第八章 体の中の熾火
シャフリサープズの街を出て、マリエル達一行はサマルカンドを目指す。
年間のうち一番暑い時期を街でやり過ごしたとはいえ、まだまだ気温が高い日が続く。朝早く起きて太陽が昇りきるまでの間と、日が傾いて一番星が輝きはじめるまでの間、比較的暑さが凌げる時間にステップを移動しているのだけれども、やはり体力の消耗は避けられない。
ここが砂漠だったらどうなっていたことか。赤い夕日に染まる空を見て、そんな事を考えながら、マリエルはキャラバンを先導するヴァンダクの後を付いて進んだ。
そうしている内に小さな建物が見えてきた。どうやら村があるようだった。
「今日はあの村にお世話になろう」
リーダーの言葉にみな頷き、建物の影へと向かって歩を進めた。
村に入り、リーダーが村の長にユルタを張る許可を得てきたので、いつものようにみなで長い棒を立て、組み、フェルトを被せ、出来上がったユルタの中でひと休みする。
「はー、やっぱまだ暑いな」
手で顔を扇ぎながらリペーヤがぼやく。風が通る日陰は涼しい時期にはなったけれども、ステップに日陰というものは基本的に無い。稀に見かける木が陰を作っているのをたまに見かけるか、自分たちで布を張って日陰を作るしか日を除ける方法はない。
移動中、なるべく涼しく過ごせるよう、直接日光が当たらないように袖の長い服を着てはいるけれども、それでも、熱い空気が服の中に籠もるとなかなか堪える物がある。
「暑くてしんどいんだったら、ちゃんと食べて体力付けないとな」
ルスタムがそう言って、荷物の中から鍋を取りだしたので、マリエルは立ち上がってルスタムに訊ねる。
「夕食を作るなら、水を汲んで来ましょうか」
「あ、お願いできる?」
「もちろんです。それに、井戸の冷たい水も飲みたいですし」
「言えてる」
多分、冷たい水が飲みたいのはみな同じだろう。そう思い、誰か水汲みを手伝ってもらえないかと周りを見渡すと、なにやらヴァンダクがぐったりした様子で俯いている。
これからごはんだというのに、ヴァンダクの元気が無いのはおかしい。嫌な予感がしたマリエルは、ヴァンダクの側に寄って首筋に手を当てる。すると、随分と体が熱を持っているようだった。
「ヴァンダク、すごく体が熱いですけど大丈夫……じゃないですよね、ちょっと井戸までいって体を冷やしましょう」
あわててそう声を掛けると、ヴァンダクがつらそうな顔をしてマリエルを見上げる。
「気持ち悪いよぉ……」
「そうですよね。体に熱が籠もってるんです。一緒に行って冷やしましょう。ね?」
「うん……」
ヴァンダクのことをなんとか宥め、マリエルはカイルロッドとリーダーに目配せをする。
「リーダー、ヴァンダクのことはコウに乗せて運ぶんでいいんだよね」
「それで頼む。おれは沐浴用の桶を貸してもらえるか村の長に訊きに行く」
カイルロッドとリーダーが役割を決めたところで、マリエルがヴァンダクを抱え上げてコウに乗せながら言う。
「それなら井戸は、村の長の家最寄りの物を使いましょう。
そこの道を真っ直ぐいって、十字路の所です」
軽く打ち合わせをして、マリエル達は急いでユルタを出る。今のヴァンダクのように、体に熱が籠もっている状態は、とても危険だ。下手をすれば命を落としてしまいかねない。こうなったときは下手に薬を飲ませるよりも、しっかりと体を冷やした方が良いというのを、リーダーはもちろんマリエルも重々承知しているのだ。
ユルタを出て井戸につき、リーダーが桶を借りてくる前から、コウの甲羅に乗ったままのヴァンダクに水をかけていく。井戸の水はとても冷たくて、それでずぶ濡れになってようやくヴァンダクも落ち着いてきたようだった。
「お水気持ちいい」
「少し楽になりましたか?」
「うん、ありがとう」
少し楽になったというのは本当なのだろう、コウの甲羅から降りてヴァンダクがにこにこしている。
そうしていると、リーダーが村の長の家から借りてきたとおぼしき沐浴用の桶を持ってきた。
「これに水を張るぞ」
「はい」
「了解」
リーダーの言葉にマリエルとカイルロッドが短く返事をして、三人で桶の中に水を張っていく。それを見てヴァンダクは、おろおろした様子で声を掛けてきた。
「俺、もう大丈夫だよ。ユルタに戻ろうよ」
「だめですよ。まだ油断してはいけません」
マリエルはそう言って、ヴァンダクを桶の中へと入れる。リーダーも、急に立ち上がったりしないようヴァンダクの肩を押さえて言い聞かせる。
「しばらく浸かっていろ。
おまえの体の熾火はまだ燻っている」
「スン……」
きっと、ヴァンダクとしては仲間にあまり心配をかけたくない気持ちなのだろう。けれども、ここでしっかり体の熱を払っておかなければ、後々まで響いてしまう。
そうやって井戸の周りにいると、食器を持ったリペーヤと、薪と鍋を持ったルスタムもやって来た。
「あれ? どうしました?」
不思議に思ってマリエルがそう訊ねると、ルスタムが鍋の中に入れた干し肉を見せていう。
「いや、よく考えたら井戸で水汲んでこなきゃごはん作れないじゃんってなって、それならこのへんの草を除けてここで作るかって」
「なるほど」
たしかにその通りだ。うっかりふたりのことを待たせてしまっていたと、マリエルは少し反省する。
ルスタムから渡された薪に火起こしをする準備か、コウに地面に生えた草を食べさせているリペーヤが、ヴァンダクの方を見て言う。
「随分と調子悪かったみたいだから、しばらく水から上がれないだろ。
ここでみんなでごはん食べような」
それを聞いて、ヴァンダクはようやく安心したようだ。にこにこと笑って先程よりも深く水に浸かっている。
「みんなでごはんうれしいね、楽しみだね」
火起こしをする場所の草をあらかた食べたコウが嬉しそうに言う。ユルタで夜を過ごすときはいつもコウも一緒に食事をしているのだけれども、改めてみんなで。と言われると嬉しくなってしまうものなのだろう。
井戸の周りで食事の準備をしていると、足音が聞こえてきた。なにかと思って周りを見渡すと、民家から人が出てきて何かを持ってきているようだ。
「お連れさんが日にやられたようで。
よかったらこれを食べて体を冷やして下さい」
そう渡されたのは、食べ易い大きさに切ったスイカを、大皿の上にたくさん並べた物だった。
「ああ、ありがとう。ユルタを張る場所まで借りているのに、ここまでしてくれるなんて」
「本当にありがたいです。感謝いたします」
リーダーとマリエルがお礼の言葉を村人に伝え、早速みなでスイカを囓る。水分を十分に含んだスイカは、渇いた喉を潤してくれた。
「あのねぇ」
突然聞こえたコウの言葉にそちらを向くと、カイルロッドの手からスイカを食べながら、コウがこう続けた。
「スイカの皮残ったらほしいな。
このスイカとっても甘くておいしいから、きっと皮もおいしいよ」
「コウはスイカの皮も好きだからね」
そう、コウは普段乾燥した草や木を食べることが多いので忘れがちだけれども、本当はスイカのような水分をたくさん含んだ食べ物が好きなのだ。それも、丸ごと食べるのが。
カイルロッドの手から皮まで残さずスイカを食べたコウに、リペーヤが笑いながら言う。
「さすがに俺でも皮までは食べられないからな。コウが残さず食べてくれるなら、スイカもその方がうれしいだろ」
「そうだよね、全部食べるとうれしいよね」
随分と食いしん坊な話だなと思いながらリペーヤとコウの話を聞いて、ふと、もうひとりの食いしん坊はどうしているだろうかとマリエルはヴァンダクの方を見る。いつかのいちごのようにスイカを頬張ってにこにことしている。
「いやほんとみんな、スイカ食べるのは良いけど晩ごはんも食べてね?」
スイカを囓りながら干し肉を鍋で煮ているルスタムが言う。
折角いただいたスイカを残すわけにはいかないけれども、作った料理を残すのもよくない。ここは食いしん坊の底力を借りるかと、空に輝きはじめた沢山の星を見ながらマリエルは思った。