第二十四章 幻の町
ヤルカンドで数日休憩しまた先を急いだマリエル達一行は、ヤルカンドの次の街、ホータンでも食料などの必需品を揃え、数日過ごした後にそこを発った。
リーダー曰く、チャルチャンまでもう近いという話で、それを聞いたみなはどことなくほっとしているようすだ。
黒死病のことが気にかかったけれども、先を急ぐ旅路の途中で、そのことはほとんどみなの記憶から抜けているようだった。
チャルチャンへの道の途中、日が天頂へと向かっている時間に、ヴァンダクが砂漠の中で建物のようなものを見つけた。
「あそこに村があるかも。ちょっと休ませて貰う?」
その言葉に、リペーヤが賛成する。
「休ませて貰えるなら休みたいな。
なんせこのところ、野宿も多い」
リーダーも、ヴァンダクの指さす先を見てこう言った。
「たしかに、人がいるところで少し休みたいな。そこの村に向かおう」
休みたい気持ちは、他の面々も同じなのだろう。誰も異論は出さず。砂漠の街へと歩を進めた。
進むことしばらく。異変に気づいた。村の方から人の気配を感じないのだ。いや、もしかしたらあれは村ですらないのかもしれない。
「リーダー、あれは本当に村ですか?」
マリエルの問いに、リーダーは少し考えてから返す。
「うむ……以前チャルチャンに行ったときには見かけなかった村だが……」
歯切れの悪いリーダーの言葉に、ルスタムがこう続ける。
「もし村でないにしろ、もしかしたら井戸とかがあるかもしれない。
寄ってみてもいいんじゃない?」
言われてみればそうだ。井戸で水が汲めるだけでも、この砂漠の道のりではありがたい。
そしてまたしばらく進んで、マリエル達が辿り着いたのは、砂に飲み込まれかけている瓦礫の山や廃屋だった。
「なんだこれ……これじゃあ井戸も期待できないな」
落胆したようすのルスタムを見て、マリエルはコウの方へ目をやる。いつもの、水が近くにあるときにする、首を振って口をぱくぱくさせる仕草をしていない。
「本当に枯れた村なんですね……それにしても、ここは一体?」
そう呟いたマリエルがリーダーの方を見る。するとリーダーは、溜息をついて額をおさえた。
「ああ、やっちまったな。以前チャルチャンに行ったとき、こんな村を通った記憶はないから、やめておけばよかった」
「なんかごめんね」
「申し訳ない」
この廃墟を見つけたヴァンダクと、ここに行こうと進言したリペーヤが謝っている。それを見てリーダーは、苦笑いをして、結局引き留めなかった自分が悪いと言って、ふたりを責めなかった。
「それにしても見た感じ、村どころかそこそこ大きい町の跡っぽいけど、なんでこんな廃墟になってるんだろう?」
不思議そうに周りを見渡しているリペーヤが疑問を口にするので、マリエルはこう返す。
「どんなに栄えた都市であっても、水が涸れてしまえばもうそこには住めません。
この町もきっと、水が涸れたあとに砂に飲まれたのでしょう」
マリエルの言葉を聞いてか、カイルロッドが呟く。
「枯れた町か……」
それから、近くにある砂に埋もれた壁に手をやり、覆い隠していた砂を払う。すると、その下からは色褪せたなにかの人物の絵が出てきた。
「なんだろう、この絵」
カイルロッドが見つけた絵を、みなでなんだなんだと言いながら眺める。真正面から見たり、少し斜めから見たりと色々したけれども、その風変わりで少し不気味とも言える絵は、少なくともマリエルははじめて見るものだった。
この町ではかつて、建物に人間の絵を描くのが流行っていたのだろうか。そう考えて、マリエルははっとする。
「ここはきっと、異教の町です。この壁の絵は、異教で信仰されていた何らかの絵でしょう」
「異教?」
きょとんとした顔でヴァンダクがマリエルを見る。たぶん、異教と言われても実際どういうものなのかはわからないのだろう。
一方、ルスタムとカイルロッドはまじまじと壁の絵を見ている。
「へぇ、異教徒ってこういうのありがたかるんだ。なんか不思議だな」
「不思議だけど、悪くはない。
これ持って帰ったら高く売れるかな」
「カイルロッドほんとそういうとこ……」
ふたりのやりとりを聞いて、さすがにこんなに大きいものを持っていくのは無理があると、マリエルはくすくす笑う。
ふとリーダーとリペーヤの方を見ると、壁に書かれた絵に興味はあるようだけれども、気まずそうな顔をして若干遠巻きにしている。それもそうだろう。リーダーやリペーヤだけでなく、このキャラバンのみなが信奉している神は、このような偶像を好まないのだ。異教徒のものとはいえ、なるべく触れたくないのだろう。そして、同じような不安を感じているのだろう。ヴァンダクがラバから降りて、マリエルの側に来て、マリエルの服をぎゅっと握っている。
「神様に怒られちゃうよぉ……」
「大丈夫ですよ、あなたはなにも悪いことをしていないのですから、神様も怒ったりはしないと思いますよ」
ルスタムとカイルロッド以外が少々遠巻きにして壁の絵を見ていると、ふと、カイルロッドがこう呟いた。
「ダンダンウィリクだ」
その言葉に、リーダーとリペーヤがカイルロッドの方を見る。マリエルも、カイルロッドの呟きに驚いてそちらを見た。
「ダンダンウィリク、なるほど……」
リーダーが、なにやら納得したように呟く。マリエルもなんとなく納得した。
反応を見るにおそらく、リペーヤもダンダンウィリクという場所の名前は聞いたことがあるのだろう。その、随分と昔にこの地に栄え、けれども砂に飲まれて消えていった、華やかな異教の町の名を。
ダンダンウィリクは、色々なキャラバンの間で噂され、幻と言われた町だ。カイルロッドが言うとおりなのであれば、自分たちは今、その幻の中に立っている。その実感は、なんとも言えない奇妙なものだ。幻に出会えた感動と、異教の物を見て感動する罪悪感。そんなものがないまぜになっていた。
ふと、ヴァンダクがリーダーの方へ行って不安そうな声で話し掛けている。
「リーダー、ここには水もなさそうだし、もう行こうよ。なんかここ、こわいよ」
そうか、ヴァンダクは異教の物に触れてこわいと感じてしまっているのか。実際の所の胸の内はもっと複雑なのだろうけれども、それを上手く表現できないのだろう。
ヴァンダクの言葉に、リーダーは頷いてラバに乗るようにと促す。
「先を急ごう。
少しルートを外れちまったけど、ヴァンダクが方角を見てくれるなら、チャルチャンには着けるだろう」
そう言ってリーダーはラバを歩かせはじめた。ヴァンダクも慌てて、リーダーの前に出る。
マリエル達はまた、東へと進み始めた。しばらくはダンダンウィリクの廃墟の中を進んだけれども、廃墟の中を進んでいるときにカイルロッドが零した。
「ここにはもう、瓦礫の山しかない。
人が長くいる所じゃない」
その通りだとマリエルも思う。異教の絵というものには、正直言えば興味はある。けれども、あの絵が描かれている壁を持ち運ぶのは自分たちには不可能なことで、この幻の中に置いて行かざるを得ないのだ
ダンダンウィリクを抜け、しばらく歩く。リーダー曰く、近くにニヤの街があるそうだ。
その街まで行って、また数日だけ休んでチャルチャンに向かうらしい。
あの幻の町から出て、現実に戻ってきたのだ。けれども、あの幻をまだ感じていたくて、マリエルはふと来た道を振り替える。風が砂を動かし、少しずつダンダンウィリクの影が消えていくのが見えた気がした。
もしかしたら、あの町は誰の目にも触れずに、ずっと砂の下で眠り続けるのがいいのかもしれない。
マリエルの知らない異教の信仰を抱えたまま、自分たちのような旅人に触れられずに、ずっと純粋を保って眠り続けるのが。




