第二十五章 侵略する国
ニヤの街を発ってしばらく。マリエル達一行は無事にチャルチャンへと辿り着いた。
太陽が天頂から少し降りてきた頃に着いたので、今日のうちに市場の店の位置を確認出来そうだ。
リーダーが早速、キャラバン・サライの宿泊手続きを済ませてきて、建物の前に立っているマリエル達に声を掛けた。
「一階の部屋だそうだ。
ただ、そんなに広い部屋ではないから、コウは入れないと言われたよ」
それを聞いてカイルロッドが少しむすっとしたけれども、素直にコウを厩へと連れて行く。マリエル達も、ラクダやラバを厩につれて行った。
厩から出て、いったんキャラバン・サライの割り当てられた部屋へと入る。中を見ると、部屋自体の広さはさほど狭いと言うほどでもないと感じたけれども、入り口が狭い。これだとたしかに、コウが通り抜けることはできなさそうだった。
みなそれぞれに荷物を下ろし、一息つく。少しの間静かな時間が流れたけれども、リーダーが膝を叩いてみなに言った。
「よし、疲れてると思うが、市場に行って店の位置の確認をしよう。
その後に昼飯だ」
「やった。もうお腹ぺこぺこでさ」
荷物の中から貴重品を取りだしてリペーヤが立ち上がる。ヴァンダクもお昼ごはんと聞いてもう出かける気満々だし、カイルロッドも早く店の位置を確認したいのだろう、出かける姿勢になっている。マリエルも貴重品を持って出かける用意をする。そこでふと、ルスタムが静かだなと思ってそちらに目をやると、出かける支度自体はできているようだけれども、なぜかぼんやりと、窓の外を見ていた。
「どうしました?」
疲れがたまって動くのがしんどいのかもしれない。心配になったマリエルがルスタムに話し掛けると、ルスタムははっとする。
「ああ、なんかさ、ここに来て急に建物とかの感じが今までと違ってめっちゃびっくりしちゃって」
「たしかに、はじめて見る雰囲気の街並みですよね」
マリエルはルスタムの背中を軽く叩いてにこりと笑う。
「これから街中に出ますから、珍しい物もたくさん見られるでしょう」
それを聞いたルスタムは、表情を明るくして頷いた。
リーダーの先導で市場とその中の店の位置を確認し、今度は食堂を探して街中を歩く。その間、ルスタムはずっとまわりをきょろきょろと見回していた。その様子を見て、マリエルはそっとルスタムと手を繋ぐ。
「そんなによそ見をしているとはぐれてしまいますよ。はじめての街で迷子になったら大変です」
「うん……」
マリエルに手を引かれたまま、やはりルスタムは周りを見回している。危ないとは思うけれども、そうなってしまうのも仕方ないとマリエルは思う。
まず、街中にある色彩が、今まで訪れた街のどれとも違うのだ。鮮やかだとか、明るいだとか、そういう違いではない。もっと直感的に、体で感じるような色の違い。もしかしたらそれは力強さなのかもしれない。
それに加えて、街中に出されている看板を見ると、普段使っている字と並んで見慣れない複雑な模様のようなものが書かれているのだ。いや、それは模様ではない。マリエルはあの様な物を以前にも見たことがある。いつだったか、ヴァンダクがリペーヤから貰ったシィンの天文書、あの本に書かれていた文字と同じだと、マリエルは気づいた。
食堂に着き、店員がメニューを持ってくる。それにもやはり普段使う文字とシィンの文字が併記されていた。カイルロッドが不思議そうな目でシィンの文字を見る。その様子を見てか、リーダーが、これはシィンの文字だと言う。
「へぇ、ここでもシィンの文字が使われてるんだ」
「ほぼほぼシィンだとは聞いた気がするけど」
シィンの文字が使われるところまで来たという実感がようやくわいたのだろう、ルスタムとカイルロッドが感慨深そうな顔をする。
「それより、なに食べるか決めよう。
なんせ腹減りたもうた」
食台の上に置かれたメニューを見てリペーヤが言う。言われてみれば、いつもより遅めの昼食だ。食いしん坊のリペーヤとしては、早く食べたいところだろう。
ここで、もうひとりの食いしん坊はどうしているだろうとヴァンダクの方を見る。すると、随分と真剣な目でメニューとにらめっこをしていた。
「どうしたんですかヴァンダク。そんなに選ぶのが大変ですか?」
そうマリエルが訊ねると、ヴァンダクはぱっと顔を上げて、困ったような顔をする。
「あのねぇ、メニューに書いてある字をみてシィンの字がどれにどうなってるのかわかったら、前に貰った天文書読めるかなって思って」
思いも寄らなかった返事に、マリエルはもちろん、他のみなも驚いた。あの本は、ただ眺めるだけだと思っていたのだ。
しばらくヴァンダクは難しい顔をしていたけれども、とりあえずメニューに載っている料理の中で確実に知っているのはラグマンだけだったので、みなそれを注文した。
料理を待つ間、みなで雑談をする。これから待ち構えている商売と、仕入れの話だ。その間もヴァンダクは難しい顔でメニューを見ていたけれども、はっと顔を上げてリーダーに声を掛ける。
「ね、ねぇ、ここはほとんどシィンだって言ってたけど……」
「ああ、そうだが。それがどうした?」
「前に言ってた、黒死病はどうなったの……?」
そう言えばそんな話もあった。今までの旅路、ずっと緊張していたので、その事が頭から抜けていた。もし黒死病がこの近くまで来ていたとしたら自分たちも危ない。
「なにか防ぐ方法があれば……」
マリエルがそう呟くと、近くの席に座っていた他の客がこう言った。
「黒死病なら、流行ってるのはシャンハイやテンシンの方、ずっと遠くだよ。ここまではこないさ」
それを聞いてほっとする。シャンハイとテンシンがどこにあるかはわからないけれども、とにかく黒死病が届かない位置であるのなら、それに超したことはない。
マリエルが情報のお礼を言おうとすると、その客はさらに話を続けた。
「むしろ今、国内は他の話で持ちきりだよ。
なんでも、海の向こうの小さな国と戦うってさ」
「海の向こうの?」
海の向こうと言われても、マリエルには上手く想像ができない。小さな国と言っているけれども、その小さな国はどの位小さな国なのだろう。シィンと戦うことができるのなら、そんなに小さくはないのだろうけれども。
「シィンが戦をするのはわかったけど、そもそもでシィンの規模がわからないんだよね」
「あー、わかんない」
「わかんないよねー」
カイルロッドの言葉に、ルスタムとヴァンダクが同意する。ここまで素直にわからないと言ってしまっていいのかとは思うけれども、マリエル自身も、シィンについて詳しいわけではないのだ。ひとのことをとやかくいえない。
けれども、シィンよりも東に遠い国がまだあるのは、本当にはじめて聞いた。シィンが世界の果てだと思っていたのだ。もっと遠いところに、小さいといわれる国があって、その国とシィンが戦をする。その小さな国はシィンに刃向かって大丈夫なのだろうか。素直に従っていた方が、平穏に過ごせるのではないだろうか。そう、シィンは強大な国なのだから。
そこまで考えて、けれども。とマリエルは思う。もし万が一、その小さな国にシィンが負けたとしたらどうなるのだろう。
シィンは自分たちを脅かそうとしているロシアに睨みを利かせている。そのシィンが他の国に負けることなどあったとしたら、ロシアが、もしかしたらロシアだけでなく他の国も、自分たちの国と生活を脅かしに来るかも知れない。
もしそうなったらと考えるとおそろしい。
シィンは祖国ではないけれども、古来より祖国、正確にはキャラバンと上手くやっていた国だ。無くなられたら困る。そんなことをひとりで考えてもどうしようもない。それなのに不安は消えないのだ。
マリエルが黙り込んで考え込んでいる間にも、良い匂いが漂ってきた。ラグマンが運ばれてきたようだった。
とりあえず、この事をあまり考えても意味はない。そう自分に言い聞かせて箸を手に持った。