第四十七章 アコーディオンをきいて
トゥメルクメナバートの街を出て、ヒヴァへと向かう途中で小さな村へと立ち寄った。
この日も、そろそろ日が傾いてきたのでこの村で夜を過ごそうと、リーダーが村の長にユルタを立てる許可を貰いに行った。
すこしその場で待っていると、リーダーが戻ってきて、ユルタを張るために指定された空き地へと先導する。着いた空き地で、ラクダやラバからユルタを立てるための荷物を下ろして、みなで手際よく立てていく。
「この村に来るのもはじめてじゃあないから、許可が取りやすくて助かった」
ユルタの柱を立てながらリーダーが言う。たしかに、ヒヴァに続く道の間にあるこの村は、マリエルも何度か訪れた記憶があった。
タシケントからならば、もう一本ヒヴァへと到る道があるのだけれども、その道はアラル海を大回りしているので、とても遠回りになる。道中にあるオトラルやクジルオルダに用がない限りは通らない道だ。
そんな事を考えながらユルタを立てていると、どこからともなく音が聞こえてきた。すこしひび割れたような、けれどもどこかふくよかな響きのある不思議な音色だ。
「なんの音だろ?」
ユルタを立てる手を止めてヴァンダクがきょろきょろしはじめたので、リーダーが釘を刺すように言う。
「とりあえず今はユルタを立てよう。
なんの音か見に行くのは、それからでも遅くない」
「はーい」
素直にユルタを立てる作業に戻ったヴァンダクは、はやくなんの音か確かめたいのだろう、普段よりもすこしだけ手際がよかった。
いつもどおりにユルタを立て終わり、中に入ってひと休みするかという空気になったところで、マリエルはヴァンダクが突然ユルタから離れて走っていくのを見た。
「どうしました!」
異常があったことを仲間に伝えがてら大きな声でヴァンダクの背中に声を掛け、後を追って走っていく。
「こっちから音聞こえるよ!」
「まって、まってヴァンダク落ち着いて」
そんなに広い村ではないとはいえ、迷子になってしまったら困る。マリエルはなんとかヴァンダクに追いつき、肩を掴んでその場に引き留める。
なんとかヴァンダクを立ち止まらせて呼吸を整えていると、他の仲間達も後を追ってやって来た。
「大丈夫?」
「急に飛び出すんじゃない」
ルスタムとリーダーが心配そうにヴァンダクのことを見てる。心配をかけてしまったと気づいた様子のヴァンダクが、しゅんとしてふたりに言う。
「あの、ごめんなさい」
すると、リーダーはヴァンダクの頭をぽんぽんと叩いてにっと笑う。
「まぁ、見に行くならユルタを立ててからって言ったのはおれだからな。
だけど、どこかに行く前にみんなに言わないとだめだぞ」
「わかりました……」
ヴァンダクが反省しているところに、コウに乗ったカイルロッドがゆっくりとやってきた。
「迷子になってなかったみたいでよかった」
そう言ってから、あっちの方。とカイルロッドは指を指す。多分、聞こえてきている音の出所のことだろう。
みなでそろって、音が流れてくる方へと歩いて行く。すると、マリエル達がユルタを張った空き地よりもいくらか狭い場所に、三角形が立った形に布を張った、おそらく小さなユルタのようなものの前に座った男性がいた。
男性は抱えるほどの大きさがある、蛇腹で繋がれたふたつの箱を伸び縮みさせながら指を動かしている。どうやら、先程から聞こえてきていた不思議な音は、あの箱から出ているようだった。
伸び縮みする箱が奏でる音楽は、はじめて聴くものだ。
箱で演奏していた男性が、マリエル達の方を見てにこりと笑う。
「なにか用かな?」
その男性の風貌は、よく見ると西の国の人のようだった。それにしては、自分たちの言葉を流暢に使っているように感じるけれども。
ヴァンダクが物珍しそうな顔で伸び縮みする箱を見て訊ねる。
「その箱はなんですか?
初めて見る楽器です」
すると、男性は箱で短い音楽を鳴らしてから答える。
「これはアコーディオンという楽器だよ」
「アコーディオン?」
「こうやって、箱を動かして空気を送って音を出すんだ」
男性の実演を見て、ヴァンダクは嬉しそうな声を上げる。リーダーもルスタムもカイルロッドも、興味深そうに見ていた。
男性がアコーディオンを大切そうに撫でながら、感慨深げに言う。
「西からここまで旅してくるのにね、ものを売るだけじゃなくて、これで演奏して路銀を稼いだりしたのさ」
やはり、この男性は西から来たようだ。それならばと、マリエルは訊ねる。
「西から来たとおっしゃいましたが、それならば訊きたいことがあります」
「うん? なんだい?」
「フランシャ、という国をご存じですか?」
すると男性は、遠くを見てこう答えた。
「ああ、その国は、ここからとてもとても遠くにあるよ」
「そんなに遠いのですか?」
「ああ、とても遠い」
どれくらい遠いのだろう。それはマリエルには想像が付かなかったけれど、男性は肩をすくめて話を続ける。
「その国のあるひとの話でね、そこから歩いてシィンまで旅をして戻ってきたっていう記録が残ってるんだけど、僕にはちょっと信じられないね。
きっと本当は船で行って、帰ってきてから記録を書き換えたんだろうなって」
その話を聞いて、マリエルはまたフランシャに思いを馳せる。サマルカンドからチャルチャンに行くだけでも一苦労なのに、もっと遠くからシィンに行くなんて、信じられないことだった。
今の話を聞いてだろうか、リーダーが男性に笑いかける。
「まだここから先、東へ行くのか?」
男性は諦めた様に笑う。
「行きたかった。
行きたかったけど、そろそろ引き返すよ」
「そうか」
この男性は、どこから来たのだろう。フランシャの話を知っているということは、フランシャから来たのかもしれない。
もっと男性から話を聞きたいとマリエルが思っていると、リーダーが男性にこう言った。
「ここで会ったのもなにかの縁だ。よかったら一緒に夕飯でもどうかな?」
男性はにっと笑う。
「もしかして、ご馳走してくれるのかい?」
「ああ、もちろん。
そのかわり、そっちの旅の話もたっぷり聞かせてもらうと思うがな」
リーダーがルスタムのことを見て、マリエルのことを見る。ふたりは黙って頷いた。
それから、マリエル達は男性と一緒にユルタへと戻り、ルスタムが夕食の準備をするのを待った。
夕食の準備ができ、マリエル達は男性と共に夕食を楽しんでいる。
「はぁ、干し肉をスープにしたものがこんなに美味しいなんてね」
感心したようにそう言う男性に、ルスタムは満足そうにして、馬乳酒の入った水筒を差し出す。
「よかったら馬乳酒もどう?
喉渇いてるんだったらこっちの方がたくさん飲めるよ」
その勧めに、男性は手を振る。
「いや、その馬乳酒ってのは試してみたんだけど、どうにも口に合わなくてね。
好意は嬉しいけど、遠慮するよ」
「そっか、それじゃあ仕方ないな」
干し肉のスープを飲んで、ドライフルーツをつまんで、マリエル達は男性の故郷の話を聞く。その風景の話を聞かされても想像することは難しかったけれども、男性が故郷を大切にしていることは伝わってきた。
結局、男性がなんという国から来たのかはわからなかったけれども、男性は話の途中で、ドライフルーツを食べてこう言った。
「それにしても、この国の果物は本当に美味しい。
生のまま持って帰りたいくらいだよ」
それはできないけれど。とそう付け加えた男性を見て。この人は本当に遠くからここまで来たのだと、ぼんやりとマリエルは思った。




