第二十九章 クルトを舐める
カシュガルの街を出て、一行は西へと進む。この先の予定としてはオシュ、フェルガナ、コーカンドを経由し、そこから直接タシケントへと進む。
カシュガルからオシュまでの間は、大きな街がない。所々にある村で休ませて貰い、水を分けて貰い、食料を買って、なんとか乗り切る。もちろん、日が暮れる前に村へと辿り着けないことも珍しくはないので、野宿するることも多い。
そんなカシュガルからオシュへの道中、水が足りなくなると、ラクダやラバから絞った乳を牛の胃袋を使った水筒に入れて作る、一般的に馬乳酒と呼ばれる酒を飲んでやり過ごす。
馬乳酒は酒といってもそんなに強い酒ではなく、古くから水の変わりとして飲まれているものだ。
マリエルはラクダに乗ったまま、少しだけ腰を浮かせてラクダとの間に敷いていた牛の胃袋の水筒を取りだして口を付ける。発酵した香りがするさらさらした液体が喉を抜けていく。
少しだけ水筒の中に入ってった馬乳酒を飲んでから、水筒を少し揉む。中で酒と分離したチーズが良い具合にできているようだった。
このチーズを食べるのも楽しみだと思いながら、また水筒を腰の下に戻す。
太陽が天頂に差し掛かる少し前に、リーダーの一声でキャラバンは歩みを止める。そろそろ休憩のようだ。
みなラクダやラバ、亀から降りて、載せていた荷物の一部を解く。木の棒を一本立て、紐と杭を使って大きな布をピンと張る。杭にラクダとラバを繋ぎ、布で作った日陰に入って一息つく。
「よし、お昼ごはんだ」
そう言ってルスタムが食料の入った袋からドライフルーツを出し、みなに分ける。ステップでの昼食は火を使っている余裕がないことが多いので、ドライフルーツや干し肉をそのまま囓って済ませることがよくある。
今回配られたのはドライフルーツだけだ。一見足りないようにも見えるけれども、ドライフルーツは水分が抜けた分味が凝縮されていていとても甘い。その甘さを口の中で味わうと、なんとなく空腹がどこかに行ってしまうのだ。
ぶどうやいちご、いちじくにあんず、それにデーツをゆっくりと食べる。保存食だというのはわかっているけれども、豪華な食事のようにも思えた。
マリエルが他のみなの方を見てみると、リーダはゆっくりと噛みしめていて、カイルロッドは自分の分を食べながら、コウにもわけられた分を食べさせている。ヴァンダクはドライフルーツが好きなので、にこにこしながらもぐもぐと口を動かしている。ルスタムも時々目を閉じてゆっくりと食べている。目を閉じているのは、ドライフルーツの甘味をしっかりと感じようとしているのだろう。
ふと、リーダーが食料袋の方を見てこう言った。
「そうだ、すこしクルトも食べた方がいいだろう。ルスタム、出してもいいか?」
「クルト? そうだね、食べた方がいいかも。出していいよ」
ルスタムの許可を得たリーダーは、食料袋の中から握りこぶしより少し小さいくらいの、白い塊を出した。
それを見て、ヴァンダクがぱっと嬉しそうな顔をする。
「クルト食べたい! わけてー」
「大丈夫、おまえの分もあるから」
すぐさまに食いついてきたヴァンダクに手を出すよう言って、リーダーが白い塊をナイフで少し削り、てのひらの上に落とす。
「とりあえずこれだけな」
リーダーがそう言うと、ヴァンダクはにこにこと笑っててのひらの上の粉をなめる。
「クルトおいしい」
いつもどおりにご機嫌な笑顔を浮かべるヴァンダクを見てリーダーは満足そうだ。
それから、ルスタムにも、カイルロッドにも同様に、てのひらの上にクルトを削ってわける。マリエルのてのひらにも、クルトの粉がわけられた。
クルトは、動物の乳を発酵させて塩を加え、乾燥させたものだ。これを食べれば、いつもの食事だけでは足りなくなりがちな塩を摂ることができる。
てのひらの上の粉を、マリエルも舌でなめとる。少し酸っぱい乳の風味と、コクのある、どことなく甘みも感じる塩の味がした。
ドライフルーツも食べ、クルトも食べて食事は終わりかとマリエルが思っていると、ヴァンダクがもじもじしながらリーダーに声をかけた。
「あ、あのねぇ」
「ん? どうした」
「クルトもうちょっと欲しいの」
「ははは、ヴァンダクは食いしん坊だな」
困ったようにリーダーが笑い、ルスタムの方を見る。基本的に食糧の管理はルスタムがしているので、余分になにかを食べるときは、ルスタムにお伺いを立てることになっているのだ。
「しょうがないなぁヴァンダクは。
でも、ヴァンダクはすぐに体調崩しがちだし、ちょっとだけならクルトおかわりしていいよ」
それを聞いて、ヴァンダクはまた満面の笑顔になる。体調を崩しがちというのは確かにあるけれども、それ以上にこの笑顔には敵わないな。とマリエルは思った。
今度はルスタムがナイフを使ってヴァンダクのてのひらの上にクルトを削って落とす。先程より少なめだけれども、ヴァンダクは特にそれ以上催促することはなかった。
ヴァンダクがまたぺろりとクルトの粉をなめて言う。
「クルトおいしいね」
「ふふっ、そうですね」
無邪気なヴァンダクを見て、マリエルは笑みを零す。やはりこの笑顔を見ていると気持ちが和む。
食事がすっかり終わった所で、布の影の中でリーダーがごろりと寝転ぶ。カイルロッドもコウにもたれかかっているし、完全に休憩の態勢だ。
日がまた傾いてくるまで、ここで風の香りを感じながら体を休めるのだ。
日が傾きはじめて少し経った頃、マリエル達は、休憩するための影を作っていた布と紐、木の棒をまとめてラクダに乗せ、それぞれラクダやラバ、コウに乗ってまた先に進み始めた。
ヴァンダクがいつものように方解石を覗き込んで方角を見ながら、リーダーに訊ねる。
「次の街、オシュだっけ?
そこまでどれくらいかかりそう?」
その問いに、リーダーは笑って返す。
「急げば近い、急がなければ遠いさ。
でもまぁ、この辺りはもうだいぶオシュに近い。
オシュに着いたら、フェルガナもコーカンドもすぐそこだ。頑張れるな?」
その言葉に、ヴァンダクは元気よく返す。
「がんばれる!」
つられてだろうか、マリエルよりも後ろを歩いているコウの声も聞こえてきた。
「がんばれるよ! 街についたらおいしいものいっぱいたべようね」
「俺いちご食べたい!」
後ろと歩くコウと先頭を行くヴァンダクが大きな声でやりとりをしている。あまり大きな声でやりとりをしていると体力が持って行かれるので、リーダーがコウとヴァンダクを宥めている。
けれども、こうやって大声でやりとりができるほど、まだ元気が残っているというのは安心できる要素だ。
カイルロッドとルスタムはどうなのだろうとマリエルが後ろを振り返ると、ちゃんと背筋を伸ばしてコウやラバに乗っていた。
あのふたりもまだ元気だろうとマリエルは判断する。元気がないときは猫背になりがちだからだ。
一方、自分はどうだろうとマリエルは自分の身体に少し気を払う。先程休憩して、食事もとったので、そこまで疲れは溜まっていない。けれども、すこし姿勢を変えると体の所々が少し痛んだ。
まずい、このままだとまた腰をやる。そう思ったマリエルは、意識して背筋を伸ばした。
日が暮れ始めて、キャラバンの仲間達でユルタを張る。そのなかでまた一息ついて、食事をして、ゆっくりと時間を過ごす。
そのなかで、タシケントにはヴァンダクの家族がいるという話が出た。
そういえば、以前タシケントに行ってからもうだいぶ経った。もう二年は行っていないだろう。
その間、ヴァンダクは家族に会いたいと何度思ったのだろう。あの心根の優しいヴァンダクが、家族のことをすっかり忘れているなどということはないだろう。
「タシケントに行ったら、おうちにいる家族に会えるね」
そう嬉しそうに言うヴァンダクを見て、マリエルもタシケントに行くのが楽しみになった。