第四章 異国を思う
だいぶ暖かくなり、そろそろこの街を出ようという頃、マリエルは以前街中で見たガラスのランプを仕入れようと、あの店に行くことにした。
ランプのことは、見たあの日のうちにリーダーに相談をした。リーダーの判断としては、これからサマルカンドに行くに当たって、ああいったガラスのランプのようなものは珍しくなるだろうから、仕入れるのも悪くないとのことだった。
けれども、なかなか決心が付かなかった。心証のよくないオスマン帝国のものを、買い付けていいのか悩んでいたのだ。
うつくしいものはうつくしい。確かにその通りだし、その事に国のしがらみを結びつけるのは意味の無いことだとも思う。けれども結局、決断を先延ばしにして今に到ったのだ。
けれども、ようやく決心が付いた。ひとつだけでもいい、あのランプを買おう。
ランプの店に向かおうと準備をしていると、カイルロッドとコウが近づいてきて、マリエルに声を掛けた。
「前に言ってたガラスのランプ、買いに行くの?」
「はい、そうです。
出自はともかく、とてもきれいな物なので」
「なるほどね」
カイルロッドも、あのランプに興味があるのだろうか。彼は銀やきれいな石を使った宝飾品を扱っているし、そういった物が好きだという。だから、あの輝くランプにも宝飾品に似たなにかを感じるのかも知れない。
「一緒に行きますか?」
財布と、仕入れた物を背負うための袋の準備をしたマリエルがそう訊ねると、カイルロッドとコウがこう言った。
「僕も見てみたい」
「ボクもきらきら見たいなぁ」
それを聞いて、マリエルはにこりと返す。
「そうですか、それじゃあお店まで案内しますよ。行きましょう」
「楽しみだねぇ、カイルロッドも楽しみ?」
「まぁね」
コウのはしゃぎ振りに対してカイルロッドは少し素っ気ないけれども、元々そんなにはしゃぐようなことはしないたちらしいので、こんなものだろう。
マリエルはカイルロッドとコウを連れて、キャラバン・サライを出た。
マリエルがコウに乗ったカイルロッドを連れて街中を歩く。時折、コウを見て街の人が驚いたりはしているけれども、これももういつもの事なので、特に気にはならない。
食堂の集まった区画を抜け、生活雑貨を置いた店が並ぶ区画に入る。それから少し歩いて、マリエルはひとつの店を指さしてカイルロッド達に言う。
「あそこです。見てわかると思いますが」
指さす先を見て、カイルロッドが驚いたような顔をする。それを察してか、コウが早足で店へと近づいていく。それから、店内を覗き込んでいるコウにここで待っているようにと声を掛けたカイルロッドが甲羅から降りる。
「では、中に入りましょうか」
マリエルか声を掛けて、商品が並ぶ店内に入る。店内にはいたるところに輝く色ガラスのランプが下がっていて、その色彩に圧倒されたのか、カイルロッドは呆然と見上げて立ち尽くしている。
「こんなの見たの、はじめて……」
そうぽつりと呟いたカイルロッドの方を軽く叩き、マリエルは奥にいる店主に挨拶をする。
「やぁ、ごきげんよう。またきてくれたね。
今日は買いに来たんですかね」
「はい、一応そのつもりです」
軽くやりとりをして、マリエルもまた店内のランプを見渡す。やはり圧倒的にうつくしい。
思わず見とれそうになっていると、我に返った様子のカイルロッドがマリエルの腕を引いた。どうやら一旦店から出て話をしたいらしい。マリエルはカイルロッドに引かれて、一旦店を出た。
「カイルロッドとしてはどうですか?
仕入れる価値があると見ますか?」
マリエルがそう訊ねると、カイルロッドは真剣な顔をして答える。
「あのランプはひとつといわず、いくつか仕入れるだけの価値はある」
「なるほど」
やはりそう判断するかと、マリエルはカイルロッドの話の続きを聞く。
「ああいったものはサマルカンドやタシケント、ヒヴァ辺りでは見かけない珍しい物だから、持って行けば富裕層が買うと思うんだよね」
「私も同じ意見です。ただし」
「金持ちの目に付けば」
多少運は絡むけれども、あのランプは仕入れても売れるあてがありそうだとふたりは判断する。それから、マリエルが改めて確認するように言う。
「ここで買うのは、おそらくオスマン帝国に行って現地で買うよりも高額になっているはずです。
ですが、実際に私たちがオスマン帝国に行く手間と危険性を考えれば、多少高値になっていてもここで仕入れるのは悪い話ではないでしょう」
「わかってんじゃん」
カイルロッドがにっと笑ってそう返す。そう、悪い話ではないという事はマリエルにはわかっていた。オスマン帝国に対する悪い意識があったとはいえ、今まで買い渋っていたのは、今思うと馬鹿げたことだったかも知れない。こうやって誰かと一緒に正当な理由を付けないと思い切れないのは、自分の弱さだなと恥じ入る気持ちだ。
それはさておき、話がまとまったところでカイルロッドと共にまた店内に戻り、たくさんの中からよりうつくしいと思える物を三つほど選んで購入した。
「まいどあり」
にっこりとそう笑う店主は、丁寧にランプを木の箱に入れていく。それを見て、マリエルは改めてカイルロッド、正確にはコウを連れてきて正解だと思う。あの箱はどうにも、ひとりで三つも運ぶのは大変そうだった。
結局、買ったランプの入った箱を全部コウの甲羅にくくりつけ、キャラバン・サライに向かう。
良いものを買えて上機嫌なマリエルだったけれども、ふと、カイルロッドの様子をうかがうと、複雑そうな顔をしている。
「どうしました?」
マリエルが訊ねると、カイルロッドは、ランプの入った箱をトントンと指の先で叩きながら返してくる。
「オスマン帝国のランプは確かに素晴らしいけど、オスマン帝国に行きたくはないなって」
「ああ、同感です」
オスマン帝国には、このランプ以外にも素晴らしい物がたくさんあるのだろうなと言う想像は付く。具体的にどんな物が、というのはわからないにしても、あれだけの大国なのだから、多くの国民、特に富裕層を満足させるような物がたくさんあるはずなのだ。
自分たちの生活を絶対に脅かすことはないという保証や約束事があるのであれば、行くのも悪くはないと思うけれども、実際はそうではない。難しい問題だ。
ふと、コウがカイルロッドとマリエルと見てこう言った。
「オスマン帝国ってどんなところなの?」
「どんなところ……うーん……」
改めてそう聞かれると、どう答えるべきかわからない。同じように回答に窮しているカイルロッドがマリエルと目配せをしてから、コウに言う。
「キャラバン・サライに戻ったら、みんなで話そうか。オスマン帝国のこと」
「ほんと? 楽しみ!」
あまり楽しい話にはならないだろうけれども。とマリエルは思ったけれども、ここでコウに残念な思いをさせるのもよくないだろう。実際に話を聞いてみたら、コウは面白く感じるという可能性も捨てきれないのだし。
ふと、街中を歩いていて、きれいな絨毯を店先に出している店を見つけた。見た感じ、この国の意匠ではではないので、あれもオスマン帝国から来た物かも知れない。
あの絨毯も仕入れたいけれど、きっととんでもない値段だろう。大きくて模様の細かい絨毯は、オスマン帝国の物に限らず、とても高価な物だと相場が決まっているのだ。
絨毯の側を通り過ぎて、そうするとますますあの絨毯や、先程買ったガラスのランプのことがマリエルの頭を占めはじめた。
確かにうつくしい物がある。そのうつくしい物をこの国に運ぶために、いつか自分たちもオスマン帝国まで行くように言われる日が来るのだろうか。
もっとも、元締めは慎重な性格だ。国同士でキャラバンのやりとりについての保証が約束されていなければ、行けとは言わないだろう。
でも、情勢が落ち着いたら? その時は、自分たちもオスマン帝国に行けと言われるのかもしれないとマリエルは思った。