表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

「グヤーシュ」

最近行きつけの喫茶店がある

これといって特徴のあるお店ではないが、古臭くて、薄暗くて、

でも掃除は行き届いていて嫌な感じはしない

いつもほのかにコーヒーの香りが漂っている

レコードプレイヤーはひどい音質だが

聞いたこともないような曲がいつも流れている

店の入り口は狭く階段は少し急で下りづらい

扉の前には招き猫と狸の置物、申し訳程度の観葉植物

少しさびた看板には店名が書かれている


『喫茶ゆかり』


こんな店だし毎日通うのは私のような変人くらいだが

ときどき、訳ありの客がやってくる

何せこの店は「失われた料理」を再現できるマスターがいるから

それは思い出の味、忘れてはいけない味、もはや忘れられた味


今日もまた、誰かが来たようだ

「いらっしゃいませ何にしましょうか」


いつものようにマスターは水とおしぼりを持っていく

今時、飲料水だってそう安くはないのだからサービスなんて

やめればいいのに、マスターの変なこだわりである


「ここに来ればグヤーシュを食えると聞いた」


聞いたこともない料理を男は注文した

まぁ、ここで聞いたことのある料理を注文するやつなどいないのだが


「えぇ、ご用意できますよ」


「ではそれを頼む」


マスターはいつものように奥の倉庫から必要な材料を取り出し

見事な手さばきで料理を始める。


マスターの過去は謎が多い

従軍していたとか財閥の娘だとか、貴族の末柄なんて噂まである

真相のほどはわからないが、ごくたまに携帯型端末で古い動画を見ている

ダウンロードではなく画面に出して見ているところがマスターらしい

一つだけ教えてくれたのは


「若いころはグランドツアーをした」


とのことだけ、いったいそれが何かはわからなかったが

マスターはとても懐かしそうに話していたのを覚えている


どうやら料理が完成したようだ

それはごくありふれた簡素なスープだった

でも具材がゴロゴロしているのが珍しい

赤や黄色、緑の具が入っていてカラフルなスープ

付け合わせにはパンを一切れ


男は少し顔をほころばせ


「ありがとう、これは私の探していた料理だよ」


そう言うと静かに食べ始めた

マスターは


「グヤーシュは私が昔、端末で料理を記録していたころ、

初めて記録した料理なんですよ」


そう楽しそうに話し始めた


男もまた思い出を少しずつ、思い出しながら語り始める


「私がまだ軍にいたころ、よく前線では補給が枯渇し、その場にある食材で料理をしていました。でも私たちのような軍に生まれ軍に死ぬような

クローンには料理ができる者がおらず、部隊で唯一のオリジナルだった

隊長がこの料理を作ってくれました。彼は、戦争が終わり行き場を失った

私たちの面倒まで見てくれた。私は今年で199歳、来年で活動保証期間を過ぎてしまい、いつ死んでもおかしくありません。だから最後にこの料理を

もう一度食べたかったんです」


今時200年保証のクローンなどめったにお目にかかれない

きっと彼は相当なエリートだったのだろう

その顔やしぐさはかなり老いていたが

腰はまっすぐに伸び気品があった


「隊長はよくこの料理を”実に俺が食べるにふさわしい名前の料理”

と言っていました。なにせ一世紀以上昔の話ですし、その意味は

分からずじまいなんですがね」


するとマスターはにっこり笑ってこう言った


「もしかしてお客さん、重戦車部隊の出身では?」


重戦車部隊といえば『無敵のブル』と呼ばれ

その名のごとく牡牛のような巨大な戦車からなる

戦車部隊で、隊長の『赤染バルトーク』は伝説の人である


「なぜ私が重戦車部隊出身だと…」


男は少し警戒してマスターに鋭い視線を向ける

その目からはかつての牡牛の名残か

血と硝煙の色がうかがえる


「グヤーシュというのは今はもう忘れ去られましたが

地球のある地域で使われていた言葉でして、

直訳すると『牛飼い汁』という意味です

たしかにバルトークにふさわしい料理でしょう」


男はそれを聞くと急に体の力が抜け、座り込んで

長年の謎が解けた衝撃か

しばらくそのスープをのぞき込んでいた

そしてまた静かに食べ始めると

目に涙を浮かべ、少しずつ動きが早くなっていった


まるで戦場で時間に追われながらとる食事のように


「早く食べないと置いていくぞ」


そう言われているかのように


男は流し込むように最後の一口を食べ終えた

そしてその牡牛はグヤーシュの味とともに戦場を思い出したのか

力強く立ち上がると、マスターに深々と頭を下げ

少しばかり多いお代を置いて去っていった


仲間の背中を追うように、足早に牡牛は去っていった



ここは『喫茶ゆかり』

きっとあなたの忘れたくない味、忘れてしまった味を味わえる

見た目以上に長く生きているマスターと

古ぼけたレコードがあなたを待っている


つづく


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ