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第二十三章 疫病の報せ

 フェルガナを出てからは、かなり早足でステップを抜けていった。途中カシュガルという大きめの街も通ったけれども、そこすらも一晩しか過ごさないという、忙しない足取りだ。

 しかし、その急ぎ足のせいかキャラバンのみなに疲れが見えてきた。体力のあるリーダーや、一番若いルスタムも、目に見えて元気が無かった。

「リーダー、疲れたよぉ。どこかでおやすみしよう?」

 砂漠に差し掛かりだした頃、ラバに乗ったヴァンダクが振り返り、疲れ切った声でリーダーに言う。それを聞いてリーダーも疲れを自覚したのだろう。眉間を抑えてから返す。

「もうすぐヤルカンドにつく。そうしたら、そこでは数日ゆっくりしよう」

 ようやく休める。リーダーの言葉にマリエルはほっとする。このまま休むことができなかったら、チャルチャンに着く前に、疲れのあまり仲間に当たり散らしてしまうのではないかと心配だったのだ。

 ほっとしていると、先頭を進んでいたヴァンダクの隣にリーダーが並んだ。おそらく、遠くに街の影が見えたのだろう。リーダーがキャラバンを先導するときは、街や村が近い証拠だ。もう少しだけ頑張ろうと、マリエルは手綱を握り直した。


 そして日が傾く頃まで進み続けて、マリエル達一行はヤルカンドの街に着いた。なんとかキャラバン・サライまで頑張り、リーダーが宿泊手続きをしている間、みなそれぞれラクダやラバ、亀から降りて身体を伸ばしている。

「いたっ、いたたたた腰に来た……」

 急に体を伸ばしたからだろうか、リペーヤが腰を押さえている。

「大丈夫ですか? 腰をやりましたか?」

 マリエルがそっと近寄ってリペーヤの背中をさすると、リペーヤは困ったように笑う。

「いやぁ、俺ももう若くないな。

ところで、マリエルも腰曲がってるけど腰やった?」

「あ、えっと、ちょっときてます……」

「結構くるよな」

 カイルロッドやルスタム、ヴァンダクあたりの若手から不思議そうな視線を送られているうちに、キャラバン・サライの建物からリーダーが出てきた。宿泊手続きが終わったらしい。今回の宿ではコウは一緒の部屋には入れないと言われたカイルロッドが少々不満そうな顔をしたけれども、余計に疲れるのは嫌なのだろう、なにも文句を言わずにコウを厩へと連れて行く。マリエル達も、それぞれにラクダやラバを厩にと繋ぎに行った。

 厩から出て、リーダーについてみな真っ直ぐに割り当てられた部屋へと向かう。そしてそのまま床に横になった。

「腰が……」

「良い感じに伸びる……」

 マリエルとリペーヤがそう言っていると、ヴァンダクが心配そうな声でふたりに言う。

「腰痛いの? このまま寝ちゃう?」

 このまま寝る。それもありだなとは思ったけれども、この疲れの中食事を抜いて寝てしまうと二度と起きられないような気がする。なんとなく不安になったマリエルは、起き上がってみなに声を掛けた。

「ごはん食べに行きませんか?

このまま寝ると二度と起きられなさそうで」

 それを聞いて、ヴァンダクが真っ先に起き上がった。

「ごはん行こう! なに食べる?」

 先程あんなに疲れたと言っていたのに、ごはんと聞いてこの笑顔だ。単純なのか純粋なのか、その判断はつかないけれども、ヴァンダクの笑顔を見ていると妙に安心した。他のみなものろのろと起き上がって部屋の入り口を見ている。

 この街の料理はどんな味なのだろう。


 キャラバン・サライの部屋を出て街の食堂に入る。とにかくお腹にたまる物がいいと言うルスタムとリペーヤの要望と、お腹に負担がかかると吐きそうというカイルロッドの懸念を考慮した結果、プロフを注文した。

 フェルガナからここまでの道中の話を仲間達がしている。ここ一ヶ月ほどでこんなに移動したのは久しぶりだとか、昔はここまで疲れなかったとか、そんな話だ。それをマリエルはぼんやりと聞いている。疲れていて話す気力が出てこないというのもあるのだけれども、なんとなく、店の中に響く、訛りのある言葉を聞いていたいのだ。

 ふと、他の客の会話の中からこんな言葉が聞こえた。

「シィンで黒死病が流行っている」

 それを聞いて血の気が引いた。自分たちは今まさに、シィンの方へと進んでいるからだ。

 マリエルはリーダーに目配せをし、手振りでみなに声を抑えるようにと伝えてこう言った。

「困りました。シィンでこのところ、黒死病が流行っているそうです」

 それを聞いたリペーヤが、真面目な顔で訊いてくる。

「その話はどこで?」

「今、他のお客さんが話しているのが耳に入りました」

 マリエルの返答に、リペーヤとリーダーは考え込む素振りを見せる。カイルロッドも視線を落としているし、ルスタムとヴァンダクは明らかに怯えた様子だ。

「ね、ねぇ、これからチャルチャンに行くけど、シィンまでは入らないんだよね?」

 不安そうにそういうヴァンダクに、リーダーは首を振って答える。

「チャルチャンはほぼほぼシィンだと思った方がいい」

「それじゃあ、どうすればいいの? 黒死病にかかったら死んじゃうよぉ……」

 ヴァンダクのその言葉は、これから東に向かうキャラバンのみな共通の不安だろう。その不安を払うかのように、リペーヤが落ち着いた声で言う。

「そもそも、シィンのどこで黒死病が流行ってるか次第だな。

シィンの領土は広大だ。だから、どこか一ヶ所で疫病が流行ったとしても、隅から隅まで行き渡ることはない」

「でも、ここまで噂がきてるってことは、チャルチャンに近いところの可能性は高くない?」

 カイルロッドの指摘に、リペーヤは溜息をつく。呆れているのではなく、突かれたくなかったところを突かれたといった様子だ。

 リーダーが難しい顔をしながらみなを見回し、溜息をつく。

「チャルチャンから遠いところの話であることと、そこに着く頃には収まっていることを祈ろう」

 やはり、ここで引くということは選ばなかったかと、マリエルは思う。どこかで疫病が流行ったときに、キャラバンをどう運営するかは、一番経験を積んでいるリーダーに任せるのが無難な線だと、マリエルは普段は思っている。けれども、黒死病と言われてしまうと思いきることは難しかった。

 シィンの黒死病の知らせで沈み込んでいると、にんにくとにんじん、それに羊肉の匂いが漂ってきた。

「お待たせしました」

 そう言ってやって来た店員が、大皿に盛られたプロフと取り皿を食台の上に置く。それを見て、敢えてだろうか、リペーヤが待ってましたという顔をして取り分け用のスプーンを手に取る。

「とりあえず、料理も来たしみんな食べよう。

今はお腹いっぱい食べて、休んで、難しいことはそれから考えよう。な?」

 それに合わせて、リーダーもにっと笑って言う。

「そうだな。疲れてて、さらに腹が減ってるときに考え事をしたって良い考えは浮かばないさ。とりあえず食べよう。

もしプロフだけで足りなかったら、ナンなりマンティなりスープなり頼めばいい」

 言われたとおり、このまま暗い雰囲気のままでもなにも解決はしない。とにかく今は食事をして、よく眠って、疲れをとらなければならない。

「なんだか急に不穏な話をしてしまって申し訳無いです」

 マリエルが軽く頭を下げてそう言うと、リーダーは軽く笑ってこう返す。

「なに、なにも知らずに行くよりはなにかしら対策ができるだろう」

 そのやりとりの後、リーダーとリペーヤがみなの不安を払うように、なにげない日常の話をしてみなを和ませてくれた。マリエルだけでなく、カイルロッドとルスタムも、先程の黒死病の話で緊張していたのがほどけたようだった。

 ただ、どうしたものかとマリエルは自分の隣に座っているヴァンダクに目をやる。ヴァンダクだけはどうしても、黒死病に対する恐れが消えないようだった。

 このまま怯えさせたままにしておくわけにはいかない。なんとか眠るときまでにヴァンダクの緊張をほどかないととマリエルは考える。けれども疲れているせいだろうか、やはりいい考えなど浮かばないのだった。

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