第三十八章 冬の空の色
マリエル達一行は、ヴァンダクとも合流してサマルカンドに向かっていた。
タシケントを出るときは大変だった。キャラバン・サライまでヴァンダクの妻のミウナイと息子のアルスラーンがついてきていて、アルスラーンがヴァンダクにしがみついてなかなか離れなかったのだ。
その時はなんとかヴァンダクとミウナイに宥めてもらって事なきを得たのだけれども、ヴァンダクが無事にまたタシケントの土を踏めるようにという圧を、ミウナイから散々浴びせられたのだ。特に何か威圧的な物言いをされたわけではなかったのだけれども、とにかくこわかった。
なにはともあれ、今はサマルカンドへの道中だ。久しぶりの旅の日々だ。タシケントからサマルカンドまでの間は、小さな村や町が点々とあるので、ステップで野宿と言うことはしなくても済む。だいぶ楽な道のりだ。
昼の間、ラクダやラバや亀に乗って進み続け、日が傾いてきた頃に立ち寄った村で、一晩過ごすことにした。いつものように、リーダーが村の長にユルタを立てる許可を貰いに行っている。
ラクダやラバから降りてリーダーを待っていると、許可が取れたと言ってリーダーが戻ってきて、ユルタを立ててもいい場所に案内された。
いつものように、木の棒を立て、組んで、フェルトを被せてユルタを立てる。これで今晩も安心だ。
ユルタの中で火をおこし、それにあたってひと休みをする。道中とても寒かったので、この火の温もりはありがたい。
マリエルが時々手をさすりながらぼんやりと火にあたっていると、ふと誰かが服の裾を引っ張った。
こういうことをするのは誰か大体限られているので、マリエルはにこりと笑ってそちらを向く。
「ヴァンダク、どうしました?」
するとヴァンダクは、もじもじしながらこう答えた。
「あのねぇ、仕入れた陶器を見せて欲しいの」
「陶器ですか? そうですね、たくさんあるので確認も兼ねて見ましょうか」
早速、マリエルは火の側から離れて、陶器を詰め込んだ荷物を解く。中にはタシケントで仕入れた繊細な絵付けのものだけでなく、フェルガナで仕入れた鮮やかな絵付けの陶器もたくさんある。それでも、フェルガナで仕入れたリシタン陶器はだいぶ数が減っているのだけれども。
「きれいなのいっぱいあるね」
うっとりと陶器を見つめるヴァンダクを、マリエルはしみじみと眺める。ヴァンダクもそのうち、商売が上手くなる日が来るのかと、少しだけ思ったのだ。
今ヴァンダクに求められている主な役割は、方角を見て道を示すことだ。だから多少商売が下手でも問題は無いのだけれども、キャラバンにいる以上、商売は上手いに超したことはない。
じっとヴァンダクののことを見ていると、ある事に気づいた。知って知らずか、ヴァンダクはリシタン陶器ばかりを選んで眺めているのだ。
それは、花柄のものであったり、ザクロの大きな柄が書かれていたものだったり、アラベスクのような模様だったり、形も、プレートやボウル、それに茶器など、リシタン陶器だけでも様々な柄と形がある。
ヴァンダクはタシケント出身なので、そこで作られる陶器は見慣れているだろうし、遠方のフェルガナから来た陶器にの見慣れない柄、きっとそれが面白いのだろう。
ふと、ヴァンダクが一枚のプレートを持ってにっこりと笑う。
「それが気に入りましたか?」
そのプレートは、青を基調に、紫や緑で差し色をしている落ち着いたものだ。マリエルの問いに、ヴァンダクはプレートを撫でてこう返してきた。
「このお皿、冬の空の色だねぇ」
そう言われて見てみると、たしかにそんな感じはする。夕暮れ時の、一番星と月が輝く紫色の空。それを思わせる色合いだ。
ユルタの入り口の方を見て、マリエルがヴァンダクに言う。
「そのプレートと空を、見比べてみますか?」
「うん、比べてみる」
マリエルはプレートを持ったヴァンダクが手を滑らせないように気をつけながら、ユルタの入り口の布をめくって外に出る。吐く息が白くなる。空を見上げると、西の空が朱色になり、青と紫が混じる中に一番星と三日月が輝いている。
「やっぱり空の色だ!」
そう言って、プレートを掲げて空と見比べているヴァンダクはとてもはしゃいでいる。きっと、今自分の手元に空の欠片のようなものがあるのが嬉しいのだろう。
しばらくそうしていると、冷たい風が吹き抜け、体が震えた。マリエルは控えめにくしゃみをしてからヴァンダクに言う。
「そろそろ中に入りませんか?
晩ごはんのこともありますし」
「うん。中入る」
ヴァンダクは冬の空色のプレートを大事そうに抱えて、ユルタの中へと入っていく。マリエルもそれに続いた。
ユルタの中に入ると、すでにルスタムが食事の準備を始めていた。
「おかえり。晩ごはんはもうちょっと待ってね」
「はい、お待ちしております」
お腹が空いているので夕食が楽しみだ。と思いながらマリエルがユルタの中を見回すと、カイルロッドが先程出した陶器をまじまじと見ていた。
「どうしました? なにか珍しいものでもありますか」
すると、カイルロッドはマリエルのほうに振り向いて答える。
「珍しいって言うか、そうだね。リシタンのもタシケントのも、ホラズムのものとはだいぶ違うから」
「あれ? カイルロッドのご実家ってそっちの方でしたっけ?」
たしかに、カイルロッドがこのキャラバンに入ったのは、ヒヴァ近郊だった気がする。マリエルがそう思ってると、カイルロッドがヴァンダクからプレートを受け取って言う。
「僕はウルゲンチだね。まぁ、ヒヴァからそう遠くはない」
「ああ、なるほど……」
ウルゲンチなら近くにアラル海もあるし、カイルロッドがコウと一緒に育ったというのも納得できた。そういった水場が比較的近い場所なら、亀であるコウを拾うことも可能だろう。
マリエルが色々と納得して頷いていると、今度はカイルロッドが訊ねてきた。
「ところで、この陶器はどこまで運ぶの?」
その言葉を聞いてはっとしたマリエルは、出した陶器を梱包しなおしながら返す。
「とりあえずヒヴァまで運ぶことにしています。
こう言った陶器は、元締めが好きなので」
「なるほどね」
カイルロッドは納得したようだったけれども、いつの間にか側に来ていたコウが心配そうに口を開く。
「でも、けっこう陶器売ってるよね? なくなっちゃったら困らない?」
その問いに、マリエルはくすりと笑って返す。
「なくなるのはたしかに困りますが、多少は売っておいた方がいいですね。
そのほうが、これは売れる物だという説得力になるので」
「なるほど、そうなんだね」
コウも納得したところで、マリエルはどんどん梱包を進めていく。リシタン陶器はタシケントでもそこそこ売れたけれども、タシケントの陶器はどうだろう。この先で売れるだろうか。売れるとしても、サマルカンドより先の街ではないかとは思うけれども。
陶器をすっかり梱包し終わった所で、ルスタムから声がかかる。
「ごはんできたよー」
「はーい」
「はーい」
いい返事をして、ヴァンダクとコウが火の周りに真っ先に戻る。マリエルとカイルロッドもそれに続く。リーダーはすでに、というよりずっとそこのいたのかもしれない、火の近くに座っていて、ルスタムから干し肉のスープが入った器を受け取っている。
全員にスープと、少し前に買ったナンが行き渡り、食前の祈りをあげて食べ始める。とてもやさしい味で、先程外に出て冷えてしまった体が芯から温まる。
「陶器といえばさ」
ルスタムがスープを飲みながら言う。
「ごはん食べるとき、やっぱきれいな器使うとおいしそうに見えるよな」
その言葉に、リーダーが頷く。
「そうだな、きれいな物は、生活を豊かにしてくれる」
きれいなものは、マリエルも好きだ。そして、仕入れでそういったものに触れる機会が多いのは、きっと幸運なことなのだろう。
次の街でも、うつくしいものに出会えますように。