第四十一章 光が降る
いつもどおりの朝が来て、眠りから覚めたマリエル達は、朝食の準備を待っていた。
「ヴァンダク、ごはん。ごはんですからちゃんと起きましょうね」
「んー、おなかすいたよ」
まだ目をしょぼしょぼさせているヴァンダクがちゃんと起きられるように声を掛けながら、マリエルは部屋の中のかまどで料理をしているルスタムのことを見た。背中を向けてはいるけれども、今日もご機嫌で料理を作っているようだ。
「今日のごはんはなーあーにー?」
ヴァンダクがそう言うと、ルスタムがちらりと振り返ってこう答える。
「昨日鳥の干し肉とかいう珍しいの買ったから、そのスープ。
あと、朝市でいちご買って来たから」
「いちご食べる」
「スープ食べてからね」
かまどの方から良い匂いがしてくる。今日はすこし珍しい干し肉を使っているようだけれども、ルスタムに任せておけば間違いないだろう。
ルスタムが出来上がったスープを器に取りわけて全員に配り、昨日のうちに買っておいたナンも配る。
それを確認したリーダーの一声でみな食前の祈りをあげて、スープやナンに口を付けた。
「……いいじゃん」
「いいじゃん、いただきました!」
普段あまり食べ物の味には言及しないカイルロッドがスープの感想を言うと、ルスタムは嬉しそうに笑った。
「なるほど、鳥の干し肉もいいもんだな。
この街を出る前にいくらか買っておけるか?」
「もちろん、まぁ、牛の干し肉に比べるとちょっとまあまあするんですけどね」
「ははは、たまの贅沢用だな」
どうやらリーダーも、鳥の干し肉が気に入ったようだ。
「牛に比べて臭みも少ないですし、やさしい味ですね」
マリエルが具体的に感想を言うと、ルスタムが自慢げにこう言った。
「これを試食させて貰ったとき、絶対当たりだって思ったんだよね。
好評なようでよかったー!」
ルスタムが喜んでいる横で、カイルロッドがコウにもスープの味見をさせている。
「ふわっとしておいしい味だね!」
「そうだろ? そうだろ?」
コウの言葉にもまた機嫌をよくし、ルスタムが今度はヴァンダクの方を見る。ヴァンダクはにっこりと笑って一言。
「とてもおいしい! ほっぺた落ちちゃうよぉ」
そう言って、ヴァンダクは頬を両手でなでなでと揉んでいる。
「ほっぺた落ちちゃう、いただきました!」
全員から好評を得られたからだろう、ルスタムは我こそが勝者。と言った顔をしている。
なごやかに朝食の時間を過ごしていると、マリエルはなにやら違和感を覚えた。なんとなく、いつもより空気が肌にまとわりつくような感じがするのだ。
不思議な心地のまま食事を終え、みなの分の食器を片付けたところで、それは来た。
窓の外で光る粒が降り注ぎ、ぱらぱらという音がしているのだ。
みなで顔を見合わせる。それから、コウが首を揺らしながら大きな声で言った。
「雨だ!」
みなそれぞれに窓から外を見る。
「本当に雨だ!」
「外行こう、外!」
ルスタムとカイルロッド、それにコウが走って部屋から出て行く。マリエルとリーダーはいったん顔を見合わせ、苦笑いをしてからそれに続いた。
キャラバン・サライの外に出ると、明るい空から大粒の雨が降ってきていた。雨粒が肌に当たると、ひんやりとして気持ちが良い。コウとカイルロッドとルスタムは突然の雨で賑やかにやっていて、よく見ると近所に住んでいる人達も外に出てわいわいやっていた。
みなで雨を楽しんでいると、あっという間に雨はやんでしまい、太陽に照らされた地面が瞬く間に乾いていく。
「あー、もう止んじゃった」
残念そうにコウが呟くと、リーダーが笑ってキャラバンのみなに言う。
「さて、お楽しみは終わったし、服が乾いたら市場へ行こうか」
その言葉に、キャラバンの仲間達は、はーい。と返事をする。
この気候なら、外に出ていれば服が乾くまでそんなにかからないだろう。そう思いながらなんとなくマリエルが両腕を広げ、ふと、少し前のことを考えていた。ほんの先月くらいまでは降る雨があんなに冷たかったのに、今はこんなに心地いい。これが季節の移り変わりなのだなと再確認した。
服があらかた乾き、みなキャラバン・サライの部屋から商売用の荷物を持ってきて市場へと向かう。その道中、先程雨に打たれたからか、上機嫌なコウが頻りにカイルロッドに話し掛けていた。
「雨気持ちよかったね、もっといっぱい浴びたかったね」
「そうだね、もっと雨で遊びたかったよね」
「うん!」
その様子を見て、ヴァンダクがにっこりと笑って言う。
「コウとカイルロッドは仲良しだね」
それを聞いて、カイルロッドは少し自慢げな顔をして返す。
「当然。小さい頃から一緒なんだから」
コウも明るい声で返事をする。
「ずっと友達! ずっと一緒!」
本当に仲がいいなと思いながら、マリエルは後ろをついて行く。市場の入り口に着き、マリエル達は二手に分かれる。カイルロッドの店を見るカイルロッドとコウ、ヴァンダクとリーダーのグループと、ルスタムの店を見るルスタムとマリエルのグループだ。
「それじゃあ、健闘を祈る」
リーダーが別れ際に声を掛け、ルスタムが握りこぶしで返す。今日も売る気満々だ。
「なるべく、努力はします」
マリエルは控えめな表現でおさえているけれども、やはり内心はたくさん売ってやろうという気持ちだ。
市場の中をルスタムと一緒に歩き、指定の場所へと向かう。割り当てられているその場所に着いたら、折りたたみ式の台を広げ、その上に陶器や布を広げ、背面には物干しのようなものを立てて絨毯をかける。
これで販売の準備はできたのだけれども、ルスタムがふと思いだしたようにこんなことを訊いてきた。
「そういえば、マリエルがチャルチャンで仕入れたあの、なんだ。小難しい小瓶。
あれって売らないのか?」
たしかに、ものとしてはルスタムの所で売るのが良さそうなものではあるのだけれども、ここに置いていない理由をマリエルは説明する。
「ああ、あれですか。
僕はこちらの担当になったのでここで売っても良いのですが、あの小瓶の歴史的背景とかはカイルロッドの方が詳しそうだったので、カイルロッドの方で売って貰ってます」
「なるほど?」
「カイルロッドは、ああいったものを売るのが上手いですからね」
マリエルの説明に、ルスタムは納得したようだった。
「たしかに、マリエル若干売るの下手なんだよな」
「精進します」
そんな話をしている間にも、市場の中は客で溢れてくる。
「いつもより人が多いな」
「今日は雨が降ったのでみなさん開放的になっているんでしょう」
そう、雨が降って多少気温が下がったので、外に出歩きやすくなったのだ。その隙を見て、多くの客は市場を訪れているのだろう。
流れる客足を見ながら、マリエルは先程の雨のことを思い出す。心地よい雨が降るのは、ごく限られた時期だけだ。もうすぐ雨が降る時期も終わるのだ。
「そろそろ、この街を出るのでしょうかね」
マリエルがぽつりと呟くと、ルスタムがにっと笑って返してくる。
「この街を出るの、寂しい?」
「そういうわけではないのですが、なんとなく、感傷的になってしまって」
少し俯いたマリエルに、ルスタムが軽く背中を叩く。
「雨のせいだな」
「……そうですね」
元々の予定として、雨が降る季節が終わったらサマルカンドを発つということになっていた。それはあらかじめわかっていたし、それが嫌なわけではない。
けれども、この街を発つその日までに、もう一度くらい雨が降って欲しいと、なんとなく思ってしまったのだった。