〖しんにゅう〗1
「先生さよーならー」
そこかしこから聞こえる、女子のきゃははうふふな声。
ここ最近は夏休みを控えている所為か、下校時間を迎えた廊下はいつにもまして煩雑だ。
「もう皆は来てるかなー」
「う~ん、それはどうだろうねぇ?」
隣りを進む横顔を見上げて訊くと、海はこちらを向いて調子を合わせてくれた。
「壮馬も海も面白いよね~。メンバーはボクたちだけなんだから、部室に誰も来ないことくらい知っているくせにぃ」
「ほんと毎度毎度、ご苦労なこった」
「いいだろ別に。部活っぽくしたいんだよ俺はっ。海ならわかってくれるだろ?」
「ふふ。もちろん」
海の返事を後ろ盾に「ほら~」と振り返って言うと、浦野は俺のドヤ顔を笑った。
浦野の横を歩いていたラブ沢も楽しそうにしている。
俺を真似して「ほらぁ」と緩やかに笑い、そこへ「俺も入れてや?」と、先頭を歩いていた耕介がニヤニヤ顔で割って入ってきて絡んでくる。うざー。俺のドヤ顔よりもうざー。
……とまぁ、そんなこんなで今日もいつもの調子でくだらないやり取りをしながら、俺たちは別練二階奥にある楽器倉庫までやって来た。
――楽器倉庫。
そう、ここが俺たち“室内楽団”の部室になる。
まだ生徒会執行部に承認を貰えておらず、正式な部の扱いを受けていない俺たち室内楽団には、部室も練習室も当たり前にない。なのでここを使わせて貰っているってわけ。
「お」
浦野はガラガラと音を鳴らして部室のドアを開けた後、なぜか入室せずに立ち止まった。
室内の様子を窺おうにも、ほぼ壁と化している浦野の図体が邪魔で見えない。だから俺はドアの縁を掴む浦野の腕の下から頭を突っ込んで顔を出した。
「何かあったのか?」
窓から入る陽を背に、細い身体の輪郭が浮かび上がった。乱反射を起こす、チカチカと刺さるようなその光に俺は思わず目を眇める。
「あそっかここ……」
声にはっとした。
陽の光に慣れると、華奢な女の子が姿を現す。
口元に手を添えて佇んでいたのは、隣のクラスで吹奏楽部の国永唯さんだ。
小花を連想させる甘い顔立ちに、丸みのあるショートボブ。それから制服のグレーの巻きスカートに合わせる白いハイソックスが清楚で、むしろ男子とお揃いのパイロットシャツが、国永さんの可憐な魅力を引き立てていた。
「国永さん!?」
今日はもう見かけることすらないのだろうと思っていただけに俺は舞い上がった。
慌てて顔を上げると、うっかり逞しい浦野の腕に後頭部をクリーンヒットしてしまったが、構わず暖簾のように腕をくぐって国永さんの前へと出た。
つぶらなと表現するよりはやや小さな瞳を揺らし、国永さんは瞬きを繰り返す。
ノックもなしで、突然ドアを開けられたんだから驚かれて当然だ。俺は慌ててフォローを入れる。
「びっくりさせてごめんね! 用事?」
「う、ううん。私の方こそこの時間に来ちゃってごめんね。委員会で使う音源を探してたんだ」
「音源?」
国永さんは頷く。こちらへ向き直ってくれたお陰で胸に抱えているものが見えた。
えっと……四角い何か。色褪せている。
「レコードって言うの。今度の土曜日に訪問する老人ホームで朗読劇をすることになってて、パソコンから流れる曲よりもきっと喜ぶだろうからこれを音源に使おうって皆で決めたの」
「朗読劇……そっ――」
「今からここ使うよね。お邪魔してごめんなさい」
そう国永さんは俺たちへ遠慮がちに目配せをすると頭を下げる。部室の外へと小走りで駆けていった。
“また遊びに来てよ”
なんて言えるはずもなく、俺は閉ざされたばかりの部室のドアを見つめた。
「ん~壮馬ぁ?」
ラブ沢がメトロノームのように左右に小首を傾げる。その揺れに合わせたように、時間差で両側から耕介と浦野の二人が冷やかしにやって来た。そこへ海が来てくれたのはいいのだけれど。
「高校生なんだから、いいじゃない」
馬鹿。それじゃあ、もっと恥ずかしくなる。この時ばかりは、俺を不思議そうに眺める恋愛に疎いラブ沢の方がましだと思った。
そうして俺が羞恥心と戦っていた時だ。ドアの開けられる音がした。
「本当にここを部室にしているんだな」
声に振り向くと、そこには知らないスーツ姿の男が立っていた。