第三章 遠くの家族は
パルフの街は、あの輝くガラスのランプのように珍しい物を見かけることが少なくない。そういった物が目に入ると、ついつい仕入れたくなってしまうけれども、他の街で本当に売れるかどうか、もしくは元締めが気に入るものかどうかを考えて仕入れなくてはいけない。こういった事を考えること自体、マリエルには楽しい事なのだけれども、資金は限られている。慎重にやらなくてはいけないのだ。
仕入れをする一方で、他の街で手に入れた布や陶器をリペーヤに渡し、売るのを任せている。マリエル自身、陶器の目利きにそこそこ自信はあるけれど、いざ売るとなるとリペーヤの方が口が上手いのだ。
さすがにキャラバンでの生活が長い先輩は違うなと思いつつも、カイルロッドのことを思い出す。いや、やはり商才というのはある程度天賦のものがあるのかもしれない。
この街に来て一ヶ月ほどが経ち、だいぶ寒さが和らいできた。しみじみと時間の経過を思い返していると、リペーヤとルスタムがやっと見つけたという様子でやってきて、マリエルに声を掛けた。
「やあ、こんな所にいたのか」
片手をあげてそういうリペーヤ。店はどうしたのだろうと思ったけれど、よくよく考えればそろそろ昼食の時間だ。
「あ、そろそろみんなでお昼ごはん食べに行きますか?」
「そう、そうなんだよ。でも、マリエルがどこを歩いているかわからなくなって、市場中探してたんだ」
リペーヤのその言葉を聞いて、マリエルははっとする。そういえば、仕入れのことを考えながらぼんやりとあてもなく市場の中を歩き回ってしまっていたのだ。
「あの、すいません」
気恥ずかしさを感じはにかみながらマリエルがそう言うと、ルスタムが朗らかに笑って肩を叩く。
「こんなんじゃ、ヴァンダクの迷子を心配してる場合じゃないぞ」
「いやほんとうに申し訳ないです」
軽くやりとりをして、今度はカイルロッドの店の方へ声を掛けに行こうと三人は歩き出す。マリエルがぼんやり歩いていたガラス細工の店の一角を抜け、その近くにある装飾品の区画へと入る。すると、カイルロッドの店はすぐに見つかった。
リペーヤがカイルロッドの店に手を振ると、そこでカイルロッドと一緒に店番をしているヴァンダクが、こちらを見つけて大きく両手を振ってくる。
難なく合流出来たので、これからキャラバン・サライで荷物を見ているリーダーを呼びにいって食堂に向かおうと、商品を布で隠して市場から出て行った。
リーダーとも合流し、食堂の並んでいる通りをみなで歩く。なにを食べたいかという希望はそれぞれあるようだけれども、どの店も品揃えはそんなに変わらないので、もう馴染みとなった店に、カイルロッドが連れているコウも含めて入る。
「やっぱシャシリク食べたいじゃん?」
ぺろりと唇を嘗めてリペーヤがそう言うと、カイルロッドがお腹を手で軽く押さえて返す。
「そんな頻繁にシャシリク食べてたらお腹おかしくなっちゃうよ……」
カイルロッドはこのキャラバンでは若い方なのに、どうにも脂の乗った肉を食べるのが苦手なようで、わりとさっぱりしたナンやラグマンを好みがちだ。
全員が全員同じものを頼む必要はないのだけれども、基本的に取り分けて食べる事が当然と言った量で料理が出てくるので、この辺りはなるべくすり合わせておきたい。
なにを頼むかでわいわいやっていると、店員がにこにこしながらやって来た。
「今日のオススメはスメレクですよ。昨日仕込んだんです」
それを聞いて、マリエルはそういえば。という顔をする。夜眠るときに、スメレクを作るときに歌う歌が風に乗って聞こえてきていたのだ。
「そうか、もうスメレクの季節なんですね」
あたらめてそう呟くと、ヴァンダクがもじもじしながら口を開いた。
「あのね、俺、スメレク食べたいの」
その様子が妙に微笑ましくて思わずくすりと笑っていると、リーダーがヴァンダクの背中を軽く叩いて言う。
「それじゃあ、今日はみんなスメレクを食べるか?
足りないやつはそれこそシャシリクを頼んでおいて食べれば良い」
それを聞いて、ヴァンダクがぱっと明るい顔をする。それを見てしまうと、なんとなくそういう風にしようか。という空気になってしまうのだった。
スメレクとシャシリクを注文して料理が来るまでの間、回りを伺いながらキャラバンの面々は声を低くして話をする。
「調子はどうだ」
リーダーがみなの顔を見てそう聞くと、カイルロッドが肩をすくめて返す。
「なかなか伸びないね。どうやら、この街のご婦人のお気に召す装飾品が僕の店にないらしい」
続けて、ルスタムも溜息をついて言う。
「絨毯もなんか、なっかなか出ないね。
この街は比較的オスマン帝国に近いから、そっちからの品でみんな満足してるというか」
ふたりの報告を聞いて難しい顔をしはじめたリーダーに、リペーヤが手を擦りあわせながら少し明るい声で言う。
「でも、アドラスや陶器はよく売れてる。
特にアドラスは、思ったより高値で」
それを聞いて、マリエルが呟く。
「まぁ、アドラスは特に技術の高い工房で織ってもらってるから、それもあるのかな……」
ひととおり話を聞いたリーダーが、目を閉じて考える素振りを見せてから言う。
「冬だから、贅沢品に使える金が少ないというのはあるかもな」
その言葉のあと、少しの間キャラバンのみなが黙り込む。他の客の声が響くのを聞いていると、突然ヴァンダクがぱっと顔を上げた。
「スメレクの匂いだ!」
その言葉に周りを見ると、店員が人数分の深い器を持ってこちらに来た。
「お待たせしました、お先にスメレクです」
目の前に置かれた器の中には、暖かい湯気を立てている、茶色くて香ばしいスープが満たされている。冷める前に食べようと、みなで食前の祈りをあげてからスプーンを手に取る。とろりとしたスメレクは、やさしくて懐かしい味がする。
スメレクを食べたいと真っ先に言ったヴァンダクはどうしているかというと、にこにこしながら一生懸命スープを口に運んでいる。
ふと、リペーヤがスプーンを器に置いて呟いた。
「今頃、俺を待ってる家族もこれを食べてるのかな」
それを聞いて、ヴァンダクもじっとスメレクを見て呟く。
「また家族でごはん食べたいな」
それを聞いて、マリエルがふたりに訊ねる。
「ご家族が恋しいですか?」
すると、ヴァンダクは素直に頷いて、うん。という。リペーヤは、少し複雑な表情だ。
「まぁ、正直言えば家族は大事だし会いたいけど、いさ会うとなって、ずっと家を空けてる俺のことどう思ってるかがなぁ……」
「ああ、確かに……」
リペーヤの家には、親と妻と、子供達がいるそうだけれども、両親はともかく、妻と子供は、家族を養うための仕事とはいえ、ずっと家を空けている夫や父親をどう思っているのか。それはふたりと同じように、他の街に妻と子供を置いてきているマリエルも共通の悩みだ。
「それが、キャラバンだというにしてもな」
どうにも言葉にしがたいのだろう、リーダーの言葉は普段より歯切れが悪い。
ふと、まだ結婚したという話を聞かないカイルロッドにマリエルが訊ねる。
「そういえば、カイルロッドは家族が恋しくなったりしないんですか?」
するとカイルロッドは、すぐ側で店で出して貰った野菜を一生懸命囓っているコウの甲羅を撫でてこう言った。
「たまに親や兄さん達に会いたくなることはあるけど、この仕事を応援してくれてるし、なにより僕にはコウがいるから」
すると、コウが口をもぐもぐさせながら顔を上げて言う。
「ボクはずっとカイルロッドと一緒にいるからね。ずーっと一緒」
「うん。ずっと一緒」
カイルロッドは、コウと一緒にいられるから寂しいという気持ちを乗り越えられるのだろう。
ふと、自分はどうなのだろうとマリエルは考える。少し考えて、気づいてしまう。自分はもう、家族と会えなくて寂しいという気持ちが曖昧になって、わからなくなってきてしまっていることに。