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第二十七章 アブリックの苦味

 無事にチャルチャンでの仕入れ含む売買を済ませたマリエル達は、早足で復路についていた。これから夏になる前に、砂漠を抜けなくてはいけないからだ。

 チャルチャンで来年の冬まで待つかという話も出たけれども、そこまでの資本がないということで、早めに仕事を切り上げて、チャルチャンを発ったのだ。

 往路に比べ、夜の寒さが和らいだからか、キャラバンのみなは野宿の時も深く眠れているようで、疲れが溜まりにくくなっているようだった。

 結果として、往路よりも速い速度で進むことができ、想定していたよりも短い日程で、砂漠の中間地点であるホータンまで辿り着くことができた。

 しかし、ここまで順調に来て疲れも溜まりにくかったとはいえ、人間には限界がある。一旦ゆっくり休んでから先に進んだ方がいいと言うリーダーの判断で、ホータンで数日過ごすことにした。

 キャラバン・サライに入ったその日の晩は、みなくつろいだ様子で、滞在中たっぷり眠れば疲れも取れるだろうと笑い合っていた。

 ところが、滞在二日目の朝、異変が起こった。

「そろそろ朝ごはん作るよー」

 そう言ってルスタムが鍋の底を軽く叩いてみなを起こす。それなのに、もうすぐごはんとなると、いつもは寝ぼけながらも真っ先に起き上がるヴァンダクが、ぐったりと横になったままなのだ。

 その様子に気づいたルスタムが、ヴァンダクの肩を軽く叩いて声を掛ける。

「おい、どうした? ごはんだぞ?」

「いやー。食べたくない……」

 ヴァンダクの呻き声にも似たその言葉に。他の全員がヴァンダクの側に寄って口々に心配する。

「食べたくない? なんで? 嫌いな物は入れないよ?」

 今まで自分の料理を拒否されたことのないルスタムが宥めるように言う。

「朝ごはんはちゃんと食べないと、疲れが取れないぞ? 食べよう?」

 食べられない気分と言う事が想像できない様子のリペーヤが励ますように言う。

「どうしたんでしょう、昨夜なにか悪いものでも食べたのでしょうか?」

 なにか原因はないかとおろおろした様子のマリエルが言う。

「ああ、これは、慣れた言葉や風景が増えてきて、安心しすぎて逆に来たやつか?」

 こういった事態には慣れているのだろうか、リーダーが難しい顔をして言う。

「とりあえずアブリックを」

 そう冷静にカイルロッドが言う。

 カイルロッドが出したアブリックという言葉に、リペーヤがすぐさまに反応した。

「そうだな、調子悪いときはアブリックを煮出したのを飲んだ方がいい。

さすがカイルロッド、気が利くな」

 そう言いながら、香草の入った荷物から、細かくつぶつぶした紫色の花の蕾を出す。これがアブリックだ。

 その花は乾燥させて保存しておき、温まりたいときに浴槽に入れたり、体調を崩したときに煮出して飲んだりするものだ。調合をした本格的な薬というわけではないけれども、多少の体調不良なら、だいたいこれでなんとかなる。

 ルスタムから鍋を受け取ったリペーヤは、昨夜のうちに汲んでおいた水を鍋に入れ、部屋の中にあるかまどで火にかける。

 お湯の沸く音が聞こえ、清々しさの中にほのかに甘さを感じる香りが漂う。この香りを嗅ぐだけでも、気分がよくなりそうだ。

 しばらくの間お湯が沸く音を聞き、清々しい香りを胸に吸っていると、リペーヤがアブリックを煮出した汁の上澄みを、器に掬って注いで、なんとか起き上がったヴァンダクに渡す。

「ほら、これ飲めば楽になるから」

「うん……」

 アブリックの香りを嗅いで、ヴァンダクはしゅんとした顔をする。みなに心配をかけて申し訳ないと思っているのもあるだろうし、これから飲まなければならないアブリックの煮汁がとても苦いことを知っているからというのもあるだろう。それでも、ヴァンダクは少しずつアブリックの煮汁に口を付ける。

「うぇぇぇぇ……にがいよぉ……」

「がんばれぇ、がんばれぇ」

 側で様子を見ていたルスタムが声援を送る。それを聞いてか、ヴァンダクは少しずつアブリックに口を付け、なんとか器一杯分を飲みきった。

「よく頑張りましたね。また少し横になりますか?」

 マリエルがヴァンダクの頭を撫でてそう言うと、ヴァンダクはこくりと頷いて横になる。そこに、リーダーが自分の分の掛布を持って来て上にかけた。

「だいぶましになったとはいえ、まだ朝は冷える。これ以上体を冷やさないように気をつけないとな」

 リーダーの優しい言葉に、ヴァンダクは小さな声で返事をして、うたた寝をはじめた。先程よりも顔色が良いので、アブリックの煮汁で体が温まったのだろう。

 ヴァンダクがまた寝入ったところで、ルスタムがみなに訊く。

「ところで、朝ごはんどうする?

ヴァンダクに抜きで食べちゃう?」

 それは当然の質問なのだけれども、悩みどころだ。今寝ているヴァンダクに合わせて自分たちも朝食を抜いてしまうと、今度はまた別の誰かが倒れかねない。

 その可能性をリペーヤも考えたのだろう、ルスタムにこう言った。

「とりあえず、俺らの分は先に食べておこう。

ヴァンダクの分は起きてからで」

「あいあいさー」

 アブリックの出がらしだけが残った鍋を受け取ったルスタムは、ごみ箱の中にアブリックを落とし、水を鍋に注いで火にかけている。おそらく、今日も干し肉のスープだろう。

 朝食ができるのを待っている間、マリエルはじっとヴァンダクの寝顔を眺める。体調を崩してしまっているのは心配だけれども、子供のような顔で眠るヴァンダクを見ていると、なんだか安心するのだ。そう、まるで家に置いてきた自分の子供を見ているようで……

 ふと、マリエルは自分の気持ちが道中よりもだいぶ落ち着いていることに気づいた。復路は冷静を保って行動しているつもりだったけれども、知らず知らずのうちにこんなに浮き足だって焦っていたのだ。そのことに気づかせてくれるヴァンダクは、やはりかけがえのない仲間なのだなと再認識する。

 ぼんやりとヴァンダクの寝顔を見て、ゆっくりと上下する胸を見て、突然不安に襲われた。ヴァンダクはこのまま眠り続けて、二度と起きないのではないかと思ってしまったのだ。

 ヴァンダクがこのキャラバンから、不幸な要因で欠けるなんてことは、想像するだにおそろしい。それは、ヴァンダクが方角を見ることに長けているからとか、それだけの理由ではない。彼ほどではないにしろ、リーダーをはじめとして方角を見られる仲間は他にもいる。マリエルもそのひとりだ。だから、そうではないのだ。ヴァンダクは、このキャラバンの中で方角を見るだけでなく、もっと大きな、目に見えない、大切な役割を背負っているように感じられて仕方がないのだ。

 マリエルが考え込んで不安を大きくしているのに気づいたのか、カイルロッドが溜息をついて声を掛けてきた。

「今回は、悩んでも何も変わらないよ」

「え? ああ、そうですよね、つい……悪い癖です」

 カイルロッドの言うとおりだ。自分が悩んでもヴァンダクの体調が良くなるわけではない。何かあるとすぐに考え込んでしまうのは、自分の悪い癖だとマリエルは苦笑いする。

 ぼんやりと、マリエルとカイルロッドでヴァンダクの様子を眺める。そうしていると、かまどのほうから嗅ぎ慣れたおいしそうな匂いが漂ってきた。

「はーい、そろそろできるよー」

「はい、いつもありがとうございます」

 ルスタムの声かけに、マリエルは顔を上げて返事をする。すると、リーダーが食料の入っている袋から、人数分のナンを出して器に盛っている。

「あれ? それは?」

 不思議そうな顔をしたルスタムが訊ねると、リーダーがにっと笑って答える。

「昨日のうちに市場で買っておいたのさ。

今日の昼頃どうかと思ってたんだが、ヴァンダクが起きたらこれを水に浸して食べさせてやろう」

「なるほど、それはいいですね」

 ナンを水に浸けて食べるのであれば、体調を崩しているヴァンダクのお腹にも優しいだろう。それに、そうして食べるのは贅沢な食べ方なのだ。

 ルスタムが出来上がったスープを人数分の器に取り分けていると、突然ヴァンダクの声が聞こえた。

「おはよー。おなかすいたよ」

 さっきは食べたくないと言っていたのに。けれども、食欲が出たのは回復の徴候だ。

 ルスタムがナンと水をヴァンダクに渡した。

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