第二章 色ガラスのランプ
小さな村を転々と渡り歩いてしばらく、久しぶりに活気のある街に辿り着いた。
この街の名はパルフ。交易路が交わる所にあり、古くから旅の商人が訪れることも多かったせいか、街の規模と比べると大きくも思えるキャラバン・サライが置かれている。
マリエル達のキャラバンも、この街に滞在している間はキャラバン・サライで寝起きすることになる。
しっかりとした作りのキャラバン・サライは、ユルタで寝起きするよりもずっと寒さも暑さも凌げるし、なにより組み立てなくていいので手はかからない。それなのに、なぜずっと建物の中にいるとユルタの夜が恋しくなってしまうのだろうと、マリエルはたまに思う。
なにはともあれ、みなでキャラバン・サライの門をくぐり、リーダーが宿泊の手続きを済ませてくる。それから、厩にラクダやラバをつなぎ、充てられた部屋へと向かう。
というのが流れなのだけれども、いつも必ずこの流れを切る者がいる。
「リーダー、コウは一緒の部屋に入れる?」
本来ならラクダやラバと同じように、亀であるコウも厩に入れなくてはいけないのだけれども、カイルロッドはどうしてもコウと離れたくないらしく、キャラバン・サライに入る度にこう聞くのだ。
これももう慣れたことだと既に心得ているのだろう、リーダーが困ったように笑って答える。
「そうなるだろうと思って、一階の一番広い部屋を使えるかどうか交渉してみたよ」
「結果は?」
「入っていいってさ」
リーダーからの吉報を聞き、カイルロッドが満足そうに笑ってコウの頭を撫でる。これは、コウがカイルロッドに懐いているのではなくカイルロッドがコウに懐いているのではないかとマリエルは思うのだけれども、あまりその辺りをつついてやぶ蛇になるのはいやなので指摘しないでいる。
「よかったね。コウも仲良しだから一緒がいいもんね」
「うん」
つられてにこにこしているヴァンダクの言葉に、カイルロッドは少しだけ照れる様子を見せる。自覚していることとはいえ、改めて言われると気恥ずかしいところがあるのかもしれない。
「それじゃあ、中に入りましょうか」
荷物を背負って建物の前で立ち止まっていたヴァンダクとカイルロッドとコウに、マリエルが声を掛ける。
ふたりと一匹が前を歩くのを見ながら歩き、マリエルは少しだけ考え事をする。
いくら馴染みのキャラバン・サライとはいえ、コウを中に入れられるほどの部屋をこの人数のキャラバンに充ててしまって本当に大丈夫なのか、心配になったのだ。他のもっと大所帯のキャラバンがきたら、入る部屋はあるのだろうか。
途中で部屋変えになったら面倒だなとは思うけれども、とりあえずはそうならないことをマリエルは祈っておくことにした。
キャラバン・サライで荷物を整理し、キャラバン向けの市場へと向かう。市場では売る品目ごとに割り当てられる場所が違うので、市場の入り口を通ったら、各々市場の中に散っていく。
キャラバンの中でも、全員が店を出すわけではない。ヴァンダクは旅の途中で方角を確認して道を示すのが仕事で、商売には向いていないので店にいたとしても窃盗除けの店番程度だ。マリエルも、たまに店を出すことはあるけれども、主な仕事は仕入れだ。マリエルが仕入れた陶器やガラス細工、布など、そういった物を売るのはルスタムとリペーヤの仕事になっている。
そして、今まさに目の前で、割り当てられた区画で折りたたみ式の台を広げ、その上に石で飾られた銀の装飾品を並べているカイルロッドは、こういった物を自分で仕入れ、自分で売っている。
カイルロッドは石のアクセサリーのことをなんでも知っている。とコウはいつも言っているけれども、それも間違いではないのかも知れないとマリエルも思ってしまうほど、カイルロッドは銀の装飾品の売り方を心得ている。
カイルロッドはマリエルがキャラバンに入ったあと、だいぶ経ってから入った後輩だ。頼もしい後輩だと思うと同時に、負けてはいられないとも思うのだ。
「マリエル、このあと他のふたりの場所も確認するんでしょ?」
ひとしきり店の準備を終えたカイルロッドがマリエルに言う。ちらりとコウを見て、マリエルが答える。
「そうですね、確認はしたいです。
確認してから、仕入れに良さそうな物を探してきます」
「了解」
短いやりとりの後、マリエルがその場を離れようとすると、あっ。と声を上げてからコウが声を掛けてきた。
「あのね、ヴァンダクが迷子になっちゃったら大変だからね、見つけたらどっちかに案内してあげてね」
確かに、ヴァンダクは方角を見るのは得意だけれども、市場のような込み入った場所を歩くのは未だに慣れないようで、たまに迷子になることがある。
「わかりました、ちゃんと案内するので、コウも心配しなくて大丈夫ですよ」
それを聞いて安心した様子のコウの頭を撫でてから、マリエルは市場の中を歩いて行った。
ルスタムとリペーヤの店の位置を確認し、案の定迷子になりかけていたヴァンダクをカイルロッドの元へと送り届けたあと、マリエルはキャラバンが出店する市場を出て、街のいわゆる商店街へと足を向けた。
食堂の固まっている区画を抜け、仕立て屋や帽子屋、靴屋の並ぶ通りを歩いていると、突然鮮やかな色が目に飛び込んできた。
なにかと思ってそちらの方を見ると、きらきらと輝く色ガラスを使って作られているランプがあった。
そのランプを置いている店の中に入り、店内のいたるところから吊されているランプをじっくりと見つめる。
「それはね、オスマン帝国の物ですよ」
突然掛けられた声に驚いて振り向く。すると、フェルトの帽子を被った猫背の男性が立っていた。改めて周りを見渡しても店内に他に誰もいないので、おそらく店主だろう。
「オスマン帝国の物ですか」
店主の言葉を繰り返し呟いて、マリエルはオスマン帝国がどのようなところだったかと思いを馳せる。
マリエルは、オスマン帝国には行ったことがない。ただ昔から、両親や近所の大人達に、オスマン帝国はこの国を奪おうと昔から何度も狙っているという話だけを聞いていた。
だから、マリエルは店主にこう訊ねた。
「オスマン帝国と取引をするのはこわくないですか?」
それを聞いた店主は、一瞬きょとんとしてから苦笑いをする。
「気にかかることはたまにあるけど、実際取引するのは国じゃあなくて個人だからね。
それに」
「それに?」
「きれいな物はきれいだからね」
きれいな物はきれい。店主の言い分は十分に納得できた。未知の国に対する畏れを忘れさせるほど、輝く色ガラスのランプはうつくしかった。
マリエルはしばし見惚れた後に、結局なにも買わずに挨拶だけをしてその店を出た。
だいぶあの店で時間を使ってしまった。あのランプは仕入れるのに十分な魅力はあるけれど、とりあえず今夜、リーダーと相談してどうするか決めることにしようと、マリエルは食料品の市場を歩く。
そう、ぼんやりとこの市場を歩いているけれども、もう夕食時だ。そろそろみんなも店じまいをして、キャラバン・サライに戻っている頃だということに気づいたマリエルは、市場の出口へと向かって歩いて行った。
一旦キャラバン・サライへと戻り、リーダーも含めて全員が揃ったところで、マリエル達は食堂へと向かった。
「せっかくこんな街に来たんだ。久しぶりにシャシリクが食べたいね」
ぺろりと唇を嘗めてリペーヤが目配せをする。すると、ルスタムとヴァンダクも肉が食べたいと言い出した。
「肉なら道中であんなに食べたでしょ」
きっと干し肉のことを言っているのだろう。カイルロッドが少し呆れ顔をしているけれども、リーダーは笑いながら人数分のシャシリクとナンを注文する。
料理が来るまでの間、マリエルがリーダーに、この街にはどの位滞在するのかを訊ねる。すると、リーダー曰くこうだった。
「冬が終わるまでかな。砂漠でないなら、暖かい頃の方が動きやすい」
それももっともだ。外の寒さを思いながら、マリエルは両手を擦り合わせる。
一行はこれからサマルカンドへと向かう。けれども、サマルカンドまでの道は急いでいないのだ。




