第二十一章 星を見る円盤
今日も市場は賑わい、先程までマリエルもリペーヤの店で店番をしていた。主にリペーヤとルスタムが店番をしているそこでは、陶器や布、それに香辛料を主に売っている。たまに絨毯のような高級品が入ってきたらそれも売るけれども、そういった物は入ってくるのも出るのも頻繁にあることではない。なので、主に扱っているのは生活必需品といっても差し支えはないだろう。
この周辺では、サマルカンドの方とはまた違った趣の陶器が作られている。細かいだけでなく大胆さもある絵付けをされた陶器は、ここより西の方、特にヒヴァ辺りに持っていくと物珍しいものとして喜ばれる。
そんな陶器を、背負った袋いっぱいに詰め込んで仕入れから返ってきたリペーヤと店番を交代して、今はマリエルが仕入れに出てきたのだ。
「陶器はリペーヤがいいものをたくさん仕入れてきたし、装飾品はできればカイルロッドに丸投げしたいし……」
そう呟いて、では自分は何を仕入れよう。とマリエルは歩きながら考える。香辛料を仕入れようか。香辛料も正直言えばルスタムの方が目利きができるけれども、ルスタムは少々値段の交渉が苦手だ。それなら自分が仕入れに出た方がいいかもしれない。
「ああ、でもなぁ……」
そこまで考えて、マリエルは足を止める。ルスタムの方が目利きができるということを自分の中で再確認してしまうと、ルスタムに同伴してもらいたくなってしまった。けれども彼は今、店番をしているところで、また市場に戻って呼びに行くのも手間のような気がする。
色々考えているうちに、悩むだけ無駄だと思い直して、マリエルは街の中を歩き始めた。
しばらく商店街を歩いて、時々店の中を覗き込む。そうしてマリエルが目を引かれるのは、いわゆる古物だった。古びていて、長い時の流れを感じさせる、一見ガラクタのようなものが、どうしても魅力的に見えるのだ。
通りにある一軒の店に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
無愛想な顔と声の店長にマリエルは軽く頭を下げてから店内を見て回る。壁際に置かれた棚に所狭しと並べられた、一体なんだかわからない物。きっとこういう物を買っていったらリーダーに不満がられるだろうなという物ばかりだけれども、マリエルはそれらをうっとりと眺める。
ふと、腰の位置にある棚に立てかけられている金属製の円盤に目を留める。
「拝見してもよろしいですか?」
店長にそう訊ねると、店長はどうぞ。と静かに言う。早速金属の円盤を手に取って見て見ると、その円盤は唐草模様と円を組み合わせたものを模って彫られた板と、たくさんの曲線が彫り込まれた板を重ねていて、さらにその上にくるくると回る細長い棒のような板のようなものを乗せている、なんともいえない不思議なものだ。
「随分ときれいな細工物ですね」
マリエルがそう言うと、店長がにやりと笑う。
「そうだろう」
そこで会話は途切れて、マリエルはまたその円盤を見つめて、どんなものかを観察する。よく見ると所々に緑青が浮いていて、どうやら真鍮でできているらしかった。
高価な金属を使っているわけではないとはいえ、これだけ細かい細工のものだ、きっといいものだろう。
マリエルが店長に訊ねる。
「この円盤は、一体何なのですか?」
すると店長は、ちらりとマリエルの手元を見てから答える。
「それはアラブの方から入ってきたやつだ。
いつ頃のものか、なにに使うのかまでは知らんね」
「なるほど」
使い道がわからないとなると、それこそこれは飾っておいたり眺めたりする以外に、役目を見いだすことはできなかった。
それでも、この細工物はすばらしい。そう確信したマリエルは、店長にまた尋ねる。
「おいくらですか?」
あの真鍮の円盤を購入し、その後他の店でも珍しそうな物を仕入れて、日の傾きを見るにそろそろ店じまいだなと判断したマリエルは、キャラバン・サライの部屋に戻った。
重い荷物を下ろし一息ついていると、リーダーが得意先回りから戻ってきた。
「なにかいいものがあったって顔だな」
にっと笑うリーダーに、マリエルは苦笑いを返す。
「そうですね。リーダーに怒られそうなものもありますけど」
「へぇ、どんなものを仕入れてきたんだか」
そう言って肩をすくめるリーダーに、マリエルは先程買って来た真鍮の円盤を見せる。
「こういった物なのですけれど」
円盤を見たリーダーも、苦笑いをする。
「たしかにすごい細工物だ。だが、これを買いたいという客に売れる値段で買ったのか?」
「えっと、そこが怒られそうなという、その……」
「……まあいいさ。キャラバンがきれいな物を持ってちゃいけないって決まりはない」
「はい」
これはリーダーに呆れられたな。と思いながら、マリエルは真鍮の円盤を見る。やはり、見れば見るほどうつくしく感じる。それなのになぜか、この円盤は自分の手元には居着かないような気がする。その予感は、一体なぜなのかはわからないけれど。
しばらくリーダーとふたりで部屋にいると、元気な声と共に入り口の扉が開いた。
「ただいまー」
「ただいまー」
コウに乗ったカイルロッドと、一緒にいたヴァンダクが帰ってきたのだ。
「お帰りなさい。今日もお疲れ様です」
マリエルは壁際に置いてあった馬乳酒の入っている水筒をヴァンダクとカイルロッドに渡す。ふたりが腰から下げている水筒はぺったりしていて、中身が入っているようには見えない。そして思った通り喉が渇いていたようで、渡した水筒から馬乳酒を飲んでいる。
「そういえばおまえら、マリエルが珍しい物を買ってきたぞ」
リーダーがにっと笑ってマリエルが先程まで持っていた真鍮の円盤を指さす。それを見てカイルロッドは、またか。という顔をする。
「こういうのきれいだけどさ、売る当てあるの? 緑青も浮いちゃってるし」
「その辺りは先程リーダーにも指摘されまして」
カイルロッドの反応はいまいちだけれども、コウとヴァンダクは真鍮の円盤を見てはしゃいでいる。
「きれいだね、こんなのあるんだね」
「すごく細かいね。こんなの作れる人すごいなぁ」
コウとヴァンダクが褒めてくれたのでマリエルは一旦一安心する。すると、ヴァンダクが急に真面目な顔になって円盤に手を伸ばした。
「マリエル、これちょっと触っていい?」
「えっ? いいですけど、どうしました?」
ヴァンダクの真面目な顔というのは珍しい。思わず驚いていると、ヴァンダクは円盤を手に取って、曲線が彫り込まれている、下に重ねられた部分を回して声を上げた。
「これ、アストロラーベだ!」
アストロラーベというのは一体何なのだろう。マリエルが疑問に思っていると、ヴァンダクがこう訊ねてきた。
「これ、もともとどこのものかっていうのはわかる?」
「えっと、アラブのものらしいのですが」
「わー、わー、本物のアストロラーベだ!」
ヴァンダクのはしゃぎ振りに思わず戸惑っていると、リーダーがヴァンダクの肩を押さえて落ち着かせるように、ゆっくりと話し掛けた。
「そんなにすごいものなのか。
ところで、アストロラーベってのは、一体なんなんだ?」
その言葉に、ヴァンダクは円盤を回しながら答える。
「あのね、こうやってシュッてなってる所をぐるぐるするのに合わせてね、方角を見る道具なの」
そこまで聞いて、マリエルはピンと来た。
「もしかして、星を見る道具ですか?」
それを聞いて、ヴァンダクはにこっと笑う。
「そうなの。これで星を見て方角を見るの」
それから、もじもじした素振りをしてちらちらとマリエルとリーダーのことを見る。大体言いたいことは察した。
「欲しかったら、マリエルから買うんだな」
「わかった!」
どうやら、この円盤、アストロラーベの買い手はすぐ側にいたようだ。マリエルは買って来たときと同じ価格を提示し、ヴァンダクは素直にその金額を支払った。
ふと、先程の予感のことを思い出す。あのアストロラーベが手元に居着かないような気がしたのは、もしかしたら直感的に、あれが星を見るものだとわかったからかもしれない。そして、星を見るものなのであれば、自分よりもヴァンダクの方が相応しいのだ。




