第三十七章 映画が来る
タシケントでの仕入れも一段落し、このところマリエルはルスタムの店で店番をする事が多かった。ヴァンダクとリペーヤがいれば十分に店番の人手は足りるのだけれども、リペーヤはもういないし、ヴァンダクも休暇中でいない。そうなると、店の責任者のルスタムとカイルロッドを中心に、マリエルとリーダーが店を手伝うことになる。
リーダーは色々な街で得意先に挨拶に行ったり直接品物を持っていって販売したりと、そういったことを主にやっているのだけれども、タシケントに滞在しはじめてもうだいぶ経った。リーダーも得意先はほとんど回り終わったようだ。もっとも、何度も呼び出されることもあるにはあるのだけれども。
なにはともあれ、マリエルは今、陶器や布、それに絨毯を売っているルスタムの店の番をしている。装飾品を扱っているカイルロッドの店の番よりはこちらの方が気が楽だ。陶器や布のことであるなら、装飾品より少しは詳しいつもりだからだ。
フェルガナで仕入れた鮮やかなリシタン陶器は、タシケントの人々には珍しいように見えるのか、そこそこ売れている。この街にも窯元があるにもかかわらずだ。もしかしたら、窯元があるからこそ、他の土地の陶器が珍しいのかもしれないけれど、それはどうだろう、わからない。いずれにせよ、今現在まで以前仕入れたあの馬の陶器は売れていないのだけれども、あれは生活必需品ではなく嗜好品に近い物だから、売るのはなかなか難しい。なるべく早く売れて欲しい。ここでなら買い手が付くのではないかと、マリエルは少し期待している。
そうやって陶器の売り上げに上機嫌になっていると、ひとりの客が足を止めてこう言った。
「へぇ、その陶器の馬はなんなんだい?
この辺りでは見掛けないものだけど」
ついに陶器の馬に目を留める人が出た! マリエルはこの期を逃さないように馬についての話をする。
「お目が高いですね。こちらの馬の陶器は、シィンの古い時代のものです。
いったいなにに使うのか、なぜ作られたのか、それは全くわかりませんが、かつてフェルガナまでをも支配していたシィンの残滓、と言ったところでしょうか。
よい物語を持っています」
マリエルの説明を聞いた客は、まじまじと見ながら古い時代か。と呟く。
顔を近づけたり離したりしながら馬の陶器を見ているのを、マリエルは緊張しながら見守る。見たところこの客は裕福そうな格好をしているので、できればここで売ってしまいたい。買うかどうかを決めるのは、客であることに変わりはないのだけれども。
ふと、客が馬の陶器から視線を外してマリエルを見る。それから、こんな話を出した。
「そういえばお兄さんは、この街に今度新しい時代を連れてくるものが来るって知ってるかい?」
それを聞いて、マリエルは今までにこの街で聞いた色々な情報を思い浮かべる。けれども、浮かんできたのはいつだったか言われた、キャラバンをこのまま続けられる時代はもうすぐ終わる。と言うことだけだ。
それ以外に新しい時代についてのことが全く思い浮かばず少し心が落ち込んだけれども、それを客に見せるわけには行かない。マリエルはにっこりと笑って客に訊ねた。
「新しい時代を連れてくるものというのは、一体何でしょう。お恥ずかしながら、まだその話を聞いたことがなくて」
すると、客は腕を広げて、少し興奮した様子でこう言った。
「映画っていうのが来るんだよ」
「映画?」
それはマリエルが初めて聞く言葉だった。
「それは一体、どんなものなのでしょうか?」
すこしの期待を込めてマリエルがそう訊ねると、客は腕を動かしながら続けてこう説明する。
「そう、大きな壁に大きな動く絵を写すものらしい」
「えっ? なんかすごそうですね」
それは大きな万華鏡のようなものなのだろうか。そう想像し、よくわからないままにマリエルが感嘆の声を上げると、客は機嫌良さそうに笑ってさらに話を続ける。
「そう、すごいらしい。映画は動く絵を写して、いや、正確には、動く写真を映して、それを楽しむものらしい」
「動く写真……」
絵であればまだ想像は出来たけれども、写真と言われてしまうと、マリエルには上手く想像ができない。マリエルは写真というものを、聞いたことはあっても見たことがないので、写真がどんなものなのかいまいちよくわからないのだ。しかもそれを壁に映す。どうやってそんなことをするのかも、もちろんわからなかった。
マリエルがぽかんとしているのを、いい意味で捉えたのだろう。客は機嫌良さそうに笑って、映画が来るのが楽しみだという。それから、またしげしげと馬の陶器を眺めはじめた。
この客は、新しい物が好きなのだろうか。そうだとしたら、古い時代のものである馬の陶器は、買われないのではないかとマリエルは内心思う。
ところが、その予想を裏切って客はこう言った。
「新しい時代が来るのなら、古い時代をあえて家に置いておくのもなかなか良いじゃないか。
よし、この馬を買おう」
「ありがとうございます」
まさかそういう発想の仕方をするとは思わなかった。けれども、これでずっと懸念していた馬の陶器の買い手が見つかった。これはそこそこに高額なものだから収入になるし、なにより元締めのところに運び込んで怒られるということはこれでもうないのだ。これで安心だ。
きっと、あの映画の話に乗っていなかったら、正確には、映画について説明したがっていたあの客の説明を大人しく聞いていなかったら、あの客は馬の陶器を買っていかなかっただろう。下手をすると機嫌を損ねてどこかに行っていたかもしれなかったのだ。
馬の陶器をもって上機嫌な客を見送り、マリエルは椅子に腰掛ける。先程のやりとりは少し緊張したけれども、有意義な時間だったなとも思う。それは、馬の陶器が売れたと言う事実だけでなく、映画という未知の物の存在を知られたと言う意味でも有意義だった。
少し減った客足を眺めながらぼんやりと考える。あの客が言っていた映画というのはどんなものだろう。動く写真、動く絵、と言われて、マリエルが想像するのはやはり万華鏡だ。
あの白い光の中でくるくると回る幾何学模様を、もっともっと大きな視界で見てみたいとはたしかに思う。きっとそれは見る人を幸せにするほどうつくしいものだろう。
けれども、あの客の話だと、どうにも映画というのは万華鏡とは違うもののように感じた。
動く絵、動く写真。マリエルが以前聞いた話では、写真というのは筆で絵を描くよりも早く絵を描くことが出来る道具。と聞いている。絵を描くよりも早く絵を描く、と言うのがどういうことなのか。それは、一筆一筆丁寧に線を描いたり、塗ったりというそういった行程を、僅かな時間で済ませてしまう機械があるのだということだった。
もちろん、マリエルはその写真機というものを見たことがない。写真機というのは新しいもので、高価な物で、裕福な人間しか、触れることができないものなのだ。
その高価な物で描いた絵が動いたとして、マリエル達キャラバンはもちろん、街に住む多くの人々は、その映画というものを見ることが出来るのだろうか。そして、それを見て面白いと思うことが出来るのだろうか。
客足がまばらなのをいいことに、マリエルは映画のことを考え、想像する。頭の中で絵を思い浮かべて、それを動かす。そうしていると、絵が動くという映画も面白いものなのではないかという気がしてきた。
マリエルがひとりで納得していると、突然声を掛けられた。
「ただいま。売れ行きはどう?」
「ああ、お帰りなさいルスタム。
なんと、あの馬の陶器が売れました」
休憩から帰ってきたルスタムに、マリエルは商品を乗せた台の上と、店の内側を見せる。
すると、ルスタムは驚いたような顔をする。
「まじで? うわほんとになくなってる。お手柄じゃん!」
「少なくとも、これで元締めには怒られませんね」
「それな」
馬の陶器が売れたことにふたりで喜んでいると、ルスタムがマリエルにこう訊ねた。
「ところで、また考え事してたみたいだけど、なんかあった?」
その問いに、マリエルは先程聞いた映画の話をする。一体どんなものか想像が付かないとか、そんな話だ。マリエルの話を一通り聞いて、ルスタムはこう言った。
「僕は見てみたいな、その映画ってやつ」
ルスタムは、新しい時代を素直に受け入れられるのかと、マリエルはすこしうらやましく思う。
自分はやはり、古い時代側の人間なのだと思った。




