第九章 かつての都のお得意様
日中だいぶ過ごしやすくなり、移動できる時間がだいぶ増えてきた頃、マリエル達一行は大きな街に着いた。
この街はパルフやシャフリサープズに比べても賑やかで、活気があり、立派な建物があった。
ここはサマルカンド。かつてこの国の都だった街だ。
かつて都だった街というだけあって、この街のキャラバン・サライは大きくて立派だ。それこそ、カイルロッドが一緒にいたいというコウも部屋の中に入れられるほどに。
リーダーがキャラバン・サライの宿泊手続きを済ませ、建物の前で待っていたマリエル達に声を掛ける。
「一階の部屋が取れた。
例によってコウも入れる部屋だから、よかったな。カイルロッド」
「やった」
コウの甲羅の上に乗ったままのカイルロッドが嬉しそうな顔をしてコウの頭を撫でる。
「いっしょだね、よかったね」
「うん、よかった。またしばらく一緒だね」
「いっしょ、いっしょ」
リーダーと、喜んではしゃいでいるコウとカイルロッドたちに荷物をいくつか渡して先に部屋の方へ行ってもらい、残った三人はラクダとラバを厩に連れて行き繋げる。それから、残りの荷物を持って部屋へと向かった。
まだ空は明るい。これから店を出す面々は翌日以降に市場に店を出す場所の確認をしに行くかという話になったけれども、その前に。とリーダーがカイルロッドとルスタム、リペーヤを引き留め、こう言った。
「店の場所を確認するのももちろん大事だけどな、この街にはお世話になってるお得意さんがいるだろう。まずはそっちに挨拶に行こう」
そういえば。と言う顔をする三人。一方、ヴァンダクはお得意さんと言われてもあまり親しい人ではないと思っているのだろうか、きょろきょろと周りを見回してそわそわしている。
「大丈夫ですよ。こわい人達ではないですから。ご機嫌にしててくださいね」
くすくすと笑いながらマリエルがそう言うと、ヴァンダクは急に動きを止めて、硬い表情になった。
「えっ、どうしたんですか急に」
驚いたマリエルがそう訊ねると、ヴァンダクは困ったような顔をしてこう言う。
「あのねぇ、ご機嫌にするのって苦手で」
「えっ、いつもご機嫌ですよ? いつもどおりでいいんですよ?」
どうやらヴァンダクは、意外にも自分のことを無愛想だと思っているようだった。実際はそんなことは全くないどころか、逆に愛想が良いくらいなのだけれども、改めて言われると苦手だと思っているのを意識してしまうのだろう。
「ボクもいっしょだから大丈夫! みんなもいっしょだから大丈夫!」
戸惑うヴァンダクのことを見て、コウが元気よく言う。すると、それで安心したのかヴァンダクはまたいつもどおりのご機嫌な笑顔になった。
「じゃあ、ヴァンダクも落ち着いたしいくか」
陽気な笑顔を浮かべ、リーダーがみなに声を掛けて部屋を出る。
そこでふと、マリエルはコウの甲羅に乗っているカイルロッドを見て思う。
ヴァンダクよりカイルロッドの方がよっぽど無愛想なのだけれども。と。
「やぁようこそ! よく来てくれたね」
リーダーの案内で得意先の家に訪れたマリエル達は、早速家の中に招かれ歓迎された。
この得意先は、焼き煉瓦造りで立派な彫りを施した木の扉が入り口に置かれている、見るからに裕福そうな家に家族と一緒に住んでいるようだった。
広い応接間に通されたマリエル達は、得意先の男性とその父親、それに息子達と一緒にテーブルを囲んでいる。男性の妻と娘と母親がいないのは、今頃自分たちをもてなすための料理の準備をしているのだろう。
「この街は久しぶりだろう」
「そうだね、少なくとも去年は来なかったからな」
得意先とリーダーが和やかに話しているのを、マリエルは愛想よくしながら見ている。時折話を振られればそれに返しはするけれども、随分と古い仲らしい得意先とリーダーの話に、水を差したくないのだ。
ふと、得意先の息子が不思議そうな顔でこちらを見たのでなにかと思って隣に座っているヴァンダクの方をちらりと見ると、キャラバン・サライを出たときのご機嫌な様子はどこへやら、すっかり固まってしまっている。
これは相当緊張しているなと思ったマリエルは、他のみなから見えない食台の下で、ヴァンダクの手をそっと握る。すると、随分と強い力で握り返された。
他の面々はどうだろうと仲間達を見てみると、ルスタムとリペーヤはもちろん、カイルロッドも愛想の良い笑顔を浮かべていた。
それを見てマリエルは改めて思う。ヴァンダクはどうにも、不器用なのだなと。もっとも、そこが憎めない所でもあるのだけれども。
そうこうしている内に、入り口から得意先の娘がはいってきた。手には食べ易い大きさに切られたメロンを山と乗せた大皿を持っている。
「お待たせしました。料理が出来上がるまではこちらをお召し上がり下さい。
これから、お水のおかわりもお持ちしますね」
娘がその大皿を食台の上に乗せるのを見て、ヴァンダクの表情がぱっと明るくなる。その様子を見てか、得意先が上機嫌な様子でキャラバンのみなに言う。
「ささ、みんな食べて下さいよ。
今の時期のメロンは、おいしいですよ」
その言葉に、みなお礼を言ってから食前の祈りをあげ、メロンに手を着ける。カイルロッドが片手で自分の分を持って囓り、もう片手でコウの分を持って食べさせているけれども、得意先はこれを行儀が悪いと言って咎める気はないようだった。
メロンをすっかり食べ終えて、甘く感じる水を何杯か飲んだ頃、得意先の娘は取り分け用の皿を、母が大皿ふたつ分に盛られたラグマンを持って来て食台の上に乗せた。
得意先が勧めるのを聞いてから、各々ラグマンを取り分けていく。まずは太くてコシのある白い麺を手元の皿の上に乗せ、それから香辛料でしっかりと味を付けられたたまねぎと、トマトとパプリカを麺の上に取り分ける。ヴァンダクとリペーヤが控えめにしか野菜を取らないのが気になったけれども、少し多めに自分が野菜を取ればいいかと、マリエルはくったりとした野菜を自分の皿に乗せていく。それから、手に持った箸で口に運んでいく。野菜の甘さの中に香辛料の辛味が混じってどんどん食べられてしまう。
ラグマンは決して珍しい料理ではない。けれども、こうやってもてなしのために出された物は特段おいしく感じる気がするのだ。
ふと、ヴァンダクが食台の下でマリエルの服の裾を引っ張った。
「どうしました?」
何かあったのだろうとマリエルが小声で訊ねると、ヴァンダクはちらちらと入り口の方を見ながらこう言った。
「あのね、奥さんとお母さんと娘さんがいないのに食べちゃって良いのかなって」
「ああ、なるほど」
料理の準備は女性の仕事で、男性は食べながら揃うのを待つということが当たり前すぎてマリエルは気づかなかったけれども、言われてみると作った本人がいないところで先に食事をするのは、なんとなく悪いような気はする。
マリエルは少し悩んで、でもそれを口にすると得意先の機嫌を損ねるようで、なにも言えない。
悩んでいる間に、得意先の妻がシャシリクを持ってくる。これで準備していた料理がすべて揃ったのだろう、女性達も席について、ラグマンやシャシリクに手を着けはじめた。
串からはずされてばらばらになった肉を囓ると、熱い肉汁と肉の旨味が口に広がった。
食事も終わり、食後にアイランを出されたのでそれを飲む。塩を入れて乳で薄めたヨーグルトの味は濃厚で美味しい。そうしていると、明日の朝と昼に食べられる様にと、得意先がナンをたくさん用意してくれた。もっとも、実際に用意しているのは女性達なのだけれども。
ナンを受け取ったリーダーが得意先にお礼を言う。
「いやはや、ここまで良くして貰って。
どんなお返しをすればいいのやら」
「そりゃあ、また良い商品を運んできてくれればいいんだよ。
それで足りないって言うんなら、いつもどおり一曲やってくれても構わないけどな」
「あい、わかった」
得意先の言葉に、リーダーがルスタムとリペーヤに目配せをすると、ふたりは待ってましたとばかりにギジャクとドゥタールを取りだして調弦をはじめる。
窓から外を見る限り、もうすぐ夜が来る。今夜も、賑やかになりそうだ。