第二十八章 ドゥタールを継ぐ
ホータン以降の道も早足で、しかも順調に進み、マリエル達一行は夏を迎える前になんとか砂漠を抜けることができた。
「はぁ、これで一安心だね」
遠くに見える街の影に向かってラクダを歩かせながらリペーヤが呟く。
「……そうですね」
にこにこと笑顔を浮かべているリペーヤとは対照的に、返事を返したマリエルはいささか浮かない顔をしている。
疲れている。と言われればたしかにそうかもしれない。しかし、それよりも心を重くする要因が他にあるのだ。
そのことに心当たりがあるのだろう。リペーヤがマリエルの方に顔を向ける。
「大丈夫。上手くやっていけるから」
そうしてまた、前を向いた。
もうすぐカシュガルの街に着く。何度も訪れている慣れた街だけれども、マリエルはもう少しだけ、あの街に遠くなって欲しかった。
カシュガルに到着し、リーダーがキャラバン・サライの宿泊手続きを取ってきた。いつもどおりにコウ以外のラクダやラバを厩に繋ぎ、荷物を部屋へと運び込む。それから、リーダーがみんなで食事をしようと言って、出かける準備をする。マリエルも、他の仲間達も貴重品を持って準備したけれども、リペーヤだけやけに荷物が大きかった。
リペーヤの荷物が大きい理由は、マリエルも知っている。
リペーヤの家族が住んでいるのはカシュガル。この街だ。もうそろそろ年齢的にキャラバンで旅を続けるのがつらくなってきたので、ここでリペーヤがキャラバンから離脱することになっていたのだ。
本当は、往路でこの街に寄ったときに離脱するつもりだったらしいのだけれども、チャルチャンに行くにあたって、そこまで荷物を運ぶ人手は多い方がいいということで、砂漠を越えたあの街まで同行してくれたのだ。
キャラバン・サライを出て、街中を歩く。いつものようにリペーヤとヴァンダクが鼻を利かせて食堂を探す。この光景を見るのも、これが最後なのだと思うと、さみしさがこみあげてきた。
マリエルは、今までキャラバンの一員として旅を続けてきて、仲間と別れるという経験を何度かしている。それなのに、誰かが仲間から外れる度にどうしても寂しくなってしまって、別れというものに慣れることができないでいた。
その寂しさは、いずれ薄れていくものだというのはもう十分すぎるほどにわかっている。しかしそれはそれ、これはこれなのだ。
リペーヤが先導して辿り着いた食堂は、昔から馴染みのある店だという。
「いやぁ、やっぱこの店のプロフが美味くてさ」
リペーヤはそう言って笑って、店員に注文をした。この店に慣れているリペーヤに任せておけば失敗はないだろうと、みな思っているようだ。
店員がリペーヤに訊ねる。
「また随分こないだから間がないけど、また先を急ぐのかい?」
「この前は夏になる前に砂漠を抜けなきゃいけなかったから急いでたんだ。
もうここまで来たし、そんなに急がないだろ」
「なるほどなー」
「それに、俺はこれでキャラバンを抜けるんだ。これからはここに定住するんだよ」
リペーヤの言葉に、店員は嬉しそうな顔をする。
「これからいつでも会えるんだな!」
「そうだな、嫁さんと子供が許せば」
そう、自分たちと顔を合わせなくなる代わりに、これからリペーヤと共に過ごすことができる人というのも、たしかにたくさんいるだろう。そのことを自分も喜ぶ、とまでいかなくとも、受け入れなくてはならないのだ。マリエルはそう自分に言い聞かせる。
少し沈んだ様子のマリエルに気づいたのか、ルスタムが背負っていたギジャクを構える。
「リペーヤのこれからの平安を祈って、一曲やってもいいかな?」
店員は奥にいる店主に声を掛けてから答える。
「一曲と言わずいくらでも歓迎だってさ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
調弦をはじめたルスタムを見てから、マリエルはリペーヤの方を見る。ドゥタールも持ってきているはずだから、一緒に弾くのかもしれないと思ったのだ。
すると、リペーヤはマリエルにドゥタールを渡してこう言った。
「今まで一緒に練習しただろ?
成果を聴かせてくれよ」
これは、ルスタムとリペーヤなりの心遣いだろう。マリエルはにこりと笑ってドゥタールを構える。
「わかりました。少々お聞き苦しいところがあるかもしれませんが」
仲間達以外がいるところでドゥタールを演奏するのははじめてだ。けれども、上手く弾けるかどうかということよりも、リペーヤを気持ちよく送り出せるか、そのように気持ちを持っていけるかどうかということが気にかかった。
ルスタムに続いて調弦をする。それから、呼吸を合わせてドゥタールの弦をつま弾きはじめた。
ギジャクの音が響きながら店の隅々まで染み渡り、ドゥタールの音は華やかにはじけて余韻を残す。その音を奏で、聞いているうちに心が落ち着いてきた。
マリエルは、自分は今、大切な仲間を大切な人達の元へと返すのだと、ようやく気持ちの整理が付いた気がした。
キャラバンの仲間達だけでなく、店員や他の客も交えてみなで歌い、中には踊り出す者もいる。
華やかで優しい門出だ。
宴もたけなわとなった頃、マリエル達の食台に料理が運ばれてきた。甘くやさしい香りのプロフに、こんがりと焼けたシャシリク、それに香辛料が食欲をそそるチ・ハン・ビリが目の前に並べられる。
「では、たべようか」
リーダーの合図で食前の祈りをあげて、料理に手を着ける。肉料理が好きなリペーヤとヴァンダクは早速シャシリクを串から外しているし、刺激物をあまり好まないカイルロッドはプロフのにんじんを、時々コウに分けながらつまんでいる。ルスタムはチ・ハン・ビリの鶏肉をタマネギと絡めて上手に食べていた。
その光景を見て、マリエルはどの料理から手を着けようか悩んでしまう。
ふと、リーダーが言う。
「いつもどおりでいいんだ」
その言葉に何故だかひどく安心して、マリエルはいつもどおり、プロフを少し取り分けた。
食事のあと、店主のお願いでマリエルとルスタムでドゥタールとギジャクを演奏して、店内はまたお祭り騒ぎになった。
そんな楽しい時間を過ごしたけれども、それはいつまでも続くものではない。店じまいの時間になって、リペーヤとキャラバンに残る仲間達とで別れを惜しんだ。
「この街でも元気でね」
「ああ、元気でやるよ。また会おう」
意外にもヴァンダクはリペーヤがこの街でキャラバンを抜けるということをすんなり受け止められているようだ。きっと、あんなに寂しがっていたのは自分だけなのだろうなとマリエルが思っていると、カイルロッドがリペーヤにこう返した。
「神が望んだら」
それを聞いて、マリエルは困ったように笑ってカイルロッドに言う。
「こういう時は、山は出会うことはできないけれども、私たちはまた会える。でしょう?」
すると、カイルロッドが恥ずかしそうに顔を背けて呟く。
「……そう言うと余計名残惜しくなるから……」
それを聞いて、ああ、カイルロッドもリペーヤとここで別れることに寂しさを感じていたのだなと、マリエルは察する。
カイルロッドに寄り添うように立っていたコウが、少し大きな声でこう言った。
「だいじょうぶ。きっとまたみんな会えるよ。だから寂しくないよ」
すると、カイルロッドがしゃがみ込んでコウの首に抱きつく。それを見て、マリエルは数年前のことを思い出す。カイルロッドがはじめてこのキャラバンで別れを経験したときのことだ。その時も、別れる相手に対しては強がっていたけれども、キャラバン・サライに戻ってから、こうやってコウに慰めて貰っていた。その時に、この子は繊細な子なのだとマリエルは思ったものだった。
そろそろ店の中にいるにも迷惑な時間になってきたので、リペーヤとキャラバンの仲間達は店を出る。
それから、お互い反対方向に向かって歩き出した。




