〖しんにゅう〗3
「条件? それってどないのや?」
耕介の問いにこくこくと頷いて、俺たちは一斉に視線を日之本に移す。
「うん、まぁそうだね。つまり今、君たちが目標としている部活動への昇格の目処が立たなければ、私の監督権が無くなるということだよ」
「だから今のままだとクビだ」と日之本は困ったように笑みを浮かべる。
「じゃあジェーピー先生が顧問を続けられるためにはぁ~、ボクたちがコンクールの本選で結果を残せばいいってことぉ~?」
「そう。所詮お爺様のコネクションでこの役割を与えて頂いたに過ぎないからね」
「ひゃー。ほな次のコンクール予選が、俺らにとって最初で最後の晴れ舞台になるかもしれへんってことか!」
「最初で最後か……! 恐ろしいな!」
そう言って大きな口を開けて肩を揺らす浦野を見て、よく笑っていられるなと思った。
「いやいや、それってかなり無理ゲーじゃん……」
「なんや壮馬、ビビリかいな?」
「な! う、うるせぇ!」
それだけ言って俺は口を噤んだ。
だって、だって俺は初心者なんだぜ? それにそんな大舞台に立って演奏したことなんて一度もないし、絶対にミスるよ俺……。
「壮馬くん。まずはその先入観を捨てないとね?」
「え……海?」
「大丈夫、僕たちがフォローするよ。だから頑張ろう? 壮馬くん」
海に真っ直ぐ見つめられて言われると、俺は無条件で返事せざるを得なかった。
でも本音は……。
なぁ、海。俺の所為で全てが台無しになっても、お前は言ったよな?
ただ俺と音楽が出来ればいいって……。
「う~ん青春だねぇ~、素晴らしいなぁ」
「……は?」
日之本のふざけた物言いに、思わず顔が歪む。
けれど日之本は、笑って流した。
「君、壮馬くんと言ったね?」
「……何ですか?」
「うん。いいんだよ、そのままで」
「え?」
日之本は目を細めるけれど、どこか信用が置けない。なのに俺は、不覚にもその顔に安心感を覚えた。
「……」
「せやで! 誰だって緊張するもんや。俺かて怖いもん」
「えーボクは楽しみだなぁ~。だってボクたちの合奏を皆に聴いてもらえるのって、すごーく嬉しいよぉ~?」
「ハハハッ! 確かにそうだな! 嬉しいな!」
嬉しい……か。正直、俺にはまだ分からない。でも何ていうか皆は、そこまで気張っていない感じなのかな?
「ああそっか。責任者なんて、また見つければいいもんな……」
「ちょっと聞こえているよ!? ま、まぁさ、心配は練習で解消していくしかない。あとは――」
「わーい。明日からの実践楽しみぃ~」
部活が終わった。渡り廊下の窓に四つ分の凸凹の人型を映しながら、いつも通り談笑して帰る俺たち。
俺の楽器のヴィオラは、部室の楽器倉庫に返却してきた。
でも耕介とラブ沢は違う。耕介は海と同じヴァイオリンだからいいが、ラブ沢はチェロだから大変そうだ。水中を漂っているクラゲのようにふにゃふにゃとしたラブ沢だけれど、それなりに力はあるっぽい。
「ハハハッ! JPのお陰で予選も突破出来ちゃうかもな!」
そう豪快に笑う浦野はピアノだから、俺と一緒で手ぶらだ。お前がラブ沢の楽器ケースを運んでやればいいのに。
「はぁぁ、そんなに簡単に言うなよな。俺は不安で堪らないんだぞ、もう」
「お。やっと本音言いよったか?」
「あ……って、おいっ。肩組んでくんなよ耕介!」
掴まれた肩を旋回して、うざ介の腕を払い退ける。するとそれを前にした浦野は高らかに笑った。
「本当よく笑うな。でっけぇ口」
「いいだろ、俺らしくて。それよりも、なぁ壮馬。JPも言ってたけど、無理難題押し付けられているのはこっちなんだ。もし駄目だったとしても、同好会の活動が出来なくなるわけじゃないんだしさ、あまり気張らなくてもいいんじゃないのか?」
「な?」と、さっき耕介の腕を払ったばかりの俺の肩を、浦野は労うように大きな手で叩いた。
気張るな? やっぱりそこまで真剣じゃない感じなのか?
でも海はどう思っているんだろう。ずいぶん嬉しそうに日之本と話をしていたし……。
「何にしてもや! チャンスっちゃーチャンスや! 余計なこと考えんと思いっきりやろうや。JPも個人練に付きおーてくれる言うてるし、今日の練習も質高うなったし実践も面白そうやん!」
畳み掛けるように耕介が言った。うざいけれど、こいつなりに俺を励ましているのだろう。
「はぁぁ、もう分かったよー。頑張ればいいんだろー? にしても海は何でいつも部活が終わると、途端に居なくなるんだろうなー」
「……フン。お前はあいつが居ないと何も出来ないんだな」
振り返るとそこに立っていたのは、俺の嫌いなおかっぱ頭。
「黒都! 何だよっ、まだ残っていやがったのか!」
「生徒会執行部の仕事があるのだから当然だ。お前はどうして――ああ、あれか? 部活……ではなくて、同好会で遅くなったのか」
くぅ~~っ、いちいち嫌味な奴だな~!
「はっはーん、アホやな黒都~。こっちにはJPが居るんやでー?」
「……JP?」
眉根を寄せる黒都に「そう、ジェーピー♪」と、ルンルン声でラブ沢が返す。
キラキラスマイルを向けられた黒都は、何かやりにくそうだ。フン、と言いながらラブ沢から視線を背けて眼鏡をくい上げしている。
そんな黒都に影が掛かった。
「やれやれ。JP呼びが定着しちゃったか」
俺たちの視線の先。黒都が振り返った少し後ろに、日之本が力なく笑って立っていた。
「……誰だ?」
「ああそうか。君は初めましてだったね」
そう言って日之本は、不気味なくらい綺麗な顔で笑った。