事作るだけなのに……!)
ローズはブンブンと頭を振り、大きく深呼吸をした。
「次に会うときには、美味しいものを作りますから! しっかり食べてくださいね!? ……約束ですよ!」




