第三十一章 交易路の遙か向こう
無事にコーカンドの街に入った翌日、マリエル達は昼食を食べに街の食堂へと行った。
この街にもキャラバン・サライはもちろん、キャラバンが店を出すための市場は置かれている。けれども今回は七日ほどの滞在と期間が少々短いことと、タシケントまであまり使われていない道を通るため、なるべく不測の事態を避けるために体調をしっかり整えようと、ゆっくり休養を取ることにしたのだ。
食堂でシャシリクとラグマン、ペリメニを注文し、料理が運ばれてくるのを待つ。その間、マリエル達は今後の旅程について話をしていた。
「それにしてもさ、タシケント行くのに普段通らない道って?
たしかにサマルカンド通るってリーダーは言ってないけど」
ルスタムのその問いに、リーダーは食台の上に指で三角形をなぞりながら返す。
「確実なルートはサマルカンド経由なんだが、サマルカンドを通ってタシケントに行くのは時間が掛かりすぎる。
コーカンド、サマルカンド、タシケントは三角形の角に位置していて、この街からサマルカンドに行くと一辺、そこから更にタシケントに行こうとするとさらにもう一辺、合計二辺分行かなきゃならない。
だが、この街から直接タシケントに行くのであれば、一辺分の移動で済む。そう言うことだ」
「なるほど?」
ルスタムはいまいちよくわからないと言う顔をしているけれども、カイルロッドは今の話で理解したようだ。
「なるほど、何にせよサマルカンドは寄るけど、タシケントに行くならまず最短距離でタシケントに行って、そこからサマルカンドを経由してヒヴァに向かうってことか」
「その通り」
ここまでの話を聞いて、ヴァンダクは不安そうな顔をしている。
「でも、近い道をピャッて行くのはわかったけど、あんまり使われてない道なんでしょ?
道に迷ったりしない?」
すると、リーダーはにっと笑ってヴァンダクの頭を撫でる。
「おまえが方角をちゃんと見てれば行ける」
「う、ううー、がんばる!」
普段ならこういう期待をかけられたとき、ヴァンダクは尻込みすることが多いのだけれども、早く家族に会いたい気持ちがあるのだろう。素直にリーダーの言葉を受け入れた。
そんな話をしているうちに、料理が運ばれてきた。湯気の立ったラグマンや、こんがりと焼けたシャシリク、ぷりっとしたペリメニは全てどれもおいしそうだ。
リーダーの一声で、食前の祈りをあげて料理に手を着ける。マリエルもすっかりお腹が空いているので、まずは串に刺さったシャシリクを外すところから入った。
シャシリクを串から外すのはもう慣れた作業だ、だからだろうか、なぜかぼんやりとしてしまい、周囲の音が全て耳に入ってくる状態になった。
その状態で、マリエルの耳にこんな話が聞こえてきた。
「シィンが東の小国との戦に負けたらしい」
それを聞いて、マリエルはぱっと顔を上げた。
「どうしたの?」
ラグマンを食べながらそう訊ねてくるヴァンダクに、マリエルは慌てて肉を抜いた串を皿の上に戻す。それから、戸惑いを隠せないままこう言った。
「あの、少し前にシィンが東の小国と戦をしているという話は、みなさん聞きましたよね?」
突然の話題だからだろうか、みな驚いた顔をしてマリエルを見る。
「そのおはなしがどうしたの?」
不思議そうな声でコウがそう訊ねてきたので、マリエルは話を続ける。
「今聞こえてきたんですけど、その、シィンが東の小国との戦で、負けたと」
きっと信じられない話なのだろう、さすがのリーダーも驚いた顔をしている。
「いや、そんなはずはないだろ。
シィンは大きな国なんだぞ? この国よりもずっとずっと。
その影響力はこの前チャルチャンで実感してきたじゃあないか」
「そうだよ。あんなにすごい国が、あるかどうかもわかんない国に負けるわけないよ」
余程チャルチャンでの体験が思いに残っているのだろう、リーダーとルスタムがマリエルの言葉を否定する。
ヴァンダクの方を見ると、よくわからないと言った顔をしている。たしかに、ヴァンダクはこういった話にうとい。
シィンが負けるわけはないという話で盛り上がっていると、ペリメニをコウに食べさせていたカイルロッドが溜息をついてこう言った。
「東の小国ってのが一体どんな国なのかわかんないけど、本当にシィンを負かしたっていうんなら、ロシアもなんとかして欲しいよ」
「あ、それは言える」
シィンが負けるのは信じられなくてもロシアは倒して欲しいのか。マリエルはなんとも不思議な気持ちになったけれども、それでもたしかに、シィンを負かすほどの力を持った国であればロシアも倒せる気がするし、ロシアを倒すまでいかなくとも抑えて欲しいというのは、カイルロッドやルスタムと同意見だ。
「しかし、東の小国ってのはどこから現れたんだろうな?」
リーダーのその呟きに、マリエルもラグマンを食べながら考える。そう、そんな強い力を持った国が、一朝一夕で現れるはずはないのだ。
「もしかして、シィンが負けたってのは、他の国を油断させる方便なんじゃないか?」
シャシリクを自分の皿に取り分けながらルスタムがそう言う。たしかに、その可能性もありそうだ。実際は国内で兵力を集め、他の国に攻め込むことが可能な状態にしておいた上で、弱っているという偽の情報を流し、他国を油断させて戦うというのは、策としてはあり得る気がした。もっとも、マリエルは兵法だのそういったものは全くわからないので、もしかしたらといった程度だけれども。
ふと、先程までラグマンを一生懸命食べていたヴァンダクが、すこししゅんとした顔でこういった。
「あのね、戦とかそういうの、よくないと思うの」
そういえば、ヴァンダクは争いごとが苦手なのだった。けれども、国同士というのは全く争わないではいられないものなのだ。
「国民を守るために、どうしても戦わなくてはいけないことがあるのですよ」
「そうなの?」
マリエルの言葉にヴァンダクは納得したわけではなさそうだったけれども、とりあえずシャシリクに手を伸ばして食べているので大丈夫だろう。
しかし、リーダーも言ったとおり、東の小国というのは一体何なのか。どこから来たのか、マリエルはそのことに興味を感じた。
ふと、ラグマンを食べていたカイルロッドがこう言った。
「東の小国、きっとあれだ。かつて交易路を通って宝物が贈られた国だ」
その言葉に、みな驚いた。
「えっ? 宝物が送られたって、そんなすごい国なの? そんな昔からあったの?」
ルスタムが明らかに動揺を見せる。それもそうだろう。いままで聞いたこともない小さな国が昔からあって、しかも宝物が贈られていたとなれば驚くほかないのだ。
カイルロッドは話を続ける。
「東の国、なんていう国かは忘れたけど、そこと繋がりを持つために、宝物を贈ったんだったかな。
きっと東の小国は、その時からずっと力を蓄えてたんだ」
カイルロッドの話に、東の小国が近年突然現れたものでないのはわかった。しかし少々信憑性が薄く感じたので、マリエルはカイルロッドに訊ねる。
「どこで、その東の小国の話を聞いたのですか?」
「昔、お父さんがよく話して聞かせてくれたんだ。
なんでも、昔の記録を保管する仕事をしてると、そういう古い話もよく目に留まるからって」
その話を子供に何度も言い聞かす親も教養が深いな。と思いつつ、マリエルは納得する。どうやら他のみなも納得したようだった。
「東の国って、なんかすごいんだね」
話が大きくて頭がすこし追いついていないのか、ヴァンダクがぽかんとした顔でそう言う。すると、ルスタムが口を開いた。
「もし本当にそんなにすごい国なんだったら、やっぱロシアもなんとかして欲しいよ」
その言葉にリーダーも頷く。
東の小国がロシアをどう見ているのか、それは全くわからなかったけれども、マリエルの中でその小国に対する期待が膨らんでいった。